第9話 王城からの調査隊1
(…瘴気が、反応している…)
政務官アーロン・スタインは馬車に揺られながら、取り出した測定器の目盛を見て、薄くため息を吐いた。
アーロン・スタインは、王城の政務官になって3年目の21歳。サラサラの紺色の髪に青い瞳の優しげな青年である。
一応男爵家だが領地はなく、ほぼ平民と変わらない。7つ年上の少し歳の離れた兄エリックも、王城で政務官を務めている。幼い頃から、なんでもできて優しい兄に憧れてていたアーロンにとって、兄と同じ道に進むことは当たり前のことだった。
政務官には身分を問わずになることができるため、毎年行われる試験は、合格率の低い狭き門だ。毎年厳しい試験を突破する政務官たちは、後々、政府の中枢に入る可能性もある。給料も十分支払われる。
それに、王城で働くことにステイタスを見出す人々もいる。
大きな声では言えないが、高位の爵位持ち貴族の家督を継げない次男三男の、
実力だけの勝負となるアーロンは、憧れの兄を目指して必死に勉学に励み、なんとか合格を勝ち取ったのだった。
アーロンは、第十騎士団の第五小隊長ミカエル・ワーグナーと、北部の州・ゼーウィンの州都ヴァルスから、さらに北の町フィラットに向かっていた。
王都から馬車で5日をかけて北部の州ゼーウィンに向かった調査隊は全部で12隊。州都ヴァルスへ到着した一行は、そこから分かれて、各街へ向かった。
フィラットまでは馬車で1日。フィラットの後は、その隣街スーリスへ、さらにスーリスより北の街セザンへ向かうことになる。
アーロンたち調査隊は、出発前の王城で、この調査についての説明を受けた。
現在、聖石が常にない状態になっていること。瘴気が浄化されていない恐れがあり、そのため森林や農作物、家畜になんらかの被害が出る恐れがあること。
また、今後、住民の健康被害が出る可能性についても。
その時、測定器の使い方の説明も受けた。
瘴気を測る目盛は10段階。最も低い目盛は1で、数字が上がるにつれ、反応する瘴気濃度も上がっていく。
(2の目盛も、もう超えるかも知れない)
王城では全く反応していなかった目盛が、ゼーウィンに差し掛かったあたりから反応を始め、フィラットまでの半分の距離まで来た今、測定器の目盛は2に近づいている。
(このまま上がったら、どうなるんだ?)
アーロンたち調査隊にはそれ以上の詳しいことは知らされていないが、瘴気が数値化されたそれを見ているうちに、自分が今、恐ろしいものを手にしている気がしてくる。
「測定器は、しっかり動いているようですね」
そんなアーロンの陰鬱とした気持ちを晴らそうとしたのだろうか。ワーグナー小隊長は困ったような表情でそう言った。
ワーグナー小隊長は兄よりも少し年上に見える。30代後半くらいだろうか。武芸には縁遠いアーロンから見ても、鍛え上げられた身体付きが伺える、赤髪に緑の瞳の騎士だ。
「…ええ…」
先ほどまでの考え事に頭がとらわれ、咄嗟に上手く答えらはない。
「いったい、何が起こるのでしょうな」
ワーグナー小隊長がため息を吐きながらそう言った。
「私はこれまで、瘴気など、気にしたことがありませんでした」
「まったくです。この国には聖石がありましたからね」
フランネル王国の建国神話や聖石については、国民なら知らない者はいないだろう。
教会の祈りの間に浮く聖石は神秘的に輝き、一目見れば、この世に神々が存在しているだろうことを感じさせる。
しかし、いつしかそれは、そこに美しくあるのが当たり前のような、そう、尊いけれども、ひどく美しい芸術作品のような、そんな存在となってしまっていた。
今の時代に、神々の存在や信仰について深く考える人は、どれくらいいるのだろうか。
(もしかして神々は、信仰を忘れつつある我等に、罰を与えられようとしているのだろうか)
アーロンは瘴気が反応する測定器を見ながら、呆然とそんなことを思った。
今でも、建国際では、聖女と呼ばれる人が神々に祈りを捧げる式典がある。
けれど、かつての時代から語り継がれきたような聖女の奇跡…虹色の光も、眩いほどの光の柱も、今、この時代を生きるものたちは見たことがない。
今のこの国でこの時代を生きるものたちにとっては、建国神話も、聖女の存在も、実際に存在している聖石までも、まるで現実味のない、お伽話のようなものだった。
(我々は、どこかで間違えてしまったのだろうか)
聖石が実在する世界に伝わる話が、お伽話であるはずもないのに……と今更ながらに、血の気が引くような気持ちになっていたアーロンだったが、ふと、ワーグナー小隊長へ尋ねた。
それは不安か、焦りか、恐怖からか、何か掴みどころのない感情から、思考を逸らすためだったのかもしれない。
「ワーグナー小隊長は、聖女様の奇跡をご覧になったことはありますか?もしくは、奇跡を身近に感じられたことは?」
「残念ながら私はありません。しかし、私の祖母は物心つく頃から、繰り返し話して聞かされていたようです。建国神話と聖女の奇跡の話を。…そういえば、その中の話の1つに聖なる山と呼ばれる山の話がありました。聖石と同じような尊い信仰の対象があるそうで、その山には遠い昔、頻繁に光の柱が立っていたそうです」
「光の柱が?」
「ええ。かつては、聖女が就任すると1度は必ず訪れる山だったそうですね。聖女が祈りを捧げると、天に向かって光の柱が立つと言い伝えられていたと聞きました。…そういえば、私の祖母もその山へ行きたかったそうなのですが、行けなかったと言っていたな」
「そうでしたか……それは心残りだったでしょう」
「ああ、失礼、誤解させてしまいましたね。祖母はもう高齢ではありますが、まだ健在でして。そうではなく、山が人を選ぶのだそうです」
「山が人を選ぶ?」
今聞いた言葉の意味が、一瞬わからなかった。
「こんな話、信じられないでしょう?山が人を選ぶので、山へ入れる人と入れない人がいるそうですよ」
「それはどういうことなのですか?」
「祖母は、聖女様がお祈りに訪れる山だと聞いて、どうしても行きたくて、成人の洗礼式を終えてから、両親と行ったのだそうです。山の少し手前に大きな門の支柱だけが立っていて、門に差し掛かったところで、祖母の両親は何かに遮られるかのように、その先に一歩も、進めなくなってしまったのだそうです。でもせっかくここまで来たのだからと、先に進めた祖母が一人で進んだらしいのですが、その先の山の麓に差し掛かったところで、やはり進めなくなってしまっただそうです。
「へぇ?」
そんなことが本当にあるのかと、思わず変な声が出る。
「それでも諦めきれず、もう一度だけ、結婚して子どもが生まれる前に、祖父と行ったそうなのですよ。すると今度は、門までしか進めなかったらしい。よく私たち家族に話してくれましたよ。『おじいさんのせいで私は俗物に染まってしまったんだよ!』ってね。もちろん、冗談でしょう。とても仲の良い夫婦でしたし、いつもとても楽しそうに話していましたので」
アーロンは少しだけ、その夫のことが気の毒な気がした。
「その山は昔はとても有名だったらしいですよ。ただ、祖母たちの若い頃には知っている人はかなり減っていたようですが。…そもそも、門までたどり着けないことがほとんどで、山の麓までたどり着けるだけでも奇跡のようなものだと言われていたそうです」
「…奇跡…聖女の祈りの山か…」
「最近は少し物忘れも激しいですが、これは祖母が若い頃に何度も話していた話ですから、間違っていないはずです」
ワーグナー小隊長が、少しおどけるようにそう言ったちょうどその時、馬車が止まった。
「ああ、着いたようだ」
ワーグナー小隊長の言葉と同時に、御者の後ろの小窓が開けられ、御者がフィラットへ到着したことを告げてきたのだった。
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