C5 桃源郷と歪む未来視
File5-1 Paradise
世界の理を無視した特殊な力を、私たちは持っている。
四百年前、世界で初めて特殊な力を持つ人間が観測された。初めて観測された能力者は空を飛ぶという単純なものだったが、それでも異常な事には変わりない。人々は彼を神様の遣いのように崇拝し始めたが、それも長くは続かなかった。
一人目の発見を機に、特別な力を持つ人間が次々と発見された。世界は瞬く間に超能力者だらけになったのだ。超能力者は世界全体の一割程度だが、それでもかなりの人間が能力者となってしまった。超能力者という肩書きは、いつのまにか陳腐なものになった。
人により、どのような力が現界するかは異なる。炎を出す。瞬間移動する。人の思考を読む。……数えればキリが無い。
超能力の解明に尽力した人物は後を絶たなかったが、誰一人として、満足のいく結論を出せた人間はいなかった。結局「そういうものだ」と認めざるを得なかった。
世界は変わった。後に世界を統率できる程の力を持つ能力者の集団によって、国は分断されたのだ。全ての人間はそれぞれの功罪により四つの区画に隔離され、上の階級に行くほど裕福な生活が約束される。罪人や怠慢な人間が堕ちる最も貧しい区画は、人権すら失われたような過酷な状況になっているらしい。
伝聞だ。私は最も裕福なこの区画に生まれ、一度もここから出た事が無い。一年に一度、全ての人間が選別される日があるのだが、私は一度も落とされた事は無い。
「……そう。私はここに居続ける。馬鹿な父や母と違って。私にさえ従っていれば、ここに残れてたのに」
私の両親は、とある事件で冤罪を被り、最下層へと追放された。
四つの区画のうち、桃源郷と呼ばれているこの区画では、極上の暮らしが確約されている。仕事はあるが、趣味で充分に稼げる程だ。そして私は、とある理由により自分から落ちに行かない限り、この区画からは落ちない事が確定している。
そんな区画の、最も偉い人間が政などをしている議事堂の屋上で、私は今日も佇んでいた。この建物自体機密の山で当然立ち入り禁止であり、役人に見つかれば即刻下の区画に落とされる程の重罪だが、私は捕まらない絶対の自信がある。むしろ私にとって、ここ以上にサボれる場所は無い。ここは静かでいい場所だ。
「よう、シデリア。またサボりか?」
……のだが、静かな時間は唐突に終わりを告げる。
シデリアというのは私の名前だ。誰も居ないはずのこの場所で私の名前を呼ばれたが、私は驚かない。彼は別にここの役人ではなく、むしろ私の、私が信頼できる数少ない仲間だ。
「君もサボりに来たんだ、アカラン」
彼の名前はアカラン。彼は今年二十歳になったばかりであり、私の幼馴染でもある。二十歳にしては若く見える彼は、普段はこの区画の下水道掃除を担当している。好んでそんな場所に入りたがる人間など稀有なので、彼も当分は落とされる事は無いだろう。
「俺は見つかってもなんとか誤魔化せるが、そうだな。お前がいるからここに来たんだ。知ってたんだろ? 俺がここに来るのは」
「まあね。それにしてもやっぱり臭い」
「仕事の途中でそのまま来たから何も反論できねぇよ」
下水道は全ての建物と繋がっている。彼は下水道に繋がる太いパイプを使って屋上まで直接やってきたのだ。彼がここの役員に見つかっても、掃除の一環で一時的に外に出たと言い訳はできる。
彼もまた、屋上の人工芝の上で横になる。
「……髪、また切ったのか」
「一昨日ね。折角だしこの前勧めてくれたエウスさんのとこで」
「せっかく綺麗なんだから伸ばしてもいいと思うけどな」
「なにそれ、プロポーズ?」
「お前がそう思ってるなら、俺はそれでもいい」
「切って正解だったよ」
「……最悪な返答だ。ま、正直俺は別にどっちでもいい。むしろ今のお前の格好なら、髪は短い方が似合うぜ。懐かしいな、昔のお前はもっと……」
「はいはい、もういいからそれ」
私は両親を嫌っている。母親に近づこうと伸ばしていた金髪は、母が追放された日に短く切った。誕生日に父から貰った髪飾りは、父が追放された日に捨てた。
かつては可愛さを重視していた服も、両親が買ったものだと思うともう着る気にはなれない。今はどちらかというと、動きやすい服装の方が好きだ。昔はスカート以外を好んでいなかったが、今では短いズボンが一番しっくりくる。
「それにしても便利だよなあ、お前の未来視は」
私は彼以外に口外していないが、未来を見る超能力を持っている。私がこれから見る景色は、細部まで全て見通せるのだ。今日はこの建物の屋上には誰も見回りに来ないことも、どんな行動を取れば年末の選別でこの層に残れるかも。……そして私が最下層へ行こうと決意するだけで、惨い姿の両親と再会する未来を覗く事ができる。故に、私がこの区画から落とされる事はあり得ない。世界は私にとって優し過ぎる。
「アカランは仕事は大丈夫なの?」
私もそうだが、彼もまた仕事中のはずだ。彼の返答は一字一句言えるが、あえて彼に質問した。
「現場監督なんていないし、下水道なんて常に汚れてるだろ? 本当は掃除なんてしなくていいのさ」
私が予想していた通りの答え。
「でも、一昨日は鼠を捕まえたって」
「お前だろ? 鼠が来るのを教えてくれたのは」
「さあ、どうだったっけ」
適当に遇らう。
「そもそも捕まえてない。ちゃんと元の位置に返したぞ。向こうの"同意"の上で」
「あ、ずるい」
「お前よりは余程平和にこの力を使ってるつもりなんだけどな」
「減らないんだよな。下水道から不正に来る奴」
「ここに登ってきてもなにもないのにね。最下層で使われてる通貨は桃源郷の市民証が無いとこっちの通貨と両替出来ないし」
「そもそも両替所は選別の日から一ヶ月しか開かないぞ」
「そうだった」
「そろそろ移動しようか。アカラン」
「仕事か?」
「いや? 今日はずっとこのままでも大丈夫だけど、今が一番帰りやすい」
「……また俺の力を使いに来たな」
「私はアカランと違って下水道なんて通りたくないからね。大丈夫、今から三十分以内に移動し始めれば一回で済む。任せたよ」
「ああ、任された」
私とアカランは議事堂の内側を堂々と歩いていた。
ここで働く人間は職員や清掃員も含め、全員が首から名札を提げている。名札が無いと部外者と認められ、すぐに取り締まりを受けるのだが私たちは誰ともすれ違わない。
「四階から三階までの階段に一人だけ。アカラン、対処よろしく」
「最近の成功率は六割くらいだからな。失敗した時の為に別のプランを考えとけよ」
最上階の七階から階段を降りる。アカランが先行した。
そして四階。私たちはちょうど階段を登ってくる一人の老人に遭遇した。
「お前たち、名札はどうした」
ここは政をする者たちの空間なのだ。若い男女が二人で歩いていれば、それだけで問題になる。アカランは一切動じずに、老人の目を見てゆっくりと呟いた。
「『ありますよ、ここに』」
「あ、……ああ、そう、だったな」
老人の目の焦点が合っていない。そのまま老人は、私たちを無視して階段を登っていった。
アカランの超能力は認識阻害や暗示に近いものだ。常日頃から受動的に動いている人間ほど罹りやすいが、失敗する可能性も充分にある。
「失敗したらどうするつもりだったんだ?」
「私の未来視には君が失敗する姿は映らなかった」
アカランの不完全な能力は、私の補助がある事で最高の力を発揮する。
「一昨日の鼠も、成功するってわかってただろ。力が効かなかった時の対策を沢山用意してたのが馬鹿らしいぜ」
私たちは無事、議事堂の外へ出た。
「じゃあな、シデリア。俺は仕事に戻る」
「熱心だね、私の仕事も任せたいくらい」
「それは無いだろ。お前は俺が仕事を手伝う未来が見えない。違うか?」
「一本取られたね。今夜奢るよ」
「お前が奢る時はいつも安物のピザだろ」
「今度はちゃんとエディアのレストランで奢るよ。いつも給料日直前に奢られに来るアカランが悪いんだって」
「そいつは楽しみだ」
自室に入ると、資料の山が積まれている。
私の仕事は探偵だ。桃源郷で起こる事件を調査し、正しく物事を認識する仕事。
机に積まれているものは、犯人の候補となっている複数の人物の個人情報の山だ。警察たちはいつもこの長い情報を私のためだけに書いて渡してくれるが、これらに目を通した事はない。
現在私のところに入ってきている事件は全て、頭の中で解決済みである。犯人の自首する姿が既に私の未来視に映っているのだ。調査という目的で数日間の自由時間を貰っているが、実際に私が動くのは警察と共に犯人を追い詰めるときだけ。未来視を持つ事を知らない警察のお偉いさん方は、今も私が痕跡を求めて東奔西走しているものだと思い込んでいる。痕跡は、調べる前から頭の中にある。
アカランは私が最も信頼している人物だ。アカランのみが、私の超能力を一生をかけて秘密にしてくれた。
私には見えている。私が来週、アカランと高級レストランでディナーを共ににする事も。じゃんけんで負けた方が奢るという約束で、私が敢えて負ける事も。そしてその場で私はアカランに告白される事も。……私が了承するしないに関係なく一年後には彼と結ばれ、桃源郷から落ちる事なく幸せな家庭を築き生涯を終える事さえも。全てが見えてしまっている。
「世界、ちょろいな」
そんな生活が、確定しているはずだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます