第11章 永久変化 ①

 花嫁の正体は、楓丸かえでまるだった。

 予想もしていなかったことに、誰もが呆然としている。〈しき者〉ですら、オトの顔でポカーンと口を開けているくらいだ。

「楓丸、一体どうなってるだ?」

「儀式の前に、夏希さんと入れ替わったんだ。変化は苦手だったけど、なんとか頑張ってみたよ」

「だけど、〈永久変化えいきゅうへんげ〉の力をその身に受けて平気か?」

 黄介は心配そうに聞いた。

「うん。〈悪しき者〉が〈永久変化〉で願ったのは、『人間をキツネに変える』ことだからね。僕はもともとキツネだから効かないよ。変化の術は解けちゃったけど」

「じゃあ、今そこにいる楓丸は……」

 オレは、炎次えんじさんたちと一緒に来た楓丸を見た。ソイツは、楓丸らしくない呆れたような顔で、大きなため息をついた。

「ったく、ムチャするんだから!!」

 その口から飛び出したのは、ちょっとキツい女の子の声。それはつい昨日聞いたばかりの声だ。それを聞いて、一番驚いたのは炎次さんだった。

「まさか……明音あかねかい?」

「そーよ、父様とうさま

 返事と共に、もう一人の楓丸は赤い煙に包まれる。。紋付袴を着た楓丸は、ちょっと気の強そうな感じの、警備兵姿のキツネの女の子、明音に姿を変えた。

「昨夜、楓丸から儀式を止めたいって言われて驚いたわよ。協力してくれって泣きついてきたから、仕方なく協力してあげたけど!」

「ありがと、明音ちゃん」

「婚約が間違いって聞いた時は、ひっぱたいてやろうかと思ったけどね?」

 ぴしゃりと言い放つ明音。やっぱり性格キツイなぁ、なんて思って見ていたら、それに気づいたのか、明音はオレを睨んできた。

「アンタ、何見てんのよ? そもそも楓丸に発破かけたのはアンタたちじゃない!」

「え? オレたち?」

「自分の気持ちに嘘つくなって、あの時、樹が言ってくれたから」

 あの時はまだ迷っていたけど、楓丸は時間をかけて考えてくれていたんだ。自分の言葉が誰かを動かすなんて、なんだか不思議な気分だった。

「じゃあ、ホンモノの夏希は?」

「さっきからそこにいたわよ!」

 明音は、駆けつけた警備兵の一人を指差した。さっきの木の下で話していた若い警備兵だ。明音がパチンと指を鳴らすと、ソイツも赤い煙に包まれて、中からオレンジの浴衣を着た夏希が現れた。

「夏希!」

「いっちゃん、良かった……」

 夏希は泣きそうだったけど、安心したように笑っていた。さらわれてからたった一日しか経ってないけど、何だか久しぶりに会った気がする。

「わざわざ異界まで助けに来たんでしょ? なのに、その子が近くにいて、気づかなかったワケ?」

「明音は相変わらず厳しいなー。母様かあさまに似てきたんじゃない?」

 炎次さんが完全にお父さんモードで呆れている。

「いっちゃん、ケガしてない?」

 夏希はオレのところへ駆けてきた。

「ああ、大丈夫だ。夏希のほうは?」

「平気。薬で頭がぼんやりしてたけど、里の皆は親切にくれたし。楓丸くんと明音ちゃんが助けてくれたから」

 夏希はオレの左手にそっと触れた。そこにはあのミサンガが結ばれている。

「ずっと、つけててくれてたんだね……」

 夏希は少し恥ずかしそうだ。それが伝染したのか、オレの顔もちょっとだけ熱くなった気がする。

「お二人さーん! いい感じのところ悪いけど、敵はまだ倒れてないよー!」

 〈悪しき者〉を抑え続けるウタの声が飛んできて、オレたちは緊張感を取り戻す。

「なんてことだ……!!」

 術の失敗がショックだったのか、〈悪しき者〉は悔しそうだ。

「炎次様も手を貸してくださいよー。僕では姉上の怪力を抑えるのは限界があります!」

「ごめんごめん。若者の青春に見入ってしまったよ」

「年寄りくさいこと言わないでよ、父様!」

 ヘラヘラとウタに返す炎次さんにも、明音は容赦ない。真の敵を目の前にしてるとは思えない呑気な会話だ。

「でも、今のところ、ウタくんだけで止められてるってことは、オトちゃん自身も〈悪しき者〉に抵抗してるってことかもね。全力のオトちゃんを操れたら、今頃ウタくんは無事じゃ済まないよ」

「オレもオトにぶん投げられたけど、アレで全力じゃなかったってこと?」

 炎次さんの言葉にオレはゾッとする。擦り傷で済んで本当に良かった。

「とにかく、オトちゃんから〈悪しき者〉を追い払わないとねー」

「ならば私が。部下の失態は我が失態、責任を取るのは私の務めです」

「援護は必要ですかな?」

 表情も声も硬い真久郎しんくろうさんに、炎次さんはいつもの軽い調子で尋ねる。少し不満そうにしながらも、真久郎さんは炎次さんにしっかりと頭を下げた。

「……お願いします。さすがにあのオトを抑えるのは私も骨です。ですが、彼女の身の安全を考えて、〈悪しき者〉を祓うことに集中したい。……あなたの手を借りるなど不本意ですが」 

「お安い御用ですよ? では」

 最後の憎まれ口にもどこ吹く風で、炎次さんは背筋を伸ばした。表情もキリっと引き締まる。

「ウタくん、選手交代だ。下がっていいよ」

「やっとですか……」

 よっぽど大変だったのか、ウタはホッとしながら、姉から素早く離れる。

 炎次さんはすかさず手をかざして、両手の指から出た赤い光が、ロープみたいにオトの身体を縛り付けた。オトは力任せに暴れるけど、光のロープはびくともしない。

 今度は真久郎さんが、札を取り出して〈悪しき者〉に向けて放り投げる。

「かの者に宿りし、邪悪なる者、即刻退散せよー!」

「ぐあっ!」

 真久郎さんの放った札が額に張り付いて、〈悪しき者〉は苦しそうにもがく。札からは黒くて不気味な煙が出てきた。

「あの二人、あんなにいがみ合ってたのに……」

 里のピンチに立ち上がって、ちゃんと連携を取って〈悪しき者〉を倒そうとしている。最初はオレにとって敵だったけど、すごくカッコよかった。

「ぐあぁ、おのれ、我が、悲願が……!」

「観念するんだね!!」

「私の部下を返してもらおう!!」

 炎次さんが光のロープで締めあげ、真久郎さんがさらに気合をこめる。

「ぐあああっ!!」

 〈悪しき者〉の激しい悲鳴と共に、札から一気に黒い煙がふき出した。煙が空中へと完全に消えたところで、オトの額から札がはがれ落ちる。

「姉上!」

 そのまま倒れそうになったオトを、ウタが慌てて支えにいった。遅れてサンゴじいちゃんも駆け寄って、心配そうに様子を見る。

「大丈夫、気絶しているだけだよ。良かった……」

 サンゴじいちゃんはオトを抱きしめた。その手からは〈紅宝珠べにほうじゅ〉が落ちて、地面をゴロゴロと転がっていく。

 あれだけ大騒ぎして、最後はなんだかあっさりな気もするけれど、ひとまずその場に安心感が流れた。けれど。

 地面に転がったままの〈紅宝珠〉。誰か回収したほうがいいんじゃないか、そう思って見ていたら。

 真っ赤な水晶玉の奥で、黒い影が揺らめくのが見えた。

―ワガ、カイホウ、ヲ……―

 恐ろしい声がまた聞こえてくる。〈紅宝珠〉の中からだ。これまでと違って、機械音声みたいな、感情のない不気味な声だった。

「どういうことだ? 〈悪しき者〉はたった今払ったはずでは?」

「まさか、魂が近づいた影響で、封じられた首が反応している?」

 真久郎さんと炎次さんも、驚きを隠せない。

―ニンゲン、ガ……、ソコニィ……!?―

 〈悪しき者〉が叫んで、嫌な予感が走った。

―エイキュウ、ヘンゲ、ヲ……、チカラノ、カイホウヲォォォ……!!―

 これまでで一番恐ろしい叫びと共に、〈紅宝珠〉が赤黒く輝いて、その光がオレと夏希に向かってくる。

 オレは夏希を突き飛ばした。

「いっちゃんッ!?」

 夏希の悲鳴を聞きながら、赤黒い光が自分に迫ってくるのを、オレはただ見ていた。

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