File9-3 Ihusonet_nisud

 ありえないものを見た"アディ"は、狂ったように叫ぶ。

「何で……何で生きてる!? 僕の"象徴"は確実にお前の心臓を貫いた! ……アノン!!!何をした!?」

「私は何もしていないさ」

 アノンは冷静に返事をしているが、それでも内心ではとても驚いている。

 起き上がった少女はまず、"アディ"とアノンを交互に見た。

「……ふうん、へえ、」

 少し邪悪な笑いを見せ、少女は二人の間に割って入る。

「お……お前……!」

 "アディ"が再び、少女に銃口を向ける。

「そのまま、動かないでね。銃も下ろして」


わかった・・・・


 "アディ"は少女の言った通り、銃を手放した。銃は地面に落ちる前に虚空へと消えた。まるで何かに強制されているかのように、彼は彼女への攻撃の意思を失った。

「しばらく黙ってて。私はアノンに話があるから」

 少女がそう言うと、"アディ"はその場に固まり、そのまま全く動かなくなった。

「さて、と。アノン、久しぶりだねぇ」

 少女がアノンに挨拶をするが、アノンは少女を警戒していた。その容姿はアディそのものであるが、今の彼女は間違いなくアディではない。


「お前は、誰だ?」


 アノンは少女に尋ねた。……尋ねたのだ。全知である彼が。

「アディシェス=アスタロト。百億年も経ったから忘れちゃった?」

 少女は虚空から巨大な鎌を取り出し、それで遊ぶように回し始める。

「その"象徴"を見るのも久しいな。だが……違う。君はアディシェスではない」

 否定した。

「根拠は?」

「アディシェスは私の代償の対象内だ。……しかし君からは知識を得られない。本当に君がアディシェスなのであれば、君の持つ知識は全て得ていなくてはならない。……私は、君を知らない。そもそも、君の大雑把な言動はアディシェスとは似ても似つかない」

 少女は鎌を手放し、アノンの方へ向き直る。

「そうかな。私はこの喋り方はアディシェスと似ていると思ってるんだけど。それと、一部不正解だよ、アノン。確かに私はアディシェスではない。アディシェスの意識が今まさに表に出ようとしていたのは本当だけどね。丁度いい機会だから割り込ませて貰ったよ。私がここにいなければ、今ここにいたのはアディシェスだった。……さて、君は私を知っている。そもそも、答えはもう君が話したじゃないか。私は代償の対象外・・・・・・だってね。そしてそれに該当する存在は、君の認知の内では三人だけ。そして更に、君は君の認知の外にそのような存在は居ないと断言できる。故に君は、私が誰なのかを推測、更には確定できる。違うかな?」

 そう。知っている。全知として彼女を知っている訳ではない。アノンが無知を失った日よりも前から、彼は彼女を知っている。しかし、あり得ない。"彼女"がこの場に現れることなど、まだフィリスやリエレアである可能性の方が高かったはずだ。


「……伊神迅いがみじん、なのか」


 天上、第一席。世界群という集合を造り、その中に無数の世界を創り、それらを観測する天上の十七席を作った張本人。


「久しぶりだね、アノン」


 少女が脱力し、その場に倒れ込む。少女から光の粒が浮き上がり、それらが合わさって一人の人間の姿を成す。


 フィリス=シャトレを一回り小さくしたような容姿。薄い肌色と長い黒髪、そして漆黒のワンピースに身を包んだ少女。神聖さは感じないはずなのだが、彼女からはどことなく特別であることを感じさせる。


「とりあえず、この時代のアディを起こそうか」




    ■    ■    ■




「……うーん、ん……?」


 誰かに呼ばれているような気がした。奇怪な弾丸に貫かれ思考が曖昧になっていく中、強制的に上へと引っ張られるような感覚。手放しかけた生を、私の意思とは関係なしに強引に掴み直す。……私の意識は完全に覚醒した。かなりの時間が経過しているはずだが、私はこの時間を一瞬に感じた。


 目覚めた私は周囲を見渡す。先程まで私がいた店の景色だが、同じ景色がどこまでも続いている。そして私の周りにはアノンと、フィリスに似た見知らぬ少女。私を撃った少年の姿は無い。胸元を見ると、傷は消えていた。

「……フィリス、さん? じゃ、ないよね?」

 少女を見て、私は尋ねた。

「私がフィリスに似ているのは偶然じゃないよ。逆さ。フィリスの方が私に似せて容姿を整えているんだ」

 彼女の正体について、一つの推測が立った。

「迅、さん?」

 彼女が指を鳴らす素ぶりを見せる。……音は鳴らなかったが、途端に景色が畳まれる。真っ黒な空間に、私と彼女の二人と、白い椅子がひとつだけ。アノンの姿はない。

「初めまして、だね。私は伊神迅。君の知っている通りの人間で間違いない」

 彼女は否定しない。正解のようだった。全ての始まりであり、全ての元凶でもある彼女が、今目の前にいる。不思議な感覚だった。容姿も仕草も普通の少女のはずなのに、普通ではない、私やこの世界とは存在している場所が違うと思わされる。言葉では説明する事のできない相違がある。


 ――何を、訊くべきなのだろうか。


 いずれ伊神迅には会うべきだとは思っていたが、いざ目の前に現れると言葉が出てこない。それでもなんとか、必死に言葉を紡ぐ。

「……リエレアさんが、あなたを探していました」

「ああ、知ってる」

「ジオさんが死んで」

「それも知ってるよ」

「テセラクトさんが暴れて、それを止めて」

「そうだね」

「あなたは。…………あなたは、どうして現れなかったんですか!!」

 叫んだ。

「あの場所にいれば!! あなたが現れてくれれば! もっといい結末が迎えられていたはず……だったんじゃないですか……」

 他にも多くある。私が救えなかった世界が沢山ある。救えなかった人が、沢山いる。

「……フランちゃんだって、救えていたはず……なのに……。あなたは……、あなたは、何がしたいんですか……」

 その場に崩れた。私には彼女が理解できない。ただ見ていただけの彼女を、……世界の頂点に座す彼女を、信用できない。


 顔を上げる。伊神迅を凝視する。彼女を、見る。彼女の答えを確認する為に。


 そこにあったものは、笑顔。それは宥める為のものではない。貶す為のものでもない。その表情は彼女だけの、まるで探していたものを見つけたかのような、そんな笑顔。そんな表情を、彼女は私に向けている。ぞっとした。私たちとは価値観が到底が違うのだと、改めて感じさせる。不思議と怒りは無かった。呆れも無かった。どんな気持ちになればいいのか、わからないだけなのかもしれない。


「――いい。とても、いい。そうだ。私はずっと、君のような人間を求めていた。……ああ、なんて気分だ。一体何が君をそうさせた? わからない。わからない? ……ようやく、出逢えた」

「何を……言っているんですか」

 迅は少し落ち着き、椅子に座り足を組む。

「私はこの世界を造った。全て私の想像通りに、あらゆる事象が私の想定通りに動く。ではなぜ私は、そんなつまらない世界を作ったのだと思う?」

「それは……」

 言いかけて。でも、止まって。……しかしその直後、答えは浮かんでくる。

「……私は、あなたにとっての想定外。そういう事、なんですね」

「私の目的はその延長上にあるけどね。でもまあ、概ね正解だよ。私は私が作った世界で"想定外"に遭遇したかった。それが、私がこんなにもくどい方法を取っている理由だ。そして今、君がそれに該当する可能性がある」

 私を指差し、彼女はそう言った。

「先程の質問に答えよう。何故私が現れなかったか。その答えは単純だよ。私だからだ。私だけは、私の造物の問題に手を出してはいけなかった」

「それは、どうして……?」

「私であれば、全てに変更を促す事ができる。それこそ、私の思うままに、本当に全てが。新たに世界を作る事も容易いし、……君の友人だった、あの少女を今ここに蘇らせる事も造作もないだろう。記憶も君の都合のいいように作り直せさえする」

「……それ、は」

 その名前はすぐに浮かぶ。フランシスカ。私が救えなかった少女。彼女は、迅の意思ひとつで簡単に蘇る。

「だがそれは違う。それはだれしもが望むことではない。私は常に、その結果に至るまでの多大な困難や苦痛を踏み躙る事ができてしまう。強引に矯正できてしまう。私が介入してしまえば、そこで起こる問題は全て限りなく最適な形で解決されてしまう。それでは駄目なんだよ」

 理解できる。理解した上で、解決策などない事もわかってしまう。

「全ての世界を誰もが望むように改変した場合、その世界はどんな姿をしているか。随分と簡単な問いだけど、答えはこうだ。"意思を持たない世界"、それに他ならない。そんな世界、生命が居ないのと同じだ。全てが思い通りになる事がどれほどつまらないかはわかりきっているだろう? 私はね、困難を乗り越え、制約を乗り越え、……そして私の地位へと達してくれる存在を探していた。それに関してはテセラクト=コロンは実に惜しい要素だったよ。実在するはずのない物質の存在に独力で気づき、それを我が物にした。観測できるはずのない高次元を観測し、干渉した。ガルディーニャの制裁から生き延びた。イブから天上の力を強引に奪い、新たな第八席へと成った。ただの人間の一人としてしか設定しなかった存在が、ここまでやってのけたんだ。この私から賞賛を与えるよ。……でもあと少し、あと少しだけ足りなかった。アノンの制裁すらも耐えてしまっていたら、……ああ、間違いなく私の領域に達していただろう。本当に、惜しかった。……でも残念だよ。そこまでしてもなお、私の目的には程遠い」

 先の世界で、伊神迅は一言だけ台詞を残した。その答え合わせが、今行われた。

「……どうして、私があなたの想定外なんですか」

 疑問だった。テセラクトは違くて、私がそうである理由がわからない。

「簡単さ。君は私を否定した。それだけの話だよ」


 ……あ。


 理解を、した。


「誰もが私の指示に従ってしまう。私に届きそうだったテセラクトも、君を撃ったあの"アディ"も、私が言葉を発するだけでその通りになってしまう。アノンもそうだ。誰も私を否定できない。当然だろう? 君ら全員は私が造ったんだからね」

「じゃあ、私は……」

「そうだね。アディ、今すぐにその権能を私に返上してくれないかい?」

「……なんで?」

「こういう事だ。理解したかな?」

 確かに、今私は彼女の突拍子もない発言を疑った。しかし違う。本来であれば疑いもせずに彼女に力を譲渡していた、という事だ。そうでなければいけないのだ。

「私は、何……?」

「気が付いているはずだ。君は普通の人間ではない。かつて私はね、君の異常性を観測した後、こことは違う世界群を幾つか作ってみたんだ。初期値をこの世界群と同様にし、君という存在を七十五代目のアディとして何度も昇華させた。……だが駄目だった。計九百七万六千個の世界群を作り、そのうち四十個の世界で君に権能を与える事に成功したが、そのどれもが私を否定しなかった」

 当たり前のように、スケールの違う話を聞かされる。圧巻する間もなく、目の前の"創造主"は次の造化を語る。

「この世界群の過去を切り取って新たな世界群として分岐させた事もある。これも結果は同じだ。どの位置で分岐させても、君は異常性を見せなかった。……たった今、つい数分前の世界でも試したよ。それなのに、世界を複製した途端、そちらの世界から君の異常性が失われた」

 今こうして会話している間も、彼女は世界を創造し続けている。

「さて、そんな異常性を持つ君を見て、私は一つ考えたんだ」

 迅が一歩、私の方へと踏み出す。私は反射的に一歩後退ってしまった。迅はそこで足を止め、軽く苦笑いをする。

「なに、簡単な事さ。私は異常である君に、私が最初に造った人間の願いを叶えて欲しいんだ」

「最初の……?」

 彼女が造った一人目。そして私は、その名を聞いた。




「アノンを、殺してくれないかな」

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救済代行屋 根道洸 @Kou_A

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