第21話 日本対オマーン 失態~そして奇跡

 日本ラウンド開幕の前々日、日本代表は練習のために借りたグラウンドで、仕上げに入っていた。一般にも公開となったこの日、やはりカトら例のサポーターたちは姿を見せた。

「また、あいつらか」

 錠は彼らを避けるようにしてフィジカルトレーニングを行った。カルロスは、もう錠についている余裕はない。ひとりマイペースでメニューを消化していった。結局、今回の合宿もボールを使った練習はやらずじまいとなった。

「こらー、ジョー、練習しろー」

「いい気になるなー」

 サポーターたちは遠目から錠に罵声を浴びせた。

「ブーブー」

 立てた指を下に向け、いっせいに口でそう発音して攻撃した。

「なんであいつらなんかによっ」

 錠はメニューを切り上げ、彼らのほうに向かった。

「おっ、く、来るぞ」

「あいつ、上等じゃねえか」

 身構えるサポーターたちに、錠はフェンスを挟んで逆襲を開始した。

「いい気になってるのはそっちだろ。勘違いしやがって」

「なにっ」

「俺は自分のためにやってんだ。だれの指図も受けねえよ。俺はてめえらの犬じゃねえんだ」

「何言ってんだ、このやろう」

 サポーターたちは錠に対し、集中砲火を浴びせた。

「おまえなんか代表じゃねえ」

「やめちまえ」

「こっちは応援してやってんのによ」

「なんだと?」

 サポーターの放った一言に、錠の怒りが頂点に達した。そのときだ。

「おい、お前ら」

 カトら一団の背後から、別の男が姿を現した。オマーンのホテルで会ったもう一人のサポーター、あの丸刈りの男だ。

「あ、ゲン。こいつが練習しないんだよ。こんなやつがいたんじゃ、やばいよ」

 カトが振り返って言った。錠はいっそう激しく言い返す。

「ですぎたまねだってんだよ!」

「流本の言うとおりだ。練習中は控えろと言っているだろ。非常識だぞ」

 ゲンとよばれるその男は、強めの口調をカトたちに向けた。

「……わかったよ」

 一団のボルテージが落ちていく。

「さ、行くぞ」

 押されるようにぞろぞろと離れていくサポーターたち。その群れの最後尾でゲンが振り返った。

「流本、すまなかったな。だけど、みんな日本のためだと思って言ってるんだ」

「ふん、だったら自分がやれよ」

 その言葉に、カトが再び食いついた。

「はあ? 何言ってんだ? おかしいぜ、こいつ」

 ゲンは何も言わずにしばし錠を見ていた。が、やがてカトを手で押し、立ち去った。

「なんだ、あのボウズ頭。威嚇のつもりか」


 日本中の関心を集めるなか、ついに一次予選日本ラウンドが始まった。

 日本、オマーンともに、直接対決の前の二試合を格下相手に連勝。だが、日本のオマーンに対する得失点差でのリードが、わずか一点になっていた。

 世間はこの話題で持ち切りだった。

「勝ち点は三点リード。次、日本は勝つか、引き分けでいいのか」

「負けると勝ち点並んで、オマーンが得失点差で逆転、日本は最終予選には進めない」

「どちらにしても負けなければいいんだろ」

「しかし、オマーン相手にこれだけ接戦とは」

「当初、一次予選は楽勝で通過、警戒するならオマーンか、ってところだったんだが」

 最終戦を前に周囲の不安は広がった。


 日本対オマーン、決着の日がやってきた。国立競技場は超満員だ。

 日本ラウンドに入ってから、中羽と友近はともにスタメンで起用され、特に中羽は枡田に代わり、司令塔としてチームの要を担った。一方、ここまで錠と岡屋に出番はない。

 試合は曇空のもと始まった。

 前半、中羽と友近のホットラインに期待が集まったが、相手に研究されてなかなか機能しない。中羽はマンマークにあい、それならばと、友近は個の力で突破すべくドリブルでしかけるが、確実に人数をかけてディフェンスをしてくる相手にてこずった。

 敵はレインボーを警戒してファウルを避けつつ、前半は守備に徹した。

 だが後半になると、なんとしても勝たなければならないオマーンは積極的に前に出てきた。引き分けでもいい日本だが、何度となく失点の危機にさらされた。

 後半も三十分を過ぎたころ、これまでなかったジョーコールが競技場に巻き起こった。敵に押し込まれる一方の状況に、錠に夢を託す者はもちろん、錠を快く思っていない者もレインボーキャノンに頼らざるをえなかった。

 鳴りやまぬコールのなか、相手陣内で友近が倒された。防戦一方の日本にとって、久々のフリーキックだ。流れを変えるにはここしかない。

「よし、錠!」

 後半三十五分。監督は少しためらったが、錠を投入した。ここで一点取れば敵を沈ませることができるのだ。

 虹をかける男ジョー、オマーンラウンド以来の登場となった。

 大歓声のなか審判によるスパイクチェックを受け、錠は友近に代わって二度目の戦場に足を踏み入れた。心地よい揺れを感じつつ、現場へ向かう。手前にいた中羽に一べつをくれ、キャプテン小原からボールを受け取った。

 いつものように膝元に弾をセットすると、前を見据えながら立ち上がり、五歩下がるルーティーンに入った。

 その動きに合わせ、大観衆が一から五まで声を合わせてカウントする。そして数え終わると、さらなる歓声を上げた。

「わかってるっての」

 これで俺がエースだ、そう思いながら錠は助走に入った。

 しかし、軸足を踏み込んだその瞬間、キーパーが左へ移動、それが視界に入った錠は動揺し、フォームを乱した。そちら側に蹴ろうとしていたのだ。中途半端なキックは壁に当たり、そして相手に奪われた。

「カウンターや、戻れ!」

 監督が叫ぶ。言われるまでもなく、選手たちはディフェンスに戻りはじめる。だが、錠は動けない。

「フォワードも戻るんだよ!」

 高村の声に、錠も重い足取りで動きはじめた。

 日本のゴール前にほぼ全員でなだれ込むオマーン。態勢を立て直せず日本が混乱しているなか、オマーンのエースがシュートを放つ。キーパーが反応し、パンチングで防いだ。そのこぼれ球を敵より一瞬早くディフェンダーが蹴り出す。だが、ボールは自陣上空に高く舞い上がった。

 その浮いたボールが、戻ってきたばかりの錠のところへやってきた。

「き、きた。なんでミスキックするんだよ」

 ヘディングで大きく前方にボールを出そうとして錠は飛んだ。そのときだ。後方から同じく飛んでいた中羽と重なった。二人は交錯しながら芝の上に転倒、ボールは錠に当たり、その付近にこぼれた。そこへ走り込んだのはオマーンの選手だった。敵が足を振り切ったその直後、日本のゴールネットが波を打った。

 オマーン先制。

 仮にこのまま試合が終われば勝ち点で並ばれる。が、それ以上に問題なのは、今のゴールで得失点差でオマーンに逆転されたということだ。つまり、このままでは最終予選には進めない。

 スタンドのどよめきが、やがて錠へのブーイングに変わった。

 選手たちがリスタートへ向けて動き出すなか、錠はぼう然と立ちつくしていた。

「いつまでぼけっとしてんだ、おい!」

 いつも温厚な小原が怒鳴る。ベンチも動いた。

「交代や」

「誰を入れます?」

 ディフェンダー投入の準備はすんでいたが、守っていてはこの試合に勝てない。加瀬はためらわずにその名を告げた。

「一文字や」

 交代のタイミングで錠はすぐに呼び戻された。ライン上ですれ違う錠に一文字が言葉を突き刺す。

「まだ落ち込んでんじゃねえよ、ドシロウト」

 その目はうつむく錠など、見てはいなかった。同時に、高村に代えて運動量のある枡田も投入された。

 残りあと五分少々。予想に反し、守りに入らず一気呵成に攻めるオマーン。防戦一方の日本。シュートの雨を皆で防ぐ。ゴールを許さないのはもはや奇跡といえた。が、後半の四十五分をまわったところ、タイムアップ目前でさらなる奇跡が起きた。

 日本はようやくボールを自陣から大きく蹴り出した。そのボールはセンターライン付近まで飛んでいった。そこにいたのは日本でただ一人、前方に残っていた一文字だ。相手の守備は手薄になっている。

 一文字は屈強な体をうまく使い、詰め寄る相手より先にボールをトラップし、足元に収めた。この技術には定評がある。

 一文字は二人の敵と相対しながら、キープして味方のオーバーラップを待った。ここで日本は全員が前に出た。

 一文字は真っ先に上がってきた枡田に預け、前線へ動き出した。枡田は前がかりで整わないオマーンの守備陣に特攻をしかけ、得意のドリブルで一人二人とかわしていく。スタジアムは大歓声だ。しかし、その間に体制を立て直した敵にペナルティエリア手前で囲まれた。背後には日本の選手も上がってきている。

 もう時間がないなか、枡田はかわすチャンスを探してボールをキープした。このままタイムアップでは日本は予選敗退だ。ボールを奪われれば、もうチャンスはない。枡田のすぐうしろで南澤が叫ぶ。

「枡田、一度戻せ!」

 しかし、枡田は無理やりシュートを放った。ディフェンダー同士の隙間をぬって打ったシュートはキーパーの真正面。難なくキャッチされた。万事休す。タイムアップは目前だ。

 キーパーはペナルティエリアぎりぎりまで前に出て、大きく蹴り出そうと、手からボールを放してキックのモーションに入った。

 そのときだ。いかつい巨体が、飛び込むようにその前を遮った。

 キーパーの蹴ったボールは一文字の丸太のような脚に当たり、ゴール前に舞った。

 スタジアムを揺るがす大歓声に、ベンチでうなだれていた錠は顔を上げた。その目に映ったのは、キーパーと対峙する一文字の姿だった。

 一文字は弾かれたボールを巧みに押さえ、慌てるキーパーをかわし、右足を一閃。ゴールにたたき込んだ。

 同点だ。日本の、錠のピンチをベテランが救った。錠は、込み上げるものをぐっとこらえた。

 そのままタイムアップを迎え、日本はかろうじて一次予選を突破した。

「やはりベテランだ。素人じゃだめだよ」

 そんな声が、日本中に広がっていった。

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