File1-4 世界はそれを奇跡と呼んだ

「君に出会うまでは、エクサがロナに乗っ取られているものだとばかり思っていたよ」

 王宮内を歩きながら、アノンは言った。

「そしてそれはやはり正しかった。ナノ、君は乗っ取られるどころか、そもそもロナに目を付けられてすらいない。そうだろう? 君はアディすら欺いたんだ。誇っていい」

 私はアノンの発言に思うところがあった。先程、ナノからロナの力を奪えなかったのだ。それは私のミスなどではなく……、

 ナノは何も答えず、廊下を先導する。階段を降りて暗い地下へと進み、やがてひとつの部屋の前で立ち止まった。


「この先に、エクサがいるの」


 ナノが扉を開ける。光源が無いにも関わらずその部屋は明るかった。頭上は吹き抜けになっており、どうやらここは王宮から少し離れた建物の直下らしい。

 左右に並ぶ鉄格子は、それだけでここがどのような場所なのかを暗示させる。ここは牢獄だ。

「お兄ちゃん、お客さんだよ」

 唯一の囚人である兄と呼ばれたその少年は、生きる気力を失くしている、まるで人形のようだった。

「……ロナ」

 誰が見てもわかる。この少年が悪魔ロナであるという事に。

「これは酷いな。幾らロナが災厄を齎す悪魔とはいえ、ロナはあくまでも氷を司るだけの知恵のない獣だ。牢獄の中に入れるだけで無力化できる。……ロナは、氷で鉄格子を壊す方法を知らない」

「ううん、違う」

 ナノはアノンの理論を否定した。

「私も、ロナに乗っ取られてるの。ロナはね、私とお兄ちゃんの二人に入ったの。だけど不完全だった。お兄ちゃんはロナの知性を、そして私はロナの力を得た」

「滑稽だな。それが悪魔ロナの結末か」



「……開けるよ」

 ナノが鍵を取り出し、牢の扉を開ける。

「……ぁ、……ぅ」

 鉄格子と地面が擦れる音に反応し、ロナを宿したエクサが反応する。人語を話さず、知性は動物並み。現在のエクサは、まさしくアノンの言っていた通りの存在だった。

「……アディ、お願い」

「うん。わかってる。早く済ませちゃおう」

 エクサは私が入ってくるのに気付くと、氷の杭を私に向かって飛ばした。

 正確に心臓を狙ったソレが私を貫通する事はない。氷は私の目の前で止まっている。私が自らの胸を刺そうとしているその氷を掴むと、氷は一瞬で融解した。

 今のが、ロナにできる最高の攻撃だった。力のほぼ全てをナノが受け取り、ロナは脆弱な氷を放つ事が精一杯なのだ。……仮に受けたのはアディという存在でなくても、あの氷が誰かの心臓を貫く事は無いだろう。

「今、助けてあげるからね」

 エクサの弱々しい首を、しっかりと両手で掴む。このまま命が消えてしまいそうなほど脆く、少しでも気を抜くと殺めてしまいそうだ。

「ロナ。来て」

 私は冷気が私の中に入ってくるのを感じた。孤独感、そう形容できる感情を、自らの中に入ってくる悪魔から感じ取った。


 ……数十秒程度。しかしそれはかなり長く感じた。

「終わったよ」

 エクサは意識を失っているが、まだ生きている。

「世界の異常を引き起こす元凶は消えた。アディ、この世界での目的は果たした」

「そうだね。でもちょっと待って」

「……何もせずとも、この世界から永久の冬は取り除かれるが?」

 ロナの力を私の中に封じ込めている以上、この世界の気候は段々と改善されていくだろう。

「でもそれって、時間がかかるでしょ?」

「たったの数ヶ月程だ。長くはない」

「麓の村の子とね、約束したの。春になったら桜を見ようって。早い方がいいよね」

「……勝手な事をしてくれる」

 アノンは呆れた様子だったが、私の行動に制限をかけない事を私は薄々理解していた。アノンは、多少の我儘は聞いてくれるのだ。


 私は右手を上に掲げ、指を鳴らす。上空を覆っていた暗雲は一瞬で取り除かれ、綺麗な星空が世界を照らした。

「帰ろう、ナノ」



    ■    ■    ■



 氷の城から連れてきたナノとエクサを、麓の村人たちは快く受け入れた。それから数日経ち、ナノもこの村に馴染んできたことだろう。

「あ、あれ……!」

 ナノが、目を輝かせて一本の木を指差す。まだ咲き始めだが、確かに桃色の花が咲いていた。




 ……そして、その様子をアノンと私は遠くから見守る。もうこの世界に、異端な二人は不要なのだ。

「あれ? そういえばどうして私って普通でいられるの?」

 ふと疑問に思い、私はアノンに尋ねた。

「私の力って悪魔とかその程度じゃ比べる事すらできなくて、世界一つを簡単に消しちゃえるほどの力なのに、それをあの日無理矢理受け取っても私が普通でいられたのはどうして?」

 私はアディという規格外の力に呑まれておらず、完全に力を制御することができている。例えば全力で地面を殴ればそれだけで地表の文明が終わる程の威力を誇る攻撃となる筈だが、世界を壊すほどの身体能力を持ちつつも他人と手を握る事ができる。一般人として振る舞えば、世界からみた常識的な人間としての行動を不都合なく行える。それが謎だった。

「常人が身の丈に合わない力を得たとき、その強さによって自我を保つ事がより困難となる。だが……その力が一定値を超え、途方もなく莫大な力を得たとき、それはかえって大人しくなる。受け取る力の中に、自らを制御しようという部分が含まれているからだ。私からみれば、力が抑え切れないうちはまだ低度だろう。あり得ない話だが、仮に君が強者と思う人間と遭遇した場合、……真に恐ろしいのは、自我を完璧に保っている人間だ」

 含みのある言い方だった。まるでそのような存在がいるかのような。

「それじゃあ、そろそろ次の世界に行こうか」

 この世界での役割は終えた。そう信じたい。

「珍しいな。別れを惜しむかと思っていた」

「ずっとここにいたいよ。でも、それじゃ駄目なんでしょ?」

「ああ。今度は我々が世界を壊しかねない」

 私は銃を上に構える。

「またね、ナノ」

 そうして、世界から二人が消えた。




『億の年月を凍結された悲劇の世界は無事に救われたの。この後の世界の行末は長い目で見れば決して良いものではないかもしれないけど、あの子が救った王女ちゃんはあの子が望んだ通り、幸せに暮らしたの』

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