File8-2 追憶:天の才、天の災」

 部屋の奥に椅子が一つと、机が一つ。中央には低いテーブルが二つと、それを囲むように複数の椅子。壁には棚が複数置かれており、賞状や賞杯が飾られている。そのどれもが、素人でもわかるほどの高級なものだ。

 ここは先進国に建つひとつのビルの最上階の部屋。一般的に社長室と呼ばれている場所だ。

 机の上に置きっぱなしにされている携帯端末が鳴り、奥の椅子に座りながら眠っていた女性は目を覚ました。現在は、その女性以外に人はいない。

 彼女は端末に表示されていた名前を確認すると完全に目が冴えたようで、すぐに端末を手に取る。

「イブ。無事?」

『_はい。鎮圧は無事に終了しました。朱莉さん、帰還の許可を』

「許可するよ。いつでも帰ってきておいで」

 女性は通話を切り立ち上がると壁に掛けてある白衣を着込み、部屋の外へ移動した。

 廊下を挟み隣の部屋に移る。そこには一人の少女が眠っている。

 それは人間の少女の様相をしてはいるが、人間ではない。人間の外見を正確に模倣したロボットだ。その少女型のロボットの指先から出ているケーブルが一台のパソコンに繋がれている。

 突如、モニターいっぱいに警告が流れる。しかし女性が驚く事はない。むしろこれは正常な動きだ。

「データの転送、異常無し。ウイルスも検知されず。いいよ、通って」

 女性が軽くキーボードを叩くと、数秒もしないうちに眠っていたロボットが目を覚ました。

「_戻りました、朱莉さん」

「うん、おかえり、イブ」

 絢瀬あやせ朱莉あかり。ドイツのAI事業のトップであるグローリア社の代表にして、AI技術を一人で五十年進めたと言われている稀代の天才だ。そして彼女がイブと呼んでいるロボットは彼女が造り上げた最先端のAIであり、その立ち振る舞いは人間と遜色ない。これを超えるAIは朱莉が生きている間には生まれないだろうとさえ言われている。

 イブの意識は先程まで国内最南端に存在するテロ組織との争いの最前線の兵器の中におり、鎮圧に多大な貢献をしていた……らしい。朱莉がその詳細を知るのは数日後、国からの報告書を受け取るときである為、彼女が戦場で一体何をしていたかは知らないが。

「全く、上も人使いが荒くなってきたね」

「_私は人ではありませんので」

「うん、……そうだね」

「_朱莉さん、メンテナンスの期日が近いですが」

 軽い帰還の挨拶を終えると、イブはすぐに朱莉に催促した。

「ああ、もうそんな時期だっけ。次の任務が来ないうちに済ませちゃおうか」

「_大丈夫でしょうか。朱莉さん、最近寝ていませんよね。仕事が忙しい故と推測できます」

「心配してくれてるのはありがたいけど、私は大丈夫だよ」

「_いえ、私のメンテナンスの為にあなたがここを離れてしまって、残った人たちは大丈夫なのでしょうか」

「うん? できれば私の心配もして欲しかったな」




 現在イブの意識が格納されている少女型のロボットは精密な非常に造りをしている為、数年に一度の検診を義務付けている。義務化したのは朱莉だ。そして、イブのメンテナンスはこの国では行っていない。それも朱莉が決めたことである。

「日本、か。……帰るのは三年振りだね」

 故郷である日本に定期的に帰還できるようにする為、朱莉はあえて日本にしかイブの部品の工場を作らなかった。

「そうだ、折角だしテセラクトにも会っておかないと」

「_テセラクト様は現在アメリカですが」

「呼べば来るでしょ。どうせあの天災はいつも暇してるんだし、こういう時にしか会えないって」




    ■    ■    ■




 合衆国第七研究室。世界最大の研究施設として有名なその内部は、今日もその佇まいとは裏腹だった。

「つーかーれーまーしーた〜。休憩していいですか〜?」

 緩い女性の嘆きが聞こえるが、この研究所では日常茶飯事だ。そして全員が苦笑いをする。

「室長、まだ開始から七十分です。耐えてください。」

 空中投影されたモニターを眺めること約一時間。室長と呼ばれた彼女は既に飽きていた。

「う〜〜」

「変な声出さないでください」

 その時、入り口の扉が開いた。研究室メンバー以外の人間がここに入る事は珍しい。

「テセラクト、いる?」

 室長よりも(見た目が)歳上のスーツを着た眼鏡の女性が入ってくる。テセラクト=コロン。それが室長の名前だ。第七研究室の所長にして、現在科学者の頂点にいると言っても過言ではない人物。

「げ」

 そして相手は、テセラクトが属する研究グループのトップに近い人間だ。

「げじゃないでしょ。昨日の報告書、説明不足が四箇所。あれ読んで理解できるのはあれを書いた人だけよ。自明って書けるのは最悪他の論文に書いてある事だけで、貴女の頭の中にしかない新たな要素は飛ばしちゃいけないのよ」

「え〜、でも、そこ省かないとすごい量になりますよ〜?」

「うちのお偉いさんたちはどれだけ長くてもちゃんと全部読むから、その辺の心配はいらないわ。」

「いえ〜、私が纏めるのが面倒なんですよぉ〜。みんな頭悪いなぁ〜」

 女性が手元の電子機器を少し弄ると、テセラクトのパソコンにデータが入ってくる。女性の言う偉い人たちのコメント……文句をまとめたものだ。

「明日……いや今回も慈悲をあげる。明後日までに直すこと」

「面倒だなぁ……」

「何か言った?」

「なんでもないですぅ〜」

 女性が部屋を出て行くのと入れ違いに、二人の青年が入ってきた。今日は来客が多い。

「テセラクト教授はご存命ですか?」

「勝手に殺さないでください〜。あ」

 ふと思い出し、時計を見る。

「そういえば今日は講義でしたね〜。すぐに向かうので他の学生さんたちに伝えてください〜」

 テセラクトがそう言うと、生徒たちは研究室を後にした。

「室長、そろそろ自分のスケジュールくらいはしっかり作りません?」




    ■    ■    ■




「え〜とつまりぃ〜、今の文明の急加速の要因になったノニウム体が生まれた背景にはこの式の存在があってぇ〜、まあこれによって〜、例えば人体は無機を拒絶無く受け入れる事ができたりぃ〜、あとちょっと難しいけど人の寿命なんかも伸ばせちゃったりしちゃいますね〜。昔は女性に歳を訊ねるのは御法度だったらしいんですけどぉ〜、今って寿命は伸ばせるじゃないですか〜。ちょっとまだお高い治療ですけど〜。あ、実は私すごい年齢なんですよぉ〜」

 新生人体学1、と名のついたこの講義。今日の生徒は全員が文学部である為、実際には講義というよりかは雑談である。寝ている人間もいるし、隣同士で仲良く喋っている者も、手元の端末で遊ぶ人も多い。

 生徒は関係ないのだ。一人でも話を聞く人がいれば、講義は成立するのだから。単位も出席さえしていれば渡してしまっているし、出席していなくても後で呼び出して少し叱るだけで渡してしまっている。そもそも、テセラクト自身も講義の半分くらいは雑談だ。

「まあこの式を組み上げたのが私でぇ〜。あ、みんなはこれは理解しなくても大丈夫ですよ? ただぁ〜、どうしても気になるって人はいると思うのでぇ〜、後で個別で研究室に来てくれると有難いですぅ〜。毎日退屈なのでぇ〜」




 講義の後、テセラクトは研究室に戻りパソコンに向き合って長い文章を書き始めた。日が暮れる頃、彼女は数百ページにも及ぶ論文を書き上げ、彼女の上司にデータを渡す。

「じゃあ私は失礼しますね〜」

 彼女は研究室を後にすると、真っ直ぐに自宅へと歩き始めた。


 退屈。退屈。退屈。


 さて、退屈度が一定のラインを超えた場合、人間はどうするか。

 この日の夜、テセラクトは自宅がある四百メートル程のマンションの屋上から飛び降りた。




    ■    ■    ■




「……私、生きてますよね。なんで?」

「所長、アホなんですか?」

 テセラクトは死ななかった。病院のベッドの上にはいるが。

 彼女が起きたときは研究室メンバーであるシェーレしか見舞いには来ていなかったが、すぐに病室の扉が開かれた。

「テセラクト教授はご存命ですか?」

「生きてますよ。何故か」

 間髪入れずに、呆れたようにシェーレが質問に答えた。やってきたのは大学の学生だった。先程、研究室にテセラクトを呼びにきた生徒だ。

「教授、どうして死のうとしたんですか?」

「そろそろ条件が満たせそうだったから」

「?」

「あ〜なんでもないよ、カルト的なものだから。君たちには縁のない話ですぅ〜」

「だからっておかしいですよ。ちゃんと生きてくださいね」

「それは難しいかなぁ〜。でもまあ、プランの第四候補くらいだから今後はあんまし飛び降りる事もないと思います〜」


 生徒が帰った後、病室は再びテセラクトとシェーレのみになる。

「全身をノニウム体に置換しているあなたがただの高所落下程度で死ぬ訳ないじゃないですか。もう完治してますよね。さっさと退院しろください」

「辛辣う〜」

「では私は今日の観測結果を纏めてくるので、早く戻ってきてくださいね」

「……あれ? 私が落ちてからどれくらい経ちました?」

「百四十分です。まだ日付は変わっていませんよ、何を期待していたかは知りませんが諦めてください」

 シェーレは立ち上がると、乱暴に扉を開けて部屋を去ってしまった。


「暇ですう〜。あーあ、仕方ないですねぇ〜」

 観念したようにテセラクトがベッドから降りようとしたとき、彼女の端末に着信があった。

「は〜い」

 画面のボタンを押すと、スクリーンいっぱいに一人の女性の姿が映る。

『テセラクト? 久しぶり』

「アカリさんですか〜、何の用です?」

 絢瀬朱莉。ドイツで最も有名なAIの会社の代表だ。彼女とテセラクトは長い付き合いであり、テセラクトの話についていける稀有な人でもある。

『って、なんで病人の振りなんてしてるのよ』

「みんな揃って酷いですぅ〜さっき落ちちゃったんですよ〜」

『あなたが落ちる程度で死ぬ訳ないじゃない。今度飛行機から落としてみる?』

「それは本当に勘弁」

『多分死なないでしょ。ノニウムなんだし。全く変なものを開発しちゃったよね。元々は人体に使うなんて想定してなかったでしょ』

「ノニウム体の成果の半分くらいはあなたのAIから出たものですからね〜。やっぱりAIは恐ろしいです〜」

『残りの半分は全部あなた個人だけどね。恐ろしいのはどっちだか……』

 呆れたように、朱莉に言われる。

「それで、用件はなんです〜?」

『来週の頭。純正の誰の制御下にもないノニウム体を持って福岡に来て。質量はこっちで追加できるから少しあればいい。私もイブのメンテナンスで日本に帰るから』

「え〜、でも私には講義が〜」

『どうせ一講義分話しっぱなしで終わってるんでしょ。画面越しでも変わらないって。何なら貯め撮りしておいて勝手に流しておけば?』

「お、それは名案ですね〜」

『言わなきゃ良かった…………』

 溜息と同時に、通話は切断された。テセラクトは返事をしていないが、彼女はどうせ来るだろうと確信している。それに対して少し嫌気がさすが、実際その通りなので何も反論できない。テセラクトは端末に手を伸ばし、連絡を入れた。

「あ〜、シェーレさん、来週いっぱいニホンに観光に行きます〜よろしくですう〜」

 そして、向こうからの反論が来る前に通話を切った。




    ■    ■    ■





 某年、八月、福岡。


「フクシマとフクオカって間違えやすいですよね〜」

「そう? 日本人としてはあんまし間違える事はないんだけど」

 朱莉とテセラクトは空港で数年振りに再会した。

 「私たちからするとアメリカの州の方が複雑だよ」

「そうです? 私は当然全て覚えていますけど。あ〜そうそう、最近サガとシガの区別をつけられるようになったんですよお〜。大きな湖があるのがサガ」

「不正解ね。それでテセラクト、アレはちゃんと持ってきた?」

「はい〜。まあ、最悪現地で作れるので問題ないですけどねえ〜」

 テセラクトが自身のキャリーケースを見て言う。

「それじゃあ移動しようか。イブも退屈してるだろうし」

 朱莉も自らのキャリーケースを見る。

「朱莉さん、なかなか酷い扱いしてません?」

「私は先週イブから酷い扱いを受けたばかりだからね」




 空港から電車を乗り継ぎ、三十分程。都心からはあまり離れてはいないが長閑な農村だ。その中に、農村にそぐわない白く巨大な建物がひとつ。イブのパーツを作っている工場であり、朱莉の実家でもある。その中の、応接室。……ではなく、朱莉の私室にテセラクトを招き入れた。


「さて、と。早速だけど本題。この前言ってたよね、神様に会った、だっけ」

 落ち着く間もなく、朱莉はテセラクトに話を持ちかけた。来客だというのにも関わらず朱莉は何も用意していないが、テセラクトの間には何も必要ない。それくらいの仲だ。

「はい〜、あれ? まさかAI技術の最先端にいるあなたが神様を信じるんですか〜? 可笑しな話ですね〜」

「いやあ、それがね」


 一呼吸おいて、朱莉は言った。


「会えるかもよ、神様」


 その発言は、テセラクトにとっては完全に予想外だった。目の前にいる朱莉は、最も神様を信仰していない人間と言ってもいい。

「インテリジェントデザイン論だっけ。人の上に立つ何者かが人を造ったって論。今じゃ完全に進化論に潰されちゃったけど、仮にそんな存在がいたとするならば、"それら"を呼ぶ方法が一つ、私たちにできる範囲で存在してる。神様が居ないなら何も起こらない」

「聞きましょう〜」

「神様ってのはね、人間が作り上げた偶像なの。でも仮に神様が実在するとして、その神様が人間だけを作ったのだとしたら、そこに意味があると思うんだ。神に寄せて人を作った……なんて言われてたりもするけど、今大切なのは容姿の問題じゃない。何故人間という生命を作ったのか。何故人間に固執するのか。その理由だよ。身体を造ったあなたと、脳を造った私。……今の私たちは、神様が最も"してほしくない"事ができる」


 テセラクトは彼女が考えている事に気付いた。少しの間を空けて、朱莉はテセラクトが思っていた通りの言葉を発する。


「私たちで、人間を作ればいいんだ」


 それを聞いたテセラクトは、少しだけ笑っていた。

「だからノニウムが必要なんですね〜、国際条約に抵触してません?」

「四回逮捕されてる人の台詞とは思えないよ」

 法律や倫理など、二人の間では些細な問題でしかない。

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