第10章 悪しき者 ②

「サンゴ様、ウタくんのほうはどういう状態でしょうか?」

 あのまま仕掛けるのかと思ってハラハラしたけど、炎次えんじさんはいつもの調子に戻って、冷静にサンゴじいちゃんにたずねた。

 お喋りで飄々としていたウタ。だけど今は、変化を解いてからずっと黙ったままだ。オレに化けている間も、なんだか頼りない感じだったし。誰を見るでもなく、ただぼんやりとしている。

「今朝、私が催眠術をかけて、オトの言うことを聞くようにしています。今の〈しき者〉の力では、オトだけを乗っ取るのが精いっぱいのようで……」

「サンゴ!! 余計なことを言うな!」

 〈悪しき者〉は持っていた短刀をウタの喉につきつけた。それを見たサンゴじいちゃんの口からヒッと悲鳴が漏れる。

「お前ッ、マジでサイテーだな!!」

 オレは思わず怒鳴っていた。サンゴじいちゃんのしたことは許せない。でも、家族を助けたい気持ちならオレだって分かるよ。

「イチ、挑発はマズいぞ」

「いや、樹くんの言う通りだね」

 黄介きすけがオレを抑えたところに、炎次さんの声がまた冷えた。

「操るのがオトちゃんで手いっぱいとは。所詮は魂のみの不安定は存在だ。五体満足で大暴れしていた百年前と比べて、全然大したことはないようだねぇ」

「貴様!! 我を侮辱するか!? この小僧がどうなってもいいのか?」

「炎次様! あなたまで敵を挑発してどうするのですか!?」

 〈悪しき者〉と真久郎しんくろうさん、敵味方両方から責められても、炎次さんは動じない。

「そんなヤツに簡単に乗っ取られてしまうほど、キミは弱い子だったっけ? オトちゃん」

 さっきまでとは違う口調。まるで自分の子どもを叱るような、優しさと厳しさを持っていた。

「いつだったか、キミをこちらにスカウトしたことがあったね? だけどキミは断った。その時、私に言ったこと、覚えてるかい?」

「無駄だ! この娘の心は、我が奥深くに閉じこめている。貴様の呼びかけなど聞こえるものか!」

 〈悪しき者〉を無視して、炎次さんは続ける。

「キミはこう言ったんだ。『私に神職は向いていないかもしれません。それでも、真久郎様のお力になりたいから、できるだけの努力をしたいのです』って」

 刀を持つオトの手が、ピクリと動く。もしかして、炎次さんの話に、オトの心が反応してる?

「おい、オト! 聞こえるか?」

 オレもオトに話しかける。最初はひどい目にあわされて、あんまりいい印象はないけど、オレにできることがあるとしたら……。

「オレ、お前のじいちゃんに助けてもらったんだ。オレは侵入者で、しかも人間なのに、ケガを心配して手当てしてくれた。正直びっくりしたけど、すごく立派なお医者さんなんだって思った。だから、お前らがサンゴじいちゃんの孫だなんて、最初はビックリしたよ」

「黙れ……」

 〈悪しき者〉はうっとおしそうに睨んできたけど、オレは構わず続ける。

「だから、これ以上サンゴじいちゃんを苦しめないためにも、〈悪しき者〉になんか負けんなよ!!」

「だから無駄だと……ぐッ!」

 何か言い返しかけたところで、〈悪しき者〉は急に苦しみだした。やっぱり、あいつのなかで、オトが反応しているんだ。

「オ、オト、聞こえるかい?」

 サンゴじいちゃんも呼びかける。それが聞こえたのか、〈悪しき者〉はさらに苦しみだす。

「小娘……!! おとなしく、していろ! こうなれば……!!」

 何かを無理やり追い払うように一人で暴れた後、〈悪しき者〉はウタに捕まったままの夏希なつきと向き合う。

「儀式だけでも、今、成し遂げてくれよう……!」

 夏希に向けられた〈紅宝珠べにほうじゅ〉。それが赤く妖しく輝き出した。

「〈永久変化えいきゅうへんげ〉の力を宿せし宝珠よ。かの者に、今、その力を行使せん!」

「やめろぉーーー!!」

 オレは夏希のところへ駆け出そうとした。だけどその時、意外なことが起こる。

 夏希から手を離したウタが、〈紅宝珠〉を持つ〈悪しき者〉の腕にしがみついたんだ。

「お前、何を……!?」

 ウタの裏切りに驚く〈悪しき者〉。それを必死に押さえつけるウタ。突然始まった姉弟の小競り合いに、オレたちは戸惑う。

「サンゴ! コイツに術をかけたというのはウソだったのか!?」

 ウタと格闘しながら、〈悪しき者〉は怒って、サンゴじいちゃんを責め立てた。

「い、いえ、確かにかけたはず……」

「そんなの自力で解いたよ!」

 サンゴじいちゃんが答えるより先に、ウタは自信たっぷりに答えた。

「里に戻ってから、姉上の様子がおかしかったからね。怪しいなと思って警戒してたんだ。昨日だって、いつもは無視するはずの僕の手を、普通に取ってたし!」

 オレは思い出した。オレたちの世界でも、ウタは同じようにオトに手を貸そうとしていたけど、オトは大きなお世話って感じで無視してたっけ。あれを見て、仲の悪い姉弟だなって思ったっけ。

 だけど昨日のオトは、ウタの手を借りていた。仲は良くないのかもしれないけど、姉弟だからこそ、ウタには分かったんだ。

「キミは逃げるんだ!」

 夏希に向かって叫ぶウタ。その声に押されるように、夏希はオレたちの元へ走り出す。

「夏希!」

 オレも夏希のところへ駆け出す。

「甘いな! 詠唱はもう終えているーーー!!」

 ウタにしがみつかれたまま、〈悪しき者〉は〈紅宝珠〉から赤い光を放つ。それは、夏希のほうにまっすぐ向かっていった。

「夏希!」

 オレは、逃げてくる夏希に必死に手を伸ばすけれど。

 すぐ目の前で、赤い光が夏希に直撃した。

「夏希ぃーーー!!」

 術を受けた勢いで、夏希はうつぶせに地面へ倒れこんだ。

 最初に目に入ったのは、白い着物の袖から見える手。

 それは、夕焼け色の毛で覆われたキツネの手だった。

「そんな……」

 夏希が、キツネに……?

 オレは結局、夏希を助けられなかった?

 そんな現実を受け入れたくなくて、衣装に隠れた夏希の顔を確認するのが怖かった。でも。

「夏希……、大丈夫か?」

 まだだ、ショックを受けるのは。オレは夏希を起こそうと手を差し伸べる。顔を見られたくないのか、夏希はうつむいたままで、オレの手を握り返してきた。

「大丈夫だよ、樹」

 返ってきた声は、夏希のものじゃなかった。

 キツネに変わったからか? ……いや、違う。

 今、オレは『樹』って呼ばれた。それはおかしい。だって、夏希は小さい時からずっと、オレを『いっちゃん』って呼んでいるのに。

 『ソイツ』がゆっくりと顔を上げた時、そこにいた全員が驚きの声を挙げる。

 特にびっくりしていたのは、黄介だった。

「か、楓丸かえでまる!?」

 角隠しの中から現れたのは、少し恥ずかしそうに微笑む楓丸だった。

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