File8-4 追憶:理外の掌握、摂理の解放」
結論を述べると、朱莉とテセラクトの"人間を創造する"という計画は失敗した。朱莉の最先端の人口知能を搭載した人形をノニウム体で構築する。それは脳を含め、全てが細胞レベルで人間と何ら変わりは無い、まさに完璧な人間だった。……だが、それは動かなかった。
「失敗だね」
「失敗ですね〜」
目の前の粗大ゴミを眺め、二人は落胆する。
「あーあ、ダメかぁ……」
潔く失敗を認めはしたが、朱莉はとても残念そうに溜息をついた。
「まさか神様云々以前のところで躓くなんてね。それに原因もわからないし……」
「発想は良かったと思いますよ〜、それに、いい時間潰しにもなりました〜」
それに対し、テセラクトは何故か満足そうだった。
「いやテセラクトには予定とか色々あるでしょ」
「いえいえ〜、講義も観察もつまらないですから〜。それに、そろそろ終わりそうですう〜」
思えば、テセラクトがここまで上機嫌である事も珍しい。
「終わる? もしかして"サブプラン"の事?」
朱莉が聞くと、テセラクトは携帯端末を動かしている指の動きを止めて朱莉を見た。
サブプラン。テセラクトは日々様々な奇行に走るが、それらは自らのたった一つの目的に帰結する。先日の自殺未遂もそのうちの一つだ。
「はい〜。世界の解析、そのうちの一つ、どうしても偶然とは思えない項が一件見つかりそうなんですう〜。今はその最終確認中です〜」
今この瞬間も、テセラクトは"演算"をしている事を朱莉は理解している。それが何なのかまでは知らないが。
「危ない話じゃないでしょうね……」
「危ない話ですよお?」
テセラクト=コロンという女性はかなり危険な人間であり、天才と言うよりかはむしろ天災の銘の方が似合うだろう。ノニウムの発見とその活用により世界の文明を進めたが、その理論はテセラクト以外の人間は一割すら理解できず、そもそも開発の過程で不当な人体実験により何度も逮捕されている。
「書類送検が六回、禁錮が計十八年に、……被死刑執行が二回。ほんと、ちゃんと死んでればよかったのにって今でも思うよ」
新たな執行方式を導入し早百年、死刑を執行してもなお生きていた人間はテセラクトが初だった。
「酷いですぅ〜」
テセラクトは過去二回死刑判決を受けている。……しかし彼女は全身をノニウムに置換しており、どちらの処刑からも生き延びてしまっている。テセラクトを世界から消滅させる労力と彼女の今までの実績を天秤にかけ、後者が勝利した。世界は彼女を裁けなかった。彼女の技術は、既に万を超える人間を不治の病から救い、億を超える人間の生活を変えてしまっているのだ。
「……あはっ、ははっ、あははっ!」
突然、テセラクトが普段の温厚な彼女からは想像もつかないような邪悪な笑みを浮かべた。
「いきなり何、気持ち悪いなあ」
「朱莉さん、イブの名前の変更をお願いします〜。できれば私が命名できるように手配を」
いきなりの発言に理解ができなかったが、朱莉は彼女が無意味な事はしないと信頼している。
「いや別にいいけどさ、何、話が見えないんだけど。……でもどうせ、意味のあることなんでしょ? 演算は終わった?」
「ええ、ええ、任せてください〜」
テセラクトはやけに自信満々だ。朱莉が自分の端末を少しだけ操作すると、テセラクトの端末上にキーボードと入力欄が出現する。
「一応、固有名はそんなに重要じゃないからそこを変えても何も起こらないと思うんだけど……」
「問題ないですぅ〜。あ、それとイブの意識は切っておいてください〜、後で朱莉さんにはやってもらう事があるのでえ〜」
「既に切ってあるよ。まだ隣の部屋で眠ってる」
イブは現在、研究所のメンテナンスルームに置かれている。本格的にパーツのメンテナンスが始まるのは明日からなので、今は部屋の電気すら付いていない。
「……さて、名も知れぬ"創世者"さん。今から起こる"想定外"にあなたはどう対処します?」
独り言を呟き、テセラクトは端末に文字を入力した。
『
彼女は躊躇わずに、確定させるボタンを押そうとし――
「それ以上は、駄目なの」
テセラクトのその手は、いつのまにかそこにいた第三者によって止められていた。誰も、彼女の存在に気付かなかった。
しかし、テセラクトは全く驚いていない。むしろ、……笑っている。
「……あははっ」
想定外の事態――ではない。テセラクトにとっては、それこそが目的だった。
「
「ま……さか……あなた、始めからこれを……!?」
そこに現れた女性――フィリス=シャトレは、テセラクトの目的を完全に理解してしまった。慌てて手を引こうとするがテセラクトは彼女の腕を掴む。
「あなたには色々と聞きたい事がありますが〜、いいです。どうせ答えてくれなさそうですしね〜。次のあなたに聞く事にしますう〜」
そう言うとテセラクトは左手を瞬時に細い針に変形させ、その針でフィリスの心臓を貫いた。研究室の床に鮮血が飛び散る。
「……ぁ……」
「あなたが死ねば、別のどこかに"フィリス=シャトレ"が生まれてしまいますからね〜。ですが、あなたの死と同時にここにいるAIがフィリスと名付けられたら?」
「……どうにも……ならない、の……」
「嘘はよくないですね〜、あなたは命名を止めに来ました〜。つまりい〜、機械にフィリスという名前を付ける事はあなたにとってよくない、という訳ですねぇ〜」
フィリスが針を引き抜こうとするが、全く離れない。
「私がただ身体を刺すだけの訳ないじゃないですか〜。ノニウム体についてはあなたも理解していますよね? もう既に、あなたの心臓はノニウムに置き換わってますう〜。今は私の脳があなたの心臓を動かしている訳ですねえ〜」
「権……限……
「おっと、させませんよお〜」
テセラクトは彼女に刺している針を横に薙いだ。直後、フィリスは絶命した。それと同時に、テセラクトの右手は決定のボタンをしっかりと押していた。
「さてさてさて朱莉さん、次はあなたの仕事ですよお〜。真理まではあと一歩ですう〜」
■ ■ ■
「テセラクト。説明してくれるよね?」
この一瞬で起きた出来事の情報量は数知れない。朱莉はその現状を全く理解できなかった訳ではないが、それでもテセラクトの奇行を全て理解する事は不可能だ。倒れている女性の死体の処理も必要だが、今はそれよりも大切な事が山ほどある。
「もちろんですう〜。今、産まれたばかりの子供に何種類か薬剤を投与するじゃないですかあ〜?」
「いきなり何。いやまって、テセラクトあなたねえ……」
話が飛んだかのように思えたが、朱莉はテセラクトの言いたい事を少しだけ理解した。
「はい〜。そのうちの一つ、二百四十年前に流行った奇病の予防接種の中に、少量のノニウムを混ぜてるんですよお〜」
「よくテセラクトの陰謀が〜とか言う香ばしい人が出てきたりするけど、あれ本当だったんだね」
「今この地球上の九割以上の人間に、私のノニウム体が入っていますう〜。生活に支障が出ない数個の細胞を肩代わりしてるだけなのでえ〜、絶対にバレませんし悪影響もありません〜」
「最悪。それ私にも入ってるって事だよね」
朱莉の軽蔑を無視して、テセラクトは話を続ける。
「で、そこから情報を集めてえ〜、まあ、簡単に言うと全人類の名前、家族構成、そして生と死のタイミングを測ってるんですよお〜」
「なんでそんな事してたの」
「おもしろいから?」
「ああ……」
どの計画も、最初はこうだ。テセラクトはいつも、自分ができる事をしてその過程で新たな理論を組み立てる。ただし常人と違うのは、彼女の手は常人よりも遥か遠くまで届くという事、そして彼女の奇想天外な行為はいずれ必ず意味を見出してしまうという事だ。
「そしてそしてですよお? ただひとつ、同姓同名の人間の組が同じ時間に全く存在していないものを見つけましてえ〜、それも、その名前の人が死んだ一週間以内には同じ名前の人間に薬の投与がされた! これが連続で七回も! こんな偶然、あるわけないですよねえ〜」
「で、それが"フィリス=シャトレ"だったと」
「アタリでしたあ〜」
端的に言うと、この世界には"フィリス=シャトレ"という名の人間は一人しか存在しておらず、フィリスが死ねばどこかでフィリスの名を持つ人間が新たに産まれるという事だ。
「それさ、さっきのフィリスさんがイブの名前に反応しなかったらどうするつもりだったの」
「直接フィリスさんのところに行くつもりでしたよ? でもまあ、恐らく私の計画は認知しているでしょうし、捕まえるのには時間がかかりそうでしたからね〜。その時は適当な名前の無い孤児を拾って名付けますう〜」
「ほんとあなたって天災よね」
「さてさて、朱莉さん。今はこのAIこそがフィリス=シャトレです。推測するに、フィリスさんは世界に何らかの作用をもたらす端末だと言えるでしょうね〜。その役割まではわかりませんが〜。だから……あなたにはフィリスさんの持っている"未知"を探って欲しいんですう〜」
「イブ……じゃなかった。このフィリスを解析しろって事?」
「はい〜」
「何も出ないと思うけどなあ……」
部屋に取り付けられた巨大な端末を操作し、朱莉はフィリスと名を変えたAIを、普段ウイルスの確認をする作業と同じようにその内部を閲覧していく。
「うーん、確かに変わってる部分はあるね。というか、記憶の部分じゃなくて、もっと外側に。そもそも私が入れた覚えのないファイルが入ってる。名前も多分意味を理解できない単語だし。……とりあえず開いてみるね。律儀にテキストファイルになってるし」
朱莉がファイルを開きそこに現れた文字列を見た瞬間、……朱莉は耳から血を流し後方へと倒れた。
「……ぁ……ぇ……?」
ここに来て、テセラクトにとっての想定外が起こった。絢瀬朱莉は何を見た?
「痛、い、痛い痛い熱い痛い!!! あああああああaaaaaaa',IiwUtinigImUyizuNud
テセラクトでさえ理解不能な言語が、朱莉の口から継続して発せられる。それを意味を持つ言語と理解さえできたが、彼女はその言語についてを全く知らない。
「EsabuisEanoboya! Ninnis
悲鳴の羅列は止まらない。仕方なくテセラクトは自らの腕を変形させて朱莉の口を塞いだ。
「一体これは何が……?」
『それは望ましくはないね。彼女は今"交信"してるだけさ』
いつのまにか、テセラクトたちの前には一匹の黒猫がいた。そして声は間違いなくその黒猫から発せられている。異常事態の連続だが、テセラクトは最速で状況を整理していく。
「へえ、もしかしてあなたがこの世界の創設者です?」
『当たらずも遠からず、かな。僕は世界群を俯瞰する"天上"の一人に過ぎない。君に関しては評価しているよ。ただ、それと同時に危険視してもいるけどね。全く、第一席もなんでこんな人間を放置したんだか』
すぐ近くに居るはずなのに、まるで近づけない。テセラクトのノニウム体であれば手が届く距離にその猫は存在しているはずなのに、彼女の全身が、ソレには近付けないと認識してしまっている。
しかし、それで怯むテセラクトでもない。
「あははっ。どうやら真理にはだいぶ辿り着けたようですねえ〜。さて、さてさてさて〜、"貴方達"は恐らく、私がここまで到達する事を予見していない。そして全ての決定権を持つ存在は現在私を認知していない。さあ、貴方はどうするんですかあ〜」
挑発。その意図はテセラクト自身にも不明だが、きっとこれは正しい選択だろうと彼女は自負している。
『第九の権能、"戒律"の銘の元、君たちを"消滅"させる』
対して、黒猫の返事は淡々としていた。
『君たちは私の判断により正しくないと決定された』
「出鱈目ですねえ〜」
『ああ、君たちは出鱈目だと思うだろうね。でもね、これが天上のルール。僕は僕というひとつの世界の元、君たちを僕の法則に従わせる事ができる』
黒猫がその場で少し跳ねると、黒猫の周囲の空間が歪む。一瞬にして、黒猫は消滅した。しかし、声は未だに聞こえている。
『"
少し唱えたかと思うと、部屋が歪み始めた。……部屋だけではない。建物が、町が、世界が、あらゆるものが、歪んでいく。
『真実を認知してしまった誤ちの世界を、正しき"無"へと。"戒律"はたった今、完遂された』
世界は、外側の新たな次元へと接続された。
■ ■ ■
「あははっ、あはははははっ!!! そうでしたか!! 私はなんにもわかっていなかったんですねえ〜!!!」
世界は増えた次元に対応出来ずに自壊していった。あらゆるものが、まるで液体のように形を変えて消えていく。そんな中、狂った様子のテセラクトがただ一人、消え逝く世界を歩く。彼女もまた存在を四次元に引き伸ばされた身ではあるが、ノニウムは既に新たな次元に対応してしまっていた。……テセラクトは、生きている。
「世界は偽物、真理は出鱈目! ただ"そうであるから"以上の理由は無い!」
四次元的に広がってしまった世界で、彼女だけがその情報の増加に耐えられている。それだけでなく、彼女は定義された現在の次元の法則を新たに解析してさえいる。
「世界が全て正しい法則なら、ノニウムなんて存在するはずがない! そうですよねえ!? どうしてこんな物質を生み出せる世界を作ってしまったんです? どうして私という天災を産み出してしまったんです?」
一人芝居のように、テセラクトは"外"へ向けて語り続ける。
「全て"あなた"の想定内! だからこそ世界は、いや、"世界群"は美しい!」
そして、結論付けた。
「天上の頂点、あなたの目的は把握しましたよ〜」
ただ、嬉しそうに。既に彼女は四次元を完全に理解している。彼女はこの世界群で初めて、独力で世界間の移動に成功した人物となった。
「ああそうだ朱莉さん、たかが次元が一つ増えたくらいで死なないでくださいよ〜。今、"繋げ"ますからね〜」
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