第8話 やどり木亭の改革6
「はあああ、なかなかハードな2ヶ月だったよね。わたしってば勤労少女だよ」
この世界の平民の子どもは、洗礼式を迎える12歳の頃から見習いを始めたり、働き始めることが一般的だ。とはいえ、12歳の少女の体力などしれている。
マリーは、頭の中には若干“大人”が混ざっているとはいえ、体力は平均的な12歳の少女に過ぎない。
「まだ子どもなんだから、そんなに無理しちゃダメでしょ!ママの言うこときかないと、めっ!よ!」
美人と評判の母マリアンヌに、人差し指を立てながらウィンクをして「めっ!」と怒られてしまう。
「勤労少女」と言えるほどには頑張った自覚はあるけれど、心情的には『みんなが頑張っているのに自分だけ休むなんて』と思ってしまうマリーだ。
しかし、母からそんなにかわいく怒られては、休まないわけにはいかないだろう。
「怒ってもかわいいなんて…いや、もはや怒ってるとも言えないかもだけど、あれじゃなんでも言うこと聞いちゃいそうだよ…美人ってずるい……いや、ウィンクして『めっ!』なんて恥ずかしくて言えないけれども!」
世の中に公平なんてないことはとうに知っている人生2回目のマリーだけど、ちょっとだけ、神様を恨みたくなったことは許して欲しい。
そんなわけで、この2ヶ月間。なんとか休みをやりくりしながら、やどり木亭の
食堂がフルオープンしてから2ヶ月。
やどり木亭の宿泊の予約は、毎日だいたい5〜6室が埋まるようになっていた。
やどり木亭の客室には一人部屋と二人部屋があるので、毎日5人〜10人前後のお客様が泊まっていることになる。
客室は全部で20室なので、まだ3割程度ではあるけれど、予約の無い日が何日も続いたこともあったのだ。十分にありがたいことである。
フルオープンをしたとはいえ、食堂の利用は宿泊のお客様がほとんどで、宿泊以外のお客様は、ぽつりぽつりという程度だ。
しかし、これはある程度、想定通り。最初からどっかーんと大繁盛なんて、そんなに上手い話など、そうあるものではない。
朝食は予想通り、宿泊客がほとんどだった。
運河港の定期便利用ではないお客様の中には、食堂が開く時間よりも早くに出発される方もいる。そういうお客様にはお弁当で対応する。
この世界の旅の食事は、固いパンに干し肉がほとんどなので「それ以外のものが食べられる!」と非常に喜ばれた。
それでも、お弁当はせいぜい半日程度しかもたない。暖かい季節は傷みやすいし、美味しい携帯食を考えるべきかもしれない。
今のところ、昼食は一般客が中心、夕食は宿泊客が中心だ。それでも、日ごとにお客様がじわじわ増えていき、フルオープンから2ヶ月を迎えた今では、食堂の半数程度の席が埋まるようになっている。ありがたいことだ。
おかげさまで食堂のスタッフだけでは賄えず、内職チームのメンバーから数名が交代で、1日の数時間を食堂の給仕に入ってくれることになった。
「私が今日から看板娘よ!任せなさい!」
ひとしきりジェニーにあれこれ教えられたあと、きゃっきゃとはしゃぐお姉さま方には頼もしさしか感じない。そのうち正式に、食堂チームに入ってもらうことになるかもしれない。
順調な滑り出しを見せている食堂を支える、トーマス料理長とレオンとニコルの料理人3人のチームワークも、バッチリだ。
レオンはトーマス料理長より少し年上だけれど、料理人として経験を積んできたトーマス料理長をリスペクトしているのがわかるし、トーマス料理長は年上で冒険者という異色の経歴を持つ料理人であるレオンを、様々な経験を重ねた人生の先輩としてリスペクトしていることがわかる。
そこにニコルが加わり、三人で食材の話や調理方法、味付けなどを改めて話すことで、新たな発見もあるようだ。
様々な話の中でも、レオンの冒険者時代の野営や討伐した魔物食材の話はこの世界ならではだろう。
野営では、持ち込める食料が多くないため、現地で食べられるものはなんでも食べる。
だから、食材が不足して苦労することもあるけれど、一方では、街の方にはあまり入ってこない、野営先でしか食べられないような珍しい食材もあるのだ。
例えばそれは、採れたてでなければ食べることができない、鮮度命の美味しい花や、自分で歩くように移動する野草、どぎついピンクと黄色の水玉模様で、食べごろになると歌い始めるキノコ、討伐した魔物の肉の話などなど様々で、マリーも興味深く話を聞いた。
ニコルは、そんな二人の話を瞳をキラキラさせながら聞いては、質問をしたりメモを取ったりする。
この世界で18歳は立派な大人だけれども、二人の様々な経験や、まだ見たことのない世界の話は興味深く、彼の少年心をくすぐるようだ。
「ク〜〜〜〜っ!俺も、高級魔物、料理してみて〜〜〜〜〜〜!」「……やっぱ冒険者か?え、いや、でも、俺料理人だし…」
兄貴分二人の話を表情を輝かせながら聞いていたニコルが大きく呻いたかと思えば、独り言のようにボソッとつぶやく。
この世界では、魔物の種類によっては、たいへんな高級肉として扱われるものがある。
そういった高級品は平民の食卓に上ることはあまりないのだけれど、ものすごく美味しいため、憧れの食材のひとつなのだそうだ。
「ニコルお兄ちゃん!いつか、やどり木亭のメニューでも高級魔物を使えるようになるといいね!」
「お、おう!マリーちゃん。そうだな!そうだよな!!よっしゃああああーーー!めちゃくちゃうまい飯作って、ここ繁盛させて、高級魔物肉でバンバン定食作ってやるぜーーーー!!」
そういう時は、マリーがにっこり笑って軌道修正するまでが1セットだ。
仕方ないだろう。ニコルはまだ18歳、夢も希望も溢れんばかりに持っているであろう青年なのだ。
存分に、憧れるが良い。と人生2回目のマリーは思う。
とはいえ、ニコルはやどり木亭の、貴重で期待の新人である。それになんといっても、ニコルが作るスイーツはマリー好みだ。まだまだしばらくの間は、是非ともここで頑張って欲しいのである。
実際はここに「あらあら」と肩をすくめるジェニーまでがセットになるのだが…。
とまあこんな感じで食堂のみんなが仲良くやってくれるおかげもあって、食堂の雰囲気がとても良いのもありがたい。人間関係のあれこれは、前世でも永遠のテーマの一つだったから。
そんな和やかなやどり木亭の食堂には、この度、看板メニューができた。
朝食、昼食、夕食とそれぞれセットメニューを用意しているが、1日を通して注文できる“
煮込み料理は、マリーが前世で大好きだった「カスレ」というフランスのとある地方の伝統的な家庭料理を参考にした。
実はマリーが前世時代、料理教室で作って食べて以降、激ハマりしたメニューだった。
カスレは、白いんげん豆とお肉をオーブンで焼いて煮込むという料理なのだけれど、豆や肉の下準備や、煮込む前に焦げ目がつくまで肉を焼いたり、オーブンで数時間焼きながら煮込んだりと、とても手間がかかる。さらには完成したものを一旦寝かせて、食べる前にさらに2時間ほどオーブンで焼くのだ。
しかし、その手間ひまをもってしても、食材から出た深い旨味が抜群なこの美味しさに、ハマる人は多かった。
マリーも、カスレ料理の第一人者といわれていたシェフのお店に、足蹴く通ったものだ。
食堂のメニュー考案の際、トーマス料理長が提案してくれた沢山のメニューの中にカスレに似た料理があり、詳しく聞き込んだところ、まさに同じような料理だとわかったのである。
「わぁ〜おいしそう!それ、マリーも食べてみたい!」
と子どもらしく言ってみたところ、試食できることになったのである。
しかも気になった手間や時間は、上手いこと工夫すればなんとかなりそうだということになり、食堂でも出せるようにアレンジしてくれたものを、早速みんなで試食した。
結果、食堂のスタッフも、両親も、内職チームも全員一致で絶賛し、めでたく看板メニューに決定したのだった。トーマス料理長、グッジョブである。
「神様、トーマス料理長という素晴らしい料理人をこの世界に遣わしてくださったことに深く感謝します!そして、わたしと出会わせてくださって、ありがとうございます!」
いつものように柏手を叩きながら、前世で大好きだった味を再現してくれたトーマス料理長と、そんな料理長と出会わせてくれた神様に深く感謝するマリーは、「トーマス料理長にはもう、足を向けて寝られない。いや、絶対向けて寝ない!」とトーマス料理長の家の方角を確認しようと思うのだった。
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