第1話 やどり木亭の改革1

「コホン!それでは会議をはじめます!」


 フランネル王国の西の街ローベの、目抜通りから少し離れた宿「やどり木亭」に、まだ12歳の少女らしい、マリーの少し高い声が元気よく響く。


 マリーは、ヘーゼルナッツ色の髪にラピスラズリの瞳をした12歳の少女だ。


 父と母は、子供のマリーから見ても平民には珍しいほどの美男美女だが、マリーはあまり似ていると言われたことがない。決して不細工ではないし、整ってはいるのだが、なんというか普通だ…とマリー自身は思っている。

…いや、マリーの名誉のために補足すると、マリーは本当に不細工ではない。整ってはいるものの、地味なだけである。子どもらしい、ふんわりと、ぱああっとした分かりやすい可愛らしさがないものの、美少女の分類に入れても良いほどだと言えるだろう。

ちなみに、マリー本人は、平民には珍しい程の美男美女の両親を見て育っているため、自らを「普通」だと思っていた。

しかし、母譲りのヘーゼルナッツ色の髪色はマリーのお気に入りだ。

 そんな、近所でも評判の仲良し夫婦である両親とマリーはローベの街で仲良く暮らしていた。



 ローベは、大国であるアルスター王国とエネループ王国との国境に接する街だ。

 15年前ほど前に大陸を流れるシエラ運河沿いの4つの国と近隣3国の交易が自由化されたことで、さらに商業が発達した。

 街の中心部には大小様々な店が軒を連ね、今やフランネル王国の第2の都と呼ばれるほどの賑わいを見せている。


 最近では、2年前にローベの東南の森できた迷宮を目当てに訪れる冒険者も増えている。発見されて以来いまだ踏破されていない迷宮の初踏破を狙っているのだ。もちろん、踏破以外にも迷宮は様々なドロップアイテムなどの魅力も多いのも賑わいの理由の一つだ。


 人が増えれば店も増える。人々の行き来に伴い宿も増え、貴族用の高級宿から冒険者用の格安の宿まで続々と新しい宿もオープンした。


 そんな中、マリーの両親が4代目として営む宿、「やどり木亭」は、石造りの3階建で客室は20部屋程度。この辺りでは比較的大きな宿だ。


 マリーが生まれる前、マリーの父セルジュが19歳のとき、先代が不慮の事故で亡くなった。

 宿を継がずに王都で画家を目指して勉強していたセルジュが両親の訃報に帰郷したときには、従業員が宿の台帳と金を持ち逃げした後だったという。


 そんなことがあり、セルジュは突然亡くなった両親が残した宿をこのまま終わらせる気にはなれず、宿を継いだのだった。 そして、幼馴染で父セルジュのことを大好きだった母マリアンヌが、両親の反対を押し切り、強引にセルジュに嫁いできた。

 経営のセンスゼロの夫と元箱入り娘の妻にとって宿の経営は手探りで苦労の連続だったようだ。

 幸い、借金がなかったこと、以前からの顧客が利用してくれることから細々と営業を続けてこられたが、このところ、顧客の代替わりや新規宿の参入で客足は落ちる一方だった。



「マリー、会議って、何を話すんだい?」


「パパ!やどり木亭の起死回生を賭けた、経営会議に決まってるでしょう?」


 もの心ついた頃から宿を手伝っていたマリーに前世の記憶が戻ったのは3日前。


 マリーの前世は、ごく平凡な日本の普通OLだった。


 記憶が戻った時は少し驚いたけれど、前世の時代には「輪廻転生」という考え方もあったし、仲の良かった友人が「いろんなものが見える」人で、前世も“視える”というので興味本位で見てもらったこともあったため、 「本当に前世あった!しかも今の私、前世思い出してるし!」 と少しテンションが上がりつつもすんなりと受け入れられたのだった。

 ちなみに、「見える」友人が教えてくれたマリーの前世の前世はいくつかあって、確か「農民」「白拍子」「武士」とかだったと思う。

 何というか、微妙である。


 さて、マリーが転生していたこの世界には、魔法がある。街の中で初めて貴族が魔法を使うところを見たときはとても興奮した。リアル“ファンタジー”だった。

 残念ながら魔力があるのは貴族だけらしく、マリーには魔法が使えない。でも、魔石があれば使える魔法もあるようなので、密かに、いつかの機会を期待している。マリーだってせっかくならば、空中で水を出したり火を出したり光を灯したり、物を浮かせたりしてみたいのである。 それに、箒にまたがって空も飛んでみたり。


 ちなみに、魔法は使えなくても困ることはない。この世界ではマリーの前世のように科学技術は発達していないけれども魔道具が発達している。普段の生活は魔道具ーマリーから見れば“家電”であるーがあり、魔力がない平民でも使えるようになっているため生活がしやすい。水は出るし、シャワーもお風呂も毎日使えるし、トイレも清潔だ。本当によかった。


 と、前世の生活と比較しても生活に不満を感じることはない。その上、マリーにとっては、中世のヨーロッパや旅行で訪れたフランスやスイス、オーストリア、ドイツなど、大好きだった美しい風景を思い起こさせるこの国の街並みも、テンションの上がるお気に入り要素の一つである。

 石畳の道に馬車、石造りの家、蔦の這う石壁、天井画が美しい装飾の教会や窓にはめ込まれたステンドグラス、壁のところどころには番地が記された色彩の美しいタイル埋め込まれていたり、建物の入口についているアイアンで作った看板や、民家の扉についている獅子のような動物の顔形やグリフォンのような動物の形をしたドアノッカーや、ただのドアノブでさえ、マリーにとっては、そんな様々なものたちすべてが可愛いらしい。


 極め付けは、実家のこの宿。

 やどり木亭は、前世のマリーが憧れたヨーロッパの古いプチホテルのようで、まるで、マリーの“好き”を詰め込んだような宿なのだ。

 マリーにとっては大満足な、異世界での第2の人生である。


「神様、私に素敵な第2の人生をありがとう!」


 神の信仰が厚いこの国で神様に感謝する時、マリーはつい、前世の癖で柏手を打ってしまう。前世のマリーは神社好きだったのである。


 それにしても、ただただ残念なのは、やはり魔法が使えないことだろう。

 マリーの身の回りにある魔道具はマリーにとっては魔道具というよりはやはり“家電”のイメージが強くてファンタジー感が薄れてしまう。


「わたしも、魔法が使えればよかったのになあ!」


 つい、そう思ってしまうマリーなのだが…。


 確かに、マリーには魔法は使えない。その点では確かに、ファンタジー感が薄れてしまう。…が、しかし、 けれども、実は、マリーには本人も知らないかなりのファンタジー要素があった。


マリーは聖女なのである。


そう、アレである。ライトノベルとか、異世界転生とか、異世界転移とか、聖女召喚とかでよく聞く、あの“聖女”である。

今はまだ無自覚だけれども、それに、聖女の力も目覚めていないけれども、マリーは、あの“聖女”なのである。


 マリーの第二の人生の始まりに、たった一つ惜しかったことは、マリーは前世で大ブームだったいわゆる「異世界転生モノ」などのラノベを読んだことがなかったことかもしれない。 ゆえに、「え!? これってもしかして、あの異世界転生?」とか、「もしかしたらここは乙女ゲームの世界?!」 とか、 「異世界転生って言えば、チート?!」 とか、 「も…もしかして私聖女!?」 とか、そういうことは欠片も思い浮かばなかったのだ。

 

まさか、実は、自分自身が一番ファンタジーの強い存在であることを知らないまま、魔法が使えないことをちょっぴり愚痴りながら、マリーは、実家の潰れかかった宿の起死回生を目指すことになるのだった。

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