File5-6 Sideria's arcadia

 地面と空の境界すらわからない、一面に広がる黒。私の前には、白い椅子がひとつ。


 そしてそこに座っているのは、ハーフツインの茶髪で簡素な白い服を纏った小柄な少女だった。

「ごめんね。私が勝手に連れてきちゃった」

 その少女の名前はアディ。アノンと共に行動していたはずの人間だが、ここにアノンの姿は無い。

「安心して。私はね、アノンよりもいい方法があるんじゃないかって信じてるの。アノンはいつも強引なところがあるから。もっと平和に、他でもないあなたが納得するような手段……それを、私は大切にしたい」

 世界の存続のみを考えるフィリス。私を利用し、世界を壊そうとするアノン。アディはその二人とは違った。彼女だけが、私の事を考えている。


「ここは、何処?」


 周囲を見渡す。見渡すが、何もない事を痛感するだけだった。ここには黒しかない。

「私たち、世界を渡る人間が持つ空間の模倣品。安心して。ここはまだあなたのいる世界の中だよ」

 説明されたが、五割程度しか理解できなかった。向こうも詳しく解説する気はないのだ。

「あなたの力、アノンから聞いちゃったんだよね」

 私は頷いた。

「じゃあ、ここから話すのはその先のこと。何故あなたが作っている世界はいつもこの世界なのか。私の仮説は、それはあなたはこの世界を気に入ってるから。そして何故毎回過去に戻るのか。それはあなたがどんな未来に辿り着けても満足できていなかったからなんじゃないかなって、そう思うんだ。だからさ、シデリアさん。……探そうよ。あなたが叶えていないことを」


 その言葉は、とても理想的で。


 しかし今までで一番、縋ってみたいと思った。




    ■    ■    ■




「私、何がしたいのかな」

「ゆっくりでいいよ。思い出してみて」

 状況を整理する。探偵という職には不正の限りをはたらかせて就いているものの、私自身正規の手段で探偵になれるほど頭は回る方であると自負している。故に、手がかりはすぐに見つかった。未知で不気味な空間ではあるが、ここには私の思考を阻害するものは何もなかった。

「私、いつも九歳のあの日に戻ってる」

「うん。シデリアさんが戻ってるのはいつも同じ時間だね。問題はそこにあるのかも」

 その時期に何が起こるか。私の望まない出来事はないか。


「……ある」


 そう、一つあるのだ。寧ろそれは今までで唯一解決できなかった問題である。

「私、両親を救えなかったんだ」

 見つかった、私の願い。そして私は一つ、新たな疑問を持った。しかしそれは、私が考えたくないものだった。


 ――何故、私は両親を救えていないのか。


 世界を創造する力を持ちながら、何故両親は毎回助けられなかったのた。これからそれを考えるというのが当然の行為だが、私はそれを考えることを避けたかった。


 わからないのではない。わかってしまうから。


「嘘……、違う、よ……」


 問いかける前から既に、その疑問に対する答えは私の中で纏まっている。しかしこれを口に出してしまえば、私は私が嫌いになる。閉じ込めておくべきだと、そう判断する。

「言ってごらん。大丈夫。全部聞いてあげる」

 しかしアディは優しく、私に微笑んだ。全てを受け止めてくれる神様のように。隠そうとした私を責める事もせずに。

「私、は……」

 私の能力は、世界を作り変える事。私にとって都合の良い世界になっていたのであれば、その答えは一つしかない。


「満足、していた? ……私、両親が居なくなる事を望んでたんだ……!」


 そんなはずはないと否定したかった。両親の事は大好きだ。救える未来が映らなかった事に対して怒りもした。それなのに。

 ――それなのに、否定できないのだ。私の心の奥底では、私の完璧な未来の為には両親は切り捨てられるべきだと、そう判断していた。

「最低だ、私……」

 そう。私にとっての理想的な未来を描くのに、両親は必ずどこかで処理しなければならない。私はこの世界を、両親も含めて全て道具としか思っていなかった。


「それは違うよ」


 その悲嘆を、否定される。罰して欲しいとさえ思った私の愚行を、彼女は決して認めない。

「話してくれてありがとう。辛い思いをさせちゃったね。……でも、それは間違ってる。確かにあなたは両親が居ない事を快適と思う時があったかもしれないけど、それが最も良い未来だなんて思ってるはずがない。シデリアさん、あなたはお父さんもお母さんも大切に思ってるはずだよ。助けたいって思ってるはずだよ」

「……でも」

「だってさ、」

 私の言葉を、アディは止めた。

「戻った瞬間は、まだあなたの両親は生きてるから。それってつまり、その時間からやり直したいっていう願望があなたの奥底にあったからでしょ? 本当に両親を切り捨てたいと思っているなら、両親が居なくなった後の時間まで戻れば充分だから」

 ――確かに、そうだ。

「だから安心して。あなたはちゃんと、両親を助けたいと思ってる」

 涙が出そうになったが、しかし涙は決して流さない。泣くとするならば、全てを解決してからだ。

「だから、今は」

「あの日に戻る。そうだよね」

 アディの言葉を遮り、私は言った。アディは私の立ち直りの早さに少しだけ驚いていたが、すぐに笑顔になった。



「うん。救おう。この世界も、あなたも!」




    ■    ■    ■




 私とアディは綿密な計画を立てた。とはいっても、かなり不安定ではあるが。

「今から私があなたを殺して、あなたは次の世界を構築する。なるべく両親を救う未来をイメージして」

 私の理想の世界を創る力なら、私が強く願う事でその通りの結末を迎えられる世界を創造できるはずだ。

「新しい世界を作ったら、まずあなたに会いに行くよ。だから待ってて」

「うん。……あ」

 一つ、懸念がある。私たちの計画は、ある一人の存在により頓挫するものだった。

「アノンが来たりしない?」

 アディと共にいた長身の男。私は何度も彼に殺され、……そして彼の目的は、確実にこれからの私たちの行動と一致しない。

「大丈夫。アノンは私が動いている間は傍観してくれる。それは絶対に安心していいよ。むしろ手助けしてくれるかも」

「そういうものなんだ」

 アノンという男について、私は何も理解できない。……否、きっと理解できない方がいいのだろう。今はアディのその言葉を信じることにした。


「こんなところかな。それじゃあ、次の世界で」

「うん。よろしく」


 アディが虚空を掴み、紫の物体を出現させる。ハサミの片側を象ったような細剣だった。


「全部任せて。私は救済代行屋。あなたが縋るもの、その超能力に代わってあなたを救済する。それが私の役割だから」


 アディが剣を握る手を軽く振る。私は意識を手放した。




    ■    ■    ■




 未来を見る力を得て、私は目が覚めた。


「おはよう、シデリアさん」


 少し気分の悪い朝に、見知らぬ人の声。しかしその声に不快感はない。

「……アディ?」

 彼女の声を聞いたことで、私は全てを思い出す。私が得た力は未来を見るものではなく、世界を作り変えるもの。

「ごめんね。本来の目的ならあなたがもう少し成長するのを待って、原因を完璧に特定する回を作るのが確実なんだけど。こっちでいろいろやることが済んじゃったから」

 今の私は彼女と最後に別れた十九歳の容姿ではなく、丁度十年前、九歳の幼い私だ。

「やること?」

「残念なお知らせが一つ。……やっぱり、世界は変わってない」

「……そう」

 もしかするとあるいはと思っていたが、そう簡単にはいかないらしい。

「どうする? もう一回やり直してみる?」

「いい。……ちょっとだけ痛かったし」

「ごめん。でも、ひとつだけわかった事がある」

「何?」

「シデリアさんは確かに変わった世界を構築しようとしていた。でも失敗してたんだ」

 私の力が及ばない場所がある。そういう事だ。それはつまり、私たちの計画が無意味に終わらない事を示している。


「この世界で一箇所だけ、どんな変更も……私の力でも改変できない部分があった」




    ■    ■    ■




 私たちが目指しているのは桃源郷の中央にある議事堂。その中の、何の変哲もない一室。

「そうだシデリアさん。今のうちに言っておかなくちゃいけないことがあって」

 議事堂の敷地に入ったあたりで、アディが私に言った。

「これが終わったら、私とアノンはこの世界を離れるの」

「えっと……、うん。そう、だよね。でも、どうしてこのタイミングで言うの?」

「別れは急じゃない方がいいかなって。今までも色々な世界を旅してきたんだけど、やっぱり別れは寂しい。それに、急にいなくなるかもしれないから」

「心の準備をしておいてって事?」

「そんなところ。……着いたよ」

 私は未来を見ているわけではないが、私たちが辿り着く間、誰にも遭遇しなかった。アディの力だろうか。

「よかった。アタリみたいだね」


 ――まるで答え合わせをするかのように、その扉の前には一人の少女がいた。


「この先には入らない方がいいの」

 フィリス=シャトレ。アノンと対立する人物であり、私を世界から切り離そうとしている者。

「どいて、フィリスさん。私はその奥に行かなきゃいけない」

「あなたたちの目的はわかってるの。確かにこの中にあるのはシデリアさんでも変えられなかった部分なの。でも、……ごめんなさいなの、ここは退いて欲しいの」

 フィリスはどうしてもここを通したくないようだった。

「フィリスさん。その扉の奥、何があるの?」

「それは言えないの。でも……」

 フィリスが言い終わる前に、アディが一歩前へと踏み出した。

「前置きはいいよ。フィリスさん、あなたは本当はこの世界を進めたくない。停滞したままでいい。そうでしょ?」

「……えっ」

 私は驚いた。気付かなかった。私はフィリスの目的も他の二人と同じ、何度も繰り返しているこの世界を解放したいものだと思っていた。

 フィリスは黙ったままだった。アディのその言葉は図星なのだ。

「……フィリスさん、どういう事?」

 聞かざるを得ないだろう。私に協力しようとした彼女の言葉は嘘だったのか。

「私は、この世界が無くなって欲しくないの。停滞が終わったら、他のどの世界とも同じようにこの世界も終焉へと向かう。停滞することだけが、世界を永遠に存続させる手段。だから……、お願い、なの」

 フィリスは懇願するが、アディはそれを受け入れない。私も同じだった。ここまで来たのだ。私は、この先を見たい。

「なら今ここで私が強行的な手段を取ったら、あなたはどうするつもり?」

 アディが紫の細剣を取り出す。フィリスは弱くため息をついた。

「仕方ないの。私にはアディを止める力は無いの。……でも、シデリアさん。この先に進むと私の願いだけでなく、あなたの願いも叶わないかもしれないから注意するの」

 フィリスがつま先で地面を叩くと、彼女はその場から消えた。


「フィリスさん……」

「行くよ、シデリア」

 フィリスの事を気にかけながらも、私は目の前の扉を開けた。この扉の向こうには、真実があるはずだ。




    ■    ■    ■




「なに、これ……」

 こんな空間が存在していいはずがない。それが、私がこの部屋に入って最初の感想だ。

 空間が壊れている。そう表現する事が精一杯の、何もかもがわからない場所。最早部屋とすら呼べない。


 床のみが部屋の外と連続し正常であるが、それ以外は滅茶苦茶だった。壁や天井の境界は存在せず、あらゆる絵の具を半端に混ぜたかのような君の悪い背景がどこまでも続いている。……そして唯一正常な床は、まるで通路であるかのように細長く伸びていた。その終点は、ここからでは見えない。

「……どうして」

 私が言ったのではない。その声はアディのものだ。


「どうしてあなたがいるの。ジオ」


 いつのまにか、私たちの前に一人の男が立っていた。否、人と呼べるかどうかも怪しい。彼の頭部にあるのは人の顔ではなく、大きな時計だった。そしてアディは彼を知っているようだった。

『おまえ、は、わたし、を、知って、いるのか』

 脳内に直接話しかけてくるような、不快な声。

「……いや違う。ジオじゃない。あなたは誰!?」

 アディが叫ぶ。途端、私は気が狂いそうになった。


 時計頭の男が増えたのだ。二人、三人、四人……。最早数えられないほどに、私たちの周囲に全く同じ時計が現れ始めた。地面を無視して空中に立つ者もいた。


『我々は』『誰、だ』『故に、名を持たぬ』『ジオ……、そう、か』『継承者、だな』

 それぞれの個体が、支離滅裂に言葉をつなげている。

まれびとよ、何用で、この聖域へ来た』

 目の前の個体が質問した。

「質問に答えるのは後。あなたたちは一体なんなの? ここで何をしているの?」

 アディは強気だが、腕が震えている。アディでさえ、この事態は異常だと認知しているのだ。

 アディの質問に応じるように、各々が狂っていた時計頭たちの動きが統率されていく。やがて全員が黙った。

『我々は、伊神迅より、命じられた、任務を、遂行する、のみ』

『永遠の捜索』

『時間の超越』

『その先にある……』


 その言葉が続く事は無かった。アディが時計頭のうちの一人の頭を剣で貫いたのだ。


「……シデリアさん、絶対にそこから動かないで。全部処理する」

 アディは怒っていたが、私にはそれが何に対しての怒りなのか理解できなかった。私の敵という理由だけではないのは確かだ。

 時計頭たちも、各々が右手を前に出す。気付けば全ての個体が拳銃を持っていた。アディもまた、虚空から紫の細剣を取り出した。


「大丈夫。全部終わらせてあげるから」




    ■    ■    ■




 アディが動く事は無かった。彼女が動く前に、時計頭の男が次々と倒れていったのだ。そして、私はその元凶を目の当たりにした。


「……アノン」


 時計頭の大群を倒したのはアディではなく、いつの間にか現れていたアノンだった。彼に対する感情は色々とあるが、今は必死に抑える。少なくとも、今の彼は私を殺そうとはしていない。

「この空間は我々の認知の外にあった。フィリスはシデリアのみをここに誘致し、シデリアという停滞の元凶がこの世界から消滅したと誤認させ我々を世界から撤退させようとしていたようだ。……ふむ、フィリスの妨害もここまで凝るようになったか」

「アノン。この空間は何なの?」

 私の能力により改変できない部分である事は充分に理解した。だが、本来の目的である私の両親を救う事とどうしても結び付けられないのだ。

「本来のこの部屋単体では何の効力も持たない。ただ法律改正の記録を保管するだけの倉庫だ。だが……この部分に介入する力を持たない限り、君の両親が有罪となる事実は変えられない。君の両親は、この部屋にある過去の法律を閲覧したことに由来する」

 アノンが指を鳴らすと、歪だった空間が畳まれていく。数秒後、私たちはただの薄暗い部屋の中にいた。

「これで、君の能力を阻むものは無くなった。後は自由にするといい。数回以内に君は両親を救う事に成功するだろう。撤収だ、アディ。この世界の停滞は君が最も望む形で解決された。アディの方法は遠回りだと思っていたが、成程、本人の意思に沿った手段は効率が良い。覚えておこう」

「待って!!」


 私はアディたちを呼び止めた。


「早すぎるよ! もっと、教えてよっ……!」

 一瞬で全てを終わらせてしまったアノンに対し、少しでも留まらせようと質問する。彼やアディが世界から去ってしまえば、私はきっと何もできなくなる。きっと彼らを追い求めてしまう。

「君が得るべき情報は全て出した。残りは観測者の役目だ。我々はただの部外者に過ぎない。それに言っただろう。知識は無い方が良い。特に、我々やこの世界の姿に関しては、後戻りが出来なくなる程強烈なものだ」

 いつのまにか、アディはアノンの隣にいた。彼女は虚空から銃を取り出すと、上に向けて撃つ。

「シデリアさん。……大丈夫。あなたならきっと上手くやれるから」

「でも……!」

「私たちはここにいちゃ駄目なんだ。あなたは世界の全てを改変できる。でも、変えられない部分は確かにあるの。この部屋は元に戻した。フィリスさんは常にこの世界と調和できる。それじゃあ、今この世界であなたの意思に従わない部分はどこ?」

「あ……」

 それは、目の前の二人のことだ。彼女らがいる限り、この世界はひずみを生み続ける。外の世界の人間がいる事で、私は最善の世界を生み出せなくなってしまう。生み出した世界に綻びが生まれてしまう。

「私たちはこことは違う世界の法則で生きている。私たちはね、一つの世界に留まれないの。だから……」


 アディが、私の手を握った。


「……だから、さようならなんて言わないよ。シデリアさん、またいつか会おう」


 そうして、その手を離した。




    ■    ■    ■




『ジオの断片を抱え、夢境の能力を持つシデリアを利用し、この世界を維持させる。……私の計画は二人の異邦人によって途絶えたの。……わかっていたはずなの。いつかこの日が来るって』

『この世界は停滞を終え、新たな時間を刻み始める。その先に永遠があると信じて』

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