File3-2 フランシスカ

 私たちは魔王城を出て、南へと向かっていた。結局、魔族たちとの好意的な関係は築けなかった。

「うーん、やっぱり難しい」

「仕方のない事だ。今は彼らの人間に対する憎悪を改善する余裕が無い」

 魔族領を出るまでには誰にも会わなかった。誰もが私たちから逃げているのだ。

「全く、別に倒そうとしてるわけじゃないのに……」

 しかしそれも仕方のない事なのだろう。私たちは彼ら以上の化物なのだから。

「そういえばアノン。私たちって世界の停滞を終わらせてるんだよね?」

 ただ何もない道を歩くだけなのは退屈だ。だから私は、アノンと会話を繋げようと試みる。

「そうだが、不明な事があったか?」

「どうして、停滞が終わったって言えるの? 私たちが世界を去ってから、また別の理由で停滞が始まっちゃってたりしない?」

 私が行っているのはあくまでも私が世界に着いた時点で起こっている停滞の解消。一度解消されれば、その世界の行末にまでは手を出していない。

「我々の他に、どの世界にも観測者はいる。世界に変更を加えた後は、いつもそれらの人間に任せている。我々が気にする必要は無い」

 初めて聞く事だった。つまりはこの世界にも、世界を観測する人物が存在するのだろうか。

「フィリスさんも、そのうちの一人なの?」

 もしかするとと思い、私は今まで出会った中で最も異質だった彼女の事を尋ねる。私は一度、彼女が世界を終わらせた光景を目にしている。

「ああ、そうだ」

 あまりにもアノンが単調に返す為、会話が終わってしまった。いつのまにか、魔族領からも抜け出していた。


 魔族領は枯れ木と建物の残骸しか目立つものは無かったが、私たちは現在、大森林の中を歩いている。温厚な動物も見かけたことから、ここが魔族領ではない事を実感する。

「アノン。私たちって必要なのかな?」

 ふと先程までの会話において、不可解な事があった為アノンに質問する。あらゆる世界に私たちの同類が紛れているのであれば、私たちの仕事は無いはずだ。

「彼女らは世界の内側の人間だ。現在は観測するという意思のみしか存在していない。故に、我々が世界に入る事で、この世界の観測者は"活性化"する」

「活性化?」

「ああ。活性化という表現が最も適切だろう。我々という劇薬が世界に混ざる事で、彼女らは自身が世界を綴じる存在である事を思い出す」

「あのときのフィリスさんも、私たちが世界に入るまではただの人間と同じように振る舞ってたってこと?」

「その認識で良い」


 それからは無言で道を進んでいたが、私は近くに生物の気配を感じた。それも、急速にこちらに向かってきている。

「誰か来るね」

「人間だ」

「それはわかってるよ。でも、人間だけじゃない」

 森の奥から、その気配は近付いてくる。先頭に人間と、それを追いかけるように複数の別の生物。

「迎撃する。いいよね。アノンも手伝って」

「ああ、構わない」

 アノンが虚空から黒い杖を出現させ、前方に構える。私はそれを見て、咄嗟に叫んだ。

「やっぱりアノンは手を出さないで!」

「……そうか、では、やめておこう」

 危なかった。アノンは間違いなく人間ごと吹き飛ばすつもりだっただろう。


 そしてまもなく、森の中から一人の人間が飛び出してきた。

 歳は私と同じくらいで、金髪で華奢な少女だった。紺色の軽いドレスのように見える不思議な装いで、しかし機能性もある。そして彼女の手には短剣が握られていた。

「あなたたち、早く逃げて!」

 少女は私たちを視認すると、大声で叫んだ。そして彼女の後ろから、大勢の狼が彼女を狙って追いかけてきていた。


 私は咄嗟に細剣を取り出し、右手で握った。

擬似制限リミッターセット。ランクB」

 私が唱えると、私に重圧がのしかかる。幾つもの世界を巡り、私は私を制限する呪文を確立させた。自己暗示のようなものだが、この呪文により、私は私が出せる出力の上限を指定できるようになった。この呪文を唱える必要は一切ないのだが、それでも力を人並みに抑えたいと思うときはある。

「アノン、手を出さないでね。腕が鈍っちゃうから」

「ああ。私はこの嬢さんを見ておこう」

 いつのまにか、アノンは金髪の少女を肩に抱えていた。

「ちょっと、離しなさいよ!」

「あれが君が逃げろと命じた者の姿だ。よく見ておくといい」

「下ろさないと斬るわよ!」

「無理だろうな」

 少女はアノンの肩の上で暴れるが、無意味だった。




    ■    ■    ■




 制限をかけているとはいえ、その状態でさえこの世界で私を倒せる相手は居ないだろう。狼の群れは私の一振りで壊滅した。……付近の木は一本も倒れていない。誰が見ても完璧な処理だ。

「大丈夫? 怪我とかは無い?」

「え、ええ。大丈夫」

 少女は呆気にとられていたが、すぐに正気に戻り、アノンの肩から離れた。

「はじめまして。私はフランシスカ。先の事、感謝するわ。レクレニア帝国に帰るところだったんだけど、狼に襲われちゃって」

 そう言うと、フランシスカは丁寧なお辞儀をした。

(お上品だ……。えらいひとなのかな?)

「こっちこそ初めまして。私がアディで、こっちのデカいのがアノン。よろしくね」

「ええ、よろしく」

「レクレニア帝国。ここから南にある国だな。それで君は、何故こんな辺境に?」

 普段から世界の全てを知っているように動いているアノンが、この世界について質問するのは珍しい。

(……いや、これ違う。)

 アノンの顔を見て理解した。彼は全てを知った上で訊いているのだ。全く性格が悪い。

「ただの警備よ。最近魔族側の動きに変化があったから。四天王グレーグの部下の八魔将が全員、魔族領との国境付近に陣を張ったの。それにしてもあなたたちこそ、どうしてこんな場所に?」

「成り行きだ」

「あのねえ、ここは魔族領から近いのよ。こんなところに来るなんて、まるで魔族領からやってきたように見え……、もしかして」

 フランシスカが危険を察知し、一歩下がって剣に手をかける。

「案ずるな。我々は人間だ」

「うん。大丈夫。安心して」


 少しだけ懐疑の目を向けられていたが、それでもフランシスカは私たちを認めた。

「まあ、いいわ。それにしてもすごいわね、あなたの魔法」

「私の?」

(特に魔法は使っていないんだけど……、あ。)

 私は先程、確かに呪文を唱えた。

「呪文でその剣を強化したんでしょ。それに、綺麗な剣筋だったわ」

(私を弱くする呪文なんだけどなぁ……。)

 ただ、そんな事はフランシスカには知る由も無い。

「えっと……うん、ありがとう」

 私は説明する事を諦めた。


「これからレクレニアに戻るんだけど、あなたたちはどうするの?」

 フランシスカが私たちに尋ねる。

「私もついていくよ。アノン、いいよね」

「ああ。レクレニア帝国は我々の目的地でもある」


「……アノン、それはちょっとまずいかも」


 フランシスカの方を向くと、彼女は再び剣を構えてこちらを威嚇していた。先程よりも殺意が高い。それを見てアノンは少しだけ、ほんの少しだけため息をついた。

「失念していたよ。私のミスだ」

「ここはレクレニアと魔族領の境なのよ。……やっぱりあなたたち、魔族領から来たのね」

「待ってフランシスカちゃん! 違うの!」

「言い訳くらいなら聞いてあげてもいいわ」

 ――そこは「言い訳は聞かない!」とかじゃない?

「……えっと、うーん、あ、私たちは魔族領から逃げてきたんだよ」

 私は苦しい嘘をついた。

(……通るかな??)

「ああ、私は先日壊滅した西の国の斥候隊長で、彼女は私の優秀な部下でね。ようやく八魔将の包囲網を掻い潜って魔族領の国境を越えたばかりなのだよ。他の仲間は皆、我々を逃す為に犠牲になってしまった。我々は彼らの意志を継がねばならないのだ」

 私に続き、アノンが長々と語り出した。

(よくもまあ即興でこんな嘘をでっちあげられるね、アノンは。)

「そ……そう、だったのね。えっと……ごめんなさい、疑っちゃって。それと、お仲間さんたちの事……」

「構わないさ。斥候とは名ばかりの、ただの寄せ集めの凡愚だ。むしろ生き残ってしまった我々の方こそおかしいのかもしれない。さて、私はレクレニアに到着次第、騎士団に魔族領で起きている事の報告をするが、アディを堅苦しいところに長時間置いておくことは彼女も望んでいないだろう。フランシスカ、良ければ私の用事が終わるまでアディの面倒を見ていてくれないだろうか」

「それは……、それはいいわね! じゃあまずは城門まで向かいましょ」


 私抜きで会話が繋がっていく。というかアノン、あなた人と関わるの苦手じゃなかった?



    ■    ■    ■



 フランシスカが先行し、私たちはその後ろに続く。

「アノン、どうして味方をするの?」

 私はフランシスカに聞かれないように、小声でアノンに問いかけた。この世界では、人間が敵なのだ。

「君が人間と敵対したいのであれば、私は構わないが」

「あり得ないよ。そんな事」

 しかし、魔族側に付き人間と敵対する。この世界を救う手段は、本当にそれだけなのか。私はずっと疑っていた。人間と戦わずに済む方法が、他にあるのではないだろうか。


(……探すんだ。アノンに言われるままじゃ、間違いなく人間を殺す事になる。)

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