其の四




 早朝に街を発った所為か、森の中は薄い霧に覆われていた。

 前を歩くユウキの歩みに淀みはなく、ドンドン森の奥へ進んでいく。

 その隣には女剣士がこちらの様子を窺いながら、ユウキに付いている。

 後ろには魔法使いと僧侶がおり、俺は一番安全な真ん中にいる。


 先日の女連中からの要望で、今日はユウキたちに同行している。

 魔王軍との戦いなんてどんなものなのかと思っていたが、その内容は少し拍子抜けだった。

 街近くの山岳地帯にバモットという山羊に似た魔物がいるそうで、それを間引く仕事だ。

 魔王軍とか戦争とかって聞いていたから、大規模な戦闘を想像していたが、地味な魔物討伐も勇者の仕事らしい。

 ユウキに言わせれば簡単でつまらない仕事らしいが、人々が平和に暮らすには欠かせない事だ。

 何も知らない俺に気を使って、簡単な仕事にしてくれたみたいだ、とユウキは女剣士を評していたけど、俺にはそうは思えなかった。

 あの女が俺に気を使うようなたまには見えない。


 目的地の山岳地帯に至るには今いる森を抜ける必要がある。

 この森にも魔物はでるらしいので、警戒しながら進んでいるが、特に目立った気配は感じない。

 魔物にもユウキの悪名が轟いて、誰も近寄って来ないのかも、とどうでもいいことを思いつつ、歩を進めていると、霧が濃くなってきた。

 俺の常識から考えると、気温の低い朝方に霧がでて、日が昇るにつれて、晴れてくるものだと思っていたが、この異世界は違うみたいだ。

 地球の常識が通じないことには然程驚かないが、霧が濃くなるのは視界が悪くなり、ユウキとはぐれる可能性がある。


「ちょっと!しっかりしなさいよっ!」


 気がつけば一寸先が見えなくなるまで霧が濃くなっており、すぐ傍には女剣士の声が聞こえた。

 どうやら俺はみんなとはぐれてしまったようだが、この霧では仕方ない。俺には魔法も特別な力もないのだから。


「こっちよ」


 少し癪だが、女剣士の声がする方へ導かれ、ユウキと合流するしかない。

 声と微かな気配を頼りに女剣士に付いて行くが、少し様子が変だ。

 方角も曖昧で、俺が今どっちを向いているのかは判らないが、山岳地帯の方角ではなさそうだ。

 なぜそんなことが判るのかと言われれば、野生のカンか第六感としか答えられない。

 もしかしたら、三年間の山籠りに似た生活が俺の感覚を鋭敏にしたのかもしれない。

 しかし、自力でどうにかできる状況でもないので、素直に女剣士の声のする方へ歩く。


「止まってっ!」


 暫く進むと女剣士に静止されたので、その場で止まった。


「この先は崖になっていて、うっかり足を滑らせたら助からないわ」


 一寸先も見えない状況で、目の前が崖ってのは怖すぎる。

 背後から聞こえる女剣士の声がいつもより落ち着いていることに違和感を覚えつつ、なおも話続ける女剣士に耳を傾けた。


「万が一落下で死ななかったとしても、底にはガカァリと言う蝙蝠型の魔物がいるわ」


 どこにでも魔物ってのはいるものだなと、先の見えない霧を眺めながら、俺の中の違和感がドンドン膨れ上がって、大きくなった。


「崖下は陽の光があまり届かず、真っ暗闇よ。松明や魔法の光源がなければ一歩も動くことができないほど闇が広がっている。逆にガカァリは音によるエコーロケーションで周囲を知ることができ、容易に獲物を狩ることができる」


 俺は女剣士の声を頼りにここまで来た。なのに、今は後ろから聞こえるのは何故だ。


「ここから落ちれば魔力ゼロのあなたじゃ、まず助からないわ」


 声の切れ目と共に鋭利な気配を感じ、俺は咄嗟に体をひねった。

 脇腹に鋭い痛みと、やや遅れて生暖かい感覚が広がった。

 姿は見えなかったが、キラリと光る金属が見えた。

 どうやら俺は脇腹を斬られたようだ。そして、その拍子にバランスを崩した。

 期待していた地面への接地はなく、その代わり、絶望に似た浮遊感が体を包んだ。


「さようなら。生きてたらまた会いましょう。そして、また殺してあげるわ」


 最後に聞こえた女剣士の言葉に思考を割いている暇はない。

 斬られた脇腹を直接手で抑えて、余った腕で頭を抱え、なるべく接地する体の面積を小さく意識した。

 崖を転がりながら、全身に激痛が走るが、意識を手放せば終わりだ。

 意識が飛びそうな激痛が何度か襲ってきたが、谷底まで何とか耐えれた。


 谷底は女剣士が言っていたように、ただただ闇が広がっていた。

 さっきの濃い霧よりも、先が見えない。

 俺は腰に佩いていた短刀が無事か手探りで探した。

 その際に右腕に鈍痛を感じた。どうやら、骨が折れたみたいだ。

 ユウキから貰った短刀は無事だったが、腕の骨が折れたのは痛い。

 物理的にも痛いが、この状況を乗り切るのに右腕が使えないのは痛い。


 呼吸を整えて、左手を使い、体を起こした。

 両足は無事なようで、打撲以外の痛みは感じなかった。

 この場合無事と言っていいかどうかは判らないが、マシであると考えるしかない。

 立ち上がったが、状況を把握する為と少し体力を回復する為に、すぐには動かなかった。

 女剣士の言っていたことが正しければ、ここには蝙蝠型の魔物がいるはずだ。

 迂闊に動けば、奴らの格好の的だろう。


 暫く物音も立てずに佇んでいると目が慣れてきて、少しなら先が見えるようになってきた。

 夜目が多少効くのは三年間の山籠り生活のおかげと断言できる。

 街の灯りが届かない夜の裏山はここほどではないが、暗闇が広がっていた。

 夜の山に入るなんて不審者ぐらいなものだが、俺はたまに気の赴くままに裏山を駆けた。

 それに意味はなかった。ユウキを待っている間は体を動かしたいと思えば、時間も場所も関係なかった。


 いつまでもここに留まるわけにはいかない。ここで俺が死ねばユウキが困る。

 少し慣れた目でゆっくりと歩を進める。

 蝙蝠型の魔物に出くわしたくないが、とりあえず進むしかない。

 

 人が通ったことがないことは勿論、他の生物もあまりここにはいないようで、地面はすごく歩き辛かった。

 しかし、どうして人も生物も近寄らなさそうなこの谷底に蝙蝠型の魔物が生息していることを知っているんだ。

 今回のユウキたちの仕事である魔物の間引きのようにここの蝙蝠型の魔物もその対象である可能性が高い。

 そうなるとどこかにこの谷底に通ずる道があるはずだ。

 もし浮遊みたいな魔法があれば、その線もかなり怪しくなるが、知らないことまで考えていたらキリがない。


 出口がどこかにあると信じて只管に前に進む。

 ふと、昔のことを思い出した。

 あれは、まだ小学三年生ぐらいのことだった気がする。

 俺とユウキが裏山を駆け回る後ろをよく若菜と言う小さな女の子が付いて来ていた。

 そんなある日、若菜が小さな崖下に滑落して、足を挫いたことがあった。

 俺とユウキもすぐに崖下に降りて、若菜を交代でおぶりながら、登れそうな高さを探し回ったっけ。

 あの時は若菜が泣きながら謝っていたが、謝る必要なんてなかった。

 俺はユウキがいれば何でもできる気がしていた。何も怖くなかった。怪我人を一人背負うぐらいどうってことなかった。


 今の状況はそれとは大きく違うけど、少しも怖いとは思えなかった。

 不思議だな、今はそのユウキもいないっていうのに。

 しかも、怪我をしているのは俺自身だ。そう思うと笑いさえ込み上げてくる。

 しかし、状況は決して笑えるものじゃなかった。


 頭上から空を切る音が聞こえたので、咄嗟に身を屈めた。

 すると、何かが俺の頭の上をすり抜けた。

 死角からなので何が飛んできたのかは見えなかったが、音が去った方を振り向くと、炯々とした二つの瞳がこちらを窺っていた。

 全体像は見えないが、十中八九、女剣士が言っていた蝙蝠型の魔物だろう。


 二つの光が上下に揺れる。

 またも空を切る音が近づいてきたので、横へ転がった。

 右腕が折れているっぽいから横転したくなかったが、命には代えられない。

 この魔物はエコーロケーションで周辺を把握しているって話だったから、岩影に隠れても意味なさそうだ。

 では、どうするか。逃げるか戦うかしかないわけだが、逃げるにしてもどっちが出口か判らない。そもそも出口があるかどうかも判らない。

 なら、戦って勝つしかない。殺さずに撃退でもいいが、できればとどめを刺したい。

 初冒険でこの窮地とは、俺の人生も中々面白い。


 ユウキから貰った短刀を左手で軽く握り、次の攻撃に備えた。

 空を切る音が近づく度に俺は横へ転がったり、地面に低く伏せてやり過ごした。

 その際に、地面に転がっていた小石を何個か拾った。

 十分な小石が集まったところで、空を切る音がした方へ小石群を投げた。

 小石群に蝙蝠型の魔物は自身のエコーロケーションを乱されたみたいで、驚きとも取れるような鳴き声をあげた。

 俺は鳴き声の元へ素早く近づいて、短刀を振るった。

 剣身は翼部分を掠っただけに見えたが、そこから大量の血のようなものが吹き出し、翼はズルリと地面へ落ちた。


 俺はこんな状況でも割りかし冷静だと自分でも思うが、この短刀はどこか可怪しい。

 

「ユウキのやつ、とんでもないものを渡してくれたな………」


 文句を口にするが、ユウキのおかげで助かった。

 翼を斬り落とされた蝙蝠型の魔物は悲鳴をあげながら、そのまま動かなくなった。

 とりあえず、斃したってことでいいよな。

 俺は大きな息を一つ吐いて、肩の力を抜いた。

 少し苦労したが、一体だけなら対処できそうだ。これが複数体になると難易度が跳ね上がりそうだ。


 しかし、そんなことを思った所為か、今度は複数の気配を感じる。

 拙いな、出口の手がかりもない今の状況では逃げるもの厳しい。

 まあ、それでもやれるだけのことはやろう。


 俺がある種の覚悟を決めた時、頭上から光が近づいてきた。

 それは徐々に大きくなり、俺の目の前に飛来した。


「悪い、すぐに気付けなかった。無事か、ツバサ?」


 体の周りに光る球体を何個も漂わせているユウキが少しの申し訳なさを含んだ力強い口調で俺に問うてきた。

 俺が口を開こうとした時、さっきから感じていた複数の気配が一斉にユウキに襲いかかった。

 ユウキは手に持っていた豪華な装飾が施された剣を目に止まらぬ速さで振り、蝙蝠型の魔物を一瞬で殲滅した。

 流石勇者だ、しかし、強すぎるだろ。

 俺は驚きと共にユウキを見た。ユウキは俺に近づき、再び謝罪の言葉を口にしていた。

 謝る必要はないが、とりあえず、街に帰って治療してほしい、そう言うとユウキは俺を背負い、街の方へ空を飛んで運んでくれた。


「………やっぱり、空飛ぶ系の魔法ってあるのかよ」


 ユウキの背中で流れ行く景色を見ながら、俺が思った感想はそれだけだった。


 

 

 

 

 

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