第1章 気づいたキモチ ①

 この夏、夏希なつきは京都へ引っ越すことになっている。お父さんの転勤が決まったからだ。引っ越しの予定は、夏休みの終わり。

 オレがそれを知ったのは、六月も終わりかけの時。母ちゃんが、夏希のお母さんから聞いたらしい。

 夏希が、二学期からいなくなる。

 その時のオレは、それがどういうことなのか、まだピンときていなかったけれど……。


「ごめーん! なんか、言いづらくってさ」

 次の日、さっそく転校のことを聞くと、夏希は両手を合わせて、ぺろりと舌を出した。いつもと変わらない様子に、オレはすっかり拍子ぬけした。

「ガキの時からの付き合いなのに、ちょっと水クサいんじゃね~?」

「だって、しんみりしたくないじゃん? 私だって、こんな中途半端な時に転校なんて、本当はイヤだよ! お父さんの会社に文句言いたいくらい!」

 そう言うと夏希は、急に教室の窓を開けた。

「大人の事情に、子どもを巻きこむなぁーーー!!」

「バカ、何やってんだよ!!」

 外に向かって叫ぶ夏希に、オレもつい大声でツッコむ。結局、二人そろって教室やグラウンドから注目を浴びてしまうことに。焦るオレと違って、夏希は楽しそうにキャハハと笑った。

「ごめん、ごめん! でも、スッキリしたー!」

「ホント、呑気だなー」

 オレは呆れながら、夏希が開けた窓を閉めようと、手をのばした。

「けど……」

 夏希の声が急に沈む。今まではしゃいでいたのがウソみたいに。一度窓にのばした手を引っこめて、オレは夏希を見た。

「やっぱり、卒業式はいっちゃんたちと一緒が良かったかな……」

 夏希は悲しそうに、体育館を見つめていた。卒業式会場になる場所だ。

 オレの胸に、チリっと痛みが走った。なんとなく胸の奥のような、でもそこじゃないような、スッキリしない痛み。サッカーでケガした時や、食いすぎで腹痛起こしたと全然違う。

 オレはやっと気づいた。夏希がいなくなる前に、伝えなきゃいけないことが……いや、それより先に謝らないといけないことあるってことを。


 なんて、決めたものの、そこから行動を起こすまでに、ちょっと……いや、かなり時間がかかった。いざとなるとビビって、いつもみたいに夏希に話しかけられなかった。

 モタモタしているうちに、気づけば終業式前日。しかもやっと声をかけられたのは、昼休みだった。

 夏希はちょうど読書中だった。読んでるのは……ホラー小説だ。怖がりなクセに好きなんだよな。近くへ行くと、手元に置いてあるしおりが目に入る。

「紅葉?」

 夏希の手作りらしい、紅葉を押し葉にしたしおりだ。真夏に珍しいモン使ってるなぁと、思わず声に出したら、夏希は本から顔を上げた。

「キレイでしょ? 先週の土日に新しい家を見にいって、ついでに近くを散歩した時に見つけたの。真夏に紅葉なんて珍しくない?」

「まぁ……」

「あ、それとね! 拾った時に、お天気雨が降り出したんだ! 不思議なことづくしで、さすが京都って感じ!」

 確かに不思議な話だけど、夏希の口から「京都」なんて言葉が自然と出てきて、オレは正直複雑だった。夏希は向こうで暮らすことに乗り気なのかな?

「それより、いっちゃん、何か用だった?」

 首を傾げる夏希。さすがに今日はもう逃げられない。オレは覚悟を決めて、ずっと頭の中でくりかえしてきた言葉を声にした。

「あのさ、今度の夏祭り、一緒に行かね? もう最後だし」

 最後の思い出作り。あくまでもそういう理由だ。デートとか、考えちゃダメだぞ?

「……うん! いいよ」

 一瞬驚いたように目を見開いてから、夏希は笑顔でうなづいた。

 よっしゃあーーー!! 心の中でオレはガッツポーズ。ゴールを決めた時より嬉しいかもしれない! でもそれは、夏希から次の質問が飛び出すまでだった。

「ねえ、それってさ……、私といっちゃんだけ、かな?」

 夏希の真剣な表情に、オレは固まる。もちろん答えはイエス。なのに、改めて二人きりの夏祭りを思い浮かべてみたら、ダメだ。一気に恥ずかしさがこみあげてきた。

「いぃ……いや!! 他のヤツらも……勇斗ゆうと真宙まひろも一緒だ! だ、だ、だから、お前も誰か仲の良いヤツ誘って来いよ! 最後なんだから、みんなでワイワイやろうぜ!!」

 ペラペラとそんなことを口走っていた。締めにサムズアップまでして。オレはボーゼン、夏希はキョトン。しばらく変な沈黙が流れていった後で。

「そう……。うん、わかった。じゃあ、奈々とほのかに聞いてみる」

 仲の良い女子二人の名前をあげながら、夏希はなぜか不満そうだった。

 いや、そんなことより、オレのバカ野郎ー!! 今すぐに時間を巻き戻してぇー!! けれど、もう後の祭りじゃん!!(夏祭りだけに……)

 結局、オレも親友の二人に、夏祭りの参加を頼むことになった。

「二人だけで行くんじゃなかったのかよ?」

「イチって、変なところで弱気だよな」

 二人にめちゃくちゃ呆れられたけど、返す言葉もなかった。


 そんなこんなで迎えた夏祭りの夕方。

 まず小学校前で待ち合わせてから、神社に向かった。最初はなんとなく女子と男子で分かれる。オレたち男子は普段着で来たけど、女子三人はなんと浴衣! 髪型もいつもと変えていた。女子ってすげえ……。

 クールな広瀬奈々は、涼しげな水色の浴衣。いつもは下ろしている長い黒髪をおだんごにして、なんだか大人っぽさがレベルアップしていた。

 おっとりタイプの八尾ほのかは、可愛いピンク色。茶色がかったふわふわの髪に、黄色い花の飾りがよく似合っている。

 そして、夏希は元気いっぱいのオレンジ色。他の二人よりも髪が短いから、ウサギの飾りのついたヘアピンで前髪を軽く留めている。ヘアピンはちょっと子どもっぽい気もするけど、いつもと雰囲気が変わって正直ドキッとした。

「オレたちも法被とか、作務衣とか着てくれば良かったかな?」

 女子三人の姿を眺めて、親友その一、久城くじょう真宙がつぶやいた。どんな時も冷静なしっかり者で、今日の段取りをまとめてくれたのもコイツだ。本当は言い出しっぺのオレがやらないといけないから、頭が上がらない。……祭りでおごる約束はさせられたけど。

「おい、イチ。大丈夫か?  顔がメッチャ固まってるぞ?」

 親友その二、三島勇斗が心配そうにしている。オレと一緒に悪ふざけしてばかりのお調子者。だけど、本当は友だち思いの優しいヤツ。その世話焼きな性格と、ややぽっちゃり気味の体型から、時々「オカン」って呼ばれている。

「試合より緊張する。マジで吐きそうなんだけど……」

「気持ちは分かるけど、今はガマンな?」

 勇斗は苦笑いで、まるで試合前みたいにオレの肩を叩く。いや待って、振動でもっと吐きそうになるんだけど……。

 そんなオレたちに向かって、ちょっとのんびりとした男の声が飛んできた。

「少年チームー、はぐれちゃダメだよ~?」

 まるで学校の先生みたいに呼びかけてくるのは、市村圭けい。オレの兄ちゃん。大学二年生の二十歳だ。

「アレもどうにかしないと……」

 勝負の夏祭り。

 そこに、まさかの兄ちゃん同伴!

 今のオレにとって、これが最大の難関だった。

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