第2章 さらわれた夏希 ③

 黄介きすけと名乗ったタヌキを、オレはまじまじと見つめる。

「ん?  どうした?  驚かないのか?」

 黄介は不思議そうに首を傾げる。

「……いや、さっきキツネを見たばっかだし、タヌキがいてもおかしくないよなーって」

「やめろよ! そうやって、キツネと比べてタヌキを下に見る感じ!」

 黄介は急に子どもっぽい口調で、両手を振り回して怒りだす。その様子がちょっとおかしくて、オレの警戒はほんの少しだけ緩くなった。

「お前、アイツらのこと何か知ってんの?」

 夏希がどうしてさらわれたのか? あのキツネたちは何なのか? たくさんの疑問がオレの中でモヤモヤと残ったままだ。コイツはきっと、その答えを知っているはずだ。

 黄介は迷っているのか、すぐには話そうとはしなかった。その間の沈黙がすごく長く感じる。こうしている間にも夏希は……、そんな不安と焦りからイライラも募る。

「始まりは一週間前のことだ」

 黄介はようやく口を開いた。

「〈キツネの里〉の長・ザクロ様の孫、楓丸かえでまるの婚約の知らせが〈キツネの里〉にめぐった。その相手が人間の娘ということもあって、国中で大きな話題になった」

「その相手が夏希ってことだよな? でも、夏希はそんなの知らないって言ってたぜ?」

 オレの疑問と不満にも、黄介は落ち着いて答える。

「まず、〈キツネの里〉では、男子が生まれると〈約束の一葉ひとは〉という葉を一枚与えられるんだ。永遠に赤く色づいたままの特別な葉で、成人……オイラたちの世界では十四歳になると、心に決めた相手にその葉を渡すことで結婚を申し込むことができる。相手が受け取ると〈キツネの里〉に天気雨が降って、住民たちに知らせるんだ」

 夏希が紅葉を拾った時、お天気雨が降ったって言っていたっけ。その状況が黄介の説明とぴったり重なる。

「でも、夏希はあの葉っぱをたまたま拾っただけだ!」

「そのことなんだが……」

 そこで急に、黄介の歯切れが悪くなる。

「その数日前、楓丸は〈約束の一葉〉を失くしてしまったようなんだ。それが、どういうわけか、こちらの世界へ渡り、夏希さんが拾ってしまった、ということらしい」

「じゃあ、やっぱり間違いってこと?」

「まあ、そういうことになるな……」

 黄介は申し訳なさそうにオレを見る。

「それならなんで、楓丸は間違いだって言わないんだよ?」

 黄介に文句を言ってもしょうがないけど、オレは怒らずにはいられなかった。

「楓丸にも色々と事情があるんだ。今はそこまで話せないけど……」

 言葉を濁す黄介に、オレはまたイライラしそうになるけど、黙って続きを待つ。

「オイラは楓丸に代わってこちらに渡り、夏希さんを探していた。夏希さんから葉を取り戻し、楓丸に返すために。だけど、夏希さんの居場所をつかむのに時間がかかって、結局、オトたちに後れを取ってしまった」

 黄介は悔しそうに顔を歪ませた後、オレに向かって頭を下げた。

「だから、このことはオレにも責任がある。すまない」

「べ、別にお前に謝られても、しょうがねーし……」

 真面目に謝られると、なんだか調子が狂う。詳しい理由は分からないけれど、黄介が楓丸のために行動しているってことはわかった。

「けど、そもそも人間とキツネが結婚なんてできるのかよ?」

「できるよ。〈キツネの里〉の秘宝の力があれば」

「秘宝?」

「〈紅宝珠べにほうじゅ〉と呼ばれる水晶玉だ。これを使えば、〈永久変化えいきゅうへんげ〉という特別な術で、人間をキツネに生まれ変わらせることができる。結婚式より先に、その〈永久変化〉の儀式が行われるはずだ」

「そんな……」

 夏希が結婚するってだけでも十分イヤなのに、キツネに変化させられるなんて、そんなの冗談じゃねー! オレの中で怒りが燃え上がった。

「とにかく、この一件はオイラがなんとかする」

 説明はそこで終わりとばかりに、黄介はウタが持っていたのと似た石を取り出した。それを掲げて呪文を唱えると、紋章とブラックホールが現れる。さっきと同じだ。

「ま、待てよ! オレも行く!!」

「ダメだ!!」

 慌ててついていこうとするオレに、黄介ははっきりと拒絶した。

「これ以上、異界の者を巻きこむわけにいかない。夏希さんはオイラが必ず助け出す。だから、お前はこっちで待っていろ」

 厳しい言葉に、オレは何も言い返せなかった。黄介はそのままブラックホールに向かって歩き出す。

 無視して追いかければいいのに、オレの足はウタの術にかかったみたいに、また動かなくなる。夏希を助けに行きたい気持ちに、ウソなんてないはずなのに。

 でも、向かう場所は右も左も分からない異界。そこには、オトやウタみたいに妙な力を持ったヤツらがたくさんいるはずだ。あの二人に手も足も出なかったことをイヤでも思い出す。不安と恐怖で、オレの中はいっぱいになった。

 黄介の言う通り、マンガのヒーローでもないオレに、何ができる? ここは黄介に任せたほうがいいんじゃないか? そう自分を納得させようとした時だった。

「ん?」

 視界の端で何かキラッと光るのが見えた。さっきウタがブラックホールを開けたあたりだ。近づいてみると、地面の上に夏希の着けていたウサギのヘアピンが落ちていた。オトに抱えられた時に外れたらしい。

 それを拾い上げてみて、オレはやっと気づいた。これはオレが夏希にあげたものだ。確かバレンタインデーのお礼だったと思う。……まぁ、これを選んだのは、母ちゃんなんだけど。

「どうりで子どもっぽいと思ったわ。幼稚園の時のじゃん。でも、あいつ、わざわざ着けてきてくれたんだな……」

 恥ずかしさや照れくささはあったけど、そんなことも飛びこえてオレは嬉しかった。

 一緒に『あのこと』も思い出して、胸の奥にズキっと痛む。その痛みがオレに問いかける。本当にこのまま待っているだけでいいのか?って。

 ヘアピンを通じて、夏希が助けを求めている、そんな風に思えた。たったそれだけのことで、オレの迷いは消えていく。

 ヘアピンをポケットにしっかりとしまって、オレは黄介のほうを見た。黄介はちょうど、完成したブラックホールに足を踏み入れようとしているところだ。

 オレは全力で駆け出して、力いっぱい叫ぶ。

「黄介、待ってくれ!! やっぱりオレも行く!!」

 走った勢いそのままに、オレは黄介の背中に飛びついた。

「えぇっ! ……って、どわぁっ!?」

 黄介にとっては、完全に不意打ちだったらしい。マヌケな声をあげながら、前のめりに倒れる。オレも一緒に転がりこむようにして、ブラックホールへと吸いこまれていった。

 目の前が一瞬で闇に包まれた後、嵐のように凄まじい風が全身に吹きつけた。

 オレの意識はそこで途切れた。

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