File4-4 蒙昧
フィリスが放った願望は、私が今まで一度も考えた事のないものだった。アノンの事は嫌いになってしまったが、何故かアノンと正面から敵対する思考は持ち合わせていなかった。
「殺すって……本気?」
だからこそ、私はフィリスのそれが冗談混じりのものであると、そうであって欲しいと願った。
「本気なの」
常に緩い口調のフィリスだが、その言葉だけは力強かった。冗談でないことは明らかだったが、私はそれを残念だとは思わない。
「あなたが持つアディシェスの呪いは、アノンの権能が生み出した副産物なの。アノンが死ねば、それは消える」
フィリスがそう言った。
「アノンが死んだら、私を殺した人はアディにならなくなるんだ」
「そう。あなたで連鎖が終わるの」
それはとても突発的で……しかし私にとってその計画は、とても魅力的に感じてしまっていた。アノンの殺害。これほどまでに、今の私を動かすものはない。
(初代のアディも、アノンを殺す事を望んでいたのかな)
この計画を肯定している事が、私の本心なのか、それとも初代アディの意思によるものなのかはわからない。それでも少なくとも、初代のアディはアノンを殺す事に反対はしていないはずだ。もしそうなら、私の中にアノンを殺したくないという感情が芽生えるはずだから。
「でもフィリスさん、あなたはアノンを消したがっていないみたい」
しかし当の彼女からは、まるでアノンを殺す事に抵抗があるように感じる。そしてそれは当たっていた。
「そうなの。今は疎遠だけど、それでも彼は仲間だったの。……アノンを消さずに済む方法があれば、とっくにやってるの」
神にも等しい力を持つフィリスでさえ、私にかけられた呪いを解く事はできないのだ。彼女は仕方なく、アノンを排除しようとしている。
「何か方法は無いの? アノンを殺さなくてもいい方法が」
「四十億年前」
フィリスが言う。
「天上が解散してから、私の総体……第一席にも等しい権能を保持させた個体は、他全ての個体に指令を出して消滅したの。今のフィリス=シャトレの状態を継続する事と、アディシェスの呪いを解く方法を模索すること。全ての個体がその命に従い、……そして結論は出なかったの」
数垓人が数十億年をかけて算出された答えは、「不可能」だった。
「答えが出なくて当然なの。所詮ここは閉鎖された世界。世界群の外の力に干渉する方法は無いの」
「……外?」
これから大切な話をされる気がする。
「あなたが沢山見てきた世界たちを、私たちは総括して世界群と呼んでいるの。天上の十七席のうち、第三席までは世界群の外の人間なの」
アディがコーヒーのおかわりに口を付け、すぐにその口を離して咳をする。……そして相変わらず、砂糖を山のように入れた。
「最初は、ここに世界なんてひとつも無かった。第三席のアノンと第二席の私、そして頂点に座す第一席。世界のはじまりはこの三人なの。第一席が自らの権能でこの世界群を創り、第二席の私が全ての世界を管理、観測し、そして第三席のアノンが不要な世界を選別して壊す。それが元々、私たちが行ってきたことなの。私と第一席はもうその役割を終えたけど、アノンだけは未だに自らの責務を果たそうとしている。アノンが世界を壊して回る理由は、ただそれだけなの」
アノンの理念を理解した。否、そこに彼の意思が存在しない事を、理解した。
しかし、そんな事がどうでもよくなる程に、フィリスの言葉には重要な事が含まれていた。
「……世界を創った?」
気付くべきだった。アノンやフィリスたちは世界の上に立ち、世界を壊す存在なのだ。では世界はどのように誕生したのか。その答えが今、明かされた。
「第一席、
■ ■ ■
信じられなかった、とは思っていない。むしろ、上に立つものによって作られたという事実が、今までの疑問を次々と解消していく。伊神迅が鉛筆で描いた絵を、アノンが消しゴムで消す。世界の誕生から終焉は、その程度のものだったのだ。
「何故似たような世界があるのか。何故全ての世界に人間がいるのか。……そして、何故どの世界でも言葉が通じるのか。その理由も、わかったと思うの」
疑問にさえ思わなかった事柄が、次々と正当化されていく。異なる世界で共通する部分が多いのは、同一の人物が世界を創造した為だった。
「第一席の迅さんは、どうして世界を創ったの?」
疑問が解消されれば、新たな疑問が生まれる。
「この世界群の外側に、私たちの世界があるの。私たちが世界群に求めていたものは、"永遠"なの」
「永遠……」
そして疑問に対する回答もまた、即刻与えられる。
「私たちの世界もまた、いつか望まぬ終わりを迎える。だから私たち三人は、下位世界を無数に作って観測を始めたの。停滞することなく発展と衰退を繰り返して生き続ける世界を探し、その方法を学ぼうとしたの」
「それが、この世界たち……なんだね」
アノンは言っていた。停滞を終わらせる以外に、停滞していない世界を見つける事が役割だと。
「伊神迅は既にこの計画を諦めて、世界群を放棄しているの。永遠の模索を手放し、"外側"へと帰ってしまったの」
身勝手な人間だと思ったが、仕方のない事だ。自らが作った玩具をどう扱おうが、それは作り手の勝手なのだ。……残された私の立場からすれば、納得することはできないが。
「迅にはほんと迷惑してるの。せめて戻るときに全部消しなさいって、そう思うの」
少し怒りながら、フィリスは文句を垂れ流す。
「だからアノンが消してるんだ」
「ちょっと違うの。アノンのしている事は、ただの後処理。不要になったこの世界群を消去する過程で、もう居ない迅の目的を果たそうとしているだけ。アノンには、伊神迅しか見えてないの。未だに迅に執着してる、困った子なの。……困った子、だったの」
言い直した。それはまるで、今は違うかのような。
「世界が一つあるごとに、迅に少しだけ負荷がかかるの。だから、滅んだ世界を削除する事で世界の数を減らして、この世界群の負荷を減らす。これが、元々のアノンの役割だったの。でも今は違う」
「違う? 結局、アノンは何がしたいの?」
私の問いかけに、フィリスは一切躊躇せずに答えた。
「アノンの今の目的はね、私を消すことなの」
対立していた。フィリスはアノンを消したく、アノンはフィリスを消したいのだ。
「アノンが私を消したいのは、私のためなの」
「フィリスさんの為?」
「世界が有り続ける限り、私は存在し続ける。いつか私が一つの総体に戻ったとき、全てのフィリス=シャトレの記憶をひとつの個体が得てしまう。数垓人もの私の記憶が、全て。だからアノンは私を消したがってるの。一人に戻ったときに、私が記憶の山で潰れるのを防ぐ為に。」
「フィリスさんは一人には戻らないんだ」
現状維持を目的にするフィリスからすれば、フィリス=シャトレという個体がひとつに戻る事は決して無い。
「そうなの。だからアノンには迷惑してるの」
フィリスが立ち上がり、私を手招きした。
「ちょっと、外を歩くの」
■ ■ ■
「あの建物は学校で、あっちは市役所。スーパーにゲームセンターに、それからさっきまでいた喫茶店。……ここにいる人たちにとっては、この世界だけが現実なの」
公園で、子供たちが楽しそうに遊んでいる。私はこれと似たような景色を過去に見た事がある。……その世界はもう、消えてしまっているが。
私にとって、私のいる世界はどうだっただろうか。手軽に捨てられるようなものだったか。否、そんなはずはない。救いのないような荒廃した世界だったが、それでも私の生まれ育った世界には特別な感情が湧く。私は私の世界を懐かしむ事ができる。それだけで、あの世界には私にとっての価値があったのだ。
「……フィリスさん、私と同じなんだ」
私、というよりかは、以前の私。はじめて世界から飛び出し、世界を知ろうとしていた頃の私。私は世界を大切にしていた。フィリスも同じ。全ての世界で、たとえ停滞していようとも、フィリスのいる世界をフィリス自身が大切にしている。様々な点で、フィリスとアノンは対極なのだ。
「フィリスさん。……私、アノンを倒すよ」
決心した。軽い気持ちで決定したものだとは思っている。それでも、私は今決めた事に意味があると信じる事にした。
「そう、それは嬉しいの。もう少し悩むと思っていたの」
「フィリスさんとアノン、きっとどっちを選んでも後悔する。だからね、悩む必要なんてないの。今目の前にいるのがアノンだったら、私はアノンの側についていたかも」
事実だ。今ここにいるのがフィリスだから、彼女を見て、彼女に共感したからこそ、私は彼女の手を取る事にしたのだ。
フィリスは私を見て、微笑んだ。
「私を選んでくれて嬉しいの。それじゃあ早速、アノンを倒しにいくの。アディ、扉を開いて。そしたら私が扉に干渉して、行き先を変えるの」
「私たちはどこに行くの?」
私の質問に対し、アディは少し考えた。
「私は向かえないの。フィリス=シャトレは、一つの世界にひとりまで。これから私が繋げようとしている世界にも、きっと私はいるの」
「その、世界は……」
「『想造』に最も似た権能、第四席『宣告』を持つ存在がいる世界へ繋ぐの。あの子とあなたならきっと、アノンを倒せるの」
第四席。アノンの次に序列が高い人物だ。
「その人は信用できる?」
「第四席もアノンが嫌いなの」
「なら安心だね」
私は虚空から銃を取り出し、前方へと向ける。それと
(……えっ?)
「それじゃあ、接続するの。最強の権能を持つあの子がいる世界まで。」
「待って!!」
フィリスが自らの力を扉に対して行使しようとしたが、私は混乱した。今この場で、最もあってはならない事態が起こっている。
「違う! 止めてフィリスさん!!」
力を行使しようとしたフィリスに向かって叫ぶ。
「あの扉知らない! 私、まだ扉を開いてない!」
「……!?」
目の前の扉は、私が開いたものではない。そしてすぐに、扉が不規則に脈動した。
「誰か……来るの!」
そして、扉は開かれた。
■ ■ ■
「……嘘、なの。どうして……」
あり得ないものを見るように、フィリスは目の前に現れた男を凝視する。それは私も同じだった。
長身で黒衣の男。間違いない。アノンだ。
「アノン……、どうして、ここにいるの!? この世界は……隔離していた、の……」
「君が世界を隠す時は常に同じ手法を取る。……前回フィリスが逃げた時はそのように隠れていたが、その個体との記録は無事に同期されずに済んでいたようだ」
そして、アノンだけではない。アノンの後ろから、一人の白い少女が現れる。
「……フェムト」
フィリスが、少女の名を呼んだ。それは先程フィリスが言った、元第七席の名だ。
「逃げ、るの……、早く……!」
「でも……」
「いいからなの!! 今は何も考えないで逃げて! アレの権能は最悪なの! 全部……忘れ……」
フィリスの言葉が続く事は無かった。アノンが目視しているという理由のみで、フィリスは消滅した。
「完璧だ、フィリス。君は役割を全うした。充分な足止めになったよ」
目の前の二人を睨む。私は持っている銃をアノンに向けた。
「安心したまえ。私は君の離反に対して特に責める事はしない。君がフィリスの言葉を聞けば、君が私に銃を向けるだろうというのも理解している。だが……フィリスから聞いただろう。その力は私が産み出したものだ」
そうだ。この銃は私の象徴。アディというシステムを産み出したアノン本人に届くはずがない。
「フェムト」
「ああ、任せなよ」
アノンが一声かけると、フェムトと呼ばれたその白い少女は一瞬で私の前に移動した。
「初めましてだね、新しいアディさん。ボクはフェムト。アノンかフィリスからボクの事は聞いてるかな?」
彼は間違いなく私に危害を加えようとしているが、私の手は動かなかった。いつの間にか複数の白い直方体が私の腕を固定していたのだ。ノクノト。彼女専用の武器だとフィリスは言っていた。
全力を出しても、ノクノトを引き剥がす事ができない。
「……どう、なってるの……っ!」
「ボクのノクノトはフィリスが使う贋作とは違うって事さ」
まるで力が入らない。私はその正体を知っている。
「……これ、擬似制限……!?」
「ご名答。君がよく使っているものだ。君自身の力を制限させて貰っているんだよ。さて、これを使うのも久しぶりだね」
フェムトの右手が、私の頬に触れた。彼女が私を凝視する。
「十七席第七、フェムトの名において、権能『遺却』を行使する。……"
そして彼女は、私に命令した。
「あ……」
記憶が掻き回される。頭の中が、混ざり合って真っ黒になっていく。底へと、落ちていく。
(だめ……消えないで、離れないで……っ!)
大切なものだけが剥がれ落ちる。フィリスとの思い出も、必死に抑えていた感情も、忘れたくないと願ったものから忘れていく。
必死に手を伸ばすが、その手は何も掴めない。
「私、は……!!」
やがて私は、忘れた事さえも忘れた。
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