第22話
わたし、矢野美也子は、千尋の背中を見送ったあと、涼葉の顔に目を向けた。
ほんのりと赤い。
そりゃそう。
千尋にあんなことを言われれば、そうなってしまう。
「今までごめんね、涼葉。今から大切にするからね」
「え、あ、いいよ。全然」
そう言いながらも涼葉は、嬉しそうに柔らかい笑顔を浮かべた。
きっと、猿渡さんに大切にしてもらえることになって嬉しいのだろう。
そしてそのきっかけを作ってくれた千尋のことを、また好きになった……。
「で、早速何だけどぉ、涼葉?」
「ん、何?」
「涼葉ってさぁ、橋下のこと好きなん?」
涼葉の顔が、かーっと、真っ赤に染まり、しばらくの間目を泳がせていたが、観念したように目を伏せ、口元を手で押さえてぼそっと呟いた。
「好き……」
あぁ、ま、そうだよね。
「〜〜〜〜っ!? 涼葉、可愛い!!!!」
「あつくるしい、あっちいけ」
涼葉は、抱きついてきた猿渡さんを、ぐい〜っと押し除けた。
「涼葉にどけられたぁ〜。でも、そりゃそうだよね〜、大切に思ってるなんて言われて嫌な顔しないんだもん」
「普通、嫌な顔しない」
「じゃ、鈴木っちに言われたらって、あはは! もう嫌な顔してる〜!」
涼葉の姿は、まさに恋してるって感じだった。甘酸っぱくて、爽やかで、キラキラしてる。私には無いものがそこにある、ただその理由だけで胸が痛い。
「ってかさ、矢野はいいの? 涼葉が橋下のことが好きで?」
「え、私?」
「そりゃそうでしょ。いっつも仲良くしてるし。実は、橋下のこと好きとかじゃないの?」
「あはは。恋愛的な意味では好きじゃないかな」
結局のところはそこ。千尋とは一緒にいたいけれど、私には涼葉の恋してるって感じがない。
涼葉の千尋と一緒にいたい気持ちと私の気持ちを比較すると、どうしても涼葉の方に軍配が上がる。職業に貴賎はないというけれど、気持ちには貴賎があると、はっきり突きつけられたように感じた。
「へえ、ならいいじゃん、矢野もさ、涼葉を応援してあげようよ」
「応援?」
「そ。恋する乙女の応援も、乙女の仕事っちゃね」
応援、か。できるだろうか。いや、できないだろうな。
ほとほと嫌気が差す。応援できない理由が千尋を好きということならまだしも、下卑た理由だからだ。
「矢野、応援してくれる?」
涼葉が小首を傾げた。ずるい。そんな可愛いことされて、断れる人間なんていない。
「当たり前だよ! 千尋のやつ、こんな美少女に惚れられるなんて羨ましい!」
あぁ、言っちゃった……馬鹿かあ? 私は?
でもさ……これが正しいんだろうな。
今の涼葉を見て、本気で恋する女の子を見て、強くそう思う。
「やった!」
「涼葉、そんな顔できるんだぁ〜」
「うっさい、猿渡」
「冷たぁ〜い」
「あはは」
なんて笑いながら、それからも話を合わせながら、考えが巡る。
やっぱり応援することこそが正しい。
私のことを恋人として見れない千尋を落とし、あの超絶美少女の涼葉から横取りする、だとか。
涼葉に千尋とは彼氏彼女仲だと思わせ、身を引かせればいい、だとか。
千尋の恋人として側にいようとしたことが、大きな間違いで過ちだ。
なんせ私は千尋に恋していないのだから。
千尋が涼葉みたいな可愛くていい子と付き合える可能性があるのだったら、それを応援するのが正しい。
それに私だって、千尋が幸せになるのを願う気持ちはある。千尋が涼葉を大切に思っているのなら、付き合えますように、って応援する気持ちもある。
応援すべき理由が多すぎる。身を引くべき理由が多すぎる。
やっぱり、恋をしていない私が、恋人として千尋の隣にいるのは無理だ。
と、すれば、友達に続き、恋人も無理になっちゃったな。
あとはセフレだけ、か。
……うん。そこまでして、千尋の隣にいようとするのは違う。
何が違うかは、はっきりとはわからない。だけど、セフレとして隣においてくれ、と千尋に縋り付く自分は酷く醜くて、嫌悪感を覚える。
ただそれ以上に離れたくなくて苦しい。空気が薄くて薄くて、息が詰まる。
でも、離れないと。でも、千尋が抜けた大きな穴は埋まるのだろうか。
「矢野。そろそろ出よう」
「そうだね」
と立ち上がる。お会計を済ませ、店を出てすぐの場所でくだらない会話。途切れたタイミングで、帰ろうか、と声が上がる。
「じゃ、私らこっちだから」
「ばいば〜い」
別れの挨拶を交わし、涼葉も、猿渡さんも、他の子も皆それぞれに散っていく。
私も帰ろうと歩き出した時、腕を掴まれる。
「千尋?」
「ヤヤ子は俺に付き合いなさい。命令である」
「ハイッ! 新兵殿!」
「俺が新兵ならヤヤ子はどういう立場なんだよ」
「元、上官。千尋は二階級特進の新兵」
「生きとるわい」
「あはは」
いつものノリに2人で笑う。
そしてきっと、私だけ胸が痛んだ。
やだな。本当、離れたくないな。
「じゃ、まあそういうことで、付き合ってくれ、ヤヤ子」
「うん、暇だしいいよ。どこ行くか決まってるの?」
「決まってる。ヤヤ子が気晴らしになるとこ」
「え、それってどこ?」
「それを知ってるのは、あなた自身です」
「まさかの展開きたぁ〜。って、何で私の気晴らしになるとこ?」
純粋な疑問をぶつけると、千尋は初夏の風みたいな爽やかな笑顔を浮かべた。
「ヤヤ子が元気ないのを、この俺がわからいでか」
……あぁ、そっか。千尋を逃がしちゃ、駄目なんだ。私には千尋がどうしても必要なんだ。
「千尋、私、行きたいところがある」
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