C7 碧球摩耗

File7-# Reerer

 継承者に統率された世界を離れ私たちが降り立った新たな世界は、どこまでも広がる草原だった。人間どころか、人間以外の生物さえ見当たらない。更に言えば、人工物がひとつもない。

「……変、だね」

 以前、別の大陸に逃げたウェヌスを探すときに使ったものに似た力を使い、この世界においてもどこに人間がいるかという情報は得る事ができる。それでも、この世界には誰もいない。

「アノン。ここはどういう世界?」

 質問をしてみるが、答えは返ってこない。

「アノン?」

 彼の方を見ると、彼は遠くを見据えたまま止まっていた。

「……有り得ない」

 そしてただ一言、彼はそう言った。

 彼はかつて無知を失い、全知とも呼べる力を手に入れた。つまるところ、本来であれば彼がこのような反応をするという事態は存在しないはずなのだ。

 私はアノンが見ている方を向く。当然、原因はそちらにあった。遠くから、一人の人間がゆっくりと歩いてきていた。

 異質だった。視覚以外で、彼女を認識する事ができない。私の力は、彼女を人間と認識していない。それだけではなく、そもそも近付いているというのに全く気配がしないのだ。足音さえない。存在しているかどうかさえわからない。それがとにかく不気味だった。

「知ってる人?」

 アノンは私の質問に答えない。無表情だが、確かに彼は焦っている。彼が余裕を無くしているのを見るのはこれが初めてだった。そして彼ほどの人物が焦りを見せるほどの相手、それは恐らく、彼よりも上位の存在。

 その人と目が合った瞬間、彼女が少し微笑んだかと思うと次の瞬間には私たちの目の前に一瞬で移動していた。

 特徴に乏しい少女だった。長く整った黒い髪。服装は白を基調とした薄い服の上に緑の上着と、下は黒の短いスカート。佇まいはフィリスに似たものを感じるが、彼女とは違うと感じさせられるものがある。


「あれ、アノンだ。久しぶりだね」


 面と向き合ったあと、白々しく彼女はその名前を呼んだ。彼女はアノンを知っているようだった。

「そうだな。まだお互い生きていたか」

死にたがりアノンと一緒にしないでよ。私はまだ死のうなんて思ってないから。で、アノン。その子が新しいアディ?」

「……ああ。七十五人目だ」

 アノンにはいつもの余裕とした態度が全く無かった。

「そう、思ったより代は進んでないんだね。よろしくね、アディ」

「えっと……はい。アノン、この人は? まさか伊神迅さん……じゃないよね?」

 彼に質問した。久しぶり、と言ったことから、彼女はアノンに近い存在であることが推測される。


「リエレア=エル。フィリスから垓化、第二席の力を受け取った者で、彼女が十七席を解散させた」


 かつてフィリスは言っていた。垓化の力は既に誰かに渡していると。彼女がそうなのだ。突然の大物に思わず驚いてしまう。今までのアノンの態度がいつもと違ったのも、彼女がアノンよりも上の存在だからだろう。

 第二席。その席に着きながらも、リエレアからは全く強さを感じない。それどころか、先述の通り視認していないと存在すら感じられないほどだ。しかしだからこそ、そこに彼女の異常さが滲み出ている。手の内が全く読めないのだ。何かを企んでいるのか、純粋に私たちと会話をしたいだけなのか。全くわからない。

「改めてはじめまして、アディ。私はリエレア。あんまり気にしてはいないんだけど、一応フィリスさんの後継だよ。それとアノン、解散っていうのはちょっと違うかな。堅苦しい使命からみんなを解放したかっただけ。役割に縛られず、みんなには自由になって欲しかったの。みんなの権能も迅に返してないし」

「迅、か。それはそうと、何故君がここにいる。君は十七席解散と同時に、伊神迅と共に世界群の外へ行ったはずだが」

 アノンが質問すると、彼女は少しだけ照れくさそうに答えた。

「それがね、の世界は迅が全てを掌握してる訳じゃないじゃん? 迅は向こうの世界に私の身体を用意できなかったの。観測することはできたんだけど……。だからね、外側に出られない代わりに、迅に頼んで世界をひとつ作ったの」

「作った?」

「この世界だよ。外の世界の西暦千年くらいを初期設定にして、後は放任。迅と同じような事をやってみてるんだ。今は五十億年くらい経ってるっけ」

「わからないな。伊神迅ですら、永遠の探求を諦めた。君がこの世界に未知を見つけられるとは思えない」

 アノンの言葉に、リエレアは少しだけ溜息をついた。

「迅が設定していないことを、この世界で実践してるんだよ。アノンはわかるかな」

「……さあ、何だろうな」

「世界が消える条件は何?」

「観測者が居なくなる事、だよね」

 アノンに向けた質問だが、それには私が答えた。今までのどの世界も、観測者たる人間が居なくなれば消滅してしまう。そのように、伊神迅は世界を設定した。

「そう、正解。観測者として認められるのは人間だけ。迅の目的の為に残るのは、人間でなくてはいけない。それが迅の設定した条件。……そして、この世界はそれを超えた」

「まさか」

 アノンは気づいたようだった。私も薄々推測はできた。

「私が観測者の条件を満たしてるから、私が居る限り世界は絶対に消えない。人間はね、一億年も経たずに絶滅しちゃった。……いや、進化した分を含めたらもう少し耐えた方なのかな。少なくとも五十億年が経った今、現存する人間やそこから派生した生命は居ない」

 リエレアは、人間の絶滅を計画の終了とはせず、むしろ計画の一部としていた。人間が絶滅した後にどうなるかをこの世界で実験していたのだ。確かにそれは、伊神迅が設定したその他無数の世界では見られないものだ。

「人間が消えたその先、ずっと観察を続けていれば、何か答えがあるんじゃないかなって」

「リエレアさんはその五十億年、ずっとこの世界に?」

 私が質問すると、リエレアは首を縦に振った。

「文明が栄えて、衰退して。時には絶滅して。そして新たな種が生まれる。今この地上にあるのは、人間から数えて十六番目の文明。もう壊れかけてるけどね。五十億年も経ったのに、まだ十五回しか入れ替わってない。数億年栄えた文明も幾つかあったの。とても素敵な事でしょ。……でも、この文明の変遷ももう終わりかな。この世界がもうすぐ終わっちゃうんだ」

 少し悲しそうに、リエレアは言った。

「終わるって……?」

「ここね、北極なの。暖かいでしょ」

 北極という言葉は知っている。緯度と経度の概念も私の中にある。

「太陽の寿命が近づいててね。この星ももうすぐ終わる。段々と生命が住むには適さない環境になって、……いやもう既に人間は住めなくなってると思うんだけど、いつかは他の星と同じ、生命を持たない星に成り下がる。でも世界が終わっても、私は終わらない。地球が消えても、私は残ってしまう。よかった、その前にあなたたちが来てくれて」

 私たちが来た事に、彼女は感謝した。それに対して、アノンが問う。

「そうか、リエレア。君は世界から出る手段を失ったのだな」

「うん。ちょっと恥ずかしいけど。ずっとこの世界にいたから、四つ目の軸の感覚が無くなっちゃった。でも大丈夫、あなたたちが来たから思い出したよ」

 リエレアが右脚の爪先で地面を軽く叩くと、彼女の周囲の地面が紫色に光った。……そして彼女が手を叩き、光は消える。

「そうだ、二人には言っておかないといけないことがあったね」

 リエレアは私たちを交互に見た後、一呼吸して告げた。


「第一席、伊神迅はまだこの世界群のどこかにいる」


「……何だと」

 アノンにとって、想定外の発言。そしてそれは私にとっても同じだ。

「迅さんが、いる……? 外に出たんじゃなくて?」

「アディは迅に会った事はないよね。……いや、もしかしたらもう会ってるのかもしれないんだけど」

「リエレア、何故君は迅がこのステージにいると確信している」

 アノンが質問する。

「私もはじめは帰ったと思ってたよ。でもね、迅に会ったの。五つ目くらいの文明のときかな。迅はね、迅の目的に合致しそうな存在が現れたときには必ずその者の前に現れる」

「……つまり君は伊神迅が認める程の永遠を手に入れたということか」

 リエレアは首を横に振った。

「確かに迅の目的の中には停滞することのない永遠の模索が含まれているけど、それは迅の目的の為の手段のひとつでしかない」

 それも、知らない情報だった。永遠の模索は、迅にとっては通過点でしかないのだろうか。

「それじゃあ、迅さんの本当の目的って何?」

「そこまでは知らないよ。無理矢理聞き出すこともできたんだけど、あまり話したくなかったみたいだから。でも一つ言えることは、私は迅の目的を満たせそうだったってこと。……結局、違ったみたいなんだけどね」

 私たちから目を逸らし、空を見上げて言った。それが少しだけ悲しそうに見えた。

「リエレア。以前に君に出会った後、迅が世界群から出た可能性は無いか?」

「それはないよ。迅はこの世界群の中では完璧で、この上ない善人なの。世界を見捨てて帰るなんてこと、絶対にしないよ。見届けるはず。ただ……迅ってちょっと"アレ"な性格じゃん? 私たちの前に現れる事は滅多に無いんじゃないかな」

「……そう、だな」

 アノンも同意している。

「迅さんってそんなに変な人なの?」

 リエレアに質問した。そういえば私の中の伊神迅という人物像は、限りなく無いに等しい。迅についてはほぼ何も知らないのだ。

「演出家って感じかな。私たちに会うときも、迅は自分が迅であると気付かれないように接するはずだよ。そして急に正体を明かして驚かすんだ。……まあ、私は先に気付くんだけど。少なくともこの世界には居ないよ」

 少しだけ、伊神迅という人間を知ったような気がした。


「そうだ。この世界、壊す?」


 唐突に、リエレアは言った。その質問はアノンに向けたものではない。明らかに、私を見て言っている。

「それは……」

 私は言葉に詰まってしまった。その問いには、すぐに答えを出すことができない。

「……ふふっ、ごめんね、ちょっと意地悪だったよね。大丈夫。この世界は私が管理してる。フィリスもいないし、迅の負担にもなってない。壊してもいいけど……壊しても何もないよ?」

「リエレア、私たちは世界を壊す事が目的ではない。私たちは……」

「わかってるよ、アノン。あなたはそう、世界を救う為。ちょっと強引なこともあるけど、目的だけは違えない。だからアノンはこの世界を壊さない。……壊せないはず」

「そうだな。……アディ、この世界に居る意味は無くなった。移動するべきだ」

「全くアノンはせっかちなんだから」

「効率的だと言って欲しいな」

「はいはい。……あ、そっか」

 リエレアは何かを思い出したかのように手を叩いた。

「ほら、アノンなら隣の世界が何なのかわかるよね」

「ああ、"中心"か。……ようやく一周したのだな」

「中心?」

「その名の通り、世界群の中心だ。以前は普通の人間が世界から弾かれる現象が起こっていた。その人間は必ず、中心方向にある別の世界に落とされる。故に中心の世界は、別の世界の人間が多い。今どうなっているかは知らないが」


「そうだアノン。あなたここに残りなさい。ちょっとやってもらいたい事があるから」

 思い出したかのように、リエレアがアノンに言った。

「それは構わないが、次の世界へアディを一人で行かせる気か?」

「問題ある?」

「いや、ないが」

「ないの!?」

 私は思わず話に割って入った。

「大丈夫よ。むしろあの世界は、アディ一人で行った方がいいと思ってる」

「……そうか、それなら構わない」

「構わないんだ!?」


 リエレアが手を叩くと、私の前に紫色の扉が現れる。

「私もね、垓化の力を受け取るまでは中心の世界にいたの。向こうにいる"友達"が今どうなってるのかは気になるけど、私はまだ向こうの世界には行けない。……アディ、私の"友達"のこと、頼んだよ」

「ちょっと……ちょっと待ってよ!」

 私はリエレアに質問しようとしたが、彼女が指を鳴らした途端、扉自体が私に迫った。あまりにも唐突な出来事に頭の整理がつかず、そのまま私は扉に飲み込まれた。


「……大丈夫。あなたなら」




    ■    ■    ■




「さて、要件を訊こうか」

 二人だけが残った草原で、アノンはリエレアに尋ねた。

「ないよ。大事なのはアノンを向こうの世界に行かせないことだけ」

 白々しく、リエレアは全てを吐露する。

「何故、そのような必要がある」

「あなたが向こうにいったら間違いなく死ぬよ」

「……確証がないな」

「覚えてるでしょ、あの世界は第十五席のティフシスを殺した。殺せたの。それがもう五十億年も前の話だよ。今ならあなたにも届いてしまう。それに……」

 リエレアは少し言葉を詰まらせた。

「言わないのか」

「言うよ。……あなたを殺すのは、アディでなきゃいけない。"あの人"たちに殺される訳にはいかないんだ。そうでしょ? それと……」

「まだ理由が?」

「……単純に、休んでいって欲しいってもあるかな。ほら、ここならあなたは知識を増やせない。無知の逆転の例外である私しかいない。今のうちに、アディと向き合う覚悟でもしておけば?」

 アノンは周囲の人間の知識を勝手に受け取ってしまう"代償"を持つが、リエレアから知識が流れてくる事は無い。彼女が第二席だからか、彼女が"存在しない"からかは不明だが。

「もう向き合ったさ」

「いや、まだ教えてないことがあるでしょ」

 少しキツく、アノンに問い詰める。

「……そうだな。確かにその通りだ。そして先程の君の言葉で、ひとつ確信したことがある」

「何? 迅がまだこの世界にいるって話?」

 アノンは頷いた。

「疑問があった。私が十七席となったあの日からずっと、私の中には私の死に関する確固たる知識があった。出処が不明だったが、……そうか、迅は私を見捨てていなかったという事か」

「勿体ぶらないで、教えてよ」


「私を殺すのは、"象徴"が完全な武器を模したアディだ。予言とも呼べるその知識が、初めから私の内側に存在していた」

「今のあの子、武器を持ってるんだね」

「銃だ。鋏や彫刻刀のような"道具"ではない。命を刈る事のみに特化した、殺す以外に用途のない紛う事無き"武器"だよ」


「……それで、死ぬ覚悟はできてるの?」

 リエレアは真剣な顔で、アノンに尋ねた。

「覚悟ができていれば、既に私は死んでいるだろうに」

「怖いんだ」

 リエレアに言われ、アノンは肯定した。

「……ああ、怖いさ。私は死が怖い。私が知るものの中で最も恐れているものだ。だから私はアディを観察した。今までのアディは生を手放す事に躊躇しなかった。最期の瞬間まで死を恐れていたアディは居なかった。それは億の歳月を生きた七十四代目ですら例外ではない。……なら何故、彼女らよりも数十倍以上は生きている私は未だに死を恐れている?」


「落ち着いて、アノン」


 その一言で、アノンは独白を止めた。


「私はちゃんと、どうしてアノンが死を恐れているのかを知ってるよ」

「……聞こう」

「答えは教えられない。それはアノンが自分で探すものだから。でもね、一つだけヒントをあげる。アノン、死が怖いのは、あなたが人間だからだよ」

「理解できないな」

「理解できるようになったら、きっとあなたは死を忌避する理由がわかる。だからね、アノン。……探して、あなたの終わりを」

「……全く、君も言うようになったな」

「当然でしょ。今はあなたよりも上なんだもん」


 アノンは肯定も否定もしない。ただ、彼女を言葉を聞き入れた。


「そうだアノン、あなたアディに第三席の権能は教えたの?」

「教える事など無いだろう?」

「それだよ。教える事がないって事をちゃんとアディに教えてあげないと。……いつか、あの子がアノンを殺すならなおさらね。それとアノン」

「まだあるのか」

「アディの前で虚勢を張るのはやめた方がいいと思うよ」

「それはできない」

「即答するんだ。何か理由でもあるの?」

「アディの前では、私は完璧でなくてはいけないのだよ。……かつての彼女と約束をした」

「……そう」


 それ以上は、リエレアは質問をすることは無かった。アノンも黙ったまま、風と草の音だけが流れていく。

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