第6章 本当のキモチ ①

「あれ?」

 塔の上から池まで真っ逆さま……のはずが、オレは教室の真ん中に立っていた。

「何で、こんなところに?」

 キョロキョロと周りを見回すと、離れたところ立つ人影が目に入った。

「……夏希なつき?」

 オレと目が合った途端、夏希はくるりと背中を向けた。その目の辺りから、雫が飛ぶのが見えて、オレはドキリとする。『あの時』と一緒だったから。

「待て、夏希!」

 その背中に手を伸ばしたけど、夏希はそのまま駆け出す。向かう先では、巨大なブラックホールが口を開けていた。その中から、炎次えんじさんが不気味に笑いながら、おいでおいでと手招きしている。

 もちろんオレは追いかけたけど、その距離は全然縮まらない。夏希の背中がどんどん遠ざかっていく。

「夏希ぃ―!」

 夏希の体と、オレの叫び声だけが、ブラックホールに虚しく吸い込まれていった。


   ★


 飛び起きると、そこは原っぱの上で、オレは全身がびしょぬれだった。

「おい、大丈夫か? イチ」

 同じようにびしょぬれの黄介きすけが心配そうに声をかけてきた。そして、その隣にはもう一人。

「だ、大丈夫?」

 気弱そうな雰囲気の、キツネの男の子だ。今にも消えそうなほど小さい声だったけど、それがさっき『池へ飛びこめ』って言ったのと同じだと気づく。

「イチ、楓丸かえでまるだ」

「は、はじめまして……」

 楓丸。間違えて夏希に〈約束の一葉ひとは〉を送ったヤツ。出会った瞬間から、なんとなくそんな気はしていたけど。

「一階の医務室で休んでいたら、騒ぎが聞こえてきたんだ。黄介のことだってすぐにわかって、なんとか助けなきゃって……」

「まさか池に飛びこむことになるとは思わなかったよ」

「池からこの湖まで、次元をつなぐしか方法がなかったから……」

 改めて周りを見てみると、自分たちが森の中にいるとわかった。すぐそばには大きな湖がある。あの池からここに飛んできたってことらしい。

「とりあえず、こっちへ」

 楓丸に案内されたのは、湖から少し離れたところにある古びた小屋だった。森で使う道具を置いておく場所らしい。

 中のほうは意外ときれいで、床にはござが敷かれていて、オレたちはひとまずそこに腰を下ろす。

「楓丸は屋敷を出てきて大丈夫なのか?」

「うん。屋敷は今混乱してるから、ほんの少しぬけ出すくらいなら……」

 楓丸のおかげで助かった。だけど、それはそれ、これはこれで、楓丸に対して、オレには色々と思うことがある。

「あのさ……」

「二人にお願いがあるんだ」

 オレが口を開きかけたところで、急に頭を下げる楓丸。

「今すぐこの里から逃げて。そして、この件から手を引いて欲しいんだ」 

 思ってもみなかったことを言われて、黄介まであぜんとした。

「どうして?」

「もとはと言えば、僕が〈約束の一葉〉を失くしたせいだ。それなのに、無関係な君たちをこれ以上危険な目に遭わせられないよ……」

「じゃあ、結婚が間違いだって、里のみんなに言ってくれるのか?」

 オレは怒りを治めてこの騒動の解決を期待する。けれど、楓丸はさらに思いがけないことを言いだした。

「悪いけど、それはできない……」

「はあ? どういうことだよ!」

「楓丸、説明してくれ」

 思わず大声をあげるオレと違って、黄介は冷静にたずねる。だけど、オレと同じように納得できていないのは、表情で分かる。

「〈約束の一葉〉はとても大事なもの。それを失くしたなんて、おばあさまには言えない」

「自分の失敗を知られたくないってことかよ? そのせいで、結婚まで決められてしまうのに?」

 全部白状して、謝ってスッキリすればいい話じゃんか。オレにはどうしても理解できなかった。

「僕は長の孫だから、いつかはおばあさまの跡を継ぐことになる。なのに、僕は生まれつき体が弱くて、変化の術も苦手で、跡継ぎとして頼りなくて……。それなのに、今度は大事な葉まで盗まれてしまった。こんなの跡継ぎ失格じゃないか」

 楓丸の言葉に、黄介が少しだけ反応した。だけど何も言わずにじっと耳を傾けている。

「その挙句、無関係な女の子の手に渡って、それが婚約として認められてしまうなんて……。今さら、全部間違いでした、なんて言えないよ。里じゅう、いや、国じゅうから本当に失望されてしまう」

「で、このまま黙って夏希さんと結婚するってこと? 本当にそれでいいのか?」

「夏希さんのことは……、僕が責任を持って、妻として迎えようと……」

「ふざけんなよっ!」

 オレの怒りはそこでついに爆発した。思わず楓丸につかみかかる。

「ちょ、落ち着けって、イチ!」

 黄介が慌てて止めに入ったけど、オレの気持ちは治まらない。強く睨みつけると、楓丸は怯えたように目をそらす。それが余計にオレをイラ立たせる。

 オレはただの小学生だから、跡継ぎとか、里のことなんてよく分からない。今にも泣きそうな楓丸を見てたら、これまでずっと悩んで苦しい思いをしていたことは分かる。

 でも、そのことと夏希は関係ないだろ? 急に異界に連れ去られて、キツネと結婚しろなんて言われて。アイツの気持ちなんてまるで無視じゃねーか。そんなの、許せるわけがない!

「自分がついたウソのせいで、他の誰かが傷つくこととか、考えたことあるのかよ!」

 思わず口から飛び出した言葉。楓丸に向けたはずなのに、オレの胸がズキリと痛んだ。

 今、オレが言ったこと。それはそっくりそのまま、『あの時』のオレじゃねーか……。

 さっきの夢が浮かんで、そこからイヤな記憶が一気に溢れてくる。怒りの熱は一気に冷めた。

「イチ?」

 急に黙り込んだオレに、黄介が不思議そうに声をかける。楓丸も戸惑っていた。

「オレ……」

 そんな二人に、なぜだろう、オレは自然と話を始めていた。

「オレは自分の気持ちにウソをついて、夏希を傷つけた。それも、自分を守るためのウソで」

 一年前のちょうど今頃。もし時間を戻せる魔法、いや、この里にそんな術があるなら、今すぐあの時に戻りたい。ずっとそう思い続けていたイヤな記憶だ。

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