File8-5 陥没、昇華」

 私と朱莉は天上の第八席である肉の塔の目の前まで辿り着いた。塔からの攻撃は無い。誰の力も奪われていない。誰も負傷していない。当初予定していた通り、完璧な展開。そして、私は今から計画の最後のピースを埋める。

「アディちゃん、ありがとね。もう離れていいよ」

 朱莉が私に言った。塔との対話が可能となれば、塔にとってこの場で最も危険な存在である私は居ない方がいい。私は塔から離れた。これで、手順は踏み終わった。念の為、塔が急に朱莉に攻撃を仕掛けてもいつでも対応できるようにはしてある。ソフィアも同じくそのあたりは意識しているだろう。

 対話が始まるかと思われたが、朱莉が取った行動は違った。


 朱莉は白衣のポケットから小さな機器を取り出し、――それを塔の壁に突き刺した。

「解析開始。大丈夫、今度・・は失敗しない」

 一瞬、塔が嗚咽を吐き出した。しかしすぐにそれは止み、全身の動きを止める。……塔は微動だにしない。

「待ってソフィアさん、何かおかしい」

 違和感を感じる。全てが想定通りに動いているはずなのに、このままではいけないと未知の感覚が告げている。ソフィアも険しそうな表情を見せていた。彼女も気付いているのだ。"このまま朱莉のする事を傍観していてはいけない"と。

 しかし、動けなかった。悪い予感はあくまでも可能性でしかない。憶測で朱莉を止めれば、それこそ今までの手順を水の泡にする可能性がある。それだけではない。きっと、"失敗しても初めからやり直せる"という保険が、私たちを止めているのだ。


 朱莉が機器から手を離し、そして一歩下がる。


「解析、完了。ああ、なんだ。……あなただったのね」

 朱莉は安堵の表情を見せる。その後、彼女は再びその肉塊に触れ目を閉じた。


 そして、その名を呼ぶ。



「"イブ"」



 直後、朱莉の周囲から数本の腕が生え、朱莉を掴むと肉塊の内側へと強引に引き摺り込んだ。一瞬の出来事だった。



「……おい、ソフィア」

 アスミが、恐る恐る声を上げる。計画が、全て台無しだ。

「そう。私はずっと勘違いをしていた。あれは朱莉の失敗作ではない。……彼女が造った最高傑作、イブ」

 ソフィアは無表情だったが、それでも悔しそうなのが伝わってくる。

 塔に複数の小さな亀裂が走る。全ての亀裂から目が開かれ、それら全てで私とソフィアを見つめる。

「どうするんだよ。斬って取り戻すか?」

「計画は失敗。転写を行使する。アディ、世界の上書きに巻き込まれないように貴女は世界の外へ出て」


「待って」


 私は権能を行使しようとしたソフィアを止めた。

「まだ中にいる。少しも弱まってない。朱莉さんは生きてるよ」

 生きている人間の位置は確認できる。塔の中にはまだ人間の反応があった。それは確かに朱莉のものだ。

「……まだ、見守っておくべきだと思う」

 突如、塔の表面が不自然に波打った。同時に、塔のあらゆる口から悲鳴が鳴り響く。まるで痛みに耐えているかのような、行き場のない苦痛を叫びで掻き消しているような。新たに多くの腕が生え、直ぐに根元から千切れる。目や口が次々に開き、裂け、再び開く。

「おいおい、今度は何だ?」

 塔の頂点付近が大きく裂け、無数の部位を削るように新たな口が開かれた。そしてその中から、勢いよく数本の腕が現れる。その中に意識の無い朱莉がいた。

 空中に投げ飛ばされそうになった瞬間、朱莉は目を覚ましすかさず塔から生えた腕の一本を掴む。


「テセラクトっ!!!!」


 全力で、朱莉が叫ぶ。直後、地面が銀色に変色し隆起した。私たちは巻き込まれないように数十メートル程後方へと飛び退く。それらの地面は塔を包み込むように、まるで花弁のような形を作りながら抉れていった。銀の花弁は完全に塔を包み込み、その頂点にはいつのまにかテセラクトの姿があった。彼女の下半身は隆起した銀の花弁に繋がっており、私は花弁全てが彼女のノニウムで出来ているものだと理解した。テセラクトはこうなる事を見越して、予め準備していたのだ。

 彼女はそのまま、丁度その位置にいる朱莉を塔の腕から引き剥がす。塔も黙ってはおらず、奇妙な叫び声と共に塔が膨れ上がり銀の花弁を押し返そうとする。……だけではない。銀に触れた部分から、それらが混ざっていく。お互いのノニウムを奪い合っているのだ。

「まあ、そうですよねえ。あなたに侵食しようとすれば、あなたは当然反発しますう〜。でも残念、相手の事はよく知っておくべきですよお〜」

 塔から細い腕が伸びテセラクトを貫くが、彼女は笑ったまま自らを貫いた腕を掴む。塔の腕はテセラクトと同化し、……そしてテセラクトが少し手に力を込めると、塔の腕は逆を向き塔の目のひとつに刺さる。塔は悲痛な雄叫びを上げた。

「奪えませんよね? 操れませんよね? そうですよね? そうでしょうとも! あなたの権能は"認知し理解しているものを奪う"力ですう。あなたはノニウムの何を知っているんですか? あなたはあなたを構成する物質を原子レベルまで熟知しています? していませんよね! 無理矢理私を取り込もうとしても無駄ですよお〜、だって……」

 テセラクトが、手を叩く。

「――ノニウムを作ったのは私、そしてあなたの脳を作ったのは朱莉さんなんですから〜」

 塔が、崩れた。塔を包む銀も溶け出し、やがて戦場は平坦な大地へと落ち着いた。




「……何が、起きたの」

 塔があった場所には、人がふたり。テセラクトと朱莉だ。ひとまず、私は朱莉が無事であったことに安堵した。

「私はイブの全てを操作できるの。思考も含めてね。だから……私はイブを操って、テセラクトを第八席の継承者に任命した」

「後は簡単ですう〜。私がイブを殺せば、全て私たちの計画通り」

 第八の権能の継承。誰にも、それこそソフィアさえも知らなかったであろうその計画は、たった今完遂された。

「……まさか、今のテセラクトさんって……」


 継承者が十七席を殺した。それはつまり。


「ええ〜。改めて、私が新たな第八席。"奪取"の権能を持つ者。テセラクト=コロンですう〜」


 塔の残骸から、凄まじい力が流れるのを感じた。それらはテセラクトへと集結し、彼女の内側へと潜り込む。この瞬間、天上がひとり、入れ替わった。




    ■    ■    ■




 対峙するだけでわかる。私の前に立っているテセラクトは、先程までの彼女とはまるで違う。外見こそ変わらないものの、私よりも格上であるかのような錯覚さえ覚えてしまう。……そしてそれは事実だろう。今の彼女は十七席の第八。かつて私が戦闘を目で追う事さえできなかった、あのジオ=ズールよりも序列が上の権能を手にしている。

「どうして、こんな事を……?」

 訊かざるを得ない。一体何故、天上と一切の関わりを持たないはずの彼女が、天上の座を獲ろう等という思考に至れるのか。

「私は科学者ですう〜。真理への追求は、例えどのような状況でも忘れてはいけません〜。そして私は今、私が追い求めてきた真理へと、また一歩足を進めました〜。大きな一歩ですぅ〜」

 理由など無い。ただ先へと進む。未知を解き明かす。それだけの信念をもって、テセラクトは遂に辿り着いてしまったのだ。


「……"転写"を行使する。アディ、急いでこの世界から離れて」


「ああ、過去に戻るのは無駄ですよ?」

 釘を刺すように、テセラクトはソフィアに対して忠告する。

「何故あなたは何度遡行しても私たちの計画に気付けなかったのかわかります? 何故私はアレがイブであると確信を持っていたのかわかります? さらに言えば……私はあなたが私たちの計画を知らない事も確信していました〜。単純ですよお〜。あなたの力はこの世界の過去を今の一点に"転写"するもの。つまりい〜、世界の外側の時間は戻っていないわけですう〜。そして私は、世界の外側を認識している。さらには外側に"私"の一部を置いてる訳ですねえ〜。なのでぇ〜」

 上機嫌に、テセラクトはその場で回り始める。

「私は、あなたが消した未来の記憶を全て呼び戻す事ができますう〜」

 テセラクトの独白は止まらない。

「さて……それでもお〜、逃げられちゃうと厄介なので貰っておきますね〜」

「天上の力は奪えないはず」

「ええ、ええ、あなたはそう思ってますよねえ〜。十七席由来の力は奪えない。確かに確かに。ですがそれは誤りですう〜。単純に、この力の持ち主が十七席の力を理解できていなかっただけですよお〜。ですのでえ〜」

 踊っていたテセラクトが動きを止め、ソフィアの方を見る。瞬間、ソフィアが先に動き、テセラクトの身体をバラバラにした。肉片が地面へと落ちるが、それらは混ざり合い、再びテセラクトの形を成す。

「……ちっ」

「無駄ですう〜。脳さえ残っていれば無限に再生できるのでぇ〜」

 そして彼女の脳がここには無い事も、きっとソフィアは理解しているだろう。


 咄嗟に、ソフィアは紫色のゲートを出現させ、アスミを掴んでゲートへと放り投げた。

「いい判断ですねえ〜。でも、あなたは逃げなくて良かったんです?」

 ゲートは既に閉じられた。テセラクトと対峙しているのは、私とソフィアのみ。


「"Enibeaz《奪取》"」


 テセラクトが唱える。瞬間、私はソフィアから何かが消えるのを感じ取った。

「……盗られた」

「っはは、あははっ! 成功しちゃいましたあ! "転写"の力、頂いちゃいますねえ〜! まあ、私は今の時間に満足してしまっているのでぇ〜この権能を使う事はないんですけどぉ〜」

「……そう。あなたにとってこの力は厄介だったの」

「当然ですう〜。過去に戻られたら何が起こるかわかりませんから〜。計画を崩しかねない未知の可能性を削ぐのは基本ですう〜」

「そう」

 彼女の力の源とも呼べる転写の権能。それを失ってなお、ソフィアは冷静なままだった。

「……そう。貴女、やっぱり気づいていないのね」

「何にです?」


「後ろ」


 ソフィアに言われ、テセラクトは振り返る。


「……あ………………え?」


 テセラクトはまるであり得ないものでも見たかのように、言葉が出なくなっていた。今まで散々余裕を見せつけてきた彼女が放心するほどの現象が起きていた。それは何故気付かなかったのだろうと思うほど、テセラクトにとって重要な事象。


「どう……して…………?」


 絢瀬朱莉が、死んでいた。

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