File1-3 ナノ
山頂までは遠いが、一日もあれば着く距離である。道中には猛吹雪により先が全く見えない場所や、何故か浮いている氷を跳びながら移動したりする箇所もあったが、アディとしての力なのか、特に問題無く進む事ができた。それでも相当な距離ではあったので、山頂近くに着く頃にはすっかり日が暮れ、空には満天の星と虹色のカーテンが靡いていた。
「変だな」
落ち着いた場所で、アノンが呟いた。長いこと変な空間を歩いたので、私は適当な切り株の上に座って休んでいる。
「何が?」
「ロナの妨害が一切無い」
「歓迎されてるんじゃないかな」
「それは無いだろう。ロナの知能は動物以下だ。行動は機械のように決まっている」
「寝てるとか?」
「悪魔は眠らない」
「私に怯えてる」
「なおさら我々を帰らせるはずだ」
あらゆる可能性を挙げてみるが、ことごとくアノンに否定される。私は反論する事を諦めた。
「アノンはどうしてだと思う?」
「私は推測をすることはあるが、それを述べる事は無い。確定した事象の話しかしないと決めている」
「つまらないの」
私は空を見上げた。
「空、綺麗だね」
「オーロラだ。作り物とはいえ、なかなか見られるものではない」
「アノン、つまらない人間だって言われない?」
「先代からも何度か言われたな」
アディは珍しい夜空を充分堪能し、意を決して立ち上がった。
「行こう。アノン」
「ああ」
そうして、私たちは歩き始めた。
■ ■ ■
更に長い道の果てに、私たちは山頂付近の国跡に辿り着いた。
「ここが……」
廃滅した城下町は半壊した家屋の数々がそのまま固まっており、気味の悪い芸術作品のようだ。人型の氷像も多く見られるが、恐らくそれは……。
「この像たちはもう死んでいる」
「言わないでほしかった」
逃げ遅れた人……なのだろう。もしかすると逃げるという選択すら取れないまま、ここで死んでいったのかもしれない。
長い道を歩き切り、アディたちは城跡の入り口にたどり着いた。足を止める事もなく門を潜り、王宮の敷地に入る。
「……アディ」
「わかってる」
門から城の入り口までの長い道の上に、二人を阻むように一人の銀髪の少女が佇んでいる。二人は立ち止まった。
「おや、君も生きていたのか。第一王女ナノ」
アノンが少女に問いかけると、ナノと呼ばれた少女は首を横に振った。
少女がゆっくりと左手を前に伸ばす。直後、左手の先端から氷の柱が出現し、勢いよく真っ直ぐにアノンへと伸びた。そしてそれは、アノンの目の前で停止した。
「……なるほど、君だけが生きていたのか。君は特異点に該当する」
「それって、あの……?」
かつて私のいた世界の水の四天王。彼女の事も特異点と呼んでいた。
「普通では起こり得ない事だ。第二王子クエクトではなく、ナノがロナに意識を乗っ取られている。今は些細な差だが、この世界においてクエクトが死んでいるという状況は後々に狂いを産む」
アノンが目前の氷柱を掴むと、それは音を立てずに霧散した。
「ロナ、君は知性の乏しい獣だったはずだが」
「……違う」
悪魔が語り出した。
「……私は、ナノ」
少女は随分と冷静だ。その姿は悪魔の取り憑いた醜悪な化物と言うよりかは、むしろ……。
「ナノさん、もしかして自我が残ってるの?」
私が尋ねると、ナノは頷いた。
「確かに、ロナは私に取り憑いた。けど」
ナノが右脚を一本前に出す。その一歩を起点に寒気が城全体を取り巻き、城の周囲に百メートル程はある氷の壁が一瞬で生成される。
「ロナは私を奪えなかった」
ナノの双眸が赤く輝く。
「悪魔の力を取り込んだ。そういう事なんだね」
少女は頷く。
「あなたたち、名前は?」
「私はアディで、彼がアノン」
「そう、アディ……」
彼女は一呼吸おき、私に告げた。
「アディ、私と戦って」
「いいけど……、私、勝っちゃうよ?」
「それならそれでいい」
「良くないよ!」
否定する。
「いい? 犠牲になっちゃダメ! あなたも助かる方法を探すの!」
ナノも気付いているのだ。世界が冬に閉ざされている事も、それが彼女自身の所為である事も。……そして、彼女の死により世界が正しい姿を取り戻す事も。
「でも、これは私の所為だから。私は生きてちゃいけないの」
ナノが右手を上に掲げると、上空に無数の氷の刃が現れる。
「私、この力を抑えられなかった」
上げた腕を下ろすと、氷の刃が順番にアディに向かって飛来する。
避ける為に一歩下がろうとしたときには既に、私はアノンに抱えられていた。
「へっ?」
何かを尋ねるよりも早く、アノンは何も言わずに駆け出した。
「ちょっと!!」
「あのままでは当たっていただろう」
「いや、その、そうだけどさ……」
走りながら、飛来する刃を全て避ける。数十秒にも及ぶ氷の雨が止んだとき、ようやくアノンは私を解放した。
「当たっても大丈夫だよね?」
「一点。右腕を狙った正確な攻撃だ。いくらアディでも、あの刃を何度も同じ箇所に四十万発程受ければ無傷では済まないだろう」
「……」
そんなに飛んできてはいないし、そんなに当たる訳がない。
「……アノン、かなり心配性なんだね」
再び、ナノを見る。
「ここに来た人、みんな善い人だった。善い人だったから……私を消そうとした。仕方なかったの」
「何人くらい来たの?」
「七回、十二人。みんな世界を元に戻そうとしてた。正しいのはあの人たちで、私は倒されるべき悪魔。なのに、誰も私まで届かなかった。アディ、それとアノン。……どうか、私を殺して」
私は地面を蹴ってナノの側に一瞬で迫ると、ナノを押し倒した。
「……そう、それで……」
「私はあなたを殺さない」
ナノの願望は、叶わない。
私が腕を横に振ると、その空気の振動で周囲を囲っていた氷の壁が昇華した。
「私ね、こんな力を持っちゃった。簡単に世界を壊せるんだって。今まで必死に生きようとしてたのが可笑しくなっちゃって。……でも、この力があるからこそ、私はちゃんと救いたいの。犠牲になる人なんていらない。世界が救われた後には、あなたもいなきゃだめだって、そう思うんだ」
それはまるで、善良な神のように。
「でも、そんな夢みたいなこと……」
「夢じゃないよ」
ナノの全てを否定する。希望を与える存在となる。
「一年間も待ってたんだよね。長いよ。きっと辛かった」
私の指が、ナノの首筋に触れる。
「その力を、貰うね」
両手で首を掴み、優しい力で絞める。
「っ……! んっ!」
力を、回収する。私自身、このような経験は無い。しかし知っているのだ。アディとなったあの日に詰め込まれた知識の中に、この行為の存在と意味が含まれている。このまますれば、私はナノから氷の悪魔の力を奪う事ができる。そのはずだった。
「……!?」
ふと、私は違和感からその手を緩めてしまった。
(……これでいいはずなのに、力が回収できない!?)
「待っ……て……!」
同時に、ナノが拒絶した。強い意志を感じ、私は慌ててその手を離してしまう。
「一年じゃ……ない! 私、もうわからないの。……気が遠くなるくらい待って、もう壊れちゃいそうで、……それでも。私、わからないくらい永い時間をここで過ごしてたの。……ねぇアディ、ほんとに一年しか経ってないの? ほんとに……?」
「それ、は……」
ナノの切実な問いかけに、私は答える事ができない。私は何も知らないのだから。一年と言ったが、それは時の経過を忘れた村の人から聞いた話だ。そんな曖昧な情報、信用できるはずがない。
……しかし、全てを知っている可能性を秘めた人物が、ここにはいる。
「アノン!」
アディは叫んだ。
「ねえ……停滞が始まってから、何年経ってるの?」
直球に聞いた事を、私は口に出して初めて後悔した。彼の返答が、私自身に深い絶望を与えてしまうのではないか、そう直感した。……そして残酷にも、私の予感は当たってしまう。
「……ナノがこの世界に現れたのは、約四十億年前だな」
それは、紛れもない現実で。
そもそもアノンは、冗談を言う人間ではなくて。
……そしてそれは、私にとっても他人事ではないような気がした。
「よん、じゅう……?」
人の寿命が一瞬で過ぎ去ってしまう程の時間。
「ただ、観測者の居ない君の時間は世界とは異なる速度を持つ。君が実際に体感した時間は二百年程だろう。自我を保っていられるのにも納得する」
「アノン、……この世界が冬になってから、四十億年が経ってるってこと?」
私が尋ねる。
「ああ」
「他の世界も?」
「世界の生成はおよそ同じタイミングだ。世界はどれもそれ程の年月が経過している。……だから、現存する全ての世界が無意味な停滞を初めているのだ」
ナノは言葉を失っていた。否定するような言葉すらも、彼女は発する事ができない。
「さて、ナノ。知性を残している君であれば答えられるだろう。私からも一つ、質問させて貰うよ」
追い討ちをかけるように、無慈悲にもアノンはナノに質問をする。
「君の兄、第一王子エクサは生きているのだろう? どこにいる」
エクサ。本来ロナの媒体となるはずだったクエクトの兄にあたる、第一王子。
「……生きてる。でも、違う。あんなお兄様を、……まだ生きてるなんて言わないで」
怯えるように、ナノはぽつりと言う。
「エクサは城の中に居るんだな」
アノンが尋ねる。
「いる。でも、もう……」
「連れていって」
私は頼んだ。
「ナノ、私をエクサのところまで。生きてるならちゃんと救わないと。アノンもついてきて」
「……そうだな。本来の目的と一致する」
「……私、この世界をちゃんと救いたい。停滞を終わらせる為だけじゃない。犠牲なんて絶対に出さない。だからナノ、私を信じて……!」
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