File3-4 数値化された世界の掟

 私とアノンは街にある宿屋の一部屋で寛いでいた。相変わらず無断で。

「……楽しめたようで何よりだ」

 そうは言うが、アノンが私を見る目はどこか哀しそうだった。

「アノン?」

「忘れている訳ではないだろう」

 それは、私たちの役割の事。

 この世界は停滞している。その解消の為に、私たちはこの世界にやってきたのだ。そして今回のそれは、人間と敵対する事。私の今までの行動は、この世界の停滞を終わらせる事に反している。

「アノン、この世界は何をすればいいの?」

 この世界での事を、まだアノンに聞いていなかった。目的を聞けば、何かいい方法が見つかるかもしれない。

 しかしアノンの返答は、私の予想するものではなかった。


「アディ、情を捨てろ。思い出を捨てろ。この世界を惜しいと思うな。……この世界は、壊さなくてはいけない」

「……!? 何で!?」

 停滞を終わらせるという目的のみであれば、いくらでもやりようはあったはずだ。私は人間と敵対せずに済む方法を模索していたというのに。

「嫌、だよ。私はやらない」

「そうも言っていられない。今回は君が今まで目を瞑ってきた事に向き合わなくてはいけなくなった」

「私が?」

 心当たりは無い。

「先程、世界を停滞から救った後の話をしただろう。一度世界の流れを取り戻した後は、普通であればこの世界に馴染んでいる他の"観測者"に任せて我々は次の世界へと向かう。だが……この世界の"観測者"は、既に死んだ。我々は彼女に変わってこの世界を結末を定めなくてはいけない。全く、我々の仕事を増やすとは」

「……もしかして、私たちが目を瞑ってきたことって」

 それが意味するもの、そしてその先にある私がアノンに聞かなかった事の答えが、勝手に脳内で繋がる。

「今まで救ってきた世界は、全部消えていた……?」

「いずれ消えるものだ。我々や観測者が先に消したところで、違いはあるまい。世界が再び停滞を始めるよりかは遥かにマシだろう。この世界が我々の探している停滞しない世界となる可能性はもはや存在しないだろう。故に、この世界は放棄する」

「……わからないよ」

 私はアノンの言っている事に納得できなかった。相容れない、その言葉が適切だ。

「ああ、わからないだろうな。私のこの感性は、最期まで先代にも理解して貰えなかった。君が反対するという事も、おおよそ予想はできている」

 アノンは私を見て、少しだけため息をついた。……私はどんな表情をしていたのだろう。

「だから今回は……今まで通り、まずは停滞の要因の排除をするとしよう。世界の行末についてはその後でも問題ない。……結末は変わらないが」

 アノンが自分から引いてくれた、と言っていいのか。ひとまず、世界を壊す話は持ち越された。私に、他の可能性を探すチャンスをくれたのかもしれない、


「……アノン、話して。この世界にも"シナリオ"があるんでしょ。この世界は制限世界なんでしょ」

 制限世界。明確な目標が設定されている世界の事だ。

「ああ。だが、この世界の目的は魔王を倒す事ではない。この世界の主観は魔王だ。最終的にはある特定の人物を殺害する事で、この世界の目的は達成される」

「やっぱり人間なんだね」

「カーター=レクレニア。レクレニア帝国の現国王であり、人類の最後の希望とも呼ばれる武人。彼の殺害により、世界は救済される」

「……どうしても、その人を殺さないといけないの?」

「アレを人と呼べるかは疑問だがな。表向きには聖人だが、彼は裏で非道な実験を繰り返している。人も魔族も関係なく彼の実験材料だ。それでも彼を殺すのに躊躇するか?」

「私は他の方法が無いかを聞いているんだよ」

「無い。魔族を一匹残らず殲滅させれば何か変わるかもしれないが、アディは魔族であれば躊躇せずに殺せるか?」

「それは……」

 それはできない。

「そもそも、私からすれば君のその思想自体が不明だ」

「……何言ってるの」

「何故君は、人間を殺す事を躊躇する。彼らは自らの意思で世界の停滞にすら気付けない人形のようなものだというのに」

 彼のその言葉で確信した。彼はアノンという違う生物なのだ。それは決して、人間を理解する事は無い。

「やっぱりアノンは、神様みたいだね。良い意味でも、……悪い意味でも」

「どういう意味だ?」

「この世界の人たちも、人間なんだ。あの人たちも、生きてるんだよ」




    ■    ■    ■




 人間を殺さない。かつて一人の人間を殺した私だが、それでも私は人間を殺したくないのだ。一度殺したからこその思いだった。

(……結局、来ちゃった。)

 私はアノンと共にレクレニア帝国の王宮前まで足を運んでいた。

 王宮への道は解放されていた。誰でも自由に出入りができるのだ。

「なんだか、意外だね」

「それだけの余裕を持っているという事だ。罪人が生まれるほどこの国は貧乏ではなく、そもそも人間同士で争っている場合ではない事はこの国の人間は全員承知の上だ。わざわざ街からここを防衛する理由は無く、防衛は国境だけで良い」

「……なるほど」

 アノンの解説にはいつも納得してしまう。

「それじゃあ、入りましょうか」

「おや、アディは入りたくないものだと思っていたが」

「アノンの提示した最終目的に納得してないだけで、別に王様に会うまではするよ。そこで決める」

「そういうものか」

「そういうものだよ」



 玉座の間には国王とその側近二人がいた。兵士などは見当たらない。国王が最も強いのだ。護衛が居ないのも当然だろう。

「おやおや、事前通告の無いお客さんとは珍しい。幾らここが開かれた城だからとはいえ、次回からは気をつけるのですよ、異国からの旅人さん方」

 国王は体格が良く優しい老人だった。

「我々を欺く必要は無い。我々が用があるのは、この国ではなく君自身だよ。カーター氏。特に、地下室の件だ」

 アノンがそう言うと、国王の表情が変わった。

「お前たち、部屋から出なさい」

 側近や周囲の兵士に指示を出す。あっという間に、広間には私とアノン、そして国王の三人しかいなくなった。出入り口の扉は閉ざされた。

「ここへ来ていきなりその話をするとは、急いでいるみたいですね」

「急を要する事はないが、君の処理は早めに済ませておきたい。既に種を蒔いてしまったからな」

「どこで知ったかは興味ありませんが……、そうですね。私の秘密を知っている人間は私の実験材料にすると決めているので」

 地下室。それが国王の隠しているもの。アノンの言う通りであれば、恐らくは非道な実験を行なっている場所と見るのが妥当か。


「なるべく殺したくはないんだけど」

「私はあなたを殺しますが」


 国王が立ち上がり、私たちへと近づく。

「アノン、手を出さないで」

「わかっているさ」

擬似制限リミッターセット、ランクC」

 間違えて世界を壊す事は無いだろうが、それでも不安なので自らに制限を設ける。先程より制限は弱めだ。

「魔法使いですか。少々厄介ですね」

「王さまは魔法を使わないんだね」

「使えないのですよ、お嬢さん。生涯でどの魔法を扱えるようになるか、それは産まれた瞬間に確定してしまうらしくてね。私はレベルを上限まで上げましたが……何一つ、私は攻撃に転ずる魔法を扱えませんでした。……だから、それに代わるものが必要だったのですよ」

 国王が、腰に提げた鞘から剣を抜く。禍々しい黒と赤の剣だ。その柄には目のような紋章が掘られている。

 私はそれの正体に一瞬で気付いた。

「……生きてる」

 その剣は、意思を持つ。

「おや、気付いてしまいましたか。これは私が造りあげたもの。あの四天王フールクトの脚の一本を砕いて、剣状にしたものです」

「他にも入ってるよね。それ」


 剣から人間の気配がしたのだ。それも、一人ではない。


「……十五人」

「ご名答」

 隠すこともなく、カーターは私の推測を評価する。

「魔剣イーフェ。私の最高傑作ですよ。優秀な魔術師十五人の魂で練り上げられた至高の一品。私はこれで、四天王メルの腕を二本切り落とした事もあります。……さて、殺し合いとしましょうか!」

 カーターの表情が、一瞬で変わった。獲物を見る狩人の目。彼は最強の武人であり、戦闘狂なのだ。

 彼の剣を起点に、突風が巻き起こる。瞬間、カーターは異次元の速度で私へと迫った。


 ――彼の剣を、片手で受け止める。


「……成程、あなたは化物でしたか」

 カーターは一瞬で後方の壁に跳び、再び私を見据える。私は剣を掴もうとしていたのだが、逃げられた。

「慎重なんだね」

「ええ。私は確かに攻撃魔法を扱えませんが、それ以外のものは万能なのです。……私の解析スキルが発動しない事から、あなたのレベルが私よりも高い事はわかりますよ。百を超える方法があるのですね。全く世界は素晴らしい」

 彼に言われて、思い出した。この世界の人間や魔族、全ての生物にはレベルが設定されている。アノンに言われた通りなら、私のレベルは六垓。しかし数値にしたからといって私の力を実感するものでもない。それほどまでに、私のレベルは常識を逸脱している。

 現在私が暗示をかけている擬似制限リミッターセットは私のレベルをおよそ六万程度まで下げるが、それでもやはり、この世界の頂点に立つには充分過ぎる値をしている。

「あなた、面白いですね。人間の形をしておきながら、決して人間の型に嵌る事は無い。人型の魔族と言った方がよろしいでしょうか」

「私は人間だよ。少なくとも、私はそう思ってる」

 彼が再び、私に向かって跳躍する。音速を超えた襲撃を、しかし私は容易に受け止める事ができる。落ち着いて彼の剣を掴もうとした瞬間、……彼がわずかに右に逸れた。

「なっ……!?」

 あり得ない動きだった。カーターはそのまま剣を地面に刺し、ターンをして再び私へと襲い掛かる。剣を避けると、今度は空中を蹴って向きを変えた。立体的に高速で動く彼に翻弄されている。

「気持ち悪い老人だなあ」

「化け物に言われるとは心外ですね」

 彼は何度も襲い、私は避ける。剣や身体を掴もうとすれば、私の手の軌道を完全に読まれて移動される。


「理解しました。あなた、実践経験が無いですね?」

 数手、彼が私に斬りかかった後に彼は私から距離を置いて言った。

「力はある。戦闘に関する知識もある。……ですが、それだけです。あなたの身体は戦闘というものに慣れていない。その圧倒的な力は恐らく、借り物なのでしょう」

 彼は私を冷静に判断していた。

「……そうだよ。この力は貰ったもの」

「ただ実戦経験が無いというだけではありませんね。例えばそう……、あなたは私を殺そうとはしていない。迷いがあるのでしょう」

 彼が再び跳び、数発の剣戟を経てまた距離を取る。

「全く害そうとしない訳ではないみたいですが……、あなたが私を生かす理由は何ですか? 私を利用しようとしている? いいえ、違います。あなたは人を殺すのが怖いのでしょう」


「あなたに一つ、教えてあげます。そんな半端な気持ちでは、幾ら規格外の力を以てしても私には勝てませんよ」


 彼が剣を掲げると、剣先に赤黒い焔が凝縮されていく。そして焔は刀身へと入り込み、剣が光り輝いた。


「……イーフェ、奴を殺しなさい」


 そうして、彼の全力の突きが私を襲った。




    ■    ■    ■




「カーターさん、だったっけ」

 カーターが放つ豪炎を纏う突きを、私は心臓で受け止めた。

「あなたにもひとつ、教えてあげる」

 彼は剣に込められた魔法で私を貫こうとするが、しかしその剣は私を貫けない。

「私は人間だと思ってるんだけど、……多分、あなたの言う通りの化け物なの。……そしてやっぱり、私はあなたに勝って、あなたは私には勝てない。絶対に」

 私が彼の剣を掴もうとすると、彼はあらゆる攻撃魔法を終了させて後ろに下がった。その流れを見て、私は充分に納得した。

「臆病なんだね、カーターさん。あなたも私も、いかに殺すかを考えてたんじゃない。私は確かにあなたを殺さない方法だけを考えてたんだけど、あなたも自分が死なない事だけを考えて動いてた。その剣もそう。魔法を擬似的に扱えるようにするものなんだろうけど、あなたがその剣に込めた魔法は、やっぱり自身の生存を第一に考えたものなんだ。カーターさん、あなたは死にたくない、ただそれだけでしょ」


 彼にとっては、全てが図星であったようだ。

「……はは、そうですね。私は死を避けていますが、私が感じる恐怖は死ではありません。戦闘を好みながら死だけは避ける、そのような背反した思考を持ち続けても正常で、尚且つ最強でいられる私自身が怖かったのですよ」


「……カーターさん。そろそろ、終わらせようか」

 彼は何も言わなかった。彼の全力の一撃を、私は私の身体のみで易々と受けきってしまったのだ。彼に私が殺せない事は、充分に納得させられた。

「なんだ。死ぬのは怖くないんだ」

 私が彼にそう言った瞬間、私の何かが外れる感覚があった。いつかの緋の世界で不老の男を殺した時と似た感覚。きっとそれは、常識という名の枷が外れる音。私はもう、止まらない。


制限解除リミットゼロ


 ただ一言、呪文を放つ。瞬間、私が私にかけた暗示が全て解ける。


「私もね、あなたが思ってるような凄い魔法なんて使えない。だからね、私はあなたに呪いをかける。今からあなたにあげるのは、絶対的な力の誇示。世界の常識に囚われる人間では決して届かない領域の、私という世界」


 私は最大の殺意をもってカーターを睨む。それだけで、彼は呼吸する事を忘れ自我を手放した。数百京倍ものレベルの差は、威圧のみで彼を殺した。




    ■    ■    ■




「……アノン、これでいいんだよね」

 カーターは死んだ。この世界はいずれ、未来を取り戻す。

 結局、私はカーターを殺した。私の中で、どうしても彼を殺さないイメージができなかったのだ。

「……私、おかしいんだ」

 彼との戦闘中、いつからか彼を殺す感情が表層に出ていた。……そして私はそれを制御出来ずに、彼を殺めてしまったのだ。

「……やっぱり変、だよね。私、ちっとも後悔してない。彼を殺した事、全く悪いって思ってないの。ねえ、どうして?」

 わからない。まるで私の意思ではない何かによって私の感性が壊されていくような気さえしたが、それで納得してしまえるほど、私は罪悪感を失ってはいない。私は私が嫌いになった。

「ねえ、アノン、答えてよ……」

 私は感情を殺したまま部屋の入り口の方を振り向いた。



「う、そ……」



 そこにアノンは居なかった。いつのまにか、彼は部屋から出て行ってしまったのだ。ただしそんな事はどうでもいい。


 部屋の扉は開かれていて、そこには一人の少女が呆然と立っていた。それはこの世界でできた、私のたった一人の"ともだち"。……そしてたった今、その関係は崩れた。


「パ……パ?」


 倒れた老人を凝視し、少女、フランシスカは震えながらそう呼んだ。

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