File3-3 しあわせなひとときを

 アノンの言動に矛盾がある、と感じる事が多々ある。

 人間を敵だと言い、しかし私を人間と二人きりにさせた。世界にいる人間にあまり干渉するなと言い、アノンは私とフランシスカが共にいる事を望んだ。私には、アノンがわからなかった。

(でも今は、どうでもいいかな。)

 今はアノンの意図など知ったことではない。人間と敵対しろなどという戯言に付き合うなど馬鹿馬鹿しい。私は今を、人との出会いを過去最高に楽しんでいるのだから。

 私はフランシスカと共に、レクレニアの都市を観光している。アノンは何処かへ行ってしまった為、二人きりで。


「フランシスカちゃん」

「フランでいいわよ」

「あ、うん。ありがとう。フランちゃん、今はどこに向かってるの?」

 私は彼女に質問をするが、彼女はそれと同時に足を止めた。そして、道の向かいにある建物を見上げた。

「もう答えの場所についたわ。あれがこの都市の教会よ」

 偶然か必然か、最初にフランシスカが紹介したのは大きな教会だった。教会。それは私にとって大切な、私が始まった場所。

「入ってもいいの?」

「もちろん!」


 中には多くの修道士や参拝者で溢れていた。賑わいをみせつつも静粛で厳格な、不思議な空間だった。私の世界の教会は既に教会としての意味を失っていたが、ここはそうではない。私は今日初めて、本当の"生きている"教会を目にした。

「アディって教会に興味があるんだね。良かった」

「私のいた教会は、かなりぼろぼろだったの。もう使われてなくて、私しかいなかった」

 フランシスカは私の話を聞いてくれている。私を知って欲しいと思える相手。それが新鮮だった。

「それでも私は、祈り続けたの。助けてくださいって。そうしたら、神様が助けにきた」

「信仰が実ったのね。よかったじゃない」

「うん。……だから私、あの人……アノンにはすっごく感謝してる」

「アノンさんが神様だったの」

「ううん。アノンは神様じゃないって言ってるよ。私が勝手にそう思ってるだけ。それでも、アノンはどうしようもなかった私を救ってくれた神様のような存在なの」

「素敵ね。この国にも現れるかしら。世界を救ってくれるような"神様"が」

「きっと助けてくれるよ! 私もお祈りする!」


 できれば、このままずっと。この世界での"アディ"としての役割を忘れたまま、彼女と過ごしていたいと思った。




     ■    ■    ■




 図書館。

「本は好き?」

「私は普通かな。でも本はアノンが好きだよ。後で教えてあげたいね」

「この本がおすすめよ。遠い世界のお話で、とても引き込まれるの」

「いいね。私も読んでみようかな」



 雑貨屋。

「ここは何でも売ってるの」

「フランちゃん、これは?」

「人形に興味あるの?」

「うん。私の家にもいっぱいあったの」

「この人形は妖精さんなんだって。いつも私たちを見守っているの」

「神様?」

「違うわ。でも、かわいいでしょ」



 公園。

「みんな元気だね」

「平和な証よ。この光景を守るのが私の……いえ、なんでもないわ。今は楽しい話をしましょ」

「うん!」

「じゃあ、混ざって一緒に遊びましょうか」

「おもしろそう!」



 フランシスカにエスコートされるまま、私は街を巡っていく。やがて私たちは街の端の方にあるカフェに立ち寄った。人は少ないが、それでも活気はあった。

「ここのパンケーキはおいしいのよ」

 店主とフランシスカは顔馴染みらしく、「いつもの二つ!」というだけで店員には伝わった。

「アディ、楽しい?」

「うん!」

「良かった。もしかするとアディ、とても悲しんでるかと思ったから」

 少し心配そうに、フランシスカは言った。

「あ、えっと……」

 アノンの即席の嘘のせいで、フランシスカは私を西の国の兵だと信じ込んでいるのだ。さらに彼女は、私が仲間を大勢失ったとも信じている。

「私の事は大丈夫だよ。アノンも大袈裟なんだから……。それにしても大きな街だね」

「ええ、ありがとう。国王様は昔、魔王軍を相手に一人で立ち向かって、無事に撃退したの。この国が発展してるのも、魔族による侵攻をずっと抑えてるからなのよ。国王様がいるから、魔王もうかつにこっちには攻め込めない」

「強いんだね、国王さま」

「ええ。私も何度か手合わせした事はあるんだけど、一度も勝てなかったわ」


 店員がパンケーキを運んできた。知識としては知っていたが、四段に重なったそれは私が初めて食べるものだ。

「……おいしい」

 それは本心からの感想。そういえば私は、食事という行為に無頓着だった。食事とは通常、生きる為の手段であり、私にとってもそれは変わらなかった。しかし私には、生きる為に食事をした記憶が無いのだ。

「でしょ? 私はほぼ毎日お昼をここで食べるの!」


 黙々と、食事を続ける。私の目の前にある山は、いつのまにか全て私の腹に収まっていた。自分でもびっくりするくらい、食が進んでいた。

「……おいしかった」

 今度はアノンと食べに来よう。



 パンケーキが乗っていた食器は片付けられ、今度は店員が柑橘系のジュースを運んできた。

 

「楽しいね、フランちゃん」

 そう、今は楽しいと心から思える時間だ。

「ええ。私、同じくらいの歳の友達がいなくて、だから今日は本当に楽しかった。アディ、ありがとう」

「私もだよ。……私もね、友達なんていなかった」

 初めてだった。同年代の子と、ここまで楽しく過ごすなんて。


 ――初、めて……?


 ――ほんとうに?


 私には記憶がある。かつて私がアディとなる前に、父や友人と過ごしていた時間が。しかし私のいた世界で、今のような楽しい時間はあっただろうか。

「アディ?」

「あ……もう、会えないんだ」

 小声で、少しだけ呟いた。



「アディ、どうして、泣いてるの?」



「え……?」

 フランシスカに言われ、私は額に手を当てた。……私は、泣いていた。

「あれ……、なんで……なんでだろう……」

 涙が止まらない。わからない。

「ごめんね。思い出したくないことだったね。……話してみて。抱えてるだけじゃ辛いでしょ」

 私のこの感情は、もう二度と会えないという寂しさによるものではない。決してそんな、綺麗な理由などではない。

「……ごめん、なさい……、ごめんなさい……!!」

 勝手に、謝罪を口にする。そうだ。私は。

「もう……会えないの。お父さんにも、友達にも。私は全て置いていったのに、悲しい……悲しいよ」

「……それが、寂しかったの?」


 ――寂しい、普通であれば、そうなのだろう。しかしその感情は、決して私の中には存在しないものだ。寂しいと思っていれば、私は私を正常だと思えたのだろうか。


「違うの。私、最低だ。……私、何も感じてない! もう居ないのに。二度と会えないのに。……ちっとも寂しくないの!! ……私、お父さんの顔、思い出せない……!! 怖い。怖いよ……」

「アディ……」

 感情を、吐き出した。怖い。そう、私は私が怖かった。アディとなった私だからではない。そもそも私がアディとなる前から、私は二度と両親に会えない事を気にしていなかったのだ。親の顔も忘れてしまう程に。そんな事、あり得ないはずなのに。

「私……おかしいの」

「おかしくなんてない!」

 しかしフランシスカが、私の両肩に手を乗せた。彼女が、私の嗚咽を否定する。

「アディは悪い子じゃないよ! だってこんなに優しくて、私についてきてくれて。アディと過ごす時間は楽しくて……そして、こんなにおいしそうに食べるんだよ。おかしい訳がないよ!」

「……」

 私は、慰められているのだろうか。それとも許されているのだろうか。……そのどちらでもあるのだ。フランシスカは、私の全てを受け入れてくれている。

「フランちゃん……ありがとう。うん、そうだよね」

 必死に泣く私に、フランシスカはずっと寄り添っていた。




    ■    ■    ■




 店を出た後、私たちは時計塔の上に登った。

「……ありがと、フランちゃん」

 平常心を取り戻し、私はフランシスカに感謝を述べる。

「いいのよ。私も安心したわ。アディが抱えてたものを知れた。一人で背負わなきゃいけないことなんて、何一つないんだから」

 街を見下ろす。ここからは、全てが見える。

「なんだか、懐かしいな。前にも時計塔の上に登った事があったっけ」

 ジオのいた世界のことを思い出す。最近の出来事のはずなのに、懐かしく思ってしまう。ここから見える景色は以前のものとは全く異なるが、こちらの方が断然良い。

「そうなのね。どうよ、この景色は」

「前見た景色が最悪だったから……。ここは綺麗だよ」

「なんだか複雑な感想ね」



 しばらく無言で、私とフランシスカは街を眺めていた。そんな中、私はふと呟いた。

「……ひとつ、フランちゃんに話したい事があるんだ」

 彼女にならば、全てを打ち明けられそうな気がしてきた。私の正体、私の役割を。

 私がこの世界の外側から来たという事。私の役割は止まってしまったこの世界を再び動かす事。私の敵は魔族ではなく、むしろ人間に敵対しないといけないという事。



「フランちゃん、私ね」



 しかし私の言葉は、第三者により中断させられた。

「アディ、帰還だ。話がある」

「……アノン」

 時計塔の上に、アノンが登ってきていた。それはこの楽しい時間の終わりを示していた。

「……うん。じゃあ、フランちゃん、また後でね」

「え、ええ。またすぐに会いましょ」

 フランシスカは少し違和感を覚えていたようだが、それでも私に挨拶をした。

 彼女とはまた会える。そう信じて、私はアノンに抱えられながら時計塔から飛び降りた。




    ■    ■    ■




 私にはわかる。アノンが現れたタイミングは、決して偶然などではない。フランシスカに真実を伝えてはいけない。アノンの行動はそういった意味が込められているのだ。

「わかってくれると……思ったのに」

「不可能だ。彼女は魔族を憎んでいる」

「……意地悪」

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