第2章 さらわれた夏希 ①

 大げさだけど、そんな数々の試練を乗りこえて、オレは今のこの瞬間までたどり着いたワケだ。

夏希なつき、オレ……」

 覚悟は決まったはずなのに、声が勝手にしぼんでいく。オレは左手首につけた赤いリストバンドに触れた。試合前に必ずやるんだけど、いつも気持ちが楽になるんだ。

 もう一度、しっかりと気合をこめて、深く深く息を吸った時だった。

「二宮夏希様!」

 いきなり誰かの声が割りこんできて、オレは思わず咳きこんだ。

「だ、誰?」

 オレも知らない女の声が、はっきりと夏希の名前を呼んでいた。なのに、まわりにそれらしい人影は見当たらない。

 ……まさか、幽霊とかじゃないよな? オレ苦手なんだけど。

「い、いっちゃん……」

 夏希も怯えてオレの服をつかむ。ラッキーなんて考えてる場合じゃない。ビビりな自分をなんとか奮い立たせて、夏希を背中に庇うようにして周りを見回した。

 気のせいか、さっきまでよく聞こえていた祭りばやしが何だか遠く感じる。まるでオレたち二人だけ、この世界から切り離されたみたいだ。

「あなたは、二宮夏希様、ですね?」

 今度は男の声。夏希は誰もいない暗闇に向かって聞き返す。

「そうですけど……、誰か、いるんですか?」

「お迎えに上がりました」

 今度は男と女の声が重なって聞こえてきた。オレたちのすぐ後ろから。さっき見回した時には誰もいなかったはずなのに……。

 恐る恐る振り返ると、そこには二人の人物が立っていた。

 一人は赤い袴に長い黒髪の女で、もう一人は水色の袴に茶色く短いクセっ毛の男。神社で働く人たち……巫女さんとか、神主さんっぽい格好だ。ここは神社なんだから、別にそれはおかしくない。

 顔を、キツネの面で隠していなければ。

 細く描かれたキツネの目、そこに空いた小さな穴がオレたちを見つめている。なんだかイヤな感じだ。

 オレと夏希が様子を伺っていると、二人組はサッとその場にひざまずいて、深々と頭を下げた。オーバーな動作にオレたちは呆気にとられる。

 先に口を開いたのは、黒髪の女のほうだ。

「お初にお目にかかります。我が里の長より命を受け、お迎えにまいりました。使いのオトと申します」

「同じく、ウタと申します」

 茶髪の男も名乗った。

 異様な雰囲気のせいで大人だと思っていたけど、声の感じだと、二人ともオレたちよりちょっと年上っぽかった。それでもオレが警戒を解くことはない。中学生でもキツネ面で顔を隠して現れるなんてやっぱり変だ。

「迎えって、何のことですか?」

楓丸かえでまる様とのご結婚でこざいます」

「け、結婚!?」

 思いがけない言葉に、オレは叫ぶ。夏希は、オレよりももっと驚いていた。

「し、知らないよ、そんなの!! 楓丸って誰? それに結婚って、私、まだ小学生だよ?」

 夏希の反論に、ウタは首をかしげる。

「あなたは一週間前、楓丸様から婚約の証である〈約束の一葉ひとは〉を受け取っていますよね?」

「〈約束の一葉〉? 何? 何のこと!?」

 戸惑う夏希に、オトはどこかイライラしている様子だった。

「ウタ、時間がない。我々の役目はこの方を里までお連れし、真久郎しんくろう様に報告することだ」

 こっちの話に聞く耳を持たない態度だ。さすがにオレはカチンときた。

「ふざけんな! 夏希は知らないって言ってんだろ!」

 二人を夏希に近づけないよう、必死に両腕を広げて睨みつける。だけど相手は二人で、オレより年上。どう見ても不利だ。

 それでも、今できることを必死に考えて、オレは動いた。正面から、オトとウタに一気に飛びかかる。

「うおりゃあー!」

「キャッ!!」

「うわっ!?」

 二人とも、オレの行動を予想してなかったみたいで、まともにタックルを受けてくれた。三人揃って地面に倒れこむ。その勢いでどっちかのお面が外れたみたいで、カランカランという軽い音が聞こえてきた。

「いっちゃん!」

 心配そうに見ている夏希に、オレは力いっぱい叫ぶ。

「夏希!! 誰か大人呼んで来い!」

 すぐそこには、祭りの客がたくさんいる。「変なコスプレ中学生に絡まれた!」って騒げば、助けに来てくれるはずだ。この二人をずっと押さえるのは無理だけど、夏希が助けを呼べるくらいの時間は作ってやる。

 夏希は一瞬だけ迷っていたけど、すぐに祭りのほうに向かって走り出した。だけど。

「ウタ、止めろぉ!!」

 オトに命令されて、ウタは夏希に向けて、右手を振った。すると、その指先から赤い光が矢みたいに飛び出して、走る夏希の背中にまともに当たった。

「えっ!?」

 小さく叫んで、夏希はその場にぴたりと立ち止まる。

「な、何で? 足が……、動かないよ!」

「おい! 夏希に何したんだよ!?」

 魔法みたいなことが目の前で起きて、オレも夏希もパニックになる。

「うるさい!! 私の邪魔をするな!」

 オトのイラ立つ声が降ってきた瞬間、オレは服を掴まれてそのまま空中へと投げ飛ばされていた……って、女子の片手で!?

「うわぁッ!」

 驚くヒマもなく、オレは地面に強く叩きつけられた。

 ウタの魔法みたいな力。

 オトの怪力。

 コイツら一体、何者なんだ? 普通の人間じゃないのか? 次々と起こるウソみたいな出来事に、混乱していた。

 先に立ち上がったウタが、オトに手を貸す。

「姉上さすがです! 相変わらずの怪力で」

「怪力は余計だ」

 オトはウタの手をあっさり無視して、自力で立ち上がった。どうやら二人は姉弟らしいけど、仲は良くなさそうだ。

「失礼しました。あと姉上、落ちましたよ」

 オトの冷たい態度も、ウタは別に気にしていないらしい。拾ったお面を持ち主へと渡す。

 提灯の明かりに照らされて、オトの素顔が見えた。

「……ウソだろ?」

 オレは自分の見たものが信じられなくて、何度も何度も何度も、まばたきした。

 遠くで、夏希が小さく悲鳴を上げたのも聞こえた。

 地面に転がるオレを見下ろすオトの顔は、キツネそのものだった。

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