File9-2 Uotesis

 目の前に現れた人間の事を、アノンは知らなかった。しかし今は彼の代償の力がはたらき、彼の正体を認識できる。だからこそ、アノンは彼の存在そのものをあり得ないと感じた。

 アディを殺した少年は銃を手から離す。その銃は地面に当たる直前に消えた。

「はじめまして、アノン。僕にとっては久しぶりなんだけどね」

 彼はアノンを知っている。知っていて当然なのだ。

「……君は、"アディ"なのか」

 それが、アノンが彼の知識を覗いた上での回答。間違いない。彼はアディだ。

「そうだよ。僕は八十代目のアディ。象徴によって世界群全体に影響を及ぼす、真の時間遡行に成功したアディ。それが僕だ」

 淡々と、彼は自己紹介を済ませた。

 今まで確認されていた時間遡行は全て紛い物だ。一つの世界でのみ時間を巻き戻している為、世界の内側にいる人間にとっては時間が戻ったように感じるが、世界の外からその様子を観測する事ができる。しかし彼の時間遡行は違う。一つ上の次元に立ち、世界群全てに作用する。

「……そうか」

「意外だね。憤ったりしないの? 僕は君のパートナーを殺したんだよ?」

 アノンは表情を変えない。

「君はアディなのだろう? 私のする事は変わらないさ。だが……そうだな、少し座りたまえ」

 アノンが"アディ"を先程まで一人の少女が座っていた位置に座らせる。少女の死体を放置したまま。


 アノンは水を一口飲むと、"アディ"へと質問する。

「さて、……君は何故、彼女を殺した」

 理由はわかっているが、アノンはあえて聞いた。

 "アディ"は彼の近くに置かれていた飲みかけのグラスに手をかけ、それを少し凝視した後にそれに口を付けずにテーブルに戻した。

「未来が危ないんだ。このままだと何もかもが台無しになる。全ての世界も、十七席も、そして伊神迅の計画も。だから僕は時間を遡り、未来を壊す原因になるものを探した。……それが数代前の自分だとわかったときは驚いたけどね」

「そして今、その目的は果たされたと」

「その通りだよアノン。ただ……僕のこの力は未来に帰る事ができない。今ここで彼女を殺した事で、本来辿るべきだった未来が消滅したんだ。これからはこの時代の新しい"アディ"として、君と旅をするとしようかな。不都合はないだろう? アノン」

「……そうか、そうだな。その通りだ。ならば次は、私の目的も果たすとしよう」

 アノンは立ち上がり、……黒い杖を取り出して"アディ"へと向けた。


「君は、私を何も知らないようだ」


 危機を察知し、"アディ"は椅子を後方に飛ばしてその場から横に逸れる。彼の座っていた空間が抉られていた。

「アノン、何のつもりだい?」

「私が君を殺すだけだが?」

「さも当たり前かのように言うね」

 "アディ"は虚空から、先程少女を撃った拳銃を取り出す。その拳銃には引き金が無かった。

「先に弾が当たった未来を作り出し、時間を逆行させる。僕の時代の君はこれをハズレと言っていたかな。なんでだろうね」

 余裕綽々といったように、彼はアノンに照準を向ける。……そして、そこで手が止まった。


「撃てないだろうな」


 弾は出ない。"アディ"は、そもそも弾が当たるイメージをしていない。それが、できない。

「な……んで……?」

 彼の余裕だった表情は、一瞬にして崩れた。

「撃ってみてもいいのだが……、その弾は本当に、君の思うような軌道を描くか?」

 答えは否である。そう"アディ"は直感した。彼には、弾丸が届かない。どう撃っても、どんな軌道を描こうとも、彼はそれを躱す。躱せないはずの弾丸を、彼は間違いなく躱す。彼に致命傷を負わせられるような軌道が存在しない。そもそも、擦りすらしない。逆に不可能であるという事ばかり容易にイメージできてしまう。

 ふと、アノンの動きが一瞬だけ止まった。倒れた少女の方を見て、しかしすぐに"アディ"へと視線を移す。

「君は三つほど、勘違いをしている」

 アノンが"アディ"に一歩ずつ近づく。

「まず一つ。私は今、大変怒っているよ。君はこの感情を数億年振りに思い出させてくれた」

 アノンが一歩進むごとに、"アディ"は一歩後退る。

「二つ。私は君を"アディ"として見ていない。君はただアディを狙う侵略者の一人に過ぎない。であれば、私は伊神迅の契約に従い君を始末する責務がある」

 入り口が近くなったところで、アノンが杖を軽く振る。途端、店内の壁が全て取り払われる。しかしそこに外は無く、補完するように永遠に同じ店内の景色が続いている。当然入り口も消滅していて、まるで逃げ場は無いと言っているようだった。



「そして最後に。――君はまだ何も成せていない」




    ■    ■    ■




 死んだ? ああ、君は死んだのかい?


 全く、君も手間をかけさせるね。死なんて、"私たち"にとっては一時的な状態に過ぎないというのに。アノンもよくもまあ気づかないものだよ。無知の逆転に頼り過ぎて、自分で思考する事ができなくなっているからかな。


 "私"が死ねば、そこにいる"僕"は力を得るはずだろう? それがアディシェスの力の性質だ。では何故"僕"は"私"を殺しても変化が無いんだろうね。


 だけど……うん、都合がいい。"私"が仮死状態の今なら、強引だが外側に干渉できる。安心しなよアノン。私が帰ってきた。


『すまないが、割り込ませて貰うよ』




    ■    ■    ■




 "アディ"もアノンも、その象徴、その性質については充分に理解している。……だからこそ、あり得ないと言わざるを得なかった。予見できていたとはいえ、アノンにとってもそれはとても信じがたい事象である事は確かだった。



 死んだはずの少女が、起き上がった。

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