第5話


 玄関の扉を押さえると、楓川は頭を下げて入っていった。


「お邪魔します」

「お邪魔されます」

「何その返し」


 あはは、と笑いながら楓川は少し屈み、ローファーに手をかけた。

 突き出された小さなお尻と、引き締まっている白い腿が目に入る。

 そういやヤヤ子が、街を歩けばすぐにスカウトされるって言ってたな。それも当然かも。


 というより。

 どうして俺は楓川を部屋に招いてしまったのか。

 俺はスーパーでの出来事を振り返る。


 ***


「ねえさ、橋下」

「何?」

「一人暮らしって言ったよね? 私に料理作ってくれない?」


 そう尋ねてきた楓川に答える。


「いや、それはまずくない?」

「何がまずいの? 料理?」

「そういうことじゃなくて。うちに来るつもりだよね?」

「迷惑?」

「ではないけどさ……」

「じゃあいいよね。私このままだと、夕食抜きになるんだ」

「どうして?」

「家族がさ、お金を置いて外食行っちゃって」


 別に惣菜や弁当を買えばいいだろうに。そう思うけれど、俺は昔を思い出してつい頷いてしまう。


「わかった。いいよ、あったかいご飯食べたいもんな」


 ***


「ん? 橋下入んないの?」

「や、入るけどさ、本当に良かったの? 男の部屋に上がるんだよ?」

「橋下はそういう気ないでしょ。私、下心を向けられることに慣れてるからさ、わかるんだ」


 楓川の言う通り、そういう気は全くない。ヤヤ子で満たされているからそんな気がないってのが5割、楓川は高嶺の花で距離があるからそんな気はおきないっていうのが残りの5割だ。


「ま、ないけどさ」

「ならいいじゃん。私にハヤシライスを作っておくれ」

「わかったよ。狭い部屋でございますが、お寛ぎくださいませ」

「あはは、橋下ってなんかそういうノリ多いよね。ありがとう、そうさせてもらう」


 そんなキラキラと眩しいカーストトップ女子の言葉を聞いたのち、調理にかかる。

 軽く熱したフライパンに油を引き、バターをいれて玉ねぎを強火で炒める。それから火を小さくして牛肉を入れ、火が通ったら小麦粉少し。あとはマッシュルームを加え、調味料をごちゃ混ぜ、ホールトマトに水やらソースやらケチャップやらコンソメやらで味を整える。仕上げにバターを足して、完了。


 予約で炊飯していた米が炊き上がったので、両方カレー皿に盛り付けて運ぶ。


「出来た?」

「出来たよ」


 そう言って、テーブルの上にカレー皿を置くと、ベッドに腰掛けていた楓川がクッションに女の子座りしてテーブルについた。


「うわぁ、美味しそう」


 目をキラキラ輝かせた楓川。クール系の彼女が子供みたいに喜んでいるところを見て、思わず頬が緩む。


「ね? 食べていい?」


 スプーンもないのにどうやって食べるつもりだ、と思ったので、あえて言ってみる。


「いいよ」

「頂きます! スプーンないい〜」


 食べようとしてスプーンがないことに気づいた楓川は可愛くて、笑ってしまいそうになる。


「ごめんごめん、今用意するから」

「あ、その言い方、わかってて食べていいよって言ったでしょ」

「さあ」


 むぅ、と唇を尖らせた顔もそれまた可愛かった。


「どうぞ」

「ありがと、頂きます」


 スプーンを渡すと、楓川はすぐに米とルーをすくった。そして、あちってなってからフーフーして口に運ぶ。


「おいひい!」

「それは良かった」


 俺も皿を持ってきて、パクパク食べる楓川を見ながら食べる。


「橋下料理上手だね」

「別に上手くはないよ。気兼ねなく食べる、あったかいご飯が美味しいだけ」


 楓川は目を丸くした。


「もしかして気づいてる?」

「いや何にも。たださ、家族に放ってかれてる、んで、自炊にこだわってる。なら、何か事情があるんじゃないか、って思っただけ」


 そう言って、スプーンでルーとご飯をすくて、何事もなく食べる。


「聞かないの? 事情?」


 気にならないこともない。だけど、事情を聞いていいほど仲がよいわけではない。


「聞かない。まあ楓川さんが話したいなら聞くよ、家族の問題は俺も抱えてたからアドバイスできるかもしれないし」

「橋下も?」

「まあね。飯不味くなるかもだけど、聞きたい?」


 楓川が頷いたので、スプーンを置いた。


「中学三年のころに、父親が再婚したんだ」

「再婚?」

「そう。父が再婚して、新しいお母さんが家に来た。別に俺はそのことに何も思わなかったんだけど、新しいお母さんは俺のことを邪魔に思った」

「うん」

「で、そうなったら父も俺への愛情は冷めて、会話はなくなり、ご飯も別。家事やら何やらも自分のことは自分でするようになった」


 楓川は特に表情を変えず、口を開いた。


「辛くないの?」

「辛かったけど、俺には家族以外にも大切な人がいるって思えば大丈夫だった」


 それがヤヤ子に大きな恩と引け目を感じてる理由。辛かった当時、純粋に仲良くしてくれていたヤヤ子を、ヤヤ子がいるから俺は孤独じゃない、と勝手に心の支えにしていたのだ。


「今は?」

「今は何にも。一人暮らしに追いやられたことで、気楽になったし。それに慣れたから、まあ両親も子供がいるのはやだろうなあ、くらいの余裕を持てるようにもなった」

「そっか……」


 楓川は、しばらく黙ったあと、口を開いた。


「私の話、聞いてくれる?」




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