第25話 シブヤ サポーターのリーダー、ゲン

 ゲーム漬けの日々、しばらく誰からの電話もない。何もしないでいると苛立ちが募る。錠は眠気に襲われるまでコントローラーを離さず、時には食事も抜いてやり続けた。

 ここ数日は異様に蒸し暑く、フル稼働のせいもあってか、エアコンの調子があまりよくなかった。それも重なり、この日は息苦しさで目が覚めた。

 いつもより早い時間に電源を入れたゲーム機も、あっという間に熱を帯びていく。それにあおられるかのように、錠はロールプレイングのディスクを機体から取り出し、アクションゲームに手をつけた。

 苦手とあって、やはり思ったとおりに操ることができない。画面の中の自分が敵の攻撃を受け、どんどん傷ついていく。

 ボロボロになり、もうあとがない状況まで追い詰められた。何かにすがりたくなるが、何もない。誰かに助けを求めようにも誰もいない。

 いつものロールプレイングなら、育てた賢者に回復の魔法をかけてもらえばいい。そもそも最強の勇者を使えば無敵だ。だが、このゲームにはそんなものはいなかった。

 次第に誰も助けてくれないことに憤りを感じはじめ、己が戦っているはずの、ゲーム中の魔王になって世界を滅ぼしてやりたい、そんな衝動に襲われはじめた。

 俺は救ってやったのに。なのに――。

 コントローラーを持つ手が滑りはじめ、ゲームオーバー寸前で錠はリセットボタンを叩いた。

 汗をふく錠の目前で、沈黙した戦場から再びタイトルが浮かび上がる。

 ぎょっとした顔で、錠はこれでもかと言わんばかりにスイッチを切った。そして立ち上がると、玄関に向かいドアを開けた。

 久々に見る日の光、外のほうが当然暑い。それでも錠は、財布にキャップ、さらにサングラスを手に取り、靴を履いた。そしてその足で渋谷に向かった。

 日暮にはまだしばらくある夏の午後、街では思い思いのファッションで着飾った若者たちがあちらこちらで戯れていた。チーマーらしき一団からギャル、コギャルまで、彼らの表情が目に入るたびに錠は不快感を抱かずにはいられなかった。

「へん、群れやがって。俺はあの日、一人で敵を倒したんだ。一発で、しかも敵地でだぜ」

 しばし徘徊したあと、錠は表通りの自動販売機でペットボトルのドリンクを買った。そして雑居ビルに挟まれた狭い路地に入った。

 路地というよりはビル同士の裏口のスペースというべきか、奥は行き止まりになっていて、ビールケースや段ボールが重ねて積んであった。

 錠はあまり先へは行かず、少し入ったところで表通りをうかがいながらサングラスを外した。

 身を潜めるようにしてビルの壁にもたれ、キャップを開けたそのときだ。奥にある裏口らしきドアから男が出てきた。重そうにビールケースを重ねて抱えている。見覚えのあるその姿は、丸刈りのあのサポーターだった。

 店の名の入った前掛けをつけたその男を横目で見ながら、錠はドリンクを一口飲んだ。

 男は荷物をドアのそばに置くと、錠に気付かぬままそのあたりの整理を始めた。頭部からしたたる汗を前掛けでふき取りながら、黙々と仕事をこなす。

 錠は知らぬ顔で目の前の壁を見つめ、ペットボトルを一口一口傾けた。

 ドアの奥から大人の声がした。

「おーい、ゲン、今日はもういいぞ。明日はあっちの仕事早いんだろ」

「いいや、大丈夫ですよ、やらせてよ」

「そうか? じゃ、少し休め」

「ああ、それじゃあ、すみません」

 丸刈りの男、ゲンはそう言いながらも手を休めなかった。奥から続けて声がする。

「フランスに行くためとはいえ、頑張るよな」

「夢だからね。ワールドカップは」

「あのゲンがなあ」

「へへ、それは言わないでよ」

 ゲンは照れくさそうに笑った。錠の胸に激しく嫌悪が込み上げる。

 なんだ、気楽な夢だぜ、まったく。そういうのは夢じゃねえ、趣味っていうんだ。見てるだけのくせして。

 ああはなりたくない、錠はそう思った。

 やがて、木箱を運ぼうと表通りのほうに歩を進め、ゲンはようやく人影に気付いた。

「うお……、ジョーか。なんでここに」

 錠はうっとうしそうに眉をひそめ、表のほうを見た。

「なんでって、訳なんてあるか。たまたまだよ。てめえなんかに興味はねえ」

「ふ、随分だな。代表にそんなふうに言われんの、初めてだ」

「へっ、あいつらは犬だからな。てめえらなんざにシッポを振りやがって」

 ゲンは苦笑いしながら木箱を置いた。

「まあ、いくつかあるサポーターグループの中でも俺たちは過激なほうだろうな。もとはこのへんの店のオーナーを中心に集まったんだけど、街のワルだったやつもけっこういてね。俺もそうだったけど、もう二十歳過ぎだ。少しは落ち着いた」

 ゲンは木箱に腰を下ろした。

「ただね、みんなもきついこと言うけど叱咤激励のつもりなんだ。代表にほんとに勝ってもらいたくて応援してるんだ」

「他人の夢に勝手に乗っかっといて言いたいことだけ言いやがって。特に俺はてめえらに雇われてんじゃねえんだ」

 そう言い放ったあと、錠は思い出したように付け加えた。

「まあ、俺はもう代表じゃないけどな……」

 そう言ってペットボトルを口にした。

「そうか、ブラジル戦は選ばれてなかったな」

「……辞退したんだよ、辞退」

「辞退? なんで?」

「興味なくなったんだよ」

 錠は少し声を震わせた。ゲンは少し間をおいて、

「もったいない。もったいねえよ」

 錠ごしに表通りを見やりながら、そう言った。

「ここに集まるやつらはさ……、みんな自分の存在に価値を求めてやってくるんだ。周りにイケてると思われたくて、周りからつまんないと言われたり、それを自分で認めてしまうのが大嫌いなやつらなんだ。だからここで目いっぱい自分を主張しようとする」

 ここまで聞いて、錠は目線を外したままアゴでゲンを指して言った。

「群れていい気になってるだけじゃねえか。お前らサポーターと一緒だ」

 ゲンは、いなすように軽くうなずいた。

「ここは刺激的でね。居ついたやつらもみんな将来の夢を描きはじめるんだけど、でっかいチャンスはなかなか落ちていない。現実問題、どんなに個性を主張して粋がってても、結局ほとんどが平凡に納まっちまう。そのうち好きなこと、やってられないときがくるって悟るんだ」

「それで? だから俺にどうしろってんだ」

「錠にはレインボーがある」

 錠は思わずゲンのほうを見た。

「き、気安く言うんじゃねえよ。お前らの勝手はもううんざりだ。結局ここのやつらもほとんど落ちこぼれるって話だろ。それで群れて他人のことに口出して憂さ晴らすってか? 冗談じゃない。お前らだけで慰め合ってろよ」

 吐き捨てる錠に、ゲンの言葉が少しテンションを上げた。

「確かにここのやつら、何もたいしたことはできない、格好だけかも知れない。時には自己満足や仲間に認めさせるためだけに他人を傷つけるようなくだらないこともする。だけど一つ言えるのは、みんな自分から逃げてない。戦ってる、現実と」

 錠は正面の壁に目をやった。耳から入った言葉が表通りの喧騒と混ざり合う。

 日も暮れかけて街はさらに混雑しはじめた。ビルの挟間に、湿った風が緩やかに吹き込む。

 しばし沈黙が流れたあと、錠が口を開いた。

「お前、なんでサポーターやってんだ」

 ゲンは前掛けで汗を二度三度とふいた。

「俺、普段はここの他にも仕事もってるんだ。修行中だけどね。いつか独立するために頑張ってるつもり。それでさ、日本代表が勝つと励みになるんだよ」

 やっぱりその程度かと、錠は目を閉じてドリンクを喉に流し込んだ。

「うちはね、いわゆる転勤族だった。中学時代から東京に住みはじめたんだけど、俺、学校に仲間いなくて浮いてたんだ」

 その言葉に、錠の奥を何かがまさぐる。だが、それを打ち消すように、

「そんな境遇のやつは五万といるだろ」

 そうあざけり、行き交う通行人に目をやった。

 ゲンは構わず続ける。

「一人でふらついてたら、いつのまにかこの街にたどり着いてね。そのうち暴れるようになってた。でもこの店の主人に出会って、一緒にサッカー見に行こうって誘われてさ。まだ代表もサッカー自体も世間に注目されてなかったけどね」

 錠は表のほうを見たまま顔をしかめた。

「最初は俺もうさんくさいと思った。何か企んでるんじゃないかって。でも楽しいことも他にないし、なんなら大人たちに近づいて逆に利用してやろうって思ったんだ。だけどスタジアムに行ったらさ、愛想のない俺をみんなで迎え入れてくれて。笑顔でこっちこっちって、真ん中に立たせてくれたんだ」

 錠は無関心をアピールしていたが、次第に虫唾が走りはじめ、言葉を抑えられなくなった。

「へっ、それでシッポ振ったのか。結局てめえが利用されてんだろ」

 それに対し、ゲンは笑みを浮かべながら返した。

「ふ、それならそれでもいいって思うね。代表を応援して、一喜一憂しながら俺たちは絆を深めた。今じゃ、ここは俺の大事な居場所なんだ」

 錠はもたれた体を起こし、ゲンに向かって尖った目を向けた。

「クサいこと言いやがって。だから、勝手に群れんのは自由だけど他人に迷惑かけんなよ。どうせお前ら若いやつは、みんな敗者の集まりだろうよ」

 そのときだ。物音とともに、ドアの向こうから人影が姿をのぞかせた。

「おい、この野郎。てめえが言ってんじゃねえよ。俺達はたとえ敗者でも集まったらそれなりに人を動かせるんだ」

 いつも最前線で文句をつけてくる茶髪だ。

「おう、カト。厨房はいいのか」

「ゲン、こんなやつ相手にしなくていいじゃん。もう代表じゃないんだ。何もできねえくせによ」

 錠も黙っているはずがない。歯ぎしりが聞こえんばかりの顔で反撃する。

「この野郎、そもそも代表がなんぼのもんだよ。クソだろ。サポーターなんてそれに群がるハエじゃねえか」

「なにをっ! やっぱ、こんなやつに代表はまかせられねえよ」

「お前ごときが言うんじゃねえ」

 双方にらみ合い、言葉をぶつけ合う。

「俺も加瀬ジャパンは嫌いだ。枡田をもっと有効に使うべきなのによ。攻撃に専念させて特長を活かさないと日本は点取れないのに、納得いかねえよ。それでも俺は代表を応援する」

「はっ、勝手にウンチクぬかしやがって。偉そうに言うだけで、てめえこそ何もできねえだろ」

「たとえプレーはできなくても、日本代表を勝たせるためならなんでもするさ」

 どこからそんな言葉が出るのか、臆面もなく言い切るカトに錠の虫唾はいっそう駆け回った。

 そのとき、奥から大人の声がした。

「おーいカト、どうした? お客さんだぞ」

「ちっ。いいか、てめえなんか認めないからな」

 そう言ってカトは、身を返した。

「てめえ、ただのハエが偉そうに」

 錠は引っ込むカトに視線を突き刺す。それを見やりながら、ゲンが言葉を挟んだ。

「落ち着けって」

「ああん?」

 錠はゲンに矛先を戻したが、それをかわすようにゲンはカトが去ったほうをうかがった。

「昔、カトはあるクラブのサポーターだったんだ。けど、周りの連中と合わなくて追い出されたことがあってね」

「そらみろ、あれじゃ当然だ」

「でもサッカーが好きだったから、スタジアムに足だけは運んでた。それで俺達に出会ったんだ。まだ未成年で過激なこと言うけど、代表のことはマジなんだ」

「そんなのこっちの知ったことか。代表の応援する暇あったら自分のことからやれっての。勘違いさせとくんじゃねえよ。何もできないんだからよ」

 怒りの収まらない錠を前に、ゲンはここで静かに目を閉じた。閉じたままで思いを口にしはじめた。

「あの時、ジョーは言ったよな。代表のためを思うなら自分でやれよって。正直はっとした。考えたことなかった」

 錠は聞きながら、オマーン戦前の代表合宿でのやりとりを思い出した。

「そりゃ、俺だってやれるんなら、やってみたいさ。でもな……」

 ゲンは思案顔でうつむいた。

 できないなら黙って見てろ。

 錠はよぎった言葉を口に出すのさえ面倒に思った。

 ゲンは目を開いて錠を見た。

「だからこそ、もったいないって思うんだ。残念だけど、俺に今すぐどうこうできるもんじゃない。きっと錠には、積み重ねてきたものがあったんだよな」

「……?」

 ゲンの発した言葉は錠の深層に小さな波紋を起こした。だが、このときの錠はそれをぼんやり眺めることしかできなかった。

「あれから考えてみた。俺たちサポーターって誰を、何のために、って。本当のこというと、何のためか答えはよくわからない。でもさ、俺たちマジなんだよ。本気で勝ってほしくて、本気で応援して。そんで勝ってくれたときのうれしさってハンパじゃないんだよ。それがたまらなくて……」

 錠はちらとゲンを見た。その眼差しが余計に気に障った。

「クサいこと言ってんのはわかってる。けど本当にそう思うんだよ」

 もう一度言おうとしたフレーズを先に口にされ、錠はまた眉をひそめた。そして、自分でも手に負えない感情を投げつけた。

「わかってんなら二度と俺の前でくだらねえこと言うんじゃねえ。うざいんだよ!」

 錠はゲンに背を向けて表通りに戻ろうとした。が、流れに沿ってやってきた若いサラリーマンらしき二人組にぶつかった。

「いてっ、どこ見てんだ」

 そのうちの一人が錠をにらみつけて言った。錠も鋭い目を返す。

「お、こいつジョーだぞ」

 もう一人が気付いて言った。

「ああ、あのサッカーの」

 錠は無言で、二人の間を半ば強引に通り抜けた。

「なんだってんだ、この野郎」

 一人は収まりがつかず、歩いていく錠のうしろ姿に怒りの声をぶつけたが、

「やめとけって。あいつ、やけになって何するかわかんねえぞ」

 もう一人がそう言って歩くよう促した。その言葉を耳に、錠は立ち止まって振り返ったが、二人組は群集に紛れていった。

 錠はそのまま流れに逆らって歩いた。すれ違うたびに人波がうねりを上げる。そのたび、もがくように間をかき分けた。そしていまだに自分は代表のジョーであり、ミスのジョーでもあるのだと思い知らされた。

 やがて自分の部屋にたどり着いた錠は、すぐにゲーム機のスイッチを入れた。が、画面のタイトルに慌ててディスクを取り出し、ロールプレイングのものに入れ替えた。

 その夜、何日ぶりかに電話が鳴った。人との関わりを拒んでいるはずが、放っておくことができない。錠は受話器に手を伸ばした。

「あ、錠さん。辞退したって本当ですか」

 友近だ。

「もう代表でやらないつもりですか」

 友近はいきなり本題に入った。

「……ああ」

「どうしてですか、もったいない。実力あっても出られない人がいっぱいいるのに」

「どうせ俺は実力ないよ」

「そんな意味で言ったんじゃあ……。でも、もったいないですよ。チャンスあるのに」

 またその言葉かと錠は目を閉じた。

「折角すごいもの持ってるんだから、活かさないと」

「へん、あんなもん」

 錠の目蓋に、またしてもレインボーが相手の壁に当たる場面が浮かぶ。

「僕は何度もやってみたんです。でもできないんですよ。多分あれは錠さんしかできないスーパーシュートなんですよ」

 友近はいつもの無邪気さで錠を持ち上げた。

「すごいんですよ、錠さんは。また見せてくださいよ、あれ」

 他の者なら嫌悪を抱くような言葉も、友近が口にすると不思議と悪い気がしない。

 錠は、はぐらかすように話題を変えた。

「なあ、お前はなんでサッカーやってんだ」

「え? そりゃあ仕事だし、大好きですから」

「ああ、もうちょっと別の角度からなんかないか? なんで始めたとか」

「僕はおじさんの影響ですね。ちっちゃいときは、いつも相手してくれて。おじさんみたいになりたいってずっと思ってました」

 友近といかにもな紳士がボールを蹴り合うのを思い浮かべながら、錠はさらに尋ねた。

「それで、今楽しいか?」

「もちろんですよ。練習で苦しいときもありますけど、その先にあるものを思うと頑張れるんだなあ」

「その先?」

「ええ、練習してうまくなったときのこと思うと、わくわくしないですか。活躍するとみんな喜んでくれるし」

 錠は人知れず目つきを尖らせた。

「お前らは恵まれてるからそんなことが言えるんだ。練習やったってうまくならないやつの気持ちなんてわかんないだろう。それに……」

 喜んでくれる相手なんて自分にはいない。結局こいつも甘ったれだ。何もわかっちゃいない――。

 錠は初めて友近に嫌悪を抱いた。

 そんな錠をよそに、友近はあっけらかんと返す。

「練習したらうまくなるなんて保証、誰にもないですよ。僕にも全然上達しないときがありました。中学のとき、チームメイトはみんな地区代表なのに、僕は選ばれませんでした」

「ふん、そのときはやめてやろうって思ったろう」

「いえ、全然。サッカー好きだからもっとうまくなりたいって。もっとうまくなりたいからもっと頑張ろうって、もっと練習しました。錠さんもそうだったんじゃないですか」

「はん?」

「練習したからレインボー蹴れるようになったんでしょ?」

 ああん?

 錠のなかに再び波紋が起こった。

「錠さんも好きなんでしょ、サッカー」

「……いいや、好きじゃないね」

 錠は、心の水面を漂いながら返した。

「じゃ、なんでサッカーしてるんです」

 錠の心に遠い記憶が思い浮かぶ。部屋の隅に転がるサッカーボール。そして友近と同じように、空地でボールを蹴り合う姿。錠はそれをかき消し、問いに答えた。

「なりゆきだよ。そう、友達や加瀬に頼まれたから手伝いにいっただけだ」

「また頼まれたじゃないですか。代表に選ばれたんですよ」

「興味ないっての。代表がなんぼのもんだってんだ」

「僕の場合、日本にはもっとすごい選手がいっぱいいるのに、僕が選ばれて……。監督は僕を選んでくれたんです。だから、期待に応えなきゃって思うんです。錠さんも加瀬さんに出会って認められたんですよ」

 そこまで聞いて、錠の胸にたまったものが毒を吐かせた。

「お前はのん気でいいな」

「え、どういう意味ですか?」

 屈託なく返す友近の言葉に、錠は逆に胸を突かれる思いがした。

「いや……、とにかく俺は人に選ばれるとか気に入られるとか好きじゃないしな。そのお返しってのもな」

 錠は就職資料の詰まったゴミ箱を軽く蹴飛ばした。

「うーん、認めてもらうってのは、そんなことじゃないと思うんですけど」

 こんなに意見を言う友近は初めてだ。

「うまく言えないけど、期待されたらうれしいじゃないですか、そうしたら応えようって思うじゃないですか。人と人の関係ってそんなもんじゃないかなあ」

 錠はいつかの岡屋の恋愛話と同じ臭いを感じ、鼻をつまみたくなった。

「実力あるから選ばれるんですけど、それだけじゃなくて、どんなに上手でも選ぶのは監督で、つまるところ、監督の構想に合うかどうかだと思うんです」

 そう言いながら、友近のギアが一段上がった気がした。

「サッカーは実力主義だとかいうけど、それだけじゃない。結局〝人〟なんですよ。〝人〟に選ばれるんです。僕は必要だって思ってもらえるように全力で準備して、選ばれたら期待どおり全力でプレーをする、それだけなんです」

 ここで友近は気付いたように言葉を足した。

「……なんて偉そうですかね、ははは。あ、でも、モデルの世界もそうだってシノミナさんが言ってましたよ」

 ギアが戻った友近の言葉に、しばし聞いていた錠も会話に戻る。

「シノミナ? 篠原みな実? え、友達?」

「ええ、この間二人で食事しました」

「……ふうん」

「また誘われてるんですけど、今度一緒にどうですか」

「え、そう? って、や、やっぱ遠慮しとく」

 羨ましい気はするが、なぜか友近に嫉妬は起きない。

「錠さん、一緒にワールドカップに行きましょう。そのために僕は精一杯ドリブルを磨いて、いっぱい点取ります」

 錠は静かに苦笑を浮かべた。

「でも僕が倒されたら、そのあとは錠さん、お願いしますよ」

 錠は返事をはぐらかし、受話器を置いた。

 そのあと、友近と紳士がボールを蹴り合う姿をもう一度思い浮かべた。そこに自分の過去が重なる。自分とアノヒト。最後に蹴り合ったのはいつだったか。

 錠がレインボーを身につけたボールは、アノヒトの置いていったものだ。幼きあの日、そのボールを手に最後の背中を見送った。

 錠は眉間にしわを寄せ、そのまま目を閉じた。

 ただそこにあったから……。そう、蹴り飛ばしてやったんだ。それだけだ。

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