C6 黄金の対価
File6-1 わたしのなかの
あまりにも暗く、水の底のよう。私の身体は動かなくて、まるで私が私でないみたい。
『やあ、こうやって話すのは初めてだね』
誰かの声が聞こえる。知っている声。今までで最も聞いた声であり、しかし私はそれを聞く事に慣れていない。……そうだ。これは私の声。
私の声?
直前の記憶が曖昧である。確か……。
少しの沈黙の後、私は直前の出来事を思い出した。フェムトと名乗る少女に出会い、記憶を消去されたのだ。……何故それを私が覚えているのだろう。
『思い出した? ま、私が強制的に君の記憶を元通りにしたんだけど』
「えっと……その、ありがとう?」
『感謝はいいよ。それよりもさ、私に質問あるでしょ』
謎の声を発する相手は随分と偉そうだ。それに、これから私がしようとしている質問もきっと彼女にとっては既知なのだろう。きっと私は、会話相手が誰なのかを尋ねる。相手はそれを心待ちにしている。
だから私は、その先を行くことにした。
「もしかして、アディシェスさん?」
『……へぇ、賢いね』
少しだけ、"私の声"は沈黙した。どうやら私の言葉は予想外だったようで、私の予想していた通りだった。
アディシェス=アスタロト。それは一人目のアディを指す名前だ。私自身、声の主がかなり昔に死んだはずのアディシェスであったことには驚いている。根拠は少しだけあるとはいえ、適当に探りを入れただけに過ぎなかったが偶然にも当たってしまった。
『初めまして、七十五人目の私。そうだよ、私がアディシェス。アノンから始めに力を受け取った愚人だ』
■ ■ ■
『それよりもさ、そろそろ起きたらどうだい?』
――起きる? 私は眠っているの?
『ああ、そうだとも。目を開けるだけでいい。ほら、周りの景色を見るんだ』
どうやら私は眠っていたらしく、少し意識を集中するだけで朧げな意識を覚醒する事には成功した。
……ただし、景色はそのまま。真っ黒だ。
『起きたようだね』
「何も見えないけど」
『当然、ここには何もないから』
「景色って言うの、なんか違う気がする。意地悪」
視線を下ろすと、私の体がはっきりと見えた。手も足も、私の意思通りに動く。
「……私、今座ってる?」
『そうだね。立ってみるかい?』
私は立ち上がると、後ろを向く。私が座っていた白い椅子が、椅子以外の黒と対比されているようだった。
「……ここ、どこ?」
『ようやくその質問をしたね』
まるで待っていたかのように、"私の声"は答えた。
『ここは天上の十七席とその継承者が生み出すことができるひとつの空間であり、世界群を統治する場所でもあり、……そしてかつては伊神迅との面会の場でもあった』
「……それって、だれ?」
私が質問すると、"私の声"のため息が聞こえた。
『そうだった。完全な記憶の補完がまだだったね。ほら、今全部戻すよ』
"私の声"がそう言った途端、私の頭に情報が流れ込んできた。思考に支障が出ない程度に少ない情報だったが、質は濃かった。
「そっか。私、フィリスさんに会って……」
全てを思い出した。アノンに反逆しようとしていたことまで。
『伊神迅の事も思い出したかな?』
「うん。十七席の第一で、この世界群……全てを造った人」
『そう。そしてこの空間は伊神迅が作り上げた場所……の、レプリカ。残念ながらただの模倣なんだけどね。実際は夢の中とでも思って貰えればいい』
「……何で、あなたは私の記憶を戻せたの?」
『バックアップみたいなものかな。君が見て感じた事は全て、私も記憶している。フェムトはあのとき君からフィリスと会話した内容を全て忘れさせたけど、私には残っている。だから私の記憶を君に渡せば、失った部分を補完できるのさ』
私の記憶については解決した。
「フェムトさんは、この事を知ってたのかな」
『知ってただろうね。フェムトはアノンが嫌いだから。アノンの要求通りに権能を使うとは思えない。きっと私が居なくても勝手に記憶は戻ったはずだ』
そういうものなのだろうか。アノンもかなりの嫌われようである。
「それでアディシェスさん。どうして私は今ここにいるの?」
『それは経緯の話かい? それともここにいる理由のことかな?』
「理由だよ。どうして、あなたは私に会いにきたの?」
正直、どうやって私をこの空間に連れ込んだのかはどうでもいい。何故彼女は私と話をしているのか。それが疑問だった。
『君には全てを話しておかなくてはいけないんだ。継承者として、君は知る権利がある。君である理由は……まあ、今は話さなくてもいいかな。アノンにでも聞くといいよ』
「知る権利……?」
『これからするのは天上の十七席とその継承者、つまり君やアノンたちの話だ。君が知りたかった内容もほぼ全てを知る事になるだろう』
■ ■ ■
『かつて伊神迅とフィリス=シャトレ、それからアノンの三人は"永遠"を求める為、無数の世界を生成しそれらを観測した。しかしそれら全てはある程度同じ道を歩んでしまう。どれほど初期設定に変化を与えても、終わり方はせいぜい六種類程度に帰結してしまった。だから三人は次に、彼ら以外に複数の世界を行き来できる存在を用意しようとした。他の世界を観測できる人間を用意できれば、世界に変化が生まれるだろうと考えたんだ。しかし誰しもが世界の移動に成功してしまえば、本来の意図を失ってしまう。巨大な一つの世界と何ら変わりはなくなってしまうからね。迅は変化を齎す為に、フィリスの権能を使って彼女を全ての世界に置く事にした。でもそれだけでは足りない。彼らは更に、世界を超越した力を持つ十四人をそれぞれ迅が造り上げた世界の中から選んだ』
「それが、天上の十七席?」
『そう。迅とフィリスとアノン、それから残りの十四人を加えた十七人で、世界に変化を齎そうとした。でも結局のところ、計画の全てを知っているのは最初の三人だけだ。……この話は別にしなくてもいいか。つまるところだよ、天上とは、そのようにして完成された変化の為の駒だったんだよ。ああ、効果は絶大だったよ。世界は多種多様の終わりを迎え、中には終わらない世界があった』
終わらない世界。しかしそれは。
「でも、それはアノンたちの理想じゃなかった」
『そう。十七席が直接管理している世界以外で残ったものは、例外なく停滞してしまっている。停滞という現象は三人の望むところではない。そこでアノンの役割だ。一度停滞した世界を動かす事で、その世界にもう一度チャンスを与える。それはどの世界にも配置されているフィリスを活性化させる為でもある。フィリスは一度世界に入ったら自己を忘れてしまう不具合が起こっていたから、それを直す為でもあったわけだ』
「一度動かした世界がもう一度停滞しちゃったら、今度こそフィリスさんが世界を終わらせるんだよね」
『その通りだよ。まあ伊神迅は既にこの計画を諦めて"上"の世界に帰っちゃったから、今君たちがやっている事は本当に迅の後始末なんだけどね。世界のシステムに関してはこんなところかな。じゃあ次は、君の話だ』
「私の?」
『継承者。君はそう呼ばれている。それはわかるね?』
その言葉を、久しぶりに聞いたような気がする。
「わかるけど……なんで?」
『十七席には寿命が無いが、それでも精神的に衰退することはある。死にたいと思うことだってあるだろう。だから伊神迅はそれに対策を施した。……それが継承者と呼ばれるシステムだ。天上の十七席は皆、自らが選んだ一人に自らの権能の一部を与えることができる。そしてその僅かな権能と自らの技量で継承元の天上を越えるに至ったとき、――天上は入れ替わる』
「越える……」
前のアディから力を得ていたから継承者と呼ばれていたのではない。大元はアノンの持っている力だったのだ。
『越えることで代が変わる。少し言葉を濁してそう言ったが、率直に言い直そう。継承者が天上を殺せばその座を奪う事ができる。それが継承の全てであり、それ以上の意味は無い。継承者というよりかは、継承候補者というのが正しい認識かな』
私がアノンの継承者で、それはつまり。
「アノンは、代わって欲しいの? 私に、殺してほしいの?」
『さあ、ジオやフィリスのようにただの趣味で継承者をつくる奴もいる。アノンもそうかもしれないけど、いつ殺されてもおかしくない位置にいるという事は彼自身理解しているだろう。趣味で継承者を置いているにせよ、死ぬ覚悟くらいは出来ているはずだ』
「死ぬ、覚悟……」
『そう難しく考えなくてもいいとは思うけどね。後は……ああそうだ、いつか君がアノンを殺すにあたって、代償についても話しておかないとね』
「代償?」
ただで力を受け取れるという訳でもないらしい。
『十七席はこの世界群から見れば強大な力だ。故に伊神迅はその力を受け取るにあたり代償を課した』
「それで、代償って何だったの?」
『それは、"本人が最も大切にしているもの"、或いは"本人が最も手に入れたいもの"だ。十七席の人間はほぼ全員、願望を叶えられずにいる。これはアノンも例外じゃない』
「願望……」
アノンにも、叶えられない願望があるのだ。
『例えば第十二席のジオ。彼は誰よりも正義と道徳に固執していた。だから彼は倫理観を失った。彼は随分と壊れてしまったよ。継承者を何人も繰り返し作り出し、様々な実験に明け暮れてしまった』
「アノンにも代償があるんだよね?」
『ああ。だが……教える訳にはいかない。ここで君に代償を教えてしまえば、アノンに私たちの計画が気付かれるだろうからね』
「そうなんだ……」
『だが案外、彼から教えてもらえるかもしれないね。アノンは大抵の質問には答えるから』
「うーん、今更アノンと対等に会話できるのかな」
今彼と向き合ったところで、真面目に会話できる気がしない。記憶が無いふりを続けるにしても、質問をすることでアノンに気づかれるだろう。
『アノンに一撃入れてみるというのはどうだろうか』
「へ?」
突拍子もない返答がきた。
『それなら感情がいらないからね。もしそれでアノンが死んでしまっても、君に不都合は無い。倒せなかったとしても、アノンが君を叱る事はないだろう。むしろ君の本気をぶつけることで、彼に変化が起こるかもしれない』
「それは……」
アノンを殺せるとは微塵も思っていないが、確かにそれはある。
「……やってみる」
そして、弱々しく決心した。
『タイミングはいつでもいいけど、場の雰囲気は考えた方がいい。少なくとも今君は輪廻する幻想の世界の中だからね』
"私"に言われて、思い出した。今はシデリアによるループを解決している最中なのだ。
『さて、そろそろアノンに気付かれるだろうから、私はまた眠るとするよ』
「また、会える?」
『近いうちにね』
「そう、それならよかった」
■ ■ ■
そして私は、アノンに悟られないままシデリアの世界を救った。
そう、思っていた。
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