織羽 第一章
木の間より漏りくる月の影見れば心尽くしの秋は来にけり
月の明るい夜だった。
不意に青年の手元を仄明るく照らす
彼はふと思い立ち、何かに導かれるように寝静まった街に出た。秋の冷えた空気が頬を撫でる。
あてどなく歩き続けていると、青年はいつしか街を外れて雑木林に辿り着いた。辺りを取り囲む木々は赤に黄に色づいている。一歩踏み出すごとにかさかさと物悲しい音を立てる落ち葉を靴底に感じながら、彼はさらに歩を進めた。
すると道の先に何かが横たわっているのが見える。青年は、はっと身を強張らせて数秒のあいだそれを注意深く観察していたが、その正体が人影だとわかると急いで傍に駆け寄った。
そこにいたのは、傷だらけの姿で荒く息をつく女だった。
青年は意識のないその女の身体を自らの上着で包んでやると、慌てて屋敷へと連れ帰った。
***
女が目を開けると見知らぬ天井が広がっていた。
身体の感覚が鈍い。まだ意識が覚醒しきっていないようだ。――自分は一体どうなったのだろう。彼女はぼうっと煙る頭でそう思った。
ふと焦点が定まらずぼんやりとした視線を横に向ける。すると見知らぬ人影が自分を覗き込んでいることに気づいた。女は途端に身体を緊張させて布団から飛び起きようとするが、その瞬間、全身が針の
「まだ起き上がったらだめだ、怪我してるんだから」
傍の人影が慌てたように声をかけてくる。しかし女はなおも息を殺して警戒を解かなかった。
徐々に彼女の意識は明瞭になっていく。ぼやけていた視界が焦点を結ぶと、そこには
「――お前は誰、どうして私はここにいるの」
険しい表情のまま女は彼に問う。青年は困ったように頬を掻くと金縁眼鏡の位置を整え、居住まいを正して話しだした。
「おれは
織羽と名乗る男はそこで言葉を区切ると、女の目をじっと見つめた。彼女の赤琥珀の瞳がより一層すがめられる。
「何」
「おれからも質問が」
そう言うと織羽はしかつめらしい顔をして切り出した。
「――君の名前は?」
改まった態度で聞かれるほどのことはない質問に虚を衝かれた女は、ぽかんと口をひらいてしまった。そして思わず笑みをこぼす。青年の害意のない様子にすっかり毒気をぬかれ、彼女はようやっと警戒を解いた。
「私は
そう口にすると、身体の力が抜けていく。それと同時に全身が再びじわじわと痛んでくるのを美月は感じた。
「ねえ、私の身体、どうなってるの」
美月が問うと、織羽はまるで自分の身体が痛むかのように表情を曇らせた。
「身体中、切り傷と打撲がいっぱいあった。それと、――左腕が折れてる」
彼の苦しそうな様子とは裏腹に、美月はそれを聞くと安堵した様子を見せた。
「そう、今回は左腕だけで勘弁してもらえたわけか」
自由になる右手で左腕をなぞると、確かに添え木と布で手当てしてあるのがわかる。美月は織羽が止めるのも聞かずに、痛みを堪えつつ身体を起こした。
「感謝します。命があるとは思ってなかったから。邪魔にならないようにすぐに発つわね」
そう一気に
「ちょ、ちょっと待って、そんな
「無理でも行く」
鼻息荒く身体を引き摺って歩きだそうとする美月を、織羽は一旦落ち着いて、と肩を押さえて布団に座らせる。
「邪魔じゃないから、ここでしばらく養生していきなよ」
「心配ご無用よ、左腕だけ元気じゃないだけなんだから」
美月が自信満々に応えると、青年は
「何をそんなに急いでるの」
怪訝な顔をしてこちらを
「あなた察しが悪い、こんなぼろぼろの女が道端に落ちてるなんて訳有りに決まってるじゃない」
「そうだとして、そんな状態でどうするのさ」
彼女が訳有りだということは、織羽には十分よくわかっていた。そもそも街外れの雑木林とはいえ、比較的治安のよいこの地域に全身傷だらけの人間が倒れていたらそれはもう何か事情がある以外になにもないだろう。
「とにかく
織羽がそう口にした途端、美月の右手が彼の首を捕まえた。艶やかな長い黒髪の隙間から覗く赤琥珀の瞳が、射るように青年を睨めつける。掴まれた彼の喉はひゅっ、と鳴る。
「だめよ、そんなことしたら――」
深紅の唇が艶かしく動くと、声もなく、殺す、と告げた。
すると彼女は右手にさらに力を込める。織羽は両手を挙げて首を降った。何も言わない、という意思表示のつもりだろうか。
美月が手を離すと、織羽は激しく咳き込んだ。――少しやりすぎただろうか。彼女は恩人に対して手荒な真似が過ぎたと、少し後悔した。
「とにかく、ここに私を置いておいてもあなたに何の得もないってわかったでしょ。それじゃあ――」
「行かせないよ」
織羽はなおも食い下がる。
「君がよくなるまで、おれが匿えばいいんだろう」
美月は眉根を寄せた。――なぜこの男は見ず知らずの人間にそこまでするのだろうか。彼女の
「おれは頑固で、騒がしくて、図々しいんだよ」
「訳がわからない」
いよいよしびれを切らした美月は立ち上がろうとするが、全身を蝕む痛みに足がもつれ、よろけてしまった。その身体を織羽は
「ね、おれの言うこと聞く気になった?」
「――お世話になります」
美月は悔しそうな声でそう口にした。
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