File6-2 ねがったものは

「ようやく、茶番を終わらせたか」


 私はアノンを刺せなかった。鋒が彼に触れる直前に、彼は手で私の剣を掴んでいたのだ。まるで私がこのタイミングで攻撃する事を知っていたかのように。

「どう……して……?」

 私は私の攻撃が届かなかった事に驚いているのではない。それは想定内だ。

 アノンは、私の記憶がとうに戻っている事を知っていた。そしてさらに、私がアノンを殺そうとしていた事さえも知っていたのだ。私は細剣をアノンから引き離し、彼から距離を置いた。剣を構え直し、今度は正面からアノンを見据える。

「それだけじゃない。アノン、やっぱり変だ。なんでどの世界に入っても世界の状況を把握できてるの? ……どうして、知識は悪いものだと言いながらアノンは全てを知っているの?」

 しかしそんな事はどうでもよい。ただ今は、アノンを仕留める計画が失敗したというだけ。ならば私は、次の手段に出る。不意打ちではなく、彼と正面から対峙する方法だ。リスクは高いが、アノンを殺せる手段はこれしかない。

 先程私の剣を掴んだアノンの手が、血で染まっていることに気がついた。それはアノン自身の血であり、私の剣が彼に傷を負わせている事を意味していた。……つまり、今の私はアノンに届く。


 身体は動く。彼への攻撃は通る。彼は私を見たまま動こうとしない。


 ――なのにどうして、全く勝てる気がしないのだろう。


「アディ、君は勘違いをしている」

 アノンは一切構えない。ただ立っているだけだが、彼にとってはそれが戦闘における構えなのかもしれないとさえ思ってしまう。どう攻撃しても、彼には届かない。それがわかってしまう。

「以前も言ったが、私は君の愚行に関しては特に何も思っていない。君はこれから私と戦おうとしている訳だが、私がそれに応じる事は無い」

 彼はそもそも、これから始まることが戦闘であると認識していない。


 それが、許せなかった。まるで私を見ていないようで。


「アノン。答えて」

 剣は構えたまま。

「……いいだろう」

 対するアノンの返答は、肯定。

「あなたがその座に着くときに失った代償は何」

 彼の弱みを探るように質問する事も考えたが、私は率直に、正面から彼に尋ねた。今のアノンであれば、答えてくれるとわかっていた。



「『無知』だ」



 一瞬、理解ができなかった。しかし私は彼の言葉と彼の状況を整理する。そして、理解した。

「無知を、願ってたから……全てを知ってしまうようになった、の……?」

「私は十七席第三となる代償に、周囲の人間が知っている事を知る呪いを得てしまった。『無知でいたい』『何も知りたく無い』私はかつてそればかりを願った。……そして、それは永遠に訪れなくなった」

 それが私の攻撃が彼に届かなかった理由であり、きっとアディシェスと会話したことも彼は知っているのだろう。彼があらゆる世界を理解しているのも、それが理由なのだ。

「あくまでも私に与えられた代償は、他人の知識を受け取るだけに過ぎない。君が君の中にいる人物と対話を終え、何を知ったかは理解しているが、今君が考えていることまではわからない」

 思考を完全に盗む事はできない。私は少しだけ安堵した。

「もう一つ、答えて」

「答えよう」

 質問は言っていないが、アノンは肯定した。きっと私の知る知識から逆算し、次に私がするであろう質問を予測しているのだ。


「アノンは、私に殺して欲しいの?」


 一番の質問。アノンが継承者を代々受け継がせてきたのは、それだけアディという存在が強固になるからだと予想した。私でなくても次のアディが、それでもダメならさらに次を。いつかアノンを殺せる個体が生まれるときが来ると、アノンはそう考えているはずだ。

「君の考えは概ね正しい。私は死を願っているが、……常に死を恐れている。私は、自分から死ぬことができなかった。だからアディ、今の君が全力で生きようとする私を殺せるのであれば、それで構わない。それが私の願いだ。ただ……」



「今の君では、それは"不可能"だ。たった今、君が証明した」



 不可能。それは今、こうやって対峙する事で充分に理解した。今の私には、彼を殺すことができない。勝てる気がしないから、ではない。確かに私は彼を殺せるのかもしれない。しかし私の奥底では、やはりアノンを殺す事を躊躇っている。気づけば私は、アノンに向けていた剣を落としてしまっていた。

「君は既に、正面から私を殺す事ができる。それほどの力が今の君にはある。更に先程まではその意志さえも確かにあった。ただしどうだ。私と対峙した途端、君は躊躇した。……当たり前だ。君は私を"知って"しまっている。仮に私が君との接点を何一つ持っていなかったのだとしたら、君は私を容易に殺すだろう」

 赤の他人であれば、殺すことに躊躇はいらないと。アノンはそう言っているのだ。私はそれを否定したかった。……だが、過去の私は赤の他人を殺している。……殺せている。アレフを殺し、カーターを殺し、……そしてきっと、フランシスカも私の所為で死んだ。自暴自棄になってからは、世界を幾つも壊した。そこにいた人たちは当然死んだ。躊躇いはしただろうが、結果として私は彼らを殺してしまっている。ただしアノンは違った。彼らと同一のように思えない。烏滸がましくも、彼らと同じように彼を殺すことができない。


「……私、どうすればいいのかな」


 言葉が、溢れた。悔しかった。彼を殺す事を阻む唯一の障害が、長くもない彼と過ごしてきた時間だった。


「だから、君では不可能と言ったのだ」

「他の……他の人に殺してもらうとかはできないの? アノンよりも強い人に……」

 言いかけて、止まった。アノンよりも強い存在、それは誰だ?

 第一席の伊神迅は既に居ない。第二席のフィリスも現在はアノンを殺せるだけの力を有していない。アノンよりも序列が上の存在は、なんらかの理由で彼に死を与えられないのだ。

「……私だけ、なんだね」

「ああ、そうだ。かつて私に最も近かった第四席、それの権能『宣告』を以てしても、私を殺すには至らなかった。君にしかできない事なのだ。私はそれ故に、迅が遺した世界の後始末を、アディという存在の強化に利用させて貰っている」


 アノンの全てを理解したような気がした。


「全ては私の背反な願いが齎した愚考だ。君が私の事について気に病む必要は無い。故に君は……君は世界を救い続け、いつか訪れる摩耗に廃れ次の世代のアディへと信念を託す。それだけで良い」


 アノンの本当の目的は何か。その疑問の答えは示された。全てだったのだ。世界を壊す理由は停滞した世界を解放する為であり、世界の数を減らし伊神迅が抱える負荷を減らす為。フィリスを消しているのは、行き場を無くした彼女を救う為。そして私に力を継承させたのは、彼自身を救う為。


「でもねアノン、間違ってる事があるよ」

「聞こう」

「私は確かに、できることならアノンを殺したく無い。"アディ"がアノンを殺さない結末があれば、その方がいいって、今の私はそう思ってる。でも、……私、やるよ。次の代じゃなくて、私がアノンを殺す。今は無理でも、いつか、必ず。だから……」


 今の私は彼を殺せない。 


「だから今は、アノンの言う事を聞いてあげる。この世界を救ってあげる。……でも、アノンの救い方には納得できない。世界を消すことが救いだなんて、私は認めないから」

「……そうか。では、君の望む救済を傍観するとしよう」

 アノンの表情は、最後まで一切変わらなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る