第3章 キツネの里 ①

 はじめに耳に入ってきたのは、葉っぱが風にゆれるサワサワという音だった。聞いてるだけで心地よくて、このまま二度寝したいな、なんて呑気に思っていたら……。

「おい、起きろ!」

 怒鳴り声が、穏やかな葉音をかき消した。少しムカつきながら、ゆっくりまぶたを開ける。

 最初に見えたのは青空と太陽。さっきまで夜の神社にいたはずなのに……。

「大丈夫か?」

 目の前に、いきなりタヌキの顔が飛びこんでくる。

「うわぁっ!!」

「なんだよ、そんなにびっくりすることないだろ?」

 驚いて飛び起きると、タヌキ……黄介きすけは不満そうに頬をふくらませた。

「ああ、ごめん……」

 一気に目が覚めて、これまでのことを全部思い出した。

 いきなり現れたキツネたちに、夏希なつきをさらわれたこと。

 夏希がキツネの楓丸かえでまると結婚させられること。

 夏希を助けるために、タヌキの忍び・黄介に無理やりついてきたこと。

 今だって信じられない。全部夢だったら良かったのにと思う。でも、これは本当にあったことなんだ。オトに投げ飛ばされた痛みだって、夏希を助けられなかった悔しさだって、ちゃんと残っている。

「次元を渡ろうとしているところに無理やり飛びつくとか、何てムチャするんだよ! 下手したら違う異界に飛んだり、衝撃で体がバラバラになってたかもしれないんだぞ!」

「怖っ! そういうのは先に言えよ! そんなんオレが知るわけねーじゃん!」

「聞かずに勝手についてきたのは、そっちじゃないか!」

 オレと黄介は睨みあう。でも、今はケンカしている場合じゃない。怒りを抑えて、オレは黄介に頭を下げた。

「頼む! オレも連れていってくれ!」

「だからダメだって言っただろ!」

「目の前で夏希をさらわれて、このまま黙ってられるかよ! オレは、夏希を助けたいんだ!!」

 黄介が楓丸のために行動しているように、オレだって夏希を助けるためにできることをしたかった。その思いを強く強く言葉にのせる。

 黄介は黙ってオレを見ていたけど、しばらくすると、ぶっきらぼうにつぶやいた。

「……ケガ、見せろよ」

「え?」

「そんなに傷だらけで連れていけるわけないだろ? 傷に効く薬、塗ってやるから」

「それって……」

「足手まといになったら、置いていくからな!」

「サンキュー!!」

 嬉しくて思わず黄介に抱きついた。真宙まひろ勇斗ゆうととは試合でよくやるんだけど、黄介はこういうのに慣れていないみたいで、目を白黒させた。

 ブツブツ文句を言いながらも、黄介は薬を塗ってくれた。ほんのちょっと塗っただけなのに、それまでずっとヒリヒリしていた痛みは和らいだ。

「良かった。人間にもちゃんと効くんだな……」

 ポツリとつぶやいたことは、聞かなかったことにする。

「まだ名前を聞いてなかったな」

 傷の手当てを終えてから、黄介は思い出したように言った。オレも最初はコイツを疑ってたから、自己紹介どころじゃなかったな。では、改めて。

市村いちむらいつき。友だちからは、『イチ』って呼ばれてるよ」

「じゃあ、イチ。ここからは先は、注意して行動しろよ」

「分かってるよ」

 オレは黄介に向かって拳を突き出した。これも真宙たちとよくやるヤツ。今の緊張感が試合と似ていたから思わずそうしていた。黄介は戸惑いながらも、ぎこちなく拳をぶつけてきてくれた。それがちょっとだけ嬉しかった。

「で、ここが、〈キツネの里〉なのか?」

「ああ、ちなみにここは〈朝露山あさつゆやま〉の頂上だ。ちょっと後ろを見てみろ」

「え? ……うわあっ!」

 振り返ると、そこには大きな楓の木が生えていた。周りの木はみんな緑色なのに、この一本だけが真っ赤に色づいている。

「〈運命の大樹〉。あの〈約束の一葉ひとは〉はここから落ちた葉だ。男子が生まれた時、この木から風に乗ってその子の手に渡る」

 夏希を厄介ごとに巻きこんだあの葉っぱ。思い出せばムカついてくるけど、いざ〈運命の大樹〉を目にすると、文句なんてとても言えなかった。

「で、この〈朝露山〉の隣に、双子みたいによく似た形の〈夕霧山ゆうぎりやま〉がある。その頂上にある〈暁月あかつき神社〉で、〈永久変化えいきゅうへんげ〉の儀式はそこで行われるんだ」

「じゃあ、夏希もそこに?」

「いや、おそらく別の場所だ。まずは里を案内するよ。こっちへ」

 黄介に連れられて、〈運命の大樹〉から離れていく。山を少し下ったところで、開けた場所にたどり着く。そこから、里全体が見渡せた。

 端から端まで広がる田んぼに畑。

 その合間にぽつぽつと建つ小さな民家。

 畑仕事をしているのがキツネじゃなきゃ、オレたちの世界にもあるような、普通の田舎の風景だった。

「なんか、思ってたよりも平和そうなところだな」

 てっきり、オトみたいなおっかないキツネたちがうろうろしているモンだと思っていた。

「確かに今のこの世界は平和だ。最後に戦をしたのがちょうど百年前だから」

「百年!?」

「もちろん大なり小なり問題はあったさ。でも、里同士で努力し合って、ずっと平和を守ってきたんだ」

 誇らしげに説明してから、黄介は山のふもとを指さした。

「で、あれが里の長が住む屋敷……楓丸の家でもある」

 そこは高い塀で囲まれた広い敷地で、こののどかな里の中ではものすごく目立っていた。

 敷地の中には、横長の大きな建物と、それに寄り添う小さな建物、そして、赤い屋根の三重の塔が建っている。

「中心の建物が母屋、隣の小さいのが宝物庫だ。さっき言った〈紅宝珠べにほうじゅ〉や、貴重な資料なんかを保管している。塔のほうは、警備兵の稽古場や、幹部の会議室なんかがあるらしい。夏希さんが今いるとしたら、多分あの塔だろうな」

「で、屋敷にはどうやって入るんだよ?」

 屋敷を囲む塀も厄介だけど、その周りには、見張りのキツネたちもウロウロしている。

「夏希さんが里に入ったことで、いつもより警備が強化されているな。オイラ一人なら、こっそり入れたんだけど……」

 チラリとオレを見る黄介。遠回しに足手まといだと言われてるみたいで、オレはちょっとだけムッとした。

 でも夏希を助けるって決めたんだ。オレだって何か少しでも役に立ちたい。いい方法はないか必死に考えてみた。でも、勉強とか、サッカーの作戦とか、頭使うのって苦手なんだよな。こういう時に、頭のいい真宙がいてくれたら、どれだけ心強かったか。

 ふと、元の世界に残してきたみんなのことを思い出す。戻らないオレと夏希のことを、きっと心配しているはずだ。兄ちゃんとは、ちゃんと二人で戻ってくるって指切りまでしたのに。約束の時間はもう守れないけれど、せめて「夏希と一緒に」っていう約束だけは守らないとな。

 なんとなく空を見上げると、鳥が数羽飛んでいくのが見えた。この世界にも鳥は普通にいるんだな。鳥たちを見送りながら、オレはしみじみとつぶやく。

「まさか、飛んでいくわけもいかねーし……」

「それだ!」

 黄介がパッと顔を上げた。

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