File0-4 感動とは程遠く

 魔王城からは少し離れた平野で、アディたちは魔族の主と対面した。


 魔王が口を開いた。

「……ここは綺麗だ。魔族の土地で草が生い茂っているのは、ここしかない」

 優しい声。私にとって、魔王からその言葉が出る事は意外だった。水の四天王であるステラが言っていた通り、彼もまた元人間だと言う事を実感する。それも、世界を救った英雄。会話の余地は充分にあるということだ。


 突如、魔王が血を吐いた。


 よく見るとボロボロだ。靡いたローブの隙間に見た彼の腕には傷がついていて、魔族の象徴である角も片方が折れている。

「その傷……」

 私がつい声を出すと、魔王は微笑んだ。

「君は、優しいんだな。……これは俺がつけた傷だ。気にするな。こうでもしないと……っ」

 再び血を吐いた。


「制限世界の特異点が行動可能範囲を越えたときの反応と同じだ。恐らくだが、君は城から出られないように設定されているのではないか」

 アノンが魔王に問いかけた。

「今君は、後ろ向きに尋常でない力を受けているだろう。力に沿って城へ戻ればその苦痛も終わる」

「駄目、だ……。それじゃ何も解決してない」

 魔王が力を解放する。人間の姿を保っていたそれは膨張し、一瞬のうちに禍々しい龍のような姿へと変貌した。目の前の怪物を見ただけで、私は萎縮してしまう。

「第二形態への覚醒。自らの制限を解除し強引に世界の力に抗うか。アディ、君の仕事だ」

「はいはい」

 アディがナイフを取り出す。

「ごめんね。これが私の役割だから」

 アディは一切の抵抗をしない魔王にナイフを突き刺そうとし、魔王もそれを受け入れる。


「待って!!」


 ……しかし後方より声がした為、アディは攻撃をやめた。そこには先程まで塔の上にいたはずのステラがいた。炎の力を失い、その装束からは朱色が褪せている。彼女もまた、本来であればこの場所に訪れる事はできない存在。

「行動可能範囲無視のペナルティを、彼女が殺した他の四天王に肩代わりさせている。全く、この世界は無茶な行為に走る"敵"が多い」

 ステラが両手を前に出すと、氷の大剣が現れる。

「魔王様。いえ、英雄サヴァルジニア。……貴方はもう……いいのです。もう、辛い思いをしなくても……」

 剣を構え、唸り続ける魔王に向けて駆け出した。その迷いのない真っ直ぐな切っ先は魔王の心臓へと迫り、


 ――そしてその氷刃は、魔王を貫いた。


「……ステラ、か……。随分と……変わったな」

 自らを貫いた氷とその持ち主をようやく認識し、龍となった魔王は相手に話しかける。

「サヴァルこそ……、ごめんなさい。私が全て押し付けてしまった」

「いいんだ。……世界は、いつか終わる。……僕らは抱え過ぎた。持ちきれないほどの役割を、落とさないように必死に掴んでいた。……でも、掴めていなかったんだね」

 剣を起点として、龍の身体に白い亀裂が走る。ステラの生み出した氷はゆっくりと龍を内側から侵食し、やがて全身に至る。


「……さようなら、サヴァル」


 魔王が、消滅した。



 

「……跡形もなく消えたわね。きっと人間の魂じゃ魔族化と行動制限の二重の負荷に耐えられなかった。アノン、これからどうするの?」

 静寂が訪れる。気がつけばステラも先程の魔王同様に苦しそうにしていた。

「撤収だ。役割は終えた」

「ステラはどうするの?」

「勝手に持ち場に戻る。気にするな」

 そう言っている間にも、ステラは意思を失った傀儡のようにゆっくりとこの場を離れていくように歩いていた。

「魔王さん、誰も殺してなかった」

 私は呟いた。魔王は世界への抵抗に他者の命を使っていなかった。全て自らの力で最後まで抵抗し、そのまま命を絶たれた。

「……ああ。そうだな」


 空が晴れていく。黒い雲に覆われていた空は、少しずつ本来の青を取り戻す。この世界から、魔王という人類の脅威は去った。



    ■    ■    ■



 昼間だというのに、その街は各々が仕事を放棄する形で賑わっていた。祭りが催されているのだ。世界が救われた事による宴だ。そんな中、三人は街全体を見渡せる崖の上から祭りを見下ろしていた。

「あれを」

 アノンが私に促し、街の中央を見せる。人々の間にひとつ、違和感のある空白があり、誰もがその空白に人がいるかのように虚無を讃えている。私はその異常に恐怖を覚えた。

「あれは……?」

「魔王を倒した人間があの場所に立っている。本来であれば」

「仕方のない事ね。この光景だけは慣れないわ」

 アディもその光景を快くは思っていないらしい。

「どうして私はわかるの?」

 村の人間の中で、私だけが空白を理解できている。

「我々という"世界の外側"を知ってしまったからだろう。君は私たちに出会う事で、世界の真実を無意識下で理解してしまった」

 アディが後ろを向き、虚空から武器を取り出した。先程のナイフではなく、少し大きい細剣。紫色でハサミの片側のような形だ。

 アディはそれを虚空に突き刺し、薙ぎ払う。空間が裂け、別世界へと繋がる扉が出現した。


「まって!」

 私は叫んだ。このまま二人が消えてしまいそうな気がしたのだ。

「ふたりは……どこへ行くの?」

「遠く。あなたでは一生かけても届かない場所へ」

「私も行く!」

 強い意志があった。

「私は反対だがね」

「アノン、黙って。……私たちはね、違う世界から来たの。私たちについてくるという事は、この世界を捨てるという事。もう一度よく考えてごらん?」

「この世界は、どうなるの?」

 私の質問に対し、アディは少しだけ返答に悩んでいるようだった。

「……大丈夫よ。もう魔王は現れないわ」

 危機は去った。そう言っている。

「この先に進めば、もう戻れなくなるのよ」

 私にとって重過ぎるほどの運命の選択。救われた世界に残り、彼女たちと別れるか。世界を捨てて彼女たちと共に征くか。





 そして、私の進む道は一つに決まった。





    ■    ■    ■




「何故連れてきた」

 アノンがきつく問い詰める。三人目の少女は疲れて眠ってしまっているが、少女に聞かれたくない話でもある為今は好都合だ。

「迷うくらいなら、どちらを取っても後悔するわ。迷った時点で連れてくるって決めてあるもの」

「本当の事を言っていないだろう」

「教える訳ないじゃない。それに、教えていたとしてもあの子は悩むわ。私がそうだったようにね」

 先の世界は、少女の望まない形で救済される事になる。その事実をアディは少女に告げなかった。

「ところで、私はその少女を連れてきた理由を聞いているのだが」

 アディは少女の意志に関係無く、無理矢理旅に連れてきた。

「私たち、出会ってどれくらい経った?」

 答えの代わりの質問だが、アノンはそれが先程の質問の答えとなり得る事を知っている。それ以前に、アノンは自分の問いに対する答えをアディに訊くまでもなく既に知っているのだ。

「覚えていないな。些細な事は」

「もう永いこと一緒にいたわね。アノン」

 何かの儀式のように、単調に会話が続く。

「そうだな。億を越えたのは君で二人目だ」

「あら、些細な事なのによく覚えているじゃない」

「……君は苦手だ。今までの誰よりも」

 アディは高級そうな長椅子に横になった。

「私ね、……たぶん、疲れちゃったの」

「……そうか」

「止めないでね」

「私にその権利は無い」

「そう、安心した。……ちょっとだけ眠るわ」







『勇者は魔王を倒し世界を救ったけど、平和が訪れる事は決して無いの。勇者は世界のシステムを知り、自らを魔王と名乗り、そしていつか現れる次の勇者に倒される。その繰り返しがあの世界のシナリオだったの。外部からの介入の所為で勇者は現れず、世界は輪廻から無事に"救済"されたの』

『魔王が居なくなった後の世界は……、統率者を失った魔族は報復を決意、人間はすぐに滅ぼされたの。……魔王が、魔族の侵攻を抑制していたの』

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