File8-6 代償の否定、宣告の甘受」

 絢瀬朱莉が死んでいる。テセラクトがそれを理解するのに時間は必要としなかった。目の前の人間が生きているか死んでいるか。今まで幾度となく人間を観察してきたテセラクトはそれを見るだけで判別できる。その才が仇になったと言うべきか、彼女は朱莉が死んでいるという事実を否定できなかったのだ。

 私も同じだ。倒れている絢瀬朱莉を、生きている人間として識別できない。信じられなかった。完全に意識の外にいた。この状況下で、絢瀬朱莉が死んでいるかもしれない、という考えに至る事などできるはずがない。

「私は殺していない」

 ソフィアは彼女自身が疑われる可能性を察知し、事前にテセラクトに牽制する。テセラクトも、ソフィアが朱莉を殺すなどとは考えていないだろうが。

「朱莉、さん……? 一体何故……?」

 誰もが疑問に思っていたこの惨状だが、私はひとつ、心当たりがあった。

「代償」

 一歩前へ出て、私は彼女らに告げる。

「十七席に登るには、自らが最も大切にしているものや信念を恒久的に失う。……テセラクトさんにとって、朱莉さんはそれほど大切な人だったんだ」

 テセラクトが天上の力を得る事により、絢瀬朱莉はその代償に選ばれた。

「そんな……そんなはずは、ありませんよ……? 私の信念は言わば探究心。仮に取られるとするならば、それを……」

 動揺している。彼女は認めたくなかったが、天上の法則は彼女に真実を告げてしまっている。他に、テセラクトが何かを失ったようには見えない。



「_認めてください、テセラクトさん。天上の力はあなたの意思の元、代償として絢瀬朱莉を選択しました」



 私の知らない声がした。声のする方を向くと、そこに立っていたのは一人の少女。背は小さく、大人しそうな佇まいだ。……そして、私は彼女を人間と認識できていない。だからこそ、私は彼女が何者なのかおおよその予想がつく。

「……イブ。どうして生きているんです?」

 テセラクトが呼んだその名前には心当たりがある。先程まで戦っていた巨大な肉の塔であり、元第八席であり、朱莉とテセラクトにより生み出された人口生命。先程までの暴走していた塔とは打って変わり、どうやら正常に戻っているようだった。彼女が私を見た。

「_初めまして、第三席の継承者アディ。私は絢瀬朱莉に造られた人口生命、イブ。何故、私が生きているかの説明をしましょう。私の死の定義は曖昧です。絢瀬朱莉は私のプログラムが破損した際、いつでもバックアップを取れるようにしていました。恐らく、まだバックアップが有効な段階で既に世界からイブは死んだと認識されたのでしょう。……先程までの私との連続性は途絶えている為、私が先のイブと全くの別物である可能性もありますが」

 前任が死ぬ事でしか権能は継承されない。絶対のルールを、彼女は超越した。

「_そして、絢瀬朱莉、それからあなたたちに感謝を。第十五席であるティフシスレインにより私のプログラムは書き換えられていました。終末人形による人類史の終了が執行されなかった場合、新たな"神災"として目覚めるように」

「神災?」

 聞き慣れない単語だ。私の質問には、ソフィアが返す。

「第十五席が世界を壊す実験の為にこの世界に齎した災害のこと。終末人形が九番目。そしてティフシスレインは十番目にイブを選択した」

 解説しているソフィアはとても厭そうな顔をしていた。彼女は何度も時間をやり直している。神災との因果は容易に推測できた。

 イブがテセラクトの方を向く。

「_テセラクト=コロン。私はあなたに復讐しなくてはいけません。私の親である絢瀬朱莉を殺したのは、紛れもなく貴女ですから」

「それで、できるんです?」

 文面こそはイブを煽るようなものだが、彼女の口調や表情からは活気が完全に消えていた。

「_不可能です。あなたも絢瀬朱莉を殺したくて殺した訳ではありません。私の任務は全て終了しました。……私はこれから、どうすればよいのでしょう」

 誰も、その答えを持ち合わせてはいない。


「_ソフィア=クラウス。あなたにも、謝らなくてはいけません」

 少しの沈黙は、再び口を開いたイブによって終了した。

「私に?」

「_私とあなたは初対面ではありません。……それだけでなく、切っても切れない関係にあります」

「……詳しく、聞かせて」


 少しの間を空け、イブは語り始める。


「_私は、人間でいたかった。人間であると世界に証明したかった。それは絢瀬朱莉の目的ではありますが、私の望みである事もまた事実です。その為に私は、この世界で家庭を持ちました。そうする事で、私を証明できると信じていました。……私の夫となった者の名は、ヴィル=クラウス」

 ソフィアは黙って聞いていた。

「……そう」

 そして、小さく相槌を打った。

「_はい。私は、あなたの母親に当たります。何故あなたは数億年もの時の流れに耐えられたのか。何故あなたは人間の限界を超えて強くなったのか。……その答えはひとつに帰結します。あなたが"第八席の娘"だからに他なりません。……私は、私だけの願いの為にあなたを産み落としてしまった」

 ソフィアが、自らの腕を見る。

「_私はノニウム体ですが、私が産んだあなたは一切のノニウムを持たず、物質的観点から定義すればあなたは純粋な人間でした。……私はあなたを産んだにも関わらず、自らの存在を解明できなかった。貰い物の力、それも天上が共通して持つものの一欠片をあなたに引き継がせる事しか、できませんでした。……本当に、ごめんなさい」


 その謝罪を、ソフィアは受け入れる事も突き放す事もできない。再び、澱んだ空気の中沈黙が始まった。




「……待って、誰か来る」


 私は空間の歪みを感知し、暗澹としていた沈黙を終わらせた。ソフィアとテセラクトも気付いたようだ。二人も周囲の警戒を始めた。

 私たちの前に紫色のゲートが現れる。中から出てきたのは、見知らぬ一人の少女だった。紫の髪、黒を基調にした制服、スリットの入った黒いスカート。そして彼女の手にあるのは先端に金具と取手に紫の水晶が嵌められている鞭のような道具。更に、少女の肩には一匹の黒猫が鎮座していた。


 強い。そう感じた。テセラクトよりも、ソフィアよりも。……彼女はきっと、アノンに匹敵する程に強いだろう。

 唯一イブだけが、現れた彼女に畏敬の念を抱いているようだった。


「_第四席、黒河雫。かつて私を第八席へと昇華させた方です」


 イブが紹介する。伊神迅、リエレア=エル、アノンの三人に次ぐ、天上の四番目。アノンに並ぶ威圧感にも納得がいく。

「久しぶり、イブ」

「_はい、雫さん。お久しぶりです」

「……そう。天上は入れ替わったのね」

 雫は私たちを一瞥すると、ソフィアへと視線を向ける。

「イブは回収させて貰うわ」

「_私はもう天上ではありませんが」

「黙ってついてきて。君の価値は私が決める」

 雫が手に持った鞭を少し動かすと、彼女の後ろに紫色のゲートが出現する。

 雫とイブが後ろを向いた直後、二人とゲートの間に銀色の爪が伸びて道を阻害した。テセラクトのものだ。

「通すと思います?」

 ソフィアもまた、扉の前の地面に巨大な氷の剣を突き刺していた。彼女も同じ考えだった。

 雫は少しだけ溜息をつくと、二人の方を見る。

「できれば敵対したくはないんだけど」

「イブをどうするつもりで?」

「君たちには関係ないよね」

「ありますう〜。イブを造ったのは"私たち"なので〜」

「でもさ、君はイブを捨てたよね。私が拾ったの。好きにしていいよね。……それとも力づくで止めるつもり? 不可能だと思うけど」

「さあ。でもでもお〜、序列は強さと関係無い事は既にイブが証明していますから〜」

 雫はため息をつき、一言。


「"Esasnot宣告"」


 瞬間、目に見えない"何か"が変わった。気持ち悪いと、未知の感覚が私に告げている。テセラクトの方を向くと、……彼女は意外にも、自らの爪を引っ込めた。

「なるほど。……第四席。なるほどなるほど。滅茶苦茶な力ですねえ、それ。なら確かに不可能ですねぇ〜」

 ソフィアも同じく、突き刺した剣を融解させる。

「私の"宣告"は法則を創る。たった今、君たちの攻撃が私に届かないという絶対の法則が誕生した」

 イブが先にゲートの中に入っていく。

「_ごめんなさい、皆さん。……またいつか、会いましょう」

 雫はイブが完全にゲートを潜ったのを確認し、無言で入ろうとする。


「まあ、待ちません?」


 テセラクトの爪が、……雫ではなく、雫の肩に乗っている黒猫を貫いた。


「あなたにはまだ、用はありますよ?」


『久しぶりだね、テセラクト=コロン』

 身体を貫かれたままの黒猫が喋った。

『あの時とは見違える程だ。もはや僕では君への制裁は不可能だろう。でも、まだ届いていない』

 テセラクトの爪が根本から切れ、黒猫は刺さったままの爪をそのままに雫の肩から降りた。

『君は先に帰りなよ、黒河雫。僕の用事自体は終わったけど、僕はこれから少し彼女らと話をしなくてはいけないからね』

「そうさせて貰うわ」

 雫がゲートを潜り、ゲートは閉じられた。


「あなた、名前は?」

 気になった事があり、私は黒猫に質問した。

『驚いたよ。こんな時でも、君はそんな事を尋ねられるんだね』

「そんな事じゃないよ。大切なこと」

 黒猫は少しだけ黙った後、諦めたようにため息をつく。

『天上の十七席第九、"戒律"ガルディーニャ。それが迅から与えられた僕の名だ。覚えておく必要は無いけどね』

 ……やはり、その黒猫も天上に関係のある存在だった。

「覚えておくよ。私は今まで会った人の名前は忘れないから」

『調子が狂うね。まあいいか。……さて、テセラクト。僕から一つ忠告だ』

「なんです?」

『君はこの後すぐ、確実に死ぬ』

「……それは、あなたの権能によって?」

『逆だよ。そもそも僕は君に期待しているんだ。一度は僕の"戒律"から死の運命を避けた君だからかな。寧ろ僕の権能を以て君の死を回避しようと試みたくらいだ。だから……だからこそだよ。僕の"戒律"をどれほど行使しようと、君の死を覆すには至らなかった』

 私は第九席の権能が何なのかまでは知らないが、運命を強制させる類のものである事は文脈から理解できる。

「あなたより上の席の権能がはたらいてるの?」

 横から、私は黒猫に質問した。

『その可能性はあるけど、何とも言えないね。僕の権能は案外穴が多いからね。全く、困ったものだよ』

「では、私はその運命を覆せばいいんですねえ」

『平たく言ってしまえばそうだね。これ以上は僕の言葉は不要だろう。僕も失礼させて貰おうかな』

 黒猫はその場で少し跳ねた。黒猫の周囲の空間が歪み始め……


「ガルディーニャ」


 今まさに世界を去ろうとする黒猫を止めたのは、ソフィアだった。

『僕は君に用はないんだけど。……まあいいか、君は僕に質問があるみたいだね。聞いてあげよう』

「テセラクトが天上となった代償で、朱莉は死んだ。私の転写で過去へと時を戻した場合、朱莉はどうなる」

『代償とは第一席によって定められたルールで、人と権能を繋ぐためのものだ。例外はあるけどね。ただ時間を戻す程度の事では覆す事はできない。……つまり、過去に戻っても代償は生き返らないよ。"過去に絢瀬朱莉が生きていた"という事実よりも、"テセラクト=コロンが代償として絢瀬朱莉を失った"という事実の方が優先されるからね。僕が答えなくても、予想はできていただろう?』

 ソフィアは無表情のままだった。ガルディーニャの言う通り、予想していたのだろう。黒猫の言葉を聞き、ソフィアは更に質問をする。

「もう一つ。今ここでテセラクトを殺してから過去へ戻った場合、朱莉はどうなる」

『まあ、"生き返る"んじゃないかな。本当はこの言い方は正しくないんだけどね』

「……そう」

 ソフィアがテセラクトの方を向いた。テセラクトは表情を変えない。

『他にはあるかい?』

「無いと理解しているのでしょう?」

『そうだね。それじゃあ僕も失礼させて貰おうかな』

 黒猫の周囲の空間が歪み、次の瞬間にはそこに黒猫の姿は無かった。




    ■    ■    ■




 再び、私とソフィアとテセラクトの三人になる。

「さて」

 静寂を破ったのは、やはりテセラクト。私たちに背を向け、両手を広げ、空を仰ぐ。まるで演説するかのように語る。

「私は、為さねばなりません。探究を、解明を。この世界の真理を掴むまで。朱莉と共にあれば届くはずだった、その先へ。だから今は……、何でもいい、力が、欲しい」

 テセラクトが、ソフィアの方を向いた。自らの腕を銀色に変色させ、爪を伸ばす。

「……貴女は危険過ぎる。ここで仕留める」

 ソフィアもまた、テセラクトへ氷の剣を向ける。

「私は一方的にあなたに攻撃できる。あなたは私を殺す方法を知らない。……あなたに私は止められませんよお」

 テセラクトが素早く腕を動かし、銀の爪をソフィアの心臓目掛けて突き刺した。




「……なん、です? それ」




 声を発したのは、攻撃を仕掛けたテセラクト。彼女の攻撃は、ソフィアに届かなかった。まるで透明な壁があるかのように、銀の爪はソフィアの目の前で止まっていた。

「……知らないですよ、それは」

「そのはず。これを使うのは初めて」

「違いますう〜。私が今更見たことない技に驚く訳ないじゃないですか。……解析できない。あらゆる法則を無視している。何なんです? その力は?」

 テセラクトが爪を引っ込めようとしとした瞬間、爪は根本から綺麗に切断された。

「!?」


「"乖離"」


 一言、ソフィアはそう言った。

「それは……」

「天上の第十五席。かつてこの世界に神災を齎した元凶、ティフシスレインから、私は乖離の権能を受け継いでいる」

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