第3章 キツネの里 ②

 なんとなく呟いたオレの言葉に、黄介きすけは飛びついてきた。

「地上の警備は確かに厳重だけど、空からの侵入までは考えていないはずだ。だから、ここから、屋敷の中へ直接飛び込む」

「でもそれじゃ、下から丸見えじゃん」

「なら、姿を消せばいい」

 黄介はイチョウの葉っぱを一枚取り出した。

「これは〈転写の葉〉。これで、オイラの術をイチに移すことができる。一枚につき、一つの術しか使えないけど」

 そう言って、黄介は〈転写の葉〉に何かを書きこむ。オレにはさっぱり読めない不思議な文字だった。黄介はそれを自分の額に押しつける。すると、その姿は瞬く間に、オレの目の前から消えていった。

「す、すげぇ!!」

 黄介はすぐに姿を現した。額からはがした〈転写の葉〉を、そのままオレに差し出す。

「額に押しつければ勝手にひっつくぞ」

 黄介から受け取った〈転写の葉〉を、オレは恐る恐る額におしつけた。その瞬間、黄色い光がオレの体を包みこむ。自分では消えたかどうかわからないけれど。

「良かった。人間でも使えるみたいだな」

 黄介の言葉を聞いてひとまず安心する。

「あとはオイラがお前を背負って飛べば、侵入は不可能じゃない」

「背負う?」

 オレは頭からつま先までじっくりと見る。黄介の身長はオレより断然小さかった。

「あ! 今、バカにしただろ? 〈タヌキの里〉の忍びをなめるなよ!」

 オレの思ったことが伝わったのか、黄介はプクッと頬を膨らませる。

「ゴメンゴメン! お前の作戦に乗るから」

 まだ不安はあったけど、これ以上黄介を怒らせるのはまずい。オレはしぶしぶ納得した。

 黄介が印を結ぶと、その姿はオレと同じように黄色い光に包まれた。術を使ってる者同士は見えるみたいで、黄介はそのままオレを軽々おんぶする。見かけによらず黄介も力持ちだったらしい。

「よし、行くぞ!」

「おう!」

 オレの返事を合図に、黄介は高く飛び上がった。森の木々を軽く超えて、その高さは十メートル以上。そこで一度ストップした後、屋敷の中心を狙って一気に急降下。こういう感じの絶叫マシーンあったな。オレ、苦手なんだけど……。

「………!!」

 ジャンプの勢いと高さ、落下の速さが凄すぎて、オレは叫ぶこともできなかった。もし叫んでたら、警備兵たちにバレるからそれはよかったけど。このまま地面に激突するんじゃないかと、イヤな予感がよぎる。

「はっ!」

 屋敷の地面が目前に迫ったところで、黄介は気合の一声と共に、音もなくふわりと地面に着地した。そのまま近くの茂みに隠れたところで下ろしてもらう。

「し、心臓に、悪い……」

 オレは地面に倒れこんだ。文句を言う元気も出てこない。

「ここからは慎重に動かないとな。侵入者対策の罠も警戒しないといけないし……」

「ん?」

 ふと見た自分の足元。そこに、カエデの葉の形をした、赤い光がぼんやり浮かび上がっていた。イヤな予感が走る。

「黄介、何か、ここ光ってるんだけど……」

「え?」

 黄介も足元を見て、顔を大きくひきつらせた。

「しまった……!!」

 黄介の緊迫した声と同時に、甲高い金属音が屋敷じゅうに鳴り響く。

「うるさ! 何だよこの音は!?」

「侵入者を知らせる鐘だ!」

「オレたちのことがバレたってこと!? 何で?」

「侵入者が庭に隠れることを予想して、ここに罠が仕かけられていたんだ……」

 黄介はオレの足元で輝くカエデの紋章を指さした。さっき罠がどうって言っていたけれど、その時にはもうオレがそれを踏んでいたってことだ。

 騒がしい鐘の音が止むと、今度は警備兵たちの殺気立った声が聞こえてきた。その気配は、オレたちのいるところに近づいてきてるみたいだ。

「居場所も知られたか。ここから離れないと!」

 また黄介に背負ってもらって、茂みを飛び出す。庭じゅうを走り回る警備兵たちの隙間を、黄介は素早く駆けぬける。オレはその背中に必死にしがみついて、無事に逃げ切れるよう祈るしかなかった。

「しかたない」

 黄介はそう言うと、別の茂みに飛びこんで一旦オレを下ろした。

「屋敷内をただ逃げ回るだけじゃ、いずれ見つかるかもしれない」

「また塀を飛びこえて外に逃げればいいんじゃ……」

「無理だ。上を見てみろ」

 空を見上げると、空中にはいつの間にか、赤い光が網目状に張りめぐらされていた。まるで屋敷全体に巨大な赤いカゴをかぶせたみたいだ。

「侵入者を逃がさないよう結界が張られたんだ。もう塀を飛びこえることもできない」

「そんな……、ごめん、黄介。オレのせいで」

 オレが罠を踏んだからだ。だけど、黄介はイタズラっぽく笑ってみせた。

「あんな罠、忍びのオイラでも気づかないよ。あれを仕掛けたヤツは、絶対性格悪いぞ?」

 黄介の言葉にオレの気持ちはちょっとだけ楽になる。

「イチ、オイラの作戦、怒らずに聞いてほしいんだけど」

 真剣な表情に戻った黄介に、オレも背筋を伸ばした。

「屋敷の正門なら、兵士たちの出入りがあるから、結界は通っていないはずなんだ。そこからなら、隙をついてなんとか突破できるかもしれない。だから……」

 そこで黄介の目つきは一段と強くなった。

「オイラが囮になって警備兵たちを引き付けるから、その隙にお前は正門を突破してくれ」

「そんなこと、できるわけないだろ!?」

「だけど、今はこれしか方法がない」

 冷静な黄介に、オレは何も言えなくなる。

「大丈夫だよ。オイラは〈タヌキの里〉の忍びだぞ? ヘマはしないよ」

 オレを納得させようと、黄介は明るく笑う。歳はそんなに変わらないのに。これから危険なところへ飛びこもうとしているのに。

 正直まだ迷いはあった。けど、オレは黄介から〈転写の葉〉を受け取る。

「……わかった。けど、ムチャすんなよ?」

「ああ、忍びの名にかけて誓うよ。じゃ、先に行く」

 黄介は頭巾で顔を隠してから、茂みを飛び出していった。術を解いて姿を現し、そのまま塀の屋根の上に着地する。警備兵たちにわざと見つけさせるためだ。

「いたぞ! 侵入者だ!」

 狙いどおり、警備兵たちは黄介に気づく。

 黄介はそのまま塀の上を駆けていった。その後を追って、警備兵たちの声や足音も一緒に遠ざかっていく。

 しばらく様子を見てから、オレもそっと茂みを出た。黄介がほとんど引きつけてくれたとはいえ、別行動中の警備兵たちとも時々すれ違う。その横をオレは息をひそめて通り過ぎた。

 黄介の言ったように、正門前にも見張りの警備兵たちはいた。だけど数はたったの三人。これなら、タイミングを見計らって、何とか外へ出られるかもしれない。

 近づいていくと、警備兵たちの会話が聞こえてきた。

「こんな時に侵入者とは……。まさか、楓丸かえでまる様のご結婚を妨害しに、他の里が?」

「そういえば、この間も不審な者が里の外をうろついていたそうですが……」

「滅多なことを言うな。百年前の戦を最後に、他の里とは友好関係を維持し、平和を保ってきたのだぞ? 波風が立つような発言は慎め」

 不安そうな若い警備兵を、それより少し年上っぽい警備兵が厳しく叱る。

 その侵入者の仲間が、今、自分たちの真横にいるなんて、夢にも思ってないんだろうな。

 そこへ、この中で一番えらそうなおじさん警備兵が、自信たっぷりに言った。

「案ずるな。許嫁の方は今、塔の最上階で安全にお過ごしだ。容易に侵入はできまい」

 オレの足がぴたりと止まった。

 正門はもうすぐそこだ。このまま進めば黄介の作戦通り、屋敷から逃げられるのに。でも……。

 黄介の予想通り、あの塔に間違いなく夏希がいる。アイツが屋敷を混乱させている今なら、もしかして夏希を助けることもできるんじゃないか?

 頭の中では、夏希と黄介の姿が一緒に浮かんで、ぐるぐると回っていた。

 このまま正門から逃げるのか?

 夏希のいる塔に向かうのか?

 オレは……。

 

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