File8-8 未だ物語は綴じられず」

 ソフィアが自らの左胸に手を突っ込み、……そして体内から一本の剣状の水晶を取り出した。

「"水の剣"。あなたが持っている事は知っていましたが〜、あなた、相当狂っていますねえ〜。まさかその剣を自らの心臓代わりにしていたなんて。でも大丈夫です?」

「心臓は要らない。代用は幾らでも思いつく」

 剣を上に突き上げると、一瞬で空が曇り、雪が降り始める。

「……へぇ、私も本気にならないといけないみたいですねぇ」

 常に温厚な態度だったテセラクトが、邪悪な笑いを見せる。今から始まるのは、紛れもなく対等な決闘。天上の力を有す者同士のぶつかり合い。……そこに私の介入する余地など、ありはしない。私はただ、二人の行末を見守るだけ。


 先に動いたのはソフィアだった。ソフィアは一瞬でテセラクトの後ろに回り込み、剣でテセラクトの首を貫く。……貫かれたはずのテセラクトは、表情を変えない。

「知らない技か、私が視認できない程に素早い技。ええなるほど、あなたは今、私の権能を警戒している。私の力を恐れて普段の力を抑えていますねぇ〜。それならば私にも勝機があります〜」

 自らの首を貫通する剣の鋒を掴もうとしたが、それよりも早くソフィアは剣を引き抜き、今度は切断する。……が、失敗した。間違いなくテセラクトの首を斬れたはずなのに、彼女の首は繋がっている。

「……切った直後に繋ぎ合わせてる」

「ご名答ですぅ〜。昔から何度も殺されかけてるのでえ、普通の人間が即死する部位は特に一瞬で再生できるように鍛えられてるんですぅ〜。そしてぇ〜」

 一呼吸おき、テセラクトはソフィアの方を見る。

「見えました」

 瞬間、ソフィアの首を銀の剣が襲った。

「効かない」

 その程度で倒れるソフィアでもなく、首周りに氷の壁を生成し銀の剣を弾く。

「あははっ、ならそれも貰っちゃいますねぇ〜」

 テセラクトは掌の上で氷の盾を錬成し、ソフィアに見せつけた。

「防御手段を一つ失いましたねぇ〜」

「たった一つだけ。防御に使える魔法だけでも数万種はある」

 斬撃を放つ。身体が再生する。腕を伸ばす。氷壁に防がれる。私は彼女らの動きを目で追えてはいるものの、そこに混ざれる気がまるでしない。そこで繰り広げられている争いは、かつて私が見たものと同じ。アノンとジオの戦いに匹敵するような、私では到底到達できない領域のものだった。

「まだ、認められない? あなたが絢瀬朱莉に陶酔していた事実を」

 幾度となく続く争いの最中に何気なく発せられたソフィアの問いに、……意外にもテセラクトは動きを止めた。


「いいえ、認めていますよ」


 ソフィアの質問の意図はわからない。決して争いを中断しようだとか、時間を稼ごうといった意図が無いのは確かだ。ただしその問いは二人の争いを一瞬だけ中断させた。そして、テセラクトは語る。


「……ええ認めましょう、認めますとも! 絢瀬朱莉は天才だった! 私は彼女から異常だと言われてきましたが、真に異常なのは朱莉のほうですよ! 朱莉はノニウムの半分程度は理解していましたよ。でもそれが可笑しいんですよ! わかります!? そもそも普通の人間は体内にノニウムが入り込んだって気づきやしない。それなのに彼女は! 朱莉は! 自らの力で腕を自在に変形できるまでに理解していた! ……そしてそれが異常だと彼女は気づいていなかった。私が数百年の時を経て改良し続けた、私の研究の全て! それら全てをたった五年余りで理解した!? だから! だから私は朱莉が怖かった! ……怖くて、怖くて、でもそれがどうしようも無く嬉しかった! 彼女が好きだった! 愛おしささえ感じた! 彼女を大切にしたいと! ……初めて、……はじめて、そう思えたんです」


 テセラクトが指を鳴らした。

 一瞬、ただそれだけの時間で。私の見える景色が、地平線の向こうまでもが、……ありとあらゆる全てが銀色へと変化した。


「何も無かった。全てが退屈だった。だから他人を変えた。世界を変えた。"外"に接続した天上に干渉した!! ……そのどれもが! つまらなかった!! 朱莉は、何もかも退屈だった私を救ってくれた唯一だった。彼女だけが、私を満たしてくれた……!」

 テセラクトは私へと視線を移す。そしてすぐに、ソフィアへと向き直す。休憩時間は終わった。再び、闘争が始まろうとしている。

「だから私は、あらゆる未知を我が物にして朱莉を取り戻すんです」

 テセラクトが、ソフィアへと指を差す。

「単純な話でした。魔法、私はその本質を知っています。それそのものをあなたから奪えば良かったんですねぇ〜」

 合図も仕草も無い。儀式や詠唱すらない。ただテセラクトがそう考えただけ。それだけだ。……しかしそれだけで、彼女の権能は発動する。


 テセラクトはソフィアから"魔法"を奪った。


 あまりにも一瞬に、前触れもなく。ただそうするという意思のみで。

 少しの間が空き、……テセラクトが一瞬だけ痙攣し、その場に崩れた。

「……っあははっ! なんですか、なんですかなんですかなんなんですかこれ!! あなた一体幾つの魔法を扱えるんです? 数万、数億、いやいや、もっとありますねぇこれ! とんだ化け物ですぅ〜! 私でなければ情報の圧に脳が焼かれてますよ! 間違いなく! ですがぁ〜」

 体勢を崩していたテセラクトが立ち上がる。

「私、化け物なのでぇ」

 彼女の周囲に十を超える氷の剣が現れ、その鋒はソフィアへと向けられる。

「さあ使ってくださいよ、その力。天上に座す"乖離"の権能を! 見せて! 私にもっと!」

 氷の剣が、ソフィアへと襲いかかった。




    ■    ■    ■




「……私、奪いましたよね?」

 ソフィアは無傷だ。……そして彼女は、天上の権能を使っていない。

「なんですか? その"魔法"」

 剣を防いだのは、虚空から生えた一本の太い氷柱。

「第二類の魔法。これは氷柱の周囲の時間を遅らせるもの」

 氷の剣は、全て氷柱の近くで静止している。

「貴女が奪ったものは第一類の魔法のみ。全ては奪われていない」

「……この世界の魔法にそんな区分があったんですねぇ。それは奪えない訳ですぅ」

「第二類以上の魔法は、私以外誰も扱えなかった。それほど常識を逸脱していたから。貴女は、私から魔法の全てを奪えない」

「普段から使っていなかった。だから私はその魔法があることすら知らず、奪えなかったという事ですねぇ」

 ソフィアが腕を軽く振る。それだけで、世界・・に亀裂ができた。

「消えて、テセラクト」


 直後、テセラクトの"脳"にあたる部分が、未知の力によって引き裂かれた。テセラクトを形作っていたものは、解けて銀の地面へと消えた。


「っ……」

 直後、ソフィアの左耳から血が噴き出る。

「ソフィアさん!?」

「……ただの反動。大丈夫、気に、しないで……。それよりも……」

 ソフィアが先程までテセラクトが立っていた場所を睨みつける。


「まだ、終わってない」



 その一言が、どれ程残酷なものか。……テセラクトは、まだ生きている。ソフィアはそう告げている。


 地面が揺らいだ。先程までテセラクトが立っていた地面が盛り上がり、銀は人の姿を成す。……紛れもない。テセラクトがそこにいた。

「あ〜、あー、あははっ!? 化け物? あなた相当なバケモノですよ! 何です? 何なんです? どうして"私の核"の場所を正確に攻撃できるんです???」

「……脳を刻んだはずなのだけれど」

「脳くらい脳が無くても作れますぅ〜」


 化け物。テセラクトという生命体の部位が少しでも残っている限り、彼女はそこを起点に脳を生成する。そして、辺り一面には銀。……すなわち今目の前に広がっている光景は全て、テセラクトの体の一部。


「わかりません、わかりませんわかりませんわかりません!!! なんですかその"魔法"?? 第一類がまるで玩具ですよ! でもぉ、反動が凄いですよねぇ、それ」

 地面から生えた銀の棘を、ソフィアはギリギリのところで避ける。

「……ちっ」

 ソフィアは空中に氷の足場を出現させ、そこに飛び乗る。直後、その足場から素早く跳躍した。同時に足場は銀の棘によって破壊される。


 しばらく攻防が続くが、ソフィアが防戦一方だ。反動の強い魔法を何度も控えめに撃っているのがわかる。

 ソフィアが、押されている。このままでは時間の問題だろう。


『何も、しないの?』


 内なる声。それは唐突に、私の声で呟かれた。


「アディシェス?」


 いや違う。これは私の意思。私の深層から私に向けた罵倒。


『見てるだけ?』


 ――うるさいな。黙っててよ。


『本当に、それでいいの?』




「……いいわけ、ないでしょ!!!」




 ただの言い訳だ。あの戦いを本当は全部見えていた。解っていた。ただ私は、天上と戦う事を恐れていたのだ。だから、……必死に、必死に、わからない振りをしていた。「あの場所に私は届かない」と暗示をかけていた。だが、今はもう違う。理由、そんなものはない。直感だ。ただの直感が、私を動かしている。

「私の直感はね、当たるの」

 私自身を鼓舞する。未だ天の上に届く力が交錯する地に、私は強引に割り込んだ。複数の氷の剣を一本の紫の細剣を投げて纏めて砕き、黄金の剣で銀の爪の軌道を全て逸らす。続けてソフィアを抱えて跳び、銀の地面に着地する。その直前に紫の細剣を着地点に投げており、その周囲のみ銀が消えていた。

 私はソフィアを降ろし、細剣を引き抜く。


「ソフィアさん。そこで黙って見てて」

「アディ……?」


 ソフィアから視線を外し、テセラクトを睨む。どちらの味方につくか。そんなもの、悩むまでもない。

「第三席とはいえ継承者であるあなたと、第八席そのものである私。流石にあなたでは私には勝てないと思いますけど〜?」

「勝てるか勝てないかじゃないよ。私は私がこうするべきだって思ったからあなたを止めるの」

「……まあまあまあ、そうですよね。きっとあなたから見れば私は悪で、……いいえ違いますねぇ。きっと誰から見ても、今の私は紛れもない"極悪"なんでしょうねぇ?」

「知らないよ、そんなこと。本来なら私の方が悪い人なのかもしれない。でもね、私はいまここで、あなたを倒さなきゃいけないんだと思う。あなたを放置したら、……きっと幾つもの世界が大変な事になる」

「そうですねぇ。世界は幾つか犠牲になっちゃいますう〜。でもでもぉ、そも、ですよ? あなたに何ができるんです?」

「できるよ。私は第三席の継承者で、救済代行屋。私なら、あなたを止められる。……あなたを、救える」

 私には何もできない? そんなこと、誰が決めた。

 そうだ。私には"この力"がある。私を欺し、私を今の私にし、私の名を定義させた"彼女"から受け取った力。天上の力は後天的なもの。それならば、私の力で"奪う"事ができるはずだ。かつて雪山の世界で悪魔の力を奪ったように。

「救う、ですか。……なら縋りましょうか! 私の空白を! あなたの力で取り戻す為に!」

「奪い合いだね。あなたが持つ第八の権能は"奪取"。奪うことに関しては他に類を見ない。……でも、負けてあげるつもりもない!!」

 私は一瞬でテセラクトの眼前まで跳躍し、彼女の首を握り締める。

「……あはっ、あなたも奪う力を持ってるんですねぇ〜。その力の理屈を考えた事はあります?」

「無いよ、そんなこと」

「私はこの"奪取"の権能を理解しています〜。何故"代償"などという低俗なシステムが存在するのかも、ですね」

 哀。今のテセラクトは、ひどく窶れている。彼女はその席に登るにあたり、彼女が最も大切にしていたもの――絢瀬朱莉という人間を失った。自暴自棄、という状態に彼女が陥るのかは未知だが、今の彼女にはその言葉が最も似合うことだろう。

「代償、ああ、酷いシステムですねえ。だから私は、……超克する。どんな手段を使ってでも取り戻しますよお〜、必ず」

 テセラクトが自らの首を切断した。思わず彼女の首から手を離してしまうが、それは悪手だと気付かされる。ノニウム体である彼女は何処を斬られても死なないのだ。やがてすぐに、地面に散ったノニウム体たちが集まりテセラクトの身体を再構築していく。

「争いは無駄ですよお〜。あなたは私の力を奪えない。私はあなたを解析できる。ほら、この争いの結末はおよそ決まっていますぅ〜」

 そう。この争いに意味はない。彼女の言う通り、私はテセラクトから力を奪う事は出来ないだろう。

「でもねテセラクトさん。あなたも私の力を奪えない」

 しかし、断言する。

「何故そんな事が言えるか、わからないよね。教えてあげる」

 一歩後ろへ跳び、まだ銀の侵食を受けていない錆鉄の街灯の上に着地する。


「私ね、……第三席の権能を知らないの」


 第二席は"垓化"、第八席は"奪取"、そして第十二席は"転写"。十七席に属する人間は特別な権能を一つ持ち、その継承者も権能の一部を得る。しかし私は、アノンから貰った権能の名も、その力の内容も知らない。

「私ですら知らないんだ。テセラクトさんが知ってるわけないよね。知れるわけ、ないよね」

「……滅茶苦茶ですねえ。今まであなたはずっと、そんな得体の知れない力を振るっていたんです?」

「そうだよ。この奪う力も権能じゃない。いつかの"アディ"が偶然持ってた力の一つを継承者の力で増幅させただけに過ぎないの。でもね、私がこの力を信用してる理由はある」


 紫色の細剣を突き出し、構える。


「先代の私がこの力を信用した。それだけで充分な理由だよ」

「……あははっ。いいですよぉ、いいですねぇ〜。それならあなたも解析して、全部奪ってあげますう〜。あなたから継承者の座を奪ってそのまま第三席アノンを殺してっ! 私はその先に到達する! ああなんて素晴らしいっ!」


 私が乗っている街灯が銀の侵食を受ける。私は急いで街灯から飛んだ。

「ロナ!!」

 私が叫ぶと、私の真下に氷で出来た小さな足場が現れる。私はその上に着地した。

「七十四人分の"私"が、今の私を形作っているの。……私は、強いよ」

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