第32話
ヤヤ子side
涼葉と千尋が行ってしまい、人に紛れたせいで背中すら見えなくなってしまった。
「まじかよ、行っちまいやがった。くそっ」
汚い言葉を吐き捨てる鈴木くん。
「俺、もう一個アトラクション乗って帰るから、来るならこれば?」
歩いていく鈴木くんに私はついていく。
今日の彼は、ハッキリ言って最悪だった。
冗談も話も自慢話ばかりで全てつまらないし、すぐ機嫌が悪くなるし、気遣いとか一切できないし、人として合わないし、辛くて苦しいことばかりだ。
でも。頑張らないと。
私は遊園地に誘われたときのことを思い出す。
『なあ矢野ちゃん、俺と猿渡でデートに行こうよ』
『え、デート?』
『そ、俺、矢野ちゃん好きかもしれねえからさデートに行きてえんだよ』
そう言われて私は頷いた。
別に鈴木くんに興味があったわけじゃない。私が恋愛しているところをみれば、千尋はきっと憂うことなく涼葉と恋愛できると思ったからだ。
だから私は頑張り続けなければいけない。
今日のために練習して、朝早くに起きて作ったお弁当だって無駄に終わったけれど、きっと頑張れば、好きになってくれたのだから鈴木くんと付き合うことができる。
それに私を好きになってくれたのだ。想いに応えるためにも頑張り続けないといけない。
嫌でも、苦しくても、それが正解なんだ。
「ん、じゃ、帰るわ」
アトラクションに乗り終えると、鈴木くんはそう言ってせかせか歩いていく。
「ま、待って」
ぴた、と足を止めた鈴木くんは振り返る。その顔は、苛立たしげなものだった。
「うっぜ。ついてくんなよ」
「え」
「まじ役に立たなかったな、お前」
開いた口が塞がらなかった。
「せっかくよお、橋下には女取ってやったって悔しがらせようと思ったのに、涼葉には当て馬にしてやろうと思ったのに、お前、何の役にも立たなかったな」
鈴木くんは続ける。
「何、驚いちゃって? 俺がお前なんか好きだと思った? なわけ、ねえだろ」
醜悪な笑みを浮かべて言った。
「鏡みろよ、俺とはどう考えても釣り合いが取れねえだろ。涼葉みてえな女が俺に合ってんだよ」
ああ、そうなんだ。
私、何、勘違いしちゃってたんだろう。それはそうだよな。私なんかを好きになる人はいないよね。
「ま、面はわるかねえから、抱くくらいならしてやってもいいけどな! ははは!」
悲しい、辛いを通り越して、もはや何の感情も湧かない。ただただ静かな暗闇に落ちていく感覚がする。
「何下がってんだよ、俺がひでえみてえじゃねえか。お前が身の丈相応に橋下捕まえてりゃ、俺がこんなくどい真似しなくてすんだのによお。ったく、っぱ橋下あいつ涼葉捕まえて許せねえなあ」
「……誰が、身の丈相応だって?」
「はあ? 耳まで悪いのかよ、この女。きっつ」
「千尋は! あんたとは違って、私には勿体ないくらいのいい男だよ!」
「……うっぜ。ぶんなぐってやろうか?」
一歩近づいてきた時、恐怖で腰が引けて尻餅をついた。
「ははは! ビビってやんの! ビビるくらいなら、最初っから黙っとけよ、カス!」
「本当、ビビるくらいなら最初っから黙っとけよ」
え、と声の方に目を向ける。
そこにはスマホを構えた千尋の姿があった。
「は、橋下?」
「全部撮ったから。これクラスのラインに送るわ」
「ちょ、ちょっと待てよ」
「ビビるくらいなら、最初っから黙っとけよ、カス」
鈴木くんは強い視線を向けられて怯んだ。
「送られたくなかったら、二度と絡んでくんな。んで、ここから早く消えろ」
鈴木くんは顔を真っ青にして、走り出した。
「大丈夫、ヤヤ子?」
差し出された手を取ろうとしたが、引っ込める。
「なんで、涼葉はどうしたの?」
こみ上げてくる嗚咽と涙を耐えて、精一杯強がる。
「全部話して、心配だからヤヤ子を見にいくって言った」
「何で……私、ずっと無視してたし、関わらないでって言ったじゃん」
「わかってる。俺だって今日、関わらないようにしようとして、何回も我慢した。だけど結局、俺はヤヤ子を他人にすることは無理だった」
千尋は頭を下げた。
「関わろうとしてごめん。やっぱり嫌だった?」
喉が震える。涙が溢れ出る。
「嫌じゃない。だから嫌なの」
「どういうこと?」
「千尋が助けてくれて嬉しかった。心の底から嬉しかった。でも、私は……」
苦しくて、苦しくて、息が詰まる。
それでも、はっきりと声に出す。
「それでも、ここまでされても、私は千尋のことを恋愛的に好きになれないのが嫌っ!」
目を覆って、声を出して泣く。そんな私に、千尋は優しい声で告げた。
「観覧車、乗ろうよ」
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