File4-3 天上

 私とフィリスはビルの一角にある喫茶店の席に向かい合うように座っていた。いつか彼女とは落ち着いて話がしたいとは思っていたが、今であってほしくはなかった。

 この世界を消しとばして、さっさと次に進もうと考えなかった訳ではない。しかし、目の前の彼女から得られる情報は、私の身勝手を中断するほどに価値のあるものだと私は考えている。


 窓の向こうには例の公園があり、動きを止めた蟹型の怪人が未だに鎮座している。この世界の人々は、まるでソレが存在する事が当たり前であるかのように振る舞っていた。

「アレがあの場所で止まっている事は、本来あり得ない事なの」

「だから、この世界の人たちの動きに不備が生じている」

「そうなの」

 今こうやって冷静に向き合っているこの状況が可笑しいとは思う。しかし現に、私は先程までの狂乱とした態度が嘘であったかのように、目の前の彼女、フィリス=シャトレという人物と言葉を交わしている。

「アノンに頼まれたの。あなたを宥めて、アノンのところに戻すようにって。アノンは不器用だから」

 薄々予想はしていたが、やはりアノンは私の事を気にしているようだった。

「……それ、私に直接言っていいの? 台無しじゃない?」

「いいの。別に私はアノンの言う事を聞くつもりはないの。あなたが強く望むなら、アノンに反抗したままの方がいいの」

「……」

 アノンは何故こんな半端な人物に頼んだのだ。

「仲、悪いんだ」

「……昔は良かったの」

 今の話はしなかったが、彼女の表情から現在の仲の悪さは簡単に窺える。


「それで、話はそれだけ? なら私はこの世界も壊して次に進むけど」

「それでも別にいいの。でも、私の願いは違う。あらゆる世界を救おうとしてるアノンとは違って、私としては世界なんて停滞させたままで良い。世界は残しておいて欲しい。それが、私たちフィリス=シャトレという個体の総意なの」


 総意という言葉。そして先程の初対面のような挨拶から、私は一つの結論を提示する。


「……あなた、私が前に会ったフィリスさんじゃないって事だよね。そしてあなたは多くの世界に別の個体として存在してる」

 フィリス=シャトレという人間が複数いるかのような言い回しだった。

「そうなの。それについては今からちゃんと説明するの。私の……いえ、私たち天上に座す者の話を」

 席に珈琲が運ばれてくる。フィリスはそれに砂糖を山のように入れた。




    ■    ■    ■




「私やアノンが属していた組織は『天上の十七席』と呼ばれていたの」


 彼女の口から発せられた情報は、私が最も欲しかったものだった。それは、間違いなくアノンの過去に迫るもの。

 アノンの属していた組織に、フィリスもいたと聞いている。天上、それは神様という意味も有す。

「世界の上に立ってたんだ」

「元、なの。私は二番目でアノンは三番目だったけど、今は天上は解散したの。行方がわからない人も多いの」

 アノンも、今は存在していないといった事を言っていたような気がする。

「天上の十七席はその組織名の通り、全部で十七人だったの。そして十七人にはそれぞれ、世界を俯瞰する力の他にひとつだけ権能が与えられたの。これは天上解散後も残ってるの」

「権能?」

「元第七席のフェムトちゃんには会った?」

「誰?」

 知らない名前だ。

「……そう、残念なの。でもフェムトちゃんはアディの代が変わるたびに会いにくる変わった子だから、そろそろ会えると思うの。もしくはもう会ってるかもしれないの」

 フィリスが砂糖の山が入った珈琲を美味しそうに飲む。私も珈琲を口にし、すぐに砂糖を入れた。フィリスとは違い、少しだけ。

「話が逸れたの。えっと……天上の誰かに会った?」

 アノンと同列の者に、私は心当たりがある。

「ジオさんに会ったよ。十二席って言ってた」

「そう、あの時計ちゃんに会ったの。彼は『転写』と呼ばれる権能を持っていたの。あらゆる物質や概念、時間さえも切り貼りできるの。……それを使って、ジオは自身の身体を何重にも重ねていたの」

 ジオから噴き出た血が世界を沈める程に至ったのも、それが理由なのだろうか。

「他にも、過去の一点を現在に貼り付ける事で時間遡行も行えたり、自分の記憶以外を過去の自分で上書きして不老になったり、できる事はかなり広かったの。これが、ジオの力なの」

 アノンの制裁によりジオは一瞬で葬られたが、それでも彼は世界の上に立つ者の一人だったのだ。……きっと、私よりも強かった。

「私が持ってる力も説明するの」

 フィリスが珈琲を飲み終わり、店員におかわりを要求する。私もまだ飲み終わっていないが、二杯目をお願いした。


 第二席の力。限りなく頂点に近い存在の権能に、私は少し興味があった。その力は間違いなく、私よりも強力だ。


「私は『垓化がいか』と呼ばれる権能を持ってるの。私を自由に変化させる力なの」


「えっと……それだけ?」

 ぱっとしない力だった。ただの変身だと、彼女はそう言っている。そんなもので二番目の地位にいたとは思えない。

 私のような反応には見飽きているのか、フィリスはそのまま話を続ける。


「それだけなの。でも私の力に制約は無いの。……私はね、私という個体を無数に増やして、垓を超える全ての世界に私を置いたの」


 理解に苦しんだ。それは、ただ変身するだけの力などではない。力の行使に上限は無く、自分の身体を増やす事さえも容易く行えるのだ。

「複製……? だから、ジオさんに会った世界にいたあなたと、今ここにいるあなたは別人なんだ」

 フィリスは頷いた。

「それは垓化でできることの一つに過ぎないの」


 少しずつ、垓化という力の異常さに気づき始める。


「私を造り変えるのに一切の制約は無い。それはつまり、私を特殊な能力を扱える人間、となるように定義して書き換える事もできるの。現に私はこの個体を、この道具『千変機ノクノト』を常に持つように設定したの」

 白い立方体を取り出す。

「これは本来は第七席のフェムトちゃんにしか扱えない特別な道具なの」

 これは何にでも変えられるの、と補足する。


「……他にも、やろうと思えば天上の十七人全員の権能も使えるの」

 規模が違った。滅茶苦茶で、出鱈目で、屁理屈で。しかし、それが世界の頂点に立つ者たちの常識なのだ。


「でも、今の私にはできないけれど」

「できない?」

「今はもう、第二席の力は大切な人に渡してしまったの。だから、元々私という個体に設定した力はそのまま使えるけど、新たに力を得ることはできないの。今私ができるのは、この道具を扱う事と世界を畳むことだけ」


 珈琲のおかわりが運ばれてくる。私は飲みかけの珈琲を飲み干した。


「フィリスさんについてはだいたいわかったよ。……性質を理解しただけで、あなたの全てを理解した訳じゃないけど。それで、フィリスさんは私にどうあって欲しいの?」


 私は、彼女を知りたい。彼女の価値は、確実にこの世界よりも大きい。彼女や天上の知識を追う方が、陳腐な世界たちを処理するよりもよほど"楽しい"のだ。


「複製した私に設定した権能は、死を避ける力と世界を畳む力だけ。だけど何人かの私には緊急の為に世界を越える力を与えておいたの。この世界のフィリス、つまり私はそのうちの一人。私は、私のような"特別なフィリス=シャトレ"がいる世界にあなたが来る事を待ってたの」


 フィリスがノクノトに触れると、それは拳銃の形を為す。フィリスはそれを片手で構え、私に向けた。

「……それが、あなたの願い?」

「あなたがいなくなれば、アノンは少し驚くと思うの」

「その銃は私を殺せる程のもの?」


 沈黙。


 数秒経ち、フィリスが拳銃を手放した。銃は白い立方体に戻った。


「あなたは倒せるけど、“アディ”は死なないの。ここであなたを倒すメリットはあるけど、デメリットの方が大きいの。だからやめておくの」


 私を殺せる。フィリスは軽々しくそう言った。しかし私を撃たない理由は明確に存在している。


「私を殺したら、あなたが次の代のアディになる」

「そう。それがアディという個体以外全てに対するデメリットであり、アディが持つ最悪の呪い。だからアディは、絶対に死ぬ事はない。"アディシェスの呪い"と、アノンはそう言っていたの」

 その単語を、私は知っている。魔族が大陸中央を統治している世界で、かつてグレーグという魔物が私が持つものに対して言った言葉だ。

「アディシェスの呪いはアディという人格そのものを指すの。あなたがアディでいる時間が長ければ長い程、あなたの人格は初代のあなた、災厄の魔女アディシェス=アスタロトに近づくの。狡猾で残忍で、何よりも争いを好む悪魔になるの」


 思えば、その片鱗はあった。むしろ心当たりしかない。現に私は、争いを好んでいる。それは私の性格ではなく、アディシェスという初代のアディの人格が私を侵食していることによるものだったのだ。


「ようやく、あなたの質問の答えが言えるの。私があなたにどうあって欲しいか。……私は、あなたがアノンの理念を否定する事を望んでいるの。今まではアディがアノンに離反する事は一度も無かった。アノンから離れたあなただからこその頼みなの。アディという連鎖を断ち切って、アノンの理念を打ち砕いて。……あなたが、アノンを止めて。アノンを……殺して」

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