第22話 やどり木亭の大改装(※模様替え)
「オリバー支配人、もう少し右です!」
「マリーさん、ここですか?」
「はい!そこです!」
「ニコラスさん、棚のそちら側を持っていただけますか?」
「了解です」
「「せーの!」」
「私はあれを取ってくるわね」
「お願いします!」
「ディックとキースはここの本を本棚に並べてくれるかしら?」
「「はい!」」
ただ今、やどり木亭は大改装中である。
訂正しよう!
ちょっと見栄を張ってしまったけれど、大改装という名のロビーの模様替えである。
一ヶ月ほど前に採用した見習いは厨房に三名、宿泊部門には二名である。厨房の見習い君たち三名はお弁当大量注文事件の際にも頑張ってくれた。
そして宿泊部門では、やどり木亭の支配人として采配をふるっているオリバーさんに採用面接を担当してもらい、ディックとキースがフロント兼ベルボーイ見習いとして働き始めたのだ。
ディックは14歳、キースは13歳。地域の孤児院から雇い入れた見習いだ。
一通りの読み書きはできるけれど、言葉遣いやお客様との接し方は正直まだまだである。
この一ヶ月は厨房の三名の見習い君たちも一緒に、読み書きや計算の勉強を毎日一時間、それからオリバー支配人による言葉遣いや接客の基本研修を行った。
やどり木亭は貴族が泊まるような高級宿ではないけれど、高級宿と冒険者用の大衆宿の大体中間くらいのグレードの宿だ。主な客層は役人や商人、爵位の低い貴族、平民でも少し裕福な旅人、高ランクの冒険者など。旅慣れていて、あちこちの地域の様々なものを知っていて、貴族とはまた異なるシビアな目を持つお客様ばかりだ。
この世界はマリーの前世に比べると接客や接遇はそこまで重視されていないとはいえ「お客様に喜んでもらえる宿」を目指すやどり木亭としては外せない。値引きや特典ではなくお客様に喜んでいただくために、価格を超える付加価値を作ることは必須に違いないのだ!
むん!と鼻息も荒く、気合いを入れるマリーである。
ということで、最低限の接客研修は見習い全員が、それ以外の時間は厨房組は実際に厨房の見習いに入り、宿泊部門のディックとキースは内向きの仕事の手伝いと、さらに言葉遣いや接遇を学ぶ研修だ。
セルジュやマリアンヌ、ニコラスさんなどがお客様役になり、実際の来客を想定した実践練習を繰り返し行い、ようやくぎこちないながらもなんとかお客様の前に出られる状態になったところである。
「何事も基本はとても大切だ。基本がしっかりできていれば後は応用が利くからね。焦らずに、まずは基本だよ」
「「はい!!」」
「何よりも大切なことは、お客様の立場に立って物事を考えることだ。普段から相手が何をどのように感じ、何を求めているかを常に想像してみるといいよ」
「「はい!!!」」
素直で一生懸命な二人に、オリバーさんの研修にも熱が入る。
人材は企業にとって宝だけれど、育てるには時間も労力もかかる。マリーの前世では、中小企業の中には新人教育に割く余裕がないからと社会人経験を積んだ中途の採用しかしないという企業もあったくらいだ。
五人の見習い君たちには、将来のやどり木亭を支える人材になってもらえたらとマリーは思っているし、もしここを辞めることになったとしても、貴族の屋敷など、より良い条件で雇ってもらえるようになれば良いとも思っている。
ちなみに、見習い君たちの制服の胸元には“見習い”と書いたひよこの形のワッペンをつけた。宿の雰囲気にも制服にも全くそぐわないためとても目立つ。五人とも、これをたいそう恥ずかしがっているので、早くワッペンを外せるように頑張って欲しい。
その見習い少年、ディックとキースがいる孤児院は17歳までに独立する決まりらしい。
二人はまだその年齢に達してはいないけれど、孤児院は手狭だし人数がいればそれだけ経費もかかる。そのため仕事が見つかった子どもたちは、できるだけ早く孤児院から卒業するようにしているそうだ。
その話を聞いたマリー一家は、これを機に自宅を整理して寮を作ることにしたのである。
マリー一家が住む自宅はやどり木亭の裏手の二軒隣にある。先祖から受け継いだもので大変に、大変に古い。が、無駄に大きく、前世のパリのアパルトマンのような三階建ての建物だ。
一階は店舗スペースだけれども、使っていない家具などが詰め込まれていた。二階以上が住居スペースで、真ん中に内階段と廊下、奥に昇降機がある。
それぞれの部屋はこじんまりとしているが、二階には1LDKの部屋が四つと2LDKの部屋が二つ、三階には左右に3LDKの部屋があり右側にマリー一家が住んでいる。ちなみに三階のもう一部屋には先代の頃から老夫婦が住んでいて、時々子どもたち家族が孫を連れて遊びに来ている。気のいいご家族だ。
なんとマリーは、つい先日までこの建物がマリー一家の持ち物だと知らなかった。
「ねえ、あなた。パン屋のマーサさんから、うちの二階に空き部屋がないかって聞かれたわ。部屋を探してるお知り合いの方がいらっしゃるんですって」
「うちの二階は永遠に空かないよ」
「…空いてるわよね。もうずっと。そうやってあなたがいつも断るから」
「だって、知らない男が住んだりしたら(マリアンヌが)危ないじゃないか!」
という両親の会話で知ったのだ。宿が潰れかけていたというのに、せめて家賃で稼ごうなどしないあたり、最早さすがと言うべきだろうか。安定の父セルジュである。
そういうこともあり、どうせ貸さないのなら従業員寮にしようということになった。
早速、二階の1LDKの部屋にはオリバー支配人、レオンさん、見習いのディックとキースが入居することになった。
トーマスさんはすでに家族で住んでいる家があるし、ジェニーとニコル、厨房の見習い君たちは実家通いだ。
ちなみにディックとキースは二人で共同生活をするらしい。今まで大人数だったので一人で住むのは寂しいのだそうだ。まあ、一人で住みたくなれば部屋を変われば良いだろう。食事は食堂で賄いが出るし(もちろんキッチンでは自炊も出来るけれど)職場はすぐ近くだし、職場が近いのが嫌な人でなければ最高だ。
「ふふふ、寮だよ!なんかいいよね!」
前世から漠然と寮に憧れていたマリーのテンションは爆上がりだ。思わずいつもの柏手にも力が入る。
「この寮にいっぱい住む人(従業員)が増えたらいいなぁ〜。大家族って感じで、なんかイイ!神様、寮ですよ!ふふふ、ありがとうございます!今はお休みは週一日だけど、そのうち週休二日にしたいし、しっかり利益を出して、ボーナスだって出せるようになりますように!」
(二人は、浮いた生活費の一部を孤児院へ仕送りすると言ってたな…よし!)
労働環境を整え、福利厚生だって充実させて、社会貢献だってする…!マリーの目標と夢は広がる。12歳にしてはちょっと渋めだ。
そして、話は冒頭に戻る。ロビーに運び込んだのは、その寮の一階に詰め込まれていた使っていないソファやローテーブル、飾り棚や本棚などだ。どの家具類も保存用のカバーを取ってみると非常に状態が良く、上質さを感じさせるものだった。先祖の趣味が良かったことに、マリーは思わずご先祖様と神へ感謝した。
それらをロビーの良さそうな場所に配置していく。本棚に並べる倉庫にあった古い本は虫干しも済ませた。
大型の家具の配置が終わったら、オリバー支配人とセルジュには仕事に戻ってもらい、そこからはジェニーとマリアンヌ、ディックとキースと一緒に細々とした作業を進める。
ちょっとした季節感のある小物を飾りつけたり、一輪挿しで花を飾ったり、本棚に本を並べたり、ソファーには内職チームお手製のクッションを並べたりと寛ぎの空間作りである。
さらに、しまいこんでいた置き時計もメンテナンスを済ませて飾り棚に置く。一時間ごとに小さな鈴のような音が鳴る時計だ。やどり木亭には、商談の時間などを気にしたり、港の定期便を利用するお客様も多い。さりげなく時を知らせる時計は喜ばれるに違いない。
宿に入った時真っ先に目に入るこの場所は、宿のイメージも左右する。
お客様がちょっと座って一休みしたり本を読んだり、お客様同士が会話を楽しんだりすることもできる、充実したパブリックスペースの誕生なのである。
「ご精が出ますな」
「ほほう、ここは我々がくつろぐことのできる場所なのですね」
「おお!これは絶版になっている本じゃないか!」
「おや、本当ですな!これは読みに来なくては!」
早速、ロビーを通り掛るお客様が次から次へと声をかけてくれた。
(わー、なんか良い感じ!ロビーを整えてよかったかも!)
すると、目ざとく見習い君たちの胸元のひよこワッペンに気づいたお客様が声をかけてくれる。
「おや、君たち見習いなの?頑張ってね」
「「はい!!」」
少し恥ずかしそうに、はにかみながら答える見習いの二人が大変に初々しい。
中身に若干大人が入っているマリーにとって、前世の中学生くらいの見習い君たちは“子ども”だ。しかも全く擦れていない、素直で一生懸命な少年たちである。そんな様子に、思わずへらりと笑ってしまうくらいにはかわいく映るのだ。
“リリリィン リリリィン”
ロビーに置いた置き時計が、鈴のような澄んだ、でもどこか柔らかな音色で時を知らせてくれた。
やどりぎ亭は今日も平和である。
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