第23話 追い打ち① ~心の闇

 錠は日々ゲームを続けた。一つ終わればまた次のもの、他にすることはなかった。

 しかし、そんな生活に疲れを感じはじめたころ、久しぶりに電話が鳴った。錠はためらいながらも受話器を取ったが、相手の声を聞いたとたん、気が塞いだ。

「やあ、錠。カルロスだ。今度、あのブラジルとテストマッチやることになったんだ。また呼ぶけど、もちろん来るよな」

 意外な言葉だった。再び声をかけられるなど、想像もしていなかった。錠は戸惑いとともに口を開いた。

「……いや、もう行かない」

「どうして? あのブラジル代表とやれるんだよ」

「どうせ俺は出番ないだろ」

「相手が相手だから監督も使うかもな」

「いや、もういい」

 錠はカルロスとの間に壁を立てるようにつぶやいた。

「錠、一度失敗したくらいで代表から外してたら毎回選手が変わるよ。いいか、あのときキーパーはヤマを張って動いた。だからなんだよ」

「だから? だからどうだってんだ」

 錠はやけ気味に返した。

「まあ、聞きなよ。今後も左右どちらかにヤマを張るキーパーは多いだろう。そうでないとレインボーは防げないから。ということは五十パーセント以上の確率で決まるってことだ。五十パーセントって言ったらすごいんだよ。ヤマが当たったって絶対取れるってもんでもないから――」

「とにかく、もう行かない」

 錠はカルロスの言葉を遮った。

「……わかった。監督に伝えておくよ。けど最終予選には来いよ。じゃ」

 カルロスは静かに電話を切った。

 錠は仰向けになり、目を閉じた。頭に浮かぶあのシーン。

 オマーンのキーパーには読まれていた。カルロスの言うようにヤマが当たっただけの偶然なのか、それとも研究された結果なのか。どちらにしろあれが通用しなければ、錠のサッカー選手としての価値はない。

「五十パーセントの確率で決まるってことは、五十パーセントの確率で……」

 錠は目を閉じた。

「いや、もう関係ない」

 そして起き上がり、ゲームのスイッチを入れた。

 それからほんの数日後のことだ。コンビニに入るたび、錠はゲーム雑誌を欠かさずチェックしたが、週刊誌の表紙は軽く目をやる程度になっていた。だがその日、再び目をとめさせたのは〝ジョー〟、そして〝彼女〟の文字だった。

 またあの野獣の件だろうと甘く見ていたが、よく見ると〝元彼女〟とあった。錠はすかさず手にとって記事を確認した。

 そこには、錠と女性がカメラに向かって並んでいる写真が大きく掲載されていた。周りにも人がいるようだが、トリミングされている。女性は匿名かつ目に線が入っているものの、どうみても玲子だ。

 記事には出会いから別れまで、大筋がほぼ正確に書かれていた。

 そういえば付き合いはじめのころだ。訪欧大のキャンパスに彼女を呼んだとき、竹内ら三人と出くわしたことがある。そこで前田の使い捨てカメラで皆と一緒に何枚か撮られ、あとで一枚だけもらったことを思い出した。ネガフィルムを持っているのは前田に違いない。

 錠は彼らの居そうな場所へと向かった。

 いつもの居酒屋の扉を乱暴に押し開けた錠は、目に入った三人のテーブルに一直線に詰め寄った。

「おい、お前、マスコミに何しゃべった」

 前田も察しはついていたようだ。

「お、俺じゃない。あ、あれだ、カワッチだろ。写真はこないだ俺んちに泊まったときに持って帰ったんじゃん?」

 錠の思考はいったん停止した。が、やがていつも以上にすわった目つきで前田を責めはじめた。

「いいや、お前だ。お前のせいだ」

「だから、ちょっと待ってくれよ」

「お前のせいだろ。そうだろ、そうに決まってんだろ」

 錠は前田を見下ろしながら、有無を言わさずまくしたてた。

「まてよ、錠。前田が直接マスコミにしゃべったわけじゃないだろ」

 慌てる前田のそばから、竹内が弁護に入った。錠は前田だけを見ている。

「前田が、なんであの写真持ってんだよ」

「いや、それはいいじゃん、他のはいいじゃん」

「錠、そりゃ一応全部現像するだろ。そのなかで一番いいのをお前にやって、あと残ったのを持ってただけなんだよ」

 竹内は言葉を選びながらそう言ったが、大木は毅然とした口調で付け加えた。

「前田のカメラで撮ったものだ。俺たちも写ってる。全部お前にやらなきゃならない義務はないだろう。むしろ善意で一枚やったんだろうよ」

 前田をにらみつけたまま仁王立ちの錠に、言葉の内容うんぬんは頭に入らない。ただ二人が前田を擁護することに理不尽を感じ、錠の被害者意識は膨れ上がった。

「どうしてくれんだ。日本中に恥かいたんだぞ。なんで河野にしゃべった」

「しゃべってない、たぶん。酔ってたからわかんないけど。いや、しゃべってないと思う」

 いつものように泥酔していた前田は、確証をもって言えなかった。

「いや、すまん、錠。こんなことになるなんて。カワッチがまさか」

「いいや、許せるわけないだろ。どうしてくれんだっての。どう責任取るんだよ」

 錠は前田を責め立てながら、何かあるなら言ってみろと言わんばかりの目で大木を見た。

「どうしょうもないな。少なくとも前田をこれ以上責めてもな」

 大木は冷ややかに言葉を返した。続けて竹内が説得に入る。

「許してやってくれよ。なあ、俺たちの言うこと間違ってるか?」

 錠は顔をそらし、店内の壁面にところかまわず鋭い視線を走らせたが、やがて舌打ちをして出ていこうとした。

「待てよ、錠」

「変わっちまったな、錠。言い合いになっても帰るなんてなかったのに。こないだだって、犬扱いで帰っちまって」

 竹内と大木、二人の声に錠は一度足を止めた。前田がそのうしろ姿に向かって叫ぶ。

「錠! ほんとにすまん」

 が、錠は抑えきれない感情を背中越しに浴びせつけた。

「ろくなことねえ!」

 そのセンテンスにいろんなものを集約して外へ出ていった。


 八月上旬。夏休みで講義もない、就活もしない。竹内らと会うこともなくなった。そのぶんだけ、ゲームの時間が増えた。

 この日も錠は、昼過ぎからいつものロールプレイングゲームに没頭していた。小ぶりなテレビの画面にかぶりつき、延々レベルアップに励んだ。

 真夜中になり、ようやくロールプレイングに飽きた錠は、今度はあまり得意ではないアクションゲームを始めた。

 この手のゲームは久しぶりだ。その都度自分のペースで行動を選択できるロールプレイングに比べ、アクションゲームは有無を言わさず反応を迫られる。手を抜こうものなら即撃沈だ。この分野は錠には合わなかった。ロールプレイング以外でよくやるのは裏技を覚えているサッカーゲームぐらいだが、今やディスクに触れる気にもならない。

 錠は眉間にしわを寄せ、画面をにらみながら指をせわしなく働かせた。わりとねばったが、やがて小さなスピーカーから漏れる爆音とともにその指も沈黙した。

 錠は大きくため息をつき、コントローラーをくず山に放って、大の字に横たわった。敷き詰められたコンビニの袋がざわめくように音を立てる。

 しばしのあと、錠は反転して、はうように玄関に向かった。そしてドアノブにかけてあるキャップを手に取り、サンダルをひっかけ、コンビニに向かった。今や深夜のコンビニは、社会との唯一の接点だ。食事も朝昼晩すべてのぶんをこのタイミングで調達している。

 いつもの店に入ると、いつもの店員がマニュアルどおりに『いらっしゃいませ』を発する。――のはずが、この日は笑い声で迎えられた。錠はキャップのつばの奥から、遺憾の目で見やる。

 入って左奥のレジには見慣れた店員の他にもう一人、初めて見る顔がいた。笑いの対象は錠ではなかったか、二人で談笑している。

 しかし、すぐに客に気付いた一人がいつもの声を出した。錠は思わず目をそらし、右手にある書籍のコーナーに向かった。週刊誌のエリアを横目で見たあと、ゲーム雑誌を手に取った。何列か商品の陳列棚を挟み、レジの二人に対して背を向ける格好で立ち読みを始めた。

 初めのうちは気にならなかったが、次第に店員二人の会話がやけに耳につくようになった。すべて聞き取れるわけでもないが、時折り大きな笑い声の混じる彼らの会話は、客の存在など眼中にないかのようだった。

 やがて、錠は興味ないはずのその内容に耳を奪われていく。

「いつも――」 

 その言葉から始まり、続いてもう一人の声で、

「はっはっは、かわいそうに」

 そう聞こえた。

 雑誌を読む視線が止まる。

 いつもって、いつもの客の俺のことか?

 かわいそう?

 誰だ? 誰のことだ? ひょっとして俺のことか?

 錠の心の中で懐疑が膨れ上がっていく。

 その後も続く彼らの会話が、今度は心の闇をつつき始めた。

「なんかさ、あれらしいよ――」

「知ってる、その話」

 耳を塞ごうにも両手は塞がっている。錠は深く目を閉じた。

 幼いころから何かに怯えていた。誰かに触れられるのが怖くて、そのたびに壁を作って自分の城に立てこもった。無作法に近寄るものあらば、己の旗のもと、問答無用で敵のレッテルを貼りつけた。時には目で威嚇し、事の次第によっては激しく罵倒した。

 しかしこの状況下、確証もなく、なす術はない。追い詰められた錠は雑誌を手放し、何も買わず店を出た。

 ついにコンビニまでもが行きづらい場所となった。が、コンビニ抜きで錠の日常は成り立たない。それ以降、やむをえず一つ向こうの店舗まで通うようになった。

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