第6話 やどり木亭の改革4

「ふふふん♪さあ、きみたちの出番ですよ〜〜」


前世が平凡な日本人OLであることを思い出した、若干12歳の宿の娘マリーは、今日もご機嫌である。

「やどり木亭をお客様に喜んでもらえる宿にする計画」は、順調に滑りだした。


手始めに行う試み、荷馬車を使った運河港までの無料の送迎、宿泊客の靴のお手入れ、宿泊客のお洋服の修繕、食堂の改革とお弁当も概ね好評である。


まず、荷馬車での送迎には、最初は宿泊予約が入っている日だけ臨時の御者を雇うことにした。


馬車を扱えることを条件に、職業ギルドと冒険者ギルドへ求人を出した。日によって多少時間は前後するが、勤務は7:30~18:30までの食事付きで1日9000ガレン。一般的な中堅クラスの冒険者が1日に稼ぐ金額は5000〜8000ガレンだから、良い方だ。

ちなみに、マリーはつい前世の感覚で1ガレン=1円だと考えてしまうのだが、こちらの世界の物価は、全体的にマリーの前世時代よりもかなり安い。一か月90000ガレンあれば、平民ならば家族三人が暮らせる。


臨時の御者に採用したのは、黒鳶色の髪と瞳のニコラスさん。元傭兵で、がっちりと鍛えられた身体つきで背も高い。


この国で、傭兵は騎士に次いで人気の職業だ。ニコラスさんは護衛の仕事中に怪我をしてしまい、以前と同じように剣を振るうことができなくなり、1年前に傭兵をやめたのだそうだ。

要人警護に当たることも多かったというだけあって、人当たりも良く、立ち居振る舞いもスマートだ。

おまけに、人懐こい笑顔に好感が持てる、40代のイケオジである。

「以前のようには剣を振るえない」とは言いつつも、なんとなく強そうな気がする。いざという時には用心棒にもなってもらえそうで安心である。


一方、セルジュはあの会議の翌日から2日で、馬車の幌に絵を描きあげた。幸か不幸か翌日からも1週間予約が入っていなかったこともあり、早速取り掛かることにしたのである。


「やどり木亭」の絵は、宿だけでなく、マリー一家の仲睦まじい様子や運河と港の景色までが描かれていた。

「父の愛、強い…」と引きかけたマリーだったが、幌馬車を宿の前に停めて絵を描いていたため、通りすがりのご近所さん他色々な人たちが制作中の絵を見る度に絶賛してくれていたため、却下する選択肢はなかった。

マリーにとっては、自分の羞恥より、宿が優先なのである。


そもそも、馬車の幌に絵を描くなど、他では全く見ないこともあって、やどり木亭の幌馬車と絵はすぐに話題となった。

あまりにも評判が良かったので、宿の新しい取り組みを書いたチラシにもセルジュにその絵を描いてもらい、印刷することにしたほどだった。


そして、家族(と宿)の絵を褒められてたいへん喜んだセルジュは、その後の予約のない3日間、定期便の発着時刻に合わせて運河港に幌馬車を停めて、同じ絵を印刷したチラシを配って宣伝活動である。

セルジュの丁寧で熱の籠った絵の説明…もとい、宿の宣伝のおかげか、宿の決まっていない数名の旅人がやどり木亭に宿泊してくれることになった。それを皮切りに、じわじわと予約が入り始めたのだった。



マリーは今、そうして入った貴重な予約客の、部屋の準備中である。


各部屋には一輪挿しに宿の裏手にある庭に咲いた花を飾り、「やどり木亭へようこそ!ごゆっくりおくつろぎください」と書いたカードを添える。

お泊りいただくお客様へ、ささやかだけれども心を込めた、感謝とおもてなしの気持ちなのだ。



その他の各取り組みもそれぞれに好評である。

宿泊の受付カウンターに「靴のお手入れと洋服繕い、承ります」と書いた案内ボードを置いたところ、早速依頼が入った。


「靴のお手入れ」では、靴を預けている間の履き物について尋ねられたお客様に、前世の使い捨てスリッパのような簡易の室内履きを渡して驚かれた。

これは、裁縫の得意なマリアンヌに頼み、靴磨きの間に履けるようにと、少し厚手の布で作ってもらった簡易のスリッパだ。実際に履いたお客様から、「室内で、よりリラックスできる」「足元が楽でいい」など、喜びの声が届いた。


あまりにも喜ばれたので、各部屋へ「どうぞお持ち帰りください」と書いて備えたところたいへん好評で、「販売もして欲しい」というリクエストが続いたため、内職チームに制作を依頼して販売も行なうこととなった。


「洋服の繕い」も予想通りだった。

旅人や商人は男性が多く、服飾関係の仕事をしている人以外、針仕事ができない人がほとんどだ。

簡単なボタン付けや袖口や裾のほつれの繕いにも困っていたのだと、たいへんに感謝された。

旅先では、些細な、小さなことでも、普段以上に不都合を感じる。短時間であちこちへ手軽に移動できていた前世とは違い、移動にも時間も何かと手間もかかるこの世界ではなおさらである。


ただ、洋服に関しては、受付時に、お客様と一緒に繕う箇所を確認しながら、伝票にも詳しく記入することにした。

大きな破損などは、前と全く同じには戻せないこともあると伝え、伝票に記載し、承諾のサインをいただく。

めったにないが、あまりに破損がひどい場合は有料になることも説明して、納得した上でサインをしてもらうことにする。


無用なトラブルを防ぐためには、事前の準備や事前の説明、確認が大切なのだと、前世のOL生活で痛感しているマリーである。


「靴のお手入れ」と「洋服の繕い」は、ご近所のお姉さま方にも喜ばれた。


「靴のお手入れ」も「洋服の繕い」も、1件あたり1000ガレンの手間賃にした。

この料金設定には、翌日までの仕上げ、場合によっては翌朝早朝まで、という短時間対応の特急料金も込みとなっているからなのだが、一般の内職の倍ほどの手間賃だったこともあり、たくさんの応募があった。

これらは1件ごとの手間賃になるため、自宅での作業が可能なのだが、短時間であれば外で作業をしたいというお姉様方の声を受け、宿の執務室の一角を作業スペースとして開放することにした。

家で黙々と家事や育児をするだけではなく、1日に数時間でも宿に来て仕事をすることで、家族以外の人との会話が気分転換になったり、同じような境遇の人と話したりすることが不安を解消したり、悩みが解決したりで良いようだ。


このまま宿泊予約が増えるようであれば内職も増えるので、子どもたちの面倒を見るための託児スタッフの雇用も検討する必要があるかもしれないと、セルジュとマリアンヌと話している。


「まだ始まったばかりだけど、今のところ順調だよね!いろんなことが上手く運んでくれて本当によかった〜〜〜。神様、ありがとうございます!」


今日も1日の終わりに柏手を打って神様に感謝しつつ、明日のことを考えるマリーだ。


「やどり木亭をお客様に喜んでもらえる宿にする計画」開始から1ヶ月。やどり木亭は地道な取り組みで、少しずつだが客足を伸ばし始めた。

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