第3話


 肩を叩かれてびくりと体を起こす。


「おい、授業終わったぞ」


 ぼやけた視界がはっきりしてくると、放課後の光景が目に入ってきた。


「あぁ、寝ちゃってたか。あざ」


 そう言って声の方に目を向けると、友達の広田が呆れた顔をしていた。


「お前、昼からずっと寝てたぞ。昨日夜更かししてたな」

「朝方までゲームを少々」

「お見合いで趣味答えるテンションで言うなよ」

「そのツッコミは寒いから恥ずかしいかも」


 広田に、うるせ、と頭を軽くはたかれる。


「じゃ、俺サッカー部あんから」

「おう。起こしてくれてサンキュな」

「うい〜」


 広田が教室から出ていくと、俺は大きく伸びをした。そして誰か一緒に帰る相手がいないか、教室を見回す。

 誰もいない。友達は皆、部活か帰ってしまったみたい。

 ヤヤ子は、と探すと、ヤヤ子のグループにいて、珍しく、男女数人で話しているところだった。


「あ、じゃあ今日遊びに行こうよ。新作飲んでみたいし」

「いいじゃん。男だけで入るのは気がひけるから助かるよ〜」


 盗み聞きすると、どうやら遊びに行くみたいな流れ。

 仕方ない、一人で帰るか。

 教室を出ようとすると、すれ違いざまにヤヤ子と目があった。


「あ、千尋待って」


 そう言われたので、立ち止まる。するとヤヤ子は、グループの子、男子達に手を合わせた。


「ごめ〜ん、今日は千尋と帰る予定だったから、また今度誘って〜」


 俺とヤヤ子にニヤニヤとした笑みが向けられる。


「そっか〜。ならしゃーないなー」

「だな〜。流石に止めれないわ」


 ヤヤ子が「あはは。ごめんね〜」と謝ったので、俺も合わせて謝って教室を出た。



 ***



 学校から出てすぐの長い橋。茜色に染まったコンクリートの上を自転車を押して歩く。


 川に吹き込む風は生温く、夏の気配がする。梅雨が明けるのは近く、夕方のこの時間がセミの声でうるさくなるのもじきだろう。


「ねえ乗っけてよ」


 車道とは逆側を歩くヤヤ子は、少し前に出て上目遣いしてくる。


「やだ、重いから」

「乗せてよ。私が誰のものなのか見せつけたいよ」

「別の意味で重くなったなぁ」

「この自転車のものだ、って」

「自転車乗ってる人見て、『あ、あの人、自転車のものだ』とはならないでしょ。それに俺のじゃないんかい」

「やだなぁ、自意識過剰で。久しぶりの二人きりの下校に、舞い上がっちゃった?」


 舞い上がってはないが、ヤヤ子が言うように、一緒に下校するのは久しぶりだった。

 ヤヤ子にはヤヤ子の、俺には俺の友達がいる。四六時中一緒にいるわけではなく、四六時中一緒にいれるだけ。教室でも、休みの日でも、いる時はいるけど、ずっと一緒にいるわけではない。


「まさか。そういうヤヤ子こそ、舞い上がってるんじゃない? 遊びの誘い断って、俺と帰ることを選んだんだから」

「いやいや。女子だけで遊ぶ〜ってなってたら、千尋のことなんか見向きもしてなかったから。男も交えてだったから、じゃあ千尋でいいや、って思っただけだから」

「あー、まあわかるわ。俺も女子と遊ぶより、男だけで遊んだ方が楽しいし。女子と遊ぶのもそれはそれで別の楽しさがあるけど、なら別にヤヤ子でよくね?ってなるし」

「そーそー、そんな感じ」


 ヤヤ子は、それに、と続けた。


「ほぼ寝てないせいで眠いしね〜」

「仕方ないなぁ、うちで寝てく?」

「やだ。襲う気になるでしょ、多分」

「ならないって」

「いや私の話」

「よし、うちにおいでください」

「積極的になるな」

「冗談。本当に眠そうだし、自転車に乗っていいよ」


 足と自転車を止めると、ヤヤ子は躊躇なくサドルに腰をかけた。

 俺はハンドルから伝わる重さに振り回されないよう、ちゃんとバランスをとって押し始める。


「ありがと〜。千尋って優しいよね〜」

「今頃気づいたか」

「そういう気遣わせないようにするところも優しい〜」


 ヤヤ子はからから笑ったのち、少し落ち着いたトーンで話しかけてきた。


「私、今日、友達の誘いを断ってきたのは見てたよね?」

「うん、見てた」

「断った時にさ、橋下と帰るんだったら仕方ないか〜、って反応されたのも見てたよね?」

「見てた。彼氏と遊ぶんなら仕方ないかぁ〜的な反応ね」

「そうそう。で、さ。それって私と千尋が皆の間で付き合ってるみたいになってるってことだよね?」

「かもなぁ。いつもではないとは言え、休み時間も二人で話す時は多いし、二人で遊ぶときも多いし、そう見られても仕方はないけれど」


 ヤヤ子はうんと頷き、首を横に倒して見つめてきた。


「千尋はさ、そういうの迷惑だったり、する?」

「いいや、全然」

「あはは、私もそうなんだよ。むしろ、ちょっと嬉しいくらい。でもね……」


 ヤヤ子は俺から遠いところを見た。


「もしさ、どっちかに好きな人ができたら、大きな障害になると思わない?」


 それはなるだろう。好きな人と恋愛したくとも、相手に彼氏彼女がいると思われているのだ。その誤解を解かなければ、恋愛には発展しづらい。


「まぁ、なるにはなるだろうなぁ」

「でしょ。ずっと誰かを好きにならないよりは、そのうち好きな人ができる確率の方が高い。だから千尋に迷惑か、って聞いたんだ」


 あはは、と軽く笑うヤヤ子に答える。


「それ聞いても、全然。好きな人が出来たら出来たでその時。俺は今の関係を心地いいと思ってるし、俺からやめようとは思わないよ。まぁ、ヤヤ子のことが好きで仕方ないってやつが出てきたら、うーん、身を引かなきゃなぁ、とは思うし、ヤヤ子がやめたいって言うんなら従うけど?」

「一緒だ、私も千尋と全く同じ意見」


 そう言うと、ヤヤ子は「あー」と夕日に向かって声を出した。


「出来るだけ長く、千尋と一緒にいたいなぁ〜」


 と大きな独り言でこの話は終わり、いつものくだらない会話が始まった。


 橋を渡り、国道沿いを歩き、住宅街に入ると、ヤヤ子は自転車から降りた。


「ここでいいよ、どうせ今から買い物行くんでしょ?」

「うん」

「一人暮らしはつらいねえ〜。荷物持ち手伝おっか?」

「いやいいよ。帰って寝な」

「ありがと、そうする。じゃ、また明日」


 大袈裟に手を振ってきたヤヤ子と別れ、俺は自転車に乗って買い出しに向かった。

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