第8章 サンゴじいちゃんの秘密 ①

 サンゴじいちゃんの診療所は、ちょうど森の入り口に建っていた。楓丸かえでまるの屋敷と違って、こじんまりとした小さめの建物だ。茂みから様子を見て、警備兵がいないことをしっかり確認する。

 黄介きすけは印を結んで、何かの術を発動した。黄色い煙に全身を包まれた後、姿を現したのは、なんとサンゴじいちゃんだった。

「すげぇ! 変化の術か」

「次はイチだな」

 姿だけでなく、声もサンゴじいちゃんそのままだった。その姿で〈転写の葉〉を取り出して、隠れ身とは違う文字を書きこむ。それをオレの額に貼って印を結ぶと、オレも黄色い煙に包まれた。

 煙が晴れたところで自分の姿を見てみる。両手はキツネで、半ズボンだった両足は水色の袴になっていた。この袴には見覚えがある。

「ウタか!」

 驚いた声も、ちゃんとウタに変わっていた。

「孫が一緒なら怪しまれないだろ?」

 鏡がないから、手で顔を触って、尖った口、ひげ、大きい耳を確認する。間違いなく、ウタというかキツネに変身していた。

「本当すげぇ……。ってアレ?」

 何だか違和感があるな。主に下半身のほうに。オレは袴のすそを、太ももの付け根までめくってみた。何と中には何も履いてなかった。つまりはフルチン。

「って、何でだよ!? ふんどしとかしてないのかよ?」

「変化の術は、術者が目で見た相手の姿が基本だ。だから、見えない部分や、知らない特徴までは再現できない。例えば、服で隠れたケガのあととか」

 オレの文句が不満だったのか、自分の力不足を説明するのがイヤなのか、黄介はぷくっと頬を膨らませる。

「変化の術は特に難しいから、今のオイラの経験値じゃ、外見をそのまま写すのが精一杯なんだよ。特に〈転写の葉〉を使った場合は。見えない部分は想像したり、事前に情報を得ないと再現できないんだ。完璧に変化するには、もっと鍛錬しないと」

「しゃーねーな……」

「もし、誰かに会ったらオイラが話すから、イチは何も喋るなよ? ボロが出たら困るからな」

「……了解」

 黄介の言い方にちょっとだけムッとなるけど、納得はした。ウタのフリとかできそうにないからな。

「よし、行くぞ」

 隠れていた茂みを出て、診療所へと近づいていく。黄介が扉に手をかけようとした時。

「あれ? サンゴ様にウタ様、もうお戻りなのですか?」

 急に声をかけられて、オレの心臓は飛び跳ねた。黄介も、扉に手をかけたまま凍りついている。ゆっくり振り返ると、かごを背負ったキツネの男が立っていた。かごの中にはたくさん草が入っている。

「あ、ああ……。会議が早めに終わったのでね。明日のことでウタと相談があるから、ちょっと部屋にこもるよ」

 スゴイ。黄介は完璧にサンゴじいちゃんを演じていた。キツネの男は特に疑う様子もなくうなずく。

「わかりました。私はもう少し薬草を集めていますので、何かありましたら呼んでください」

「ああ」

 キツネの男が森へ行くのを見送ってから、オレたちは診療所に入った。

「ビビったぁ……」

 オレはその場にへたりこむ。黄介もぐったりした様子だ。

「今のは、楓丸の父上だな。サンゴ様の助手をしているんだ」

「長の息子が医者の助手?」

「ああ、婿養子なんだ。母上がザクロ様の娘さんで……楓丸を産んですぐに亡くなっている」

「そっか……」

 思いがけず知ってしまった楓丸の両親のこと。生まれてすぐってことは、母親のことはほとんど覚えていないのか。そういう事情も、楓丸が自分に自信が持てない理由の一つなのかもしれない。

 診療所の中をぐるっと見回す。患者を寝かせるためのベッド。書き物用の小さな机。ビンづめの薬草がずらりと並ぶ棚。古い本やノートが収まった本棚。部屋は小さめだけど、キレイに整理整頓されていた。

「ここに何か手がかりがあるといいんだけどな。例えば、この事件の件の計画書とか」

 黄介に言われて、ノートを一冊手に取って、ページをめくってみる。時代劇とかで見る糸綴じのノートで、中身は住民たちのカルテだった。いつ、どんな症状で、経過はどうなったか。とても細かく書かれている。

 病気やケガのことだけじゃない。例えば骨折した患者には「最近子どもが生まれたらしいから、ちゃんと仕事に戻れるよう、しっかり治してあげないと」とか、子どもの患者には「前に来た時よりも身長が伸びていた。子どもの成長は本当に早いな」なんて一言メモまで書きこまれてる。その子からお礼にもらった手紙まで貼ってあった。

「やっぱり、いいお医者さんなんだなぁ」

 このカルテからも分かるし、さっきケガを治してもらった時だってそうだ。黒幕がいるとはいえ、里の秘宝を狙うようには思えなかった。

「だけど、何かある気はするんだよな」

 会議中、サンゴじいちゃんがずっと怯えていたことが引っかかった。あれは何かを企んでいるというよりも……。何かがひらめきそうだったその時、外から女の人の声がした。

「サンゴ様、おかえりなさいませ!」

「お疲れ様。変わったことはなかったかい?」

 呼ばれた名前と、返ってきた声に驚いて、オレはカルテを落としそうになった。目の前では、黄介の化けたサンゴじいちゃんも顔を引きつらせている。

「まさか、戻ってきた!?」

「いや、タイミング良すぎだろ!」

 小声で話しながら、外の様子をうかがう。サンゴじいちゃんらしい足音が、こっちに向かっているのが聞こえた。

「どうすんだよ?」

「か、隠れるぞ!」

 診療室を見回して、隣の部屋につながる引き戸を開ける。そこは物置きみたいで、診療室よりもたくさんの薬草やカルテ、道具類が置いてあった。狭いし埃っぽいけど、何とか二人で入れそうだった。急いで中に入って引き戸を閉める。様子を見るために、ほんのちょっと隙間は開けておく。

 間一髪。オレたちが隠れるのと同時に診療所の扉が開いた。サンゴじいちゃんはまっすぐ、オレたちの隠れている物置きのほうに近づいてくる。心臓と息が止まりそうになった。

 けど、サンゴじいちゃんが足を止めたのは、物置きの真横の棚だった。そこからビンを一つ取り出す。

「あれは、鎮静薬? 効果の弱いものみたいだけど……」

 戸の隙間から、黄介にはなんとかビンの札が読み取った。

 今度は別の棚に向かうサンゴじいちゃん。そこから、空っぽのビンを手に取ると、別の札を貼って、さっき取ったビンの中身を移し替えようとした。

 普通の作業だと思って、オレたちはただ眺めていたけれど。

「何をしている? サンゴ」

 突然、診療所内に響く声。オレも黄介も息を呑んだ。

 低くて、重くて、冷たくて……。

 言葉にするには難しいほど、今まで感じたことのない恐ろしい声。

 邪悪な気配が、診療所の入り口から漂っていた。そこに、人でもキツネでもない、黒いモヤのようなものが揺らめいている。

 そいつが何者か、オレでも分かった。

「〈しき者〉……」

 名前を口にした黄介きすけは恐怖で震えていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る