File0-5 そして私は無知を失った

 私が目を覚ますと、そこは別世界だった。灰色の部屋のひとつにいる、というのはわかるが、それだけだ。それに、空気も悪い。

「……ここ、どこ?」

 違う世界にいる、という実感はある。ここから見えるものだけでも、私の知らないものだらけだった。

「あ……」

 そして私は思い出す。私は選択できなかった。

「あら、起きたのね」

 既にアノンとアディの二人は起きていたようで、ちょうどアディが部屋に入ってきた。

「いいものは無かったわ。はいこれ、お腹空いたでしょ」

 アディが私に固形物と水を渡す。魔族の固形食を想起させる見た目に少し躊躇するが、意を決してそれを口に入れた。

「魔族のごはんよりおいしい」

 感想は、それだけ。

「……あなた、相当ひどい環境で育ってきたのね」

 どうやらアディにとっては非常に不味く、食べられたものではないらしい。

「後悔してる? それとも憎んでる?」

 アディが尋ねた。それは彼女が私を勝手に連れ出した事について。

「……わからない」

「後悔してもいいのよ。勝手に連れてきたのは私だし、私を恨んでもいい」

 私には何が正しかったのかわからなかった。すぐに決断すべきだったのか、そしてここへ連れてこられた今、アディを憎むべきなのか。少なくとも、彼女らを憎もうとは思わなかった。


「そういえば、アノンさんは何をしてるの?」

 アノンは先程から少し離れて窓の向こうを観察している。

「私にもよくわからないわ。以前聞いたときもインプットとしか言われなかったし、知らなくていい事なのは確かよ」

 しばらくすると、アノンが二人の方へ戻ってきた。

「微調整が済んだ。出発しよう」



    ■    ■    ■



 部屋を出た私が見たものは、完全に私の知る世界とは別物だった。

 幾つもの高い灰色の直方体が規則正しく連なり、空も灰色に染まっている。下を覗くと、数人の武装した人間が得体の知れない存在と闘っているのが見える。

 そして何よりも、遠くに見える群を抜いて巨大な建造物が印象的だった。数百メートル程の塔で、先端の周りには巨大な輪が複数ある。

「世界観測塔。人類の最高傑作だったあれが暴走して数百年、人類は反逆した機械から身を潜め、あれの主導権を機械から奪還する為に動いている」

「機械ってなに?」

 難解な言葉の羅列だが、その中でも耳に残った単語について質問する。

「下のあれよ。動くお人形さん、とでも思って貰えればいいわ」



 階段を降り、地表へと足を運ぶ。

「そうだ。あなたにこれを渡しておくわね」

 アディが虚空から細剣を取り出し、私に手渡した。別世界への扉を開くのに使っていた、ハサミの片側だ。

「大丈夫よ、それはただの剣。あなたが振り回してもただの刃物にしかならないわ」

「どうして、私に?」

「今回は私たちだけじゃ護り切れるか心配だから。何かあればそれが守ってくれるわ」

 私はそれを手に取る。大きさは私の背の半分くらいで、私にとってはそこそこ大きいものだった。



 アノンとアディの後ろに、私がついていく。

「あの……、どこに向かってるんですか?」

「観測塔だ」

「魔王がいるの?」

 本当は機械が蔓延るこの世界にそのような存在は居ないが、この時の私にとってそんな事は知る筈もない。

「それとは別物だが、……倒さなくてはいけない存在、という点では魔王と共通するものがある。我々の目的はあの塔の最上階にある制御装置を機械から奪還する事だ」

「えっと……」

 私の知らない単語があった。

「あの塔を登ればいいのよ。アノン、慣れない言葉じゃこの子に理解させてあげられないわ」

「そうか。難しい言葉は控えよう」



 最短距離ではなく、アノンはよくわからない道を選んで通っている。周囲からは戦闘音が絶えないが、三人が機械に遭遇する事は無い。

「アノン、なんで機械を避けてるの?」

 疑問に思ったのか、アディが尋ねた。

「戦闘は少ない方がいいだろう。……君にとっても」

「そうね。でもつまらないわ」

 どうでもいいかのように、アディは適当な返事をしてこの話を終わらせてしまった。



 それから一度も暴走する機械に遭遇する事は無く、三人は塔の近くまでやってきた。近くとはいっても、まだかなり距離はあるが。

 塔付近の建造物は全て破壊されており、塔を中心に荒野が広がっている。ここからは遮蔽物が無い。

「戦闘は避けられないみたいね」

「そうだな」

「少し、遊んでもいいかしら」

「好きにしたまえ」

「そう。じゃあ遠慮なく」

 アディが塔へと駆け出すと、まるで誰かが来るのを待っていたかのように瓦礫の影から機械の群れが現れる。

「我々も移動しよう。機械はアディが全て壊してくれる」

 アノンも歩みだし、私もそれに続く。


 突如、観測塔から白い光線が飛来した。私を目掛けて飛んできたそれはアノンの右手が防ぐ。

「君が当たれば即死だな」

「アノンさんは大丈夫なんですね」

「当然」


 アディの手際は非常に良かった。私が歩く道には機械の残骸のみが残っており、アノンと私はただ歩くだけで良かった。念の為、私はアノンの後ろに隠れていた。

「アディさん、楽しそう……」

 遠くに見えるアディは嬉々として戦闘している。良く言えば余裕、悪く言えば戦闘狂だ。

「最期の思い出としては物足りないだろうが、先の世界よりはマシだろう」

「最期?」

「気にするな。独白だ」

 私たちのところにもアディが討ち漏らした機械兵がやってくるが、アノンが軽く腕を振るだけで粉々になってしまっている。





 塔まであと半分というところで、私は後ろから機械の音がするのを聞き取った。

 すかさず後ろを振り向く。蟷螂のような、鋭利な刃物を脚の先端に付けた機械がこちらに向かってきていた。

「アノンさん!」

 助けを呼ぶが、反応が無い。いつのまにかアノンとの距離は離れていて、前方を向くとアノンもまた突如として襲ってきた機械を蹴散らしていた。私に気をかける余裕は無さそうだった。

「っ……!」

 機械が私の前まで迫り、刃を振り上げる。死を感じたが、私は手に持っているものを思い出す。アディから受け取った、紫色の細剣。

 ――私が、やるしかない。

「お願い、当たって……!!」

 私は恐怖から目を閉じて、しかし全力で両手で握った細剣を前方に突き刺した。




「え……」

 私が貫いたものは、機械ではなかった。目を開ける前から、それが生物を貫く感触だとわかっていた。固い機械ではなく、もっと生々しい、肉が裂ける感触……。



 ――私の握る剣は、アディの心臓を綺麗に貫いていた。


「どう……して……?」

 私は慌てて剣を抜こうとするが、その剣をアディが掴む。アディは、微笑んでいた。

「ありがとう。これで、やっと……」

 アディが剣を更に抉るように動かす。私は反射的に手を離してしまった。アディは地に倒れた。

「アノンさん! アディが! アディが死んじゃう!」

 血が止まらず、辺り一面を染めていく。アディに刺さったままの剣を勢いよく引き抜き、吹き出た血を止めるように抑えるが全く効果がない。

 アノンの方を向くが、アノンもまた私とアディを見つめるだけだった。

「何……? 何でなの……?」

 そしてアディは、粒子となって消滅した。アディを抑え続けていた私はそのまま前方に転んだ。


「あ……ああ……」


 ――私が、アディを殺した。

 叫びたくなるところを必死に我慢する。そうするしかできない。そして機械の猛攻は気が付けば終わっていた。私がアディを刺したときには既に、機械の進行は止まっていたのだ。


「っ!?」

 突如として、私の脳に膨大な量の"何か"が流れ込んで来る。並の人間であれば狂って脳を破壊される程度では済まされない程の、今までの人生の数億倍以上はありそうな途方もない"何か"。それが一瞬で私の脳に雪崩れる。

「あぁ……ああああああっ!!」

 焼き切って、再生して、また焼かれて。

「がっ……あ……い……痛い……!!!!痛い痛い痛い!!!」

 それでも私の脳は、その情報を全て適切に処理する。処理できてしまう。

「な……何っ……これ……!!?」

 得体の知れないものに脳が上書きされる。そのはずなのに、私の意識ははっきりと保たれている。私を構成する根幹だけを残し、脳が次々と書き換えられる。


 数秒後、私の脳は処理を終えた。


「……ぁ」


「おめでとう、継承は無事に完了した」

 膝から崩れて放心している私に、アノンが言った。

「継……承?」

「経験値、と表現してもいい。君は先代のアディを殺害する事で、彼女が持っていた経験値を全て得た」

 何を言っているのかわからない。……否、認めたくないだけで、今の私の脳ではたった今起きた事を全て説明できる。

 アノンが瓦礫の中から私の頭ほどもある破片を持ち上げ、それを私に向けて音速を超える速度で投げた。

「きゃっ……」

 頭に命中したが、……私は傷一つついていない。むしろ瓦礫の方が粉々になっている。

「……どうして」

「アディの力だ」

 彼の言葉を、完璧に理解できてしまう。私はアディを殺した。だからアディの持っていた力を受け継いだ。それ故にアノンはこの一連の流れを「継承」と表現しているのだ。私はたった今、化け物となった。


「さっき、護れないかもって、言ってたのは……?」

「嘘だろう。アディは世界全てを護ってなお余りある力を持つ」

「どうして、アディさんを助けなかったの」

「私に継承を止める権限は無い」

「どうして、私なの?」

「彼女が決めた事だ。私にはわかりかねる」

 あらゆる質問に対し、無慈悲な答えが返される。

「この場所も、あの機械も、……アディさんが死ぬ為に用意してたんだね」

「……ここまでの演出を望んだものは、彼女が初めてだったが」

 私の行動を含め、アディの願望通りに世界が動いていた。それほどまでの力が、アディにはあった。

「悲嘆する事ばかりではない。君は力以外にも、本来であれば一生得る事が無かったものを得たのだから」

「何のこと……?」



「ああそうだ、君の名前は何だったかな」



 惚けたように、アノンが私に質問する。

「何言ってるの。私は……」

 そう言いかけて、私の口は止まった。そして、私は戦慄した。

「……なんで、どうして」

 それを口に出す事が、とても恐ろしかった。


「なんで私の名前、無いの……?」


 私は自らの名前を知らなかった。否、名前が無い、という事を知っていた。

「君の部屋には確か、人形が並んでいたな。それもかなりの数の」

「それが……どうかしたの?」

「君はその一つ一つに、名前を付けていたか?」

「でも、あれは人形で……」

「同じだ。君の世界を作った者は、君に"村人"以上の情報を設定しなかった。村が村である為の要因である人の確保、君の役割はそれだけだった」

 アノンに言われるまで、私は名前が無い人間が多い事を知らなかった。父の名前も、村の友達も、配給に来る魔族だって。私が名前を知っている人物は、片手で数えられるくらいの一部の人間だけだったのだ。なのに、私はそれすら気付けなかった。

「……話が逸れてしまった。さて、君は新たな名を得た。おめでとう、"アディ"」

 アディ。それが私の、新しい名。私をここまで導き、そして私が殺した者の名。

「私の……名前?」

「そうだ」

 私のものでないような驚異的な思考力が勝手にはたらき、私はほとんどを理解し、アディという残酷な仕掛けに対しての推測も済ませてしまう。

「……今までも、そうだったの?」

「ああ、これまでの七十四回全てだ。対象を騙して継承させるやり方は久しぶりだが、ほぼ全てのアディが次代に殺害される事で自らの人生を終わらせている」


 塔からエネルギー弾が射出される。私はそれを先代から受け取った細剣で弾く。弾は容易に消す事ができた。きっと受けても無傷なのだろう。

「そう、私はアディなんだね」

 アディとして得た力を実感する。

「理解できたか」

「理解はできる。でも納得はできない」

「構わない。あの聡明で狡猾な先代でさえ、納得するまでは子供の様に泣いていた」

 再び、塔からエネルギー弾が飛ぶ。それは私に直撃したが、やはり無傷だった。……それが当然であるという感覚を、私は既に持っていた。


 虚空に手を伸ばし、何かを掴んで手元に寄せる。この動作を私は知っている。

「……銃」

 私が手に持っている武器を私は見た事が無かったが、名前も使い方も、何故か頭の中に入っている。

「それが君の象徴で、いつか君を殺す道具だ。完璧に武器以外の用途が無い形をとるものは珍しいが」

 かつてのアディの細剣、更にはそれより前のアディの所有物であっただろうナイフ。それらと同類のものだ。

 巨大な銃を両手でしっかりと構え、観測塔の最上階を目掛けて引き金を引く。あまりにも大きい反動で私の体が後方に吹き飛ぶが、受け身をとってなんとか体制を保つ。

 音は一切無かったが、確かに弾は射出され、観測塔に着弾した。

「……?」

 何も起こらないと思った刹那、世界に亀裂が入った。まるで景色が全て硝子でできていたかのように、世界が塔を始点にゆっくりと崩壊を始めた。

「これは……」

 予想外の自体に、思わず足を竦める。

「渾身の一撃、と呼んでもいいものだ」

 一撃で、世界が壊れていく。

「移動だ。この世界は終わった」

「待って」

 私はアノンを止めた。

「この世界を、ちゃんと見届けてあげたいの」

 間もなく世界の分解という侵食は二人を追い越す。今まで歩んできた道も、私がこの世界で目覚めたビルの一角も、意思を持たない機械兵も、それに反逆する人々も。……そして、ここからでは見えない地平線の奥、この世界の果てまでもが分解され、消える。

 世界には二人だけが残った。辺り一面、黒以外存在していない。

 私は再び銃を構える。

「……あ、あの扉ってどうやって出すの?」

 アノンに尋ねるが、返事は無い。仕方なく私は銃口を上に向け、何もない暗闇を撃った。いつのまにか私にはこの方法が身についていた。

 弾丸は途中で何も無い場所に着弾し、新たに紫の亀裂が入る。そしてそれは私たちを包んだ。

「そうだ、それでいい」

 こうして、私たちは世界を移動した。






『数億年にも及ぶ人間と機械の闘争の終末は、名も知れぬ天上からの一撃により訪れたの。世界はその意味、その価値、その記憶、そして存在していたという過去さえも消去され"救済"されたの』

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