第26話 聖女の茶会

 シモンズは王宮から迎えに寄越された馬車に、憂鬱な気持ちで揺られていた。


(3つ数えて目を開けたら茶会が終わっている、なんてこと…ある訳はないか…)


 あまりにも気乗りしないため、普段は考えもしないようなことすら頭に浮かんでしまい、思わず苦笑する。


 フランネル王国の王都にある治癒薬院の本院に勤務する治癒薬師シモンズ・パートリフィックは、現在、王宮に向かう馬車の中である。

 当代聖女であるエリザベータによる再三の茶会の招待を断り続けていたものの、間も無くに迫る収穫祭を盾にされた王城からの必死の依頼を、今回ばかりは断れなかったのだ。


「いっそ天変地異でも起きて茶会が無くなってくれれば良いのに」と、ここにまで来て非現実的なことで嫌がる自分を子供のようだと呆れつつ、半ば本気でそう思っていた。


(仕方ない。自分で引き受けたことなのだから。できるだけ無難な対応で乗り切って、迅速に茶会を終わらせることに全力をそそぐことにしよう」


 シモンズはそう思うと、奥歯をぐっと噛み締めた。




 馬車は規則に従い王宮の門で一度停止したが、聖女のお印が入った馬車である。

 御者が受け答えをするだけで中を検められることはなく、そのまま10分程走り、再び停止した。聖女の滞在する“光の離宮”に到着したのだろう。門衛と御者が二言三言交わし、再び走り出した馬車はほどなく止まった。

 離宮の正面玄関には、文官と侍女が二名が立っていた。


「シモンズ卿、ご無沙汰しております。本日は聖女様の願いをお聞き届けくださり、誠にありがとうございます」


 少し疲れの見える顔でそう頭を下げてきたのは、当代聖女の慰問と茶会で顔を合わせたことのある文官だった。


「いえ、お気になさらず。こちらの方こそ、なかなかご招待に応じられませんが、本日はどうぞ宜しくお願いいたします」


 彼も苦労しているのだろうことが伺えて気の毒な気持ちにはなるものの、しかし、こちらにも招待を受けないからといって疵はないので、シモンズは手短にそう答えるに留めた。「今後も呼ばれても応じられませんよ」という意味合いもしっかり込めておく。


「早速ですが、聖女様がお待ちですので、ご案内させていただきます」



 前を歩く侍女の先導で離宮を案内されていると、隣を歩く文官が説明する。


「本日は庭園にお席をご用意しております。この季節の庭園は見事ですよ」

「そうですか。離宮ではよく茶会を?」

「ええ、まあ、そのようなものです。聖女様は人間関係や交友関係を深められることにお心を砕いておられますので…」

「それではご公務のご調整なども大変でしょう」

「ええ、それはまあ…我々ではなかなか聖女様にお目通りすることも難しいので、今は聖女様ご自身にお任せするようになっております」

「…そうですか」


 困ったようにそう答える文官の様子に、シモンズは違和感を抱く。難しいとはどういうことだろうか?しかも公務の調整を聖女自身がするなど、通常であればありえないのではないだろうか。

 彼の以前からの様子を見るに、忙しさにかまけて何かをおろそかにするようなタイプではないだろう。


(ということは、聖女側の問題か。まあ、僕には関わりのないことだ)



 そんな話をしているうちに庭園へ着いた。

美しい花が咲き誇り、よく手入れされた庭園の一角にあるガセポに、茶会のテーブルがセットされており、当代聖女と40代くらいに見える女性が待っていた。


「まあ、シモンズ様!本日はようこそお越しくださいました」

「聖女様、本日はお招きにあずかり光栄でございます」


 シモンズは流れるように、型通りの挨拶をすませる。


「ようやくお目にかかれて嬉しいですわ!わたくし、シモンズ様とはゆっくりお話がしとうございましたの」

「それは、光栄ですね」


 聖女は上目遣いでシモンズにかけながら、早速腕を絡めて来る。


「シモンズ様、そのように固苦しくなさらないで。それにわたくしのことはエリザベータとお呼びくださいと申し上げましたでしょう?」

「そのようなことは、恐れ多いことです。私は家からも離れておりますし、ただの治癒薬師ですので」

「まあ、慎み深くていらっしゃるのね!」


 聖女がふふふと笑っていると、隣の夫人が軽く咳払いをした。


「ああ、わたくしったら!ご紹介させていただきますわ。こちらはわたくしの話し相手のポメロー夫人ですわ」

「初めてお目にかかります。イザベラ・ポメローでございますわ。どうぞお見知りおきください」

「治癒薬師シモンズ・パートリフィックです。こちらこそ、本日の出会いに感謝いたします」


 お互いに挨拶をすませると茶会が始まった。



「シモンズ様は普段はどのようにお過ごしですの?」

「私はもっぱら研究と製薬です」

「お休みの日は?」

「休日などありませんよ」

「熱心でいらっしゃるのね」

「時には是非、離宮で息抜きをなさって?」

「私は研究も製薬も趣味のようなものですから、どうぞお気になさらず」

「まあ、うふふ」



 茶会には、この日のために南国国から取り寄せたという少しスパイシーな珍しい紅茶とティーフードが用意されていた。


 香りと刺激が強く、この国では飲みなれていない茶だ。こう言う茶では異物が混入されていてもわかりづらい。そのため茶会では、スタンダードなお茶を用意するのが一般的である。

 産地にこだわったり、味わいや香りの良いもの、フレーバーに工夫を凝らしたものなどであれば問題ないが、今日のお茶のように独特なものは、ある程度親しい間柄でないと配慮して出さないのが茶会のルールだ。


(こんなお茶を用意するなんて…誰も何も教えていないのか?)


 当代聖女は就任して今年で4年目だったか。10〜15歳の間で聖女になったとすれば、令嬢教育を終えていない頃から離宮に入った可能性もあるだろう。

 まさか教育係りも誰も離宮に立ち入ることができなくなっているなどとは関係者以外は知らないのだ。シモンズは聖女の環境に不安を感じた。


(確か、4年前の茶会では特に問題はなかった。ということは、あの時はきちんと助言する者がいたということだろう。それなら、その後になって聖女が聞き入れなくなったのだろうか。このような茶を用意するなんて何か企んでいると思われてもおかしくないだろうに)


 幸いシモンズは薬には事欠かない。今日も念のため解毒剤を作って飲んできた。

 残念なことに、シモンズは幼少の頃から、を盛られかけたり、被害を受けかけた経験も少なくないため、数少ない社交の場に得る際には極力飲むことにしているのだ。

 通常の解毒剤は、毒物などが体内に入った後に飲むものだ。先に飲むもの解毒剤は素材が限られるため一般には知られていない薬である。普段は王族にしか処方することもないのだが。

 先日ローベで薬草を採取した際に、王族に収めるもの以外に、念のためその素材を摘んでおいたのだ。まさかこんなに早く、しかも自分に使うことになるとは思わなかった。


 毒物で相手を害したことがを身分剥奪や処刑も避けられないが、それなりに力のある証拠を消せるなどの高位貴族などであれば、女性であっても、自分の思う通りに事を運ぶために薬を用いることもないとは言い切れないのだ。



 シモンズは気づかれないように、聖女の隣で無害な微笑みをたたえながら相槌を打つ夫人をちらりと見た。


(話し相手だというこの夫人も何を考えているのだか窺い知れない。…聖女を取り巻く環境は、あまり芳しくないのかもしれないな)



「そういえば、アルコット侯爵家のメアリー様やカンファリー侯爵家のサヴィーネ様はご存知?」

「アルコット侯爵家やカンファリー侯爵家のご令嬢であれば…幼少の頃に茶会でご一緒させていただいたことがあるかと」

「ふふ!そうでしょう?今日シモンズ様とお会いすると言ったら、とても羨ましがられましたのよ!」


 そこからは、やれあそこの家のパーティがどうだったという話から、人気の歌劇や俳優の話、王都で有名なパティスリーや人気のデザイナーの話からゴシップまで、エリザベータがひたすら話し、夫人が追従し、シモンズは相槌を打つという流れだった。



 そうして2杯目のお茶に口をつけた時だ。シモンズは突然胸のあたりが熱くなり、締め付けられるのを感じた。


(これは、か)


 事前に飲む解毒剤は体に害はないが、解毒の際に毒物に反応して体が熱くなったり胸が締め付けられるという副反応が出る。今まさに、シモンズに症状が出ているこれである。呼吸も若干しづらくなっているということは媚薬の類だったか。ここまで出るということは、かなり強めのものだったのだろう。治るまでは少々辛いが、薬を飲まずに媚薬や毒物に害されるよりはマシである。


 シモンズが密かに症状を押さえ込んでいる時、それまで聞き役に徹していたポメロー夫人が思いついたように口を開いた。


「聖女様、そういえば収穫祭での男神役はどなたにご依頼するかお決めになりましたの?」

「あら、そういえば、まだだったわね。いつもは殿下だわ」


 収穫祭では聖女が女神役を務め、そのエスコートを兼ねた男神役とのペアが催事の式典を行うことになっている。

 いつもは王族がつとめているはずだったが。


「まあ、そうでしたか。その、このようなことを申し上げるのは不躾かと思ったのですが…聖女様とお隣にいらっしゃるシモンズ卿のお二人のお姿が一枚の絵のようにお美しくて、まるでおとぎ話から抜け出した神々のようだと思ったものですから」

「まあ!まあ!夫人!とても嬉しいわ!シモンズ様、お聞きになりまして?今度の収穫祭で、ぜひ男神役をお願いしたいわ!」

「いえいえ、そのような。研究にしか能のないような私ではとても務まらないでしょうし、分不相応です」


 体調の変化を抑えつつ、夫人の言葉に「余計なことを」と苦々しく思いながらも何とか答える。

 すると聖女が、驚いたように声を上げた。


「あら?シモンズ様、お顔のお色が少しお悪いように見えますわ。もしやお加減が?」

「おや、お恥ずかしい。疲れがたまっていたのでしょうか。私は大丈夫ですので、お気遣いなく」


 しかしそこで、聖女の隣の夫人がさらに大げさに騒ぎ立てる。


「まああ!本当ですわね!大変ですわ!シモンズ卿、大丈夫でございますか?聖女様!すぐに奥のお部屋にお通しして、そちらでお休みいただいてはいかがでしょう?」

「ああ、大変だわ。そうね。あなたたち、シモンズ様をご案内なさい!」


 このまま部屋に通されては厄介なことになる。それに、こちらが薬に害されたことに気づいていることを悟られることも面倒なことになるだろう。このまま、失礼のないように席をはずすことが一番だ。


「いえいえ、このところ少し立て込んでいたもので、茶会でリラックスして気が緩んでしまったせいでしょう。しかし、このままではお二人へご心配をおかけしてしまいますね。そろそろお時間も頃合いですし、私はここで失礼させていただくことにいたします」

「それは残念だけれど、仕方ないわ。シモンズ様、どうぞお大事になさってくださいませ」

「聖女様、本日はお招きありがとうございました。夫人も、どうぞご健勝で」


 丁寧にお辞儀をして、侍女に先導されて馬車へ向かいかけたその時、


「聖女様、本日は残念でしたが、シモンズ卿の男神役は楽しみでございますね」

「ええ、本当だわ!シモンズ様、収穫祭を楽しみにしておりますわ!」


 馬車へ向かうため、一度離宮の中へ入る瞬間のシモンズに、聖女の言葉が飛んで来る。


(やられた…)


 シモンズは男神役の依頼に対して、確かに否と答えた。しかし、体調を案じる会話と対応のゴタゴタで、シモンズの「否」をなかったことにしたのだ。そしてこのタイミングでの「収穫祭を楽しみにしている」という言葉の告げられ方で、「諾」としていたと強調したのだ。

 シモンズも一度席を辞している以上、今さら引き返すことはできない。



「最悪だ」


 シモンズは一人で馬車に乗り込み、そう呟くや否や座席へ倒れ込んだ。

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