C9 紫を継ぐ者
File9-1 Esiywnut
高く聳えるビルの最上階にある、高級そうな飲食店。その窓際の席に、私とアノンはいた。他に客はおらず、アノンが読んでいる本の紙を捲る音しか聞こえない。
「そういえばさっきの世界、フィリスさんが居なかったね」
フィリスの気配は察知できるようになった。そしてこの世界にも、フィリスの姿はない。
「リエレアの所為だな。いや、フィリス自身が原因ではあるのだが……」
「どういうこと?」
アノンは読んでいる本を畳み、私の方を向いた。
「第二席が持つ例外だ。継承者であるリエレアのいる世界に、フィリスは入る事ができない。……今ではそんな制約は無いはずなのだが、フィリスがリエレアによって中心の世界から消された後、リエレアが世界を離れてもなおフィリスが戻ってくる事は無かった」
「アノンとフィリスさんみたいな関係なんだね」
「それよりも余程厳しいがな。リエレアは、フィリスに一度も会った事がない」
「いつか、合わせてあげたいね」
「……そうだな。それが叶うならの話だが」
店員が、水が入ったグラスをトレンチに乗せてやってきた。丁寧に私たちの前に提供すると、静かに去っていく。
「ところでアノン」
「……質問か。答えよう」
彼は私がこれからする質問の内容を理解している。それ故に、私が聞き出さなくても彼は答える事ができる。
「十七席に属する人間は、一つ"自分の世界"を持つ事が多い。大抵は自らが生まれた世界を特別視する傾向にある。ティフシスやジオのような変わり者もいるが」
「それで、私が聞きたいのはこの世界が一体何なのかって事なんだけど」
「そう急かすな。……この世界は、第三席が管理しているものだ」
それを聞いて、私はすこしだけため息をついた。
「やっぱり。だって変なんだもん。この世界、全部が私たちにとって都合のいいようにできてる。流石に気づくよ。フィリスさんもいないし。……もう一つ質問いい?」
「構わない」
アノンは今回はすぐに答えを言わない。次に私がする質問は、私が彼に直接尋ねる事に意味があるような気がする。
「もしかして、初代のアディシェスさんの頃から辿って、全ての世界を渡り終えたんじゃないかな」
「その通りだ。訂正はあるが」
私は水を少し飲んだ。
「……変な味」
「柑橘系の香りが混ざっている。嫌いか?」
「いや、好きだよ」
「私は嫌いだった」
「……?」
アノンは提供された水を全く飲まない。
「先程まで我々がいた、中心の世界。あれを訪れたのは二度目だ」
「知ってる。みんな言ってたね」
「その少し前からだ。アディが二十三代目だった頃、我々は世界の選別と救済を始めた。そして今、我々は全ての世界を巡り終えている」
「それって……」
「ああ。今残っている世界は全て十七席が管理しているか、もしくは二度目の停滞が起こっていない世界だ」
決して進まない世界を閉ざす。停滞している世界を進ませる。私たちがやってきたのは、主にこの二つ。
「どれくらい残ってるのかな」
「三桁も無いだろう。早期に自壊した世界がほとんどだったとはいえ、我々は数垓個あった世界をここまで減らしたのだ。……ああ、長かった」
そう語るアノンには少しばかり私情が挟まっているような気がした。
「……アノン、私たち、これからどうするのかな」
「もう一周、世界群を巡るだろう。二度目の停滞の対処をフィリスに任せているとはいえ、幾つかは停滞したまま残っているだろうからな。それでも今までの旅路に比べれば無いようなものだ」
かつて私は、フィリスによって停滞を維持されている世界に遭遇している。アノンが彼女を信用していないのも納得できる。
「それにしても知らなかったよ。こんな世界があったなんて」
「この世界に辿り着いたのは初代と二十五代目のみだ。この世界も普通の世界と同様に、あらゆる世界と並行して存在している」
「ちょっと得した気分だね。アノン、観光してきてもいい?」
「そうだな。しばらく休むといい。私は……伊神迅への通信手段を考えてみるとしよう」
私は立ち上がり、出口の方を向く。
その瞬間、私の心臓を何かが穿った。
「あ……え…………?」
否。私の胸元から弾丸が逆向きに飛び出した。まるで逆再生を見ているように。
あまりにも唐突に。あまりにも一瞬で。心臓があった部分を中心に、全身に熱さが広がる。全身から力が抜ける。私は後ろに倒れた。
意識を手放す直前、私は少し離れたところに立っている、小さな紫の拳銃を構えた白い少年の姿を目にした。私から飛び出た弾丸は、彼の持つ拳銃の銃口に収まった。
わかる。わかってしまう。
あれは、"私"だ。
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