File3-5 その叫喚は届かない
レクレニア帝国第一皇女、フランシスカ=レクレニア。それが彼女の正体だった。
「ねぇ……パパ……返事してよ……ねえ……!!」
フランシスカはカーターの死体に添い、ただひたすらに嘆いていた。
私は何も言えなかった。私は……何をした?
「……どうして、こんな事を……、酷いよ、あんまりだよ、こんなの……」
フランシスカが私の方を向く。恐怖と絶望と、――そして、復讐の目だ。そこにはもう、私の友人のフランシスカはいなかった。
「ち……違う……これは、世界を救う為で……」
「ふざけないでよ!!!」
力の限り、彼女は叫ぶ。そうだ。私が何を語ろうと、どんな弁明をしようと、それは彼女にとって戯言にしかなり得ない。私がした事はただ一つ。彼女の父親をこの手で殺した。それだけ。
フランシスカが剣を構え、私を見据える。次の瞬間、カーターと同じくらいの速度で彼女は私の心臓を突いた。
その剣では当然、私を貫く事はできない。
「ともだちだと……思ってたのに!! 魔族の味方だったなんて!! この嘘吐き!!!!」
「それは……」
私もそうだった。できることなら、私も彼女とはずっと友達でいたかった。
「裏切り者っ!! 最悪!! 死ねっ!!!!」
斬撃と魔法弾が絶えず私に襲いかかる。私は彼女の攻撃を全て受け入れた。抵抗する素振りさえ見せずに。……しかし、何も届かない。彼女の苦痛を受け止めたいのに、私の身体はそれすらも許さない。
「パパを……パパを返して!! 死んで!!!! 死んでよ!!!」
暴言が、私に叩きつけられる。彼女の苦悩に私は耐えられなかった。もう、見ていられなかった。
「……そう、……そうだよ。私は最低だ。私はあなたとは違う! こんな事でしか世界を救えないどうしようもない化け物なんだよ!!」
強く、大声を上げる。それだけでフランシスカが放とうとしていた魔法が全て掻き消された。呆気に取られるフランシスカだが、もう一度魔法を唱え始める。
――こんなにも彼女は必死で、自らの全てで私を殺そうとしているのに、私は彼女に何も答えてあげられない。謝罪する事も、償う事も、何もしてあげられない。
魔力を大量に消費する全力の一撃を何度も叩き込まれた。私ですら見惚れる程の剣捌きを何度も受け入れた。……しかしやはり、私には傷一つつかない。そうして次にフランシスカが魔法を放とうとしたとき、……フランシスカは力を失い倒れた。体内の魔力を全て使ったのだ。
「フランちゃん……」
「動いて……動け、私……!!」
彼女は必死だった。今の彼女は、ただ私を殺す為だけにある。彼女は豹変してしまった。私が彼女を、憎悪に苦しませてしまっている。決して届かないとわかっていても、復讐の手を止めることはできないのだ。
フランシスカが手を伸ばす。……その先に、一本の剣が落ちていた。
魔剣イーフェ。魔族の腕と十五人の人間の心臓で作られた、カーターが遺した忌むべき剣。それを、彼女は躊躇なく拾い上げた。
「あ……あああああっ!!!!」
剣を握ったまま、彼女は悶え蹲る。剣から滲み出る黒くドロドロとした液体が、彼女を蝕んでいく。
剣は使用者の魔力を吸い込み強化される。体内の魔力を全て費やした少女に、その剣は重すぎたのだ。魔剣は魔力のない彼女から、無理矢理魔力を抜き取ろうとしていた。
「……黙、りなさい!!!!」
それでも自我を保ち、彼女はもう一方の手で剣を殴った。まるで明確に人の意識を持っているかのように、剣から滲む液体は元に戻っていく。剣は彼女に驚いていた。
「私を誰だと思ってるの!? 私に……力を頂戴よ! 凄い剣なんでしょ!? パパが最期まで持ってた、一番の剣なんでしょ!! だったら私に答えて!!!」
フランシスカが、魔剣で自らの左腕に傷をつける。滴る彼女の血を、魔剣に捧げる。
「善も悪も関係ない。ただ……許せないの。これはお願いじゃなくて命令よ! レクレニア帝国第一皇女としての命令! イーフェ! 力を貸しなさい!!」
彼女の復讐を希う祈りと共に、剣が光り輝く。赤黒かった剣が、銀と黄金に染まっていく。
「あれは……」
途方もない魔力が、剣から彼女に流れていく。十五人もの魔術師の怨嗟は、今まで剣が溜め込んできた膨大な力と共に彼女の
ただ目の前の敵を屠れ。それだけを命じられ、聖剣はその力を解放する。父ですら最期まで真価を発揮させられなかった輝剣は、その娘の意思を尊ぶ。
「レクレニアの名において命じる。……イーフェ、全て吐き出して」
剣を両手で構え、振り下ろす。最強の一撃が放たれた。
■ ■ ■
結果は、わかりきっていた。
それでも少し、ほんの少し、私は期待してしまったのだ。その一撃が私を裁いてくれる事を。決して私を殺す威力となる程の期待はしていない。しかしせめて少しだけでも、私に痛みを与えてくれればそれで充分だった。それだけで、きっと私は望んでいた結末に辿り着けたのだろう。……そしてそれは、彼女からしてもそうだったはずだ。
私の後方は数キロメートルに渡り都市が抉られ、私ですらその一撃の威力には驚いた。
……だが、それだけなのだ。私には一切の傷が無い。
フランシスカの目には私がどのように映っているだろうか。
「……どう、して」
少女は失意した。
「なんとかしなさいよ…… パパの作った剣なんでしょ……どうしてっ……!!!!」
その剣の力は本物だ。この世界で、その剣を越えるものはない。それは壊滅させた都市の一部が充分過ぎる程に語っている。今の一撃であれば、きっと魔王ですら容易く葬れるだろう。
敗因はたったひとつ。剣を向けた相手が、世界すら容易く壊せる程の化物だったというだけのこと。
少女は実感する。目の前の化物が、本当に遠い場所にいる事を。……この世の法則に当てはまらない事を。
「……ああ、そっか」
全てを悟ったように、フランシスカは落ち着いた。
「無理、だったんだ」
所詮は人の力。世界そのものには敵わない。
「あなたと出会っていなかったら、……私、きっと幸せだったんだろうね」
泣きながら、彼女はそう言った。
私は言葉が出なかった。否定したいのに、受け入れたくないのに、一言も反論できない。そうだ。私は彼女に出会わなければ良かったのだ。この世界になど入らなければよかった。"アディ"になど、ならなければよかった。……私が彼女を狂わせた。
彼女が剣を自らの喉に添える。これから彼女が何をするかは明白だ。しかし私は動けなかった。彼女の愚行を、ただ見ている事しかできなかった。
「……お前の、せいだ」
そうして、フランシスカは自らの首を切った。最期まで、私に殺意を向けたまま。
目の前の悲劇、これはきっと呪いだ。フランの死は、生涯私を蝕む事になる。
■ ■ ■
「あんなものが、……聖剣、なんだって」
私があの剣に見たものは、見た目通りの神々しさではない。そんなものは外側だけの美しさだ。……あれは、今まで私が見てきた中で最も醜い力だった。十五人もの怨嗟が絶えず放出されている、人の成れの果て。
「……アノン」
私が呼ぶと、アノンは私の目の前に現れる。彼は決してこの場から居なくなっていた訳ではない。一部始終を静観していたのだ。
「知ってたでしょ。フランちゃんの事」
「ああ。レクレニア帝国第一皇女、フランシスカ=レクレニア。彼女は死ぬ必要は無かったのだが、少々予定とは異なったな」
彼は常に、あらゆる出来事を他人事のように振る舞う。……きっと、それはアノン自身も理解している。
「どうして、私をフランちゃんに会わせたの」
「仮に会わなければ、君はカーターを殺した後にフランも殺していた。……結局、結果は変わらなかったが」
ふたつの死体を見て、アノンは少しため息をつく。
「それだけじゃないよね」
たったそれだけの理由であるはずがない。もっと大きな、アノンにとって大切な理由が存在するはずなのだ。
「聡明だな。アディは」
「からかわないで。……ちゃんとした答えを教えて」
「実験だ。フランシスカが死なないシナリオがただ一つだけ存在した。誘導できないか試していたが、失敗だったな。どうやら私にはシナリオが分岐する世界の誘導は不慣れなようだ」
「……実、験?」
それはまるで、アノンはこの人たちを人として見ていないかのような。
「ああ。実験と呼ぶのが適切だろう。失敗したが、全くの無意味では無かった」
「……フランちゃんはあなたの玩具じゃない!!」
「私からすれば、世界の内側しか知らない人間は全て規則に従い行動するだけの人形なのだが」
「……っ!!」
アノンに向けて、紫の細剣を突き刺す。脅しではなく、彼の心臓を貫くように。……しかしそこには既に、アノンは居なかった。
「……」
アノンを殺せない事くらいはわかっている。それでも、私はアノンが許せなかった。
「……もう、知らない」
「ああ、構わない。後の処理は私がしておこう」
アノンには感情と呼べるものがないのだろうか。……きっと、そうだ。
「私が世界から出たら、あなたはこの世界をどうするの?」
私は居ても立っても居られず世界から出ようとしたが、ただ一つだけ、不安な要素を見つけ出し、アノンに質問する。
「君が気にする事は何も……」
「答えて。……答えなさい! アノン!」
強くアノンに言いつける。彼は隠す事を諦めた。
「レクレニアに向けて、フールクトは自身の持つ全ての戦力、不死兵八千匹を投入した。北はメルが単騎で鏖殺、西は魔王自らが向かった。魔王軍に立ち向かえる存在はもはや存在しない。人類の完璧な滅亡を以て、この世界は綴じられる」
滅茶苦茶だった。認めたくなかった。単騎で軍を相手にできると言われている不死兵を、八千体。
「アノンが唆したんでしょ」
「そうだ。世界を綴じる理由として最も合理的なものを選んだ。カーター亡き今、世界の終焉はすぐに訪れる」
全く隠す事なく、アノンは全てを暴露する。
「……無理だ」
私の手が届く範囲なら対応できる。しかしそれ以外はどうだ? 世界を敵に回せる力を持ちながらも、私はこの世界を守る方法を知らない。私が百匹倒す間に、どれだけの被害が出る? 全て倒し終わったところで、世界は残っているだろうか?
「君はこの世界を護りたいのか?」
「当たり前だよ」
「救う事と護る事は異なる」
「これが救済だなんて、私は認めない」
「……そうか。だが目的を違えるな。この世界においては、人間は敵だ」
そうだ。この世界の味方は魔族で、敵は人間。それなのに。
「……それでも、人間の味方をしたいのは、間違った事なのかな」
■ ■ ■
私は国境から少し離れた森の中で、魔族の侵攻を待っていた。
間もなく、人間を殺す兵器の群れが国に到着する。
アノンは私を置いてどこかへと行ってしまった。しかしきっと魔族側からこの蹂躙を静観する事だろう。
「この世界たちって何なの? どうして私たちは世界を壊して回ってるの?」
私は答える者のいない質問を、意味もなく飛ばした。
「私たち、なんでこんな事をしてるの。 ……ねえ、答えてよ! アノン!」
返事は無い。……そして、魔族の群れは現れた。
「……あ」
不死兵のみであればよかった。ただ一回、横に薙ぎ払えば殲滅させられる。
――そこには意思を持つ魔族たちも大勢いた。数十万もの。
「……なんだ。へんなの」
私の手は動かなかった。一振りすれば、きっと人間は救われる。しかし。
「……当然だよね、殺せるわけ、ないじゃん……」
――結局私は、何も救えない。これから人間を排除しようとしている魔族相手でさえ、殺す事を躊躇った。私は魔族の進軍を許した。
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