File8-3 八番目の願望、十二番目の失望」

 私はゲートを潜った先に広がっていた光景を見て言葉が出なかった。瓦礫の山が一帯を埋め尽くしているが、それはまだ問題ではない。


 前方数キロメートルほど先に、巨大な塔が建っている。


 ――否、それは決して塔などと呼べるような人工物ではない。


 率直に、気味が悪かった。塔のように見えるソレは明らかに生物なのだ。ソレの肌色の表面にはそこらじゅうに大きさの不揃いな腕や脚、目や口などが付着していて、それらは今でも蠢いている。腕が一本内側に潜り込んだかと思うと、複数の部位を抉るように大きな口が開き、そこから新たな足が生える。その口はすぐに閉ざされ、異形から生えたばかりの足は歯によって切断された。落ちた足は地面近くに生えてる無数の腕に掴まれ、異なる方向に引きちぎられながら異形の内側に潜り込んでいく。


「あれは……なに……?」


「十七席第八、名前は無い。今は自我を失って暴走している」


 淡々と、ソフィアが答える。

 知らない。今まで私が会った十七席は第二席のフィリスやリエレア、第三席のアノン、第七席のフェムト、そして第十二席のジオ。目の前のそれは、今まで出会ったものとは格別だった。あれが彼らと同格だと思いたくなかった。

「第八の権能は"奪取"。奪う事に特化した権能。条件も何も無く、ただアレに認知され"奪う"判定を下された時点で、あらゆるものが奪われる」

「……あれを、倒すの?」

 対処法が思いつかない。それに、相手は十七席だ。かつて私とアノンが対峙したジオでさえ、私には争いの動きが見えなかった。遥か遠い次元の話だった。

「本来であれば条件無しに全てを奪う事ができるけれど、アレはれっきとした生物。認知の外にあるものは奪えない。それと、アレは時間遡行の影響を受ける。最悪、何かを奪われても私が時間を戻せば大丈夫」

「遡行してる事がバレたらどうするんだ?」

 アスミが尋ねた。

「それは問題ない。私の力は奪われない。それと、アディ。あなたの力も奪われないはず」

「どうして?」

「その力は第三席に紐付けされている。今までの遡行で、天上の力がアレに奪われる事は無かった」

「……なるほど」

「それと、今のうちに修正しておく。アディ、私たちの目的はアレを倒す事じゃない」

「そうなの?」

 脳内では勝手にあの塔を倒す事を考えていたが、ソフィアは否定した。


「絢瀬朱莉をアレの前に送り届ける事。それが私たちの目的」




    ■    ■    ■




 作戦は夜に決行すると言い残し、ソフィアは何処かへと行ってしまった。それに続き、テセラクトもいつのまにか居なくなっていた。この場には三人だけが残った。

 朱莉が口を開く。

「理由については私から説明するね。その前に、私とテセラクトについても話しておかないと」

「私も詳しくは聞いていないな」

 アスミも会話に混ざる。

「まずは、これ」

 朱莉が左手を前に出すと、人差し指の先端が銀色に変色し、鋭い刃状になる。

「お前も使えたのか、それ」

 急な肉体の変化に私は驚いたが、アスミは別段驚いていない。

「ノニウム。開発したのはテセラクトで、簡単に言うと生命への冒涜。生命と非生命を繋ぐ物質。人の脳に反応して様々な形や擬似的な物質に変化させられる上に、他の物質と混ざれば有機も無機も関係無しにノニウムの一部として取り込んでしまえる。……私とテセラクトはね、全身をノニウムに置き換えてる。流石に全身のつくりは私が私だった頃のそのままなんだけどね。そしてこれ、扱いが難しくてね。ずっと練習したんだけど、今のこれみたいに一本の指を軽く変化させるだけで限界。他の物質を取り込むなんて到底無理ね。テセラクトしかできないよ」

 朱莉は指を元の形に戻した。

「私とテセラクトは違う世界から来ててね、テセラクトはこの技術を開発して、私たちがいた世界の文明を数百年分は進めた。そして私も、テセラクトほどじゃないけど充分に危険なものを開発していてね。今はここにはないけど」

「それって?」

「人間の脳だよ」

 なんの躊躇もなく、朱莉はそれを告げた。私は少しの間、その言葉の意味を飲み込めなかった。脳を、作る?

「脳、とは違うかな。私は人の脳と同等のAIを創り上げたの。そして……」


 朱莉は視線を私から塔に向ける。高く聳える禍々しいソレを見て、告げた。


「あれの意識はね、私が作ったの」


「……え?」

 到底、理解できなかった。

「テセラクトと共同で取り掛かった計画があったんだけど、失敗したの。あれは失敗で生まれた意識。なんであの子が十七席になってるのかはわからないんだけど、私は一度、あの子と話さなきゃいけない。だから……あの子の前まで。あの子がちゃんと私を私だと認識できて、私の声があの子に届く距離まで……私を連れて行って。きっとそれで、あの子も元に戻ると思うから……」

 以上が、戦えない朱莉を塔の手前まで連れて行く理由だった。

「それと、察しがついてるとは思うんだけどあの子の身体もノニウムでできてる。ソフィアちゃんは少しずつ削ごうとしてたんだけど、それだと削いでいる間に力を奪われちゃうんだって。一体何回やり直せば、あんな規格外のものの正体を突き止められるんだか……」

「世界が出来てから数十億年だったか? この世界の誕生も同じなら、ソフィアもおおよそそれくらいの時間を経験してるんだろ。それほどの時間を経て精神が狂ってないのが本当に可笑しい話だな」

「もしくは、狂った果ての姿がアレなのかもね。昔はもっと愛想のある子だったのかも」




    ■    ■    ■




 それ以降、私たちはあまり会話をする事なく夜を待った。日が暮れる頃、紫色のゲートが開きソフィアが戻ってきた。

「移動する。アスミが仕掛けるまで派手な行動は取らないように」

「そういえば、テセラクトさんは?」

「ここですよお〜」

 私の力を使って探そうとした直後、後ろから声がした。直前まで私の背後には誰も居なかった為、驚いた。そもそも気配すら無かった。

「なあソフィア、一つだけ質問していいか?」

 塔の方へ足を進めようとしたソフィアを、アスミが止める。

「何」

「転移の魔法で直接飛ばせないのか?」

「無理だった。ただ朱莉を送るだけでは意味が無い。この場に絢瀬朱莉が居るという現実をアレに充分に認知させた上で、アレの表面を削って再生している間に朱莉を届ける必要がある……はず。転移はするけれど、朱莉を認知させるまでの時間を稼いで欲しい」

「お前にしては自信がないな」

「まだ、一度も成功していない」

 それはつまり、今回も上手く行く保証は無いという事。更に、彼女の言っている事が的外れで私の力が奪われる可能性すらゼロではない。それでも。

「……行こう。成功するよ。成功、させるんだ」

「アディが居ると、……本当に上手く行きそうな気がする」

 少しだけ、ソフィアの表情が緩くなったような気がした。




    ■    ■    ■




 塔の付近は建物の残骸が大量に散っており、身を隠す場所も多い。それでも塔の周囲に行けば行くほど瓦礫の大きさは小さくなっていき、塔から百メートル程の範囲はほぼ平らになっている。

「さて、手筈通りに、だな」

 遮蔽物のない高い建物の上に私と朱莉が立ち、ソフィアとアスミは姿を見られないように隠れて待機。テセラクトはここからは見えないが、塔の反対側にいるのは把握できている。私と朱莉は普通に姿を晒しているが、深夜である為認知されていない。

 アスミが指を鳴らすと、上空に紫色の弾丸が現れる。それも一つだけではなく、塔を囲うように大量に。

「アスミさん、それってもしかして……!?」

 その弾丸には見覚えがあった。否、見覚えがあるというレベルのものではない。……その弾丸は、明らかに私の象徴。私の銃から射出されるはずのものだ。そしてそれが、数百発。

「私の、弾丸……?」

「これが私、天上の第十二継承者としての力だよ。私は一度見た技や攻撃を完璧に、無制限に"転写"できる。例えそれが十七席が扱うような高位の技でも関係なく、な。他にも、お前がソフィアとやり合った時の動きは全て保存してある」

 先程のソフィアとの戦闘を、彼女はずっと見ていたらしい。

「アスミさんも、ジオさんの継承者だったんだね」

「ああ、私の場合は少し特殊だけどな。この世界に飛ばされたときに勝手にこの力を押し付けられていたよ。だから私はそのジオって奴には会った事がない」

「アスミさんも違う世界から来てたんだね」

「そうだな。この世界出身なのは今地上にいる人間の中ではソフィアだけだ」

 アスミが手を少し振ると、全ての弾丸が射出される。

「あっ!! でもそれは……!」

「"世界を壊す一撃"、だろ? それなら大丈夫だ。ソフィアの見立てでは……」

 無数の弾丸は塔に着弾した。

「……アレは弾丸に抵抗できる」

 塔を巻き込むように無数の亀裂が生まれるが、塔から新たに生み出された腕や足が亀裂ごと巻き込みながら発生し、覆いかぶさるように亀裂そのものを消滅させていく。

「天上の力を持つ者同士の争いは相変わらず狂ってるな。お互いに法則を上書きし合ってる。さてと、第二波だ」

 いつのまにか、アスミは再び弾丸を展開していた。

「奪われないね」

「天上の力だからだろうな。ソフィアの言っていた事は正しかったって事だ。おいソフィア! そっちは大丈夫なんだろうな!?」

「問題ない」

 私と朱莉の存在を認識したのか巨大な腕が私たちを狙うが、私が軽く手を振るうとそれは衝撃波となり、巨大な腕を切断する。再び腕が迫るが、朱莉に届く前に別の要因により切断された。

「それ、盗られないの?」

 二回目の腕を斬ったのはソフィアだ。

「目視できない程の速度で斬れば問題ない」

 確かに、私ですら視認できていない。


「もうちょっとだけ前に出た方がいいかな」

 朱莉が言う。

「そのままでいい。策はある」

 ソフィアが制止した。

「朱莉さん、度胸あるね」

「死んでもいいってわかってるからね」

「お前らの思考も大概だよな。私は死ぬのが怖いよ」

 私と朱莉の会話に、アスミが混ざる。大層な計画だというのに、まるで緊張感が無い。それはきっと、ここに居る誰もが"やり直せる"事を知っているからだ。

「テセラクトさんは?」

「居ないよ。そもそもアイツはこの計画に参加してない。ソフィアでさえアイツの行動は制御できなかったって事だ」

 場所はわかっているが、テセラクトは動いていない。まるでこの戦いを見物しているかのようだった。

 弾丸が再び展開される。争いは拮抗していた。塔は自らに着弾する弾丸の相手で手一杯であり、私たちへと向かってくる腕の数はかなり少ない。


「……そろそろ、整ったはず」

 攻防を続け、ソフィアが呟いた。

「何故、計画を夜に決行するのか。アレに視認されにくくする意味もあるけど、本命は違う」

 そう言うとソフィアは、剣を軽く振った。瞬間、私と朱莉のいる建物の屋上に光が灯る。


「絢瀬朱莉を、目立たせる為」


 塔の動きが、微かに鈍くなった。壁面の全ての目が、私と朱莉の方に向けられている。今この瞬間、ソレは朱莉を認識した。

「行くよ、朱莉さん」

 私はソフィアに合図を送ると、地面が隆起し私たちと塔までの間に道が出来上がる。


「御膳立ては済んだ。……アディ、感謝する」


 朱莉が塔への道を進む。塔は腕を少しだけ伸ばし、……その腕を止めた。塔は彼女へ攻撃しない。今までずっと、こちらから本体への攻撃はしていない。彼女が対話を望んでいる事を、塔は理解している。

「なんだ、意外と話が通じる奴なのかもな」

 アスミも弾丸の展開を止めている。間もなく、朱莉は塔に触れられる距離まで近づいた。


「……ごめん、待たせちゃったね。今、終わらせるから」


 塔に生えている目が、彼女を認知した。……そして、完全に動きを止めた。

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