第16話


 教室に入るとクラスメイトから一斉に目を向けられた。


 何だろう、と思ったのは一瞬、すぐにその理由はわかった。


 俺の席で涼葉がスマホをいじっている。


 どうして座っているのか? なんて疑問より、まずドキドキがきた。何かいい香りがついてそう。


「涼葉、おはよう」


 極めて冷静に挨拶すると、涼葉はクールに「おはよ」と立ち上がって、隣の机の上に座った。


「座らないの?」


 そう涼葉に聞かれたけれど、自分の席に座ろうにも座れない。ちょうど目線に、涼葉の綺麗な長い脚がくるからだ。


「座らせてもらうよ」


 内心で考えていたことを悟られないよう、鞄を置いて自分の机の上に座る。涼葉と正面から向かい合う形になって、あまりの顔の綺麗さに、これはこれでドキドキする。


「机座るんだ」

「涼葉が机に座ったから」

「残念」

「何が残念なのさ」

「残念に思うのは橋下もかもしれないよ?」


 挑発的な笑み。何のことかもわからないのに、小悪魔感に心臓が跳ねる。


「ねえさ、橋下。今日の放課後、暇?」

「まあ暇だけど」


 そう言うと、涼葉の顔がパッと華やいだ。


「じゃあさ、私と遊びに行かない?」

「驚いた、俺も同じことを考えてた」


 涼葉は嬉しそうにはにかんだ。


「本当?」

「いや、嘘」

「橋下?」


 責めるような眼差しを向けられて笑う。すると、涼葉もつられて笑った。


「うん、放課後、遊びに行こうよ」


 どういうつもりで涼葉が遊びに誘ってくれたのかはわからない。だけど、俺にとってはチャンス。親しくなって大切に思ってもらう、大切に思っていると感じてもらうチャンスだ。


「やった。橋下はどこ行きたいとかある?」


 そう尋ねられた時だった。


「なあ、何話してるんだ?」


 声の方を見る。アップバンクの髪型、下げたネクタイ、ちょっとチャラそうな感じの男子、涼葉と同じグループの鈴木が近づいてきていた。


「おす、涼葉」


 涼葉は笑顔になる。あまりにその笑顔が作られたものすぎて、逆に嫌なことがあからさまだった。


「おはよ、鈴木」

「おぅ!」


 鈴木はどうやら涼葉の気持ちに気づいてないようで、嬉しげに笑っていた。

 あまり鈴木とは絡んだことがない。けれど、この一瞬でどんな人間かわかったような気がする。


「橋下も、よう」

「うい……」

「何だよ、元気ねえなあ」


 元気がないのではない。張り付いた笑顔の涼葉から放たれる、帰れオーラに萎縮しているのだ。


「仲良く、仲良くしようよ」

「ははっ、何言ってんだ、橋下! 仲良くしよう、は俺と涼葉に向けてじゃなくて、涼葉と橋下、それか、俺と橋下に言うことだろ!」


 鈴木は、つかそれギャグ? おもろ! と続ける。


「何、涼葉は橋下のこういったとこを気に入ったわけ? てか、どういう関係?」


 涼葉が下心を向けられている、という旨のことを言っていたのを思い出す。


 俺は変に逆撫でないように、じっくりと言葉を選んだ。


「うーん……うん。ペットみたいなもんだよ」


 これなら問題なかろう。ペットを羨みも恨みもしないだろう。

 が、涼葉は別だったようで。


「酷い、橋下」


 じとーっとした視線を向けてきた。


「いや、俺がって話だから」

「え、それは無理。私がペットならまだしも」


 頭を抱えたくなる。

 そんなこと言えば、当然、鈴木はイラッとするわけで。


「いやいや、涼葉がとかないだろ。橋下はペットがお似合いだけどな」


 鈴木の精神年齢が高校生にしては低すぎる。いやでも、涼葉が好きであればこうなるのも当然なのかな。


「何、鈴木? 橋下を馬鹿にしてんの?」

「いやそういうわけではないけどさ」

「普通に不快……」

「あ、ああ、そう言えばさ、放課後どこ行くかを話してたっけ?」


 涼葉が本気で苛立って空気が悪くなりそうなので、俺は慌てて話題を変えた。


「……そうだね! どこ行く、橋下?」

「放課後遊びに行くのか、流石帰宅部は暇だなあ。俺もサッカー部のスタメンを脅かす存在じゃなかったらなあ」


 だからその精神年齢の低さは何なんだ? 恋とは人をここまで馬鹿にしてしまうものなのか? というか、そこはエース、せめてもスタメンであれ。


「鈴木は忙しいから偉いね。私ら、これから遊ぶ内容決めるから、それじゃあ」

「お、おぅ、それじゃあ?」

「ねえ、橋下。私、カラオケとか行ってみたいんだけど」

「え、あ、うん」

「橋下はどういう曲が好き?」


 涼葉が視線を俺にだけ向け、鈴木をいないものとして扱いはじめたので、鈴木はおずおずと帰って行った。


「だる」


 小声でそう言った涼葉に同情する。


「お疲れ様。いつもあんな感じなの?」

「大体」

「お疲れ様」


 涼葉は大きくためいきをついた。


「下心を向けられるのも大変だね」

「大変。でも、橋下からだったら、話は別かな」

「そんな小悪魔的なこと言って」


 思えば、部屋にきた日も帰り際に小悪魔的なことを言っていた。涼葉はこういう冗談を好むのだろうけど、その容姿でその趣味は洒落にならない。


「ねえさ、橋下。さっきペットって言ってたけど、本当にそう思ってる?」

「思ってない」

「じゃあさ、どういう関係?」

「どうって……」


 ニヤニヤ、ワクワク、そんな顔を向けられる。

 まあ、今の関係をあえて言うならば。


「友達、じゃない?」


 涼葉は蠱惑的な笑みを浮かべた。


「今のところはそれでいい。でも、ずっとはやだよ」


 時が止まったような感覚。戻ると、心臓が早鐘を打ち出した。


「じゃあまた遊びに行くとこ考えておいて」


 涼葉が去ると、落ち着きを取り戻す。

 っぶない。そのうち、本当に落とされるかもしれない。


「千尋」


 前の席で寝ていたヤヤ子が俺の方を向いた。


「戦う前に負けた私を慰めて」

「何? どういうこと?」

「あと、朝から頭を悩ませた時間、労力を返して」


 わけのわからないことを言うヤヤ子に首を傾げた。






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