File6-4 とけいのおとこ
死を、拒んでいた。
ものが焼ける音、叫び声と笑い声、それから肉を裂く音。"奴ら"がやってきた。少女はただ、"奴ら"から隠れるように部屋で蹲ることしかできなかった。
"奴ら"に対抗せんと編成された部隊はただひとつの勝利を得ることもなく無惨に散っていった。"奴ら"の前に、人間はあまりにも非力だった。
人と同じ身体。人と同じ手足。人と同じ言語。……そして、人とは違う顔。目や鼻や耳は見当たらず、大きな口のみ。卓越した身体能力と再生力を持ち、そして"奴ら"は人を食べる。
――死にたくない。
ただそれだけを思う。少女は神に祈るのみ。
嗤い声が聞こえる。人ではなく、"奴ら"の。少女は未だ"奴ら"には見つかっていないが、それでも少女には、その嗤い声が少女を見つけた合図のように感じてしまう。
どれくらい経っただろうか。火の音以外が消えていた。叫び声も、嗤い声も。"奴ら"は既に、この地を去ったらしい。……戦いとは呼べない、ただの蹂躙。生き残ったのは、少女だけ。
少女は少しだけ外を確認しようと立ち上がるが、すぐに倒れた。何日も食べていないのだ。少女は既に、生きる力を失いかけていた。
『おやおや、よかった。やはり生きている人はいるものですね。私もあなたも運がいい』
突然、少女の脳内に直接流れてくるような男の声がした。いつのまにか少女の目の前に大きな人影があった。少女は死を覚悟した。
――喰われる。
そう思い、少女は目を閉じた。"奴ら"には慈悲がない。ただ人間を殺すという快感のみで動く化け物なのだから。
……しかし、いつまで経っても痛みが来ない。
『……なるほど、なるほど。どうやら手段が良くなかったようですね。このような場所では確かに生を渇望する者が高確率で現れますが、そうですねえ。敵が人の形で、人の言語を扱うものだったからでしょうか、誤解です。ほらお嬢さん、私を見てみなさい。私が化け物に見えますか?』
恐る恐る、少女は目を開いた。逆光が眩しく直視するのに時間がかかった。……そして、少女は彼を見た。
"奴ら"とは明らかに違う存在。しかし目の前の男は人間ではなかった。少女からすれば、彼もまた化け物だ。
彼の首から上、顔にあたる部分には、顔ではなく時計があった。少女は目の前の男に対して畏怖する姿勢を崩さなかった。
『初めまして、自己紹介でもしましょうか。私は天上の十七席第十二、ジオ=ズール。……長い肩書きは不要でしたね。これは失礼、今はただの旅人です。ジオと呼んでください。さて、このままではあなたは死にます。仮に今日を生き残ったとして、明日にでもあなたのいう"奴ら"は戻ってくるでしょう。逃げられたとしても、あなたは生きる手段を持っていません。せいぜい良くて餓死、といったところですね』
「あ、あなたは、なに?」
ようやく、言葉が出た。
『取引をしませんか?』
少女の質問を無視して、彼は提案した。きっと断れば死ぬだろう。彼にではなく、いずれ戻ってくる"奴ら"に。
「応えたら、私は生き残れる?」
『あなたが望む限りは』
「……わかった」
『判断が早いですね。いいことですが、内容を聞かずに肯定することは控えた方がよろしいかと』
「酷いこと、するの」
『それは捉え方次第ですね』
「あなたは、悪魔?」
あまり考えずに出た言葉だが、悪魔という表現がまるで彼に似合っているように感じた。取引をする人外。少女の知識の中に、該当する存在は一つしかない。
『……悪魔。悪魔ですか。いい喩えですね。それにあながち間違ってもいない。私は今からあなたに力を与えます。これは世界を変える力。世界が変わって見えてしまう程の非常に高位の力です』
「……代償は?」
代償。自然とその言葉が出た。そんな大層なものを、ただ少女が享受する。――それはとてもあり得ない話だった。裏があるはずだ。
『ほうほう確かに。悪魔との取引にはよく命や寿命、魂などといった不確定なものを差し出す"演出"がありますが、それらはとても残念でならない。私から言わせてみればそのような品のない取引は三流です。私の提唱する本物の悪魔はこう。"貴女だけが得をする取引"。どうです? 非常に悪魔らしいでしょう』
彼は一人で盛り上がっているが、少女にとってはどうでも良かった。生きてさえいられれば、それだけでよかったのだ。
「……わかった。生きる力を頂戴」
私は彼にそう言った。彼に表情はないが、それでもこの瞬間、彼が不気味に笑ったような気がした。
『取引は成立ですね。貴女はたった今、私の持つ第十二の権能"転写"の一部を獲得しました。どうぞ存分に、世界を越えた永遠の力をお楽しみ下さい。ウェヌスさん』
少女は、彼に名乗っていない。
■ ■ ■
「ジオさんって、どうして私を助けてくれたの?」
あの悲劇から数週間。少女は時計の男と共に行動していた。そして現在、二人は積み重なった"奴ら"の残骸の上に座っている。これらは時計の男がやったものではなく、ほぼ全て少女一人の手で片付けたものだ。
『我々天上には目的があるのですよ。それは永遠の模索。尽きることのない永遠の世界。そうですねえ、次に私がこの世界に来たときにここに我々の目的があれば、……それはどれほど嬉しいことでしょうか』
少女は、その言葉にひどく取り憑かれた。
「なら、私が探してあげる」
それが、少女にとっての呪いになるとも知らずに。
『期待していますよ』
少女は手に持っていた剣を片手で回す。
「英雄しか使えないっていう剣も握れちゃった。誰も倒せなかったこれらの化け物も簡単に処理できるようになっちゃった。きっと私、こいつらを全部片付けられるよね」
『余裕ですよ。なにせそれは世界の外の力。内側に縛られる者に抗う術などありません』
「便利だね、この力。何だっけ、複製?」
『"転写"ですよ。ですがまあ、広義的には複製と同義です。貴女に与えた力はそのうちの"性質"に作用する部分。複製と呼ぶには物足りないですが、充分でしょう?』
「そうだね。お陰でどんな剣でも聖剣にできるし、そもそも剣である必要すらない。……それと多分これ、人の思考とかにも干渉できるよね。例えば……私の信念を誰かの脳に転写させる、とか。ところでさ、なんでこんな不完全なの? あなたの力の全部は渡せないんだ」
少女は持っていた剣を投げた。遠くにいた、まだこちらに気づいてすらいない"奴ら"の生き残りに命中した。
『私の気まぐれですよ。貴女には貴女が必要だと思う部分のみを渡しています。』
「他には? 例えばどんなことができるの?」
『それは、私がです? それともあなたの力の範疇?』
「私にできなくてジオさんのできることだよ」
『そうですね。例えば……』
ジオは少し考えた後、告げた。
『過去の一瞬を切り取り、今この瞬間に"転写"する。これで私の主観では時間が戻ります』
「すごいね。そんな大層なことも出来ちゃうんだ」
『他の継承者にはその力を渡した者もいましたね。ただ、これは今の貴女には不要な要素です』
"奴ら"の生き残りの一匹が、ウェヌスたちに襲い掛かる。ウェヌスは足元に転がる"奴ら"の残骸から一つ掴むと、それは神々しい剣へと変貌した。そのまま、ウェヌスは襲い掛かってきた"奴ら"を軽く両断した。
『さて、力の扱いに関しては充分のようですね。では私はそろそろ、次の世界へ向かうとしましょう』
「あ……」
いずれ来る別れのとき。それが今日とは思っていなかったが、いつかは来ると感じてはいた。
「……そっか」
『大丈夫ですよ。またいつか来ます』
「私、待ってるから」
ジオが立ち上がり、左脚で地面を軽く叩いた。直後、ジオは消えていた。
一時的な、軽い別れだと思っていた。あまりにも一瞬で、まるでちょっと他の場所を見てくる程度の感覚で、ジオはその世界から離れた。だからウェヌスは期待したのだ。またすぐに会える、と。
そしてそれ以来、ジオがこの世界に戻る事はなかった。
■ ■ ■
「ねえ、待ったよ。私は充分に待った。あとどれくらい待てばいいの? 教えてよ……!」
百年が経った。"奴ら"は世界から駆逐され、人間は平和を取り戻した。ウェヌスは賞賛され、英雄と呼ばれるようになった。だが、ウェヌスからすればそれは過程の一部でしかない。
「ジオ……、ジオ様……! いつになったら来てくれるの!? 私がまだ答えを見つけてないから!? だから……なの?」
千年が経った。世界を救った英雄の話など、今となっては御伽噺だ。誰も知らない太古の約束だけを頼りに、ウェヌスは狂ったようにジオを待ち続けている。脳の容量が限界を迎えた為、不要な部分を除外した思考を他人に移して必死に自我を保ちつづけた。他人に移して、他人に移して、移して、移して、移して、移して移して移して移して移して移して移して移して移して移して
「……ははっ、完成だ。これが私の永遠。この永遠を守るのが、私の役割。ああジオ様、私は待つよ! 万でも億でも、待ち続けてあげる!」
その言葉通り、億の年月が経った。世界は既に、ウェヌスによって統治が完了していた。あらゆる人間にはウェヌスの思考が植え付けられ、全人類が"ウェヌス"になった。
そして、ようやくやってきたのはジオではなかった。
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